虚偽と破壊と不可視と涅槃
「何ッ?は?何を言っている、寝言が言いたいんなら寝かしつけてやるが」
「呑気にコーヒー飲んで落ち着くんじゃあないッ!危機感を持て!奴を逃がすなァッ!!!」
病院の廊下で叫ぶスミスの怒号はハリーにも聞こえた。
看護師の注意に耳を貸していない様子のスミスは再び病室の扉を開けてハリーに詰め寄って来た。
聞きたくない言葉がスミスの口から出るのは察していた。安心が三日足らずで不安と戦慄に変貌するなんて夢にも思わず、全身が力んだ。
「セオドアが…脱獄したッ…!」
動きも速ければ穴を突くのも早いってか。狡猾で邪悪な奴だとは知っていたが、例の脱獄不可能の刑務所から数日で脱獄するなんて馬鹿みたいだ。
いや、もしかしたらセオドアには仲間がいるのかもしれない。何かの強大な悪の勢力が働いている。7年ほど前までいた世界中を蹂躙し、悪の限りを尽くしていたとある組織は勇士達によって壊滅したと聞いているが、それに似た者達が再び現れた可能性は十分にある。
悪人には天才が多い。セオドアもその仲間も、それに当てはまるだろう。
「イトス様っ。連れてきました」
真っ白で雪の積もったような粗の無い室内。薬品や実験装置がいくつか置かれており、温度は低く保たれている。特に目立つ物は何も無く、ただただ実験するためにあるような部屋。奥にある廊下の先には何やら暗い部屋が見える。
映画にでも出てきそうな白さから出る殺風景さは、その男の威圧感を抑制しているような気がする。
「アハハハーーッ!!セオドア、君捕まったんだってね?テレビでよく報道しているよ。減点対象だね」
白衣を身に纏い、防護ゴーグルを額に当てた男。紫色の髪を後ろで三つに細長く結び、デコを出した真ん中分けの独特な姿。顔は若く、右側の首の辺りに大きな火傷痕がある。
男はイスに座り、実験道具を片付け始めた。
「そういや君、あの女に何をした?全く起きないんだが、これじゃあ私の能力が使えない。殺したわけじゃあないよな…?」
「……ショックが重すぎたんだろう、そのうち起きる。殺さないぐらいには手加減したが………」
「もし死んでいたら君…分かっているだろうね?………」
視線も表情を変えず、男はドス黒い雰囲気を醸し出す。
この時、ほんの一瞬だが、この男の空恐ろしい信念と野望にセオドアは怯んだ。この男は先日の軍やハリー達とは比べものにならない猛者であることは確実だ。
「…私は行く先の無い人々を救うのが好きでね、まあこう言っちゃなんだが…掘り出し物があるんだ。誰にだって才能がある。ただそれを引き出せる環境が無いだけであって、その才能を見出してあげるのが私の仕事でもある」
「この女もか」
セオドアは横に立っているエリナに視線を向ける。
エリナは男にかなりの忠誠心を持っていた。だからこの男はそれなりのカリスマ性と引き寄せられる何かがあるのだろう。
「そうだ。何も無い砂漠で三日間彷徨った後のオアシスの水が最高に美味いように、暗闇にいる者に与えられる光は素晴らしい。同じ目線に立って心を解く…それが私のモットーだよ」
「………そりゃあ素晴らしい」
「話を戻すが、あの女が死んでいたらどうなると思う?」
男は呑気にペン回しをしながら、いつ争いを始めるか判らない危険な会話を続ける。
「また軍隊を持ってくるのか?」
「ハハハッ、…まあ……出来ないことはないけど、それじゃあ手間がかかる。もっと速く的を射る。14年も経った私が言えることではないがね」
シュッ――その時、突然背後から人影が忍び寄り、蹴りを繰り出してきた。セオドアはすかさず体を回転させて回避し、裏拳を背後にいた者の頭に寸止めした。
背後にいた者、それはエリナだった。横にもエリナは立っている、しかし目の前にいるのもエリナ。分身ではないが、二人いた。
「的は射られなかったみたいだが……」
セオドアは男の能力を知っている。
際限の無さが恐ろしく、この男の非常にマッチしている能力だ。
「やっぱダメかァー。『ネヴァーマインド』の欠点は生物でも気配までは消せないことだな。……それはそうと、前置きがアホみたいに長くなったが本題に移ろうか」
「……掴めない奴だ」
「君が捕まる元凶となった者。知りたいだろ?それを教える代わりと言っちゃあなんだが……この女を殺して欲しい。7年前に私の同胞を殺した女でな、私を追っている。順番は関係無い、最終的にこの女を殺してくれればいい。助けた恩を返すと思えばいいだろ?」
男が提示した写真には、リル・ペルフの顔が写っていた。
男の話曰く、このリルという女はかなりの権力を持っており、もし全勢力を注ぎ込んできたら抵抗なく殺されると言う。
男が人間ではないことも知っている。それ故の空恐ろしさ。ちなみに、リアスというリルの弟にはエリナが向かったという。
男からセオドアが捕らえられるきっかけとなった人間を聞いた。居場所も聞いた。リルは後で始末する。先に殺すのは、セオドアに屈辱を与えさせた、アレクサンダー・コールマンだ。




