パーフェクト・ストレンジャー その2
「いや…ホント……足止めしろって…言われてて…はい」
そのいつまでも焦れったい消極的なプレスリーという男にイラついたリルは拳を握り締める。
「リアス…分かってるな」
「…うん」
私一人でやらせろ、とリアスは受け取った。リアスは少し後ずさりし、間を置く。
周りはニューヨークの市街地。あのペン型の銃は初見だが、あんなものを使う理由も察せる。リルがこの場で「本当の能力」を使ったら洒落にならないからだ。
「オラァッ!!」
リルが殴りかかる。
完璧な力加減と腕から腰にかける曲がり具合から繰り出される拳は真正面から迷いなくプレスリーへと向かう。
「!?」
「すいません…わざとじゃあないんですよ…」
拳はプレスリーをぶっ飛ばすことはなく、なぜかリルがプレスリーの背後にいた。拳を繰り出した構えのままで。
「あと5分くらいなんで…いや……はい」
振り向くことなくプレスリーは言い放つ。
しかしその挑発するような言葉がさらにリルの数ある導火線に火をつけた。
「ウオルァッ!!!」
人目をはばからず回し蹴りを繰り出す。
こちらもまた完璧な体勢で、当たらないはずがないと思っていた。
「チッ…」
瞬間移動したように、再び攻撃は一切当たることなく、今度はリルはプレスリーの前方にいた。
背を向ける形でプレスリーの前方に来たリルは足を下ろし、不敵な笑みを浮かべる。
「噂で聞いたことはあったけど…こえー能力だな。触れようとするモノを全て触れることなく「通過」させる能力…」
「あっ……そうなんですよ…ははっ…」
「だけど盲点はいくらでもあるぜ。勉強は嫌いだが、お前は物理法則に従い、ちゃんと呼吸しているし、服にも地面にも触れてる。それだけ」
リルは悠々と腰からペン型銃を取り出す。
その銃をプレスリーの脳天に向けることなく、プレスリーの足下の地面に真っ直ぐ向けた。
「作戦開始だクソ野郎」
パンッ!――耳を塞ぐ暇も無いその発砲音は金色に光る弾丸を追尾し、弾丸はプレスリーの足下に着弾する。
「!」
地面のアスファルトはさっきのタクシーのドアと同じように液状化し、ドロドロとなった。
当然その真上に立っていたプレスリーも沈んでいく。
「手間のかかるクソ野郎だな」
首をかっ切るジェスチャーをする。
「あのでも……ドロドロになったアスファルトだけを通過すればいいんじゃあないかなぁって……」
そう言った直後、プレスリーの頭上に黒色とも鼠色とも言い難い奇妙な液体が現れ、プレスリーが階段を踏み外したようにガクッと降下する。
「なんか…すいません」
プレスリーが軽く後ろに跳ぶと、頭上にあるアスファルトであろう液体が地面にベチャッと音を立て落ちた。
だがリルの表情に曇りはない。
「常に作戦ってもんは一つだけじゃあなくって、二つや三つ考えとくもんだぜ」
コポ…コポ……と、液体となったアスファルトの表面に多量の泡が出現する。
それと同時に、形容しがたい臭いが3人の鼻を撫でる。本能的に不快感を覚え、すぐに危険だと察知することは容易だった。
「この臭いは…!」
「地面を溶かす次はガス管を溶かす。ここまで作戦だよ」
溶けた地面から噴出していたものはガスだった。
どんどん漏れ出すガスの臭いは次第に強まり、リアスは思わず口と鼻を手で塞ぐ。
「いや…ホント怖いですね……でもガスも通過できるというか…はい」
「それを踏まえての作戦。さあ、これから最後の作戦移行だ。…………リアス、大股5歩下がれ」
そう言われたリアスは素早く大股で5歩後退した。
その時、周りから通行人の声が聞こえる。
「おい…ガスの臭いがしないか?」
「どこかでガス漏れしてるんだ!」
「こういうときって消防なのか?」
「知らねぇよ!とりあえず逃げようぜ!」
あんなにゴミのようにいた通行人が瞬く間に消え去り、リアス、リル、プレスリーの3人だけになった。
「えっ……あぁえぇ…」
プレスリーは困惑する。
しかしリアスは何をするかは一瞬で理解できた。昔、姉自ら嫌い、使わなくなっていた能力だ。特異能力が現れた8歳の頃の姉はこの能力が制御できるようになるまで二年間程施設に隔離され、5メートル以内に人間を近づけることさえ許されなかった。特異能力発現当初は隔離自体はよくあったことだが、姉は施設から解放された後でも何人か人を殺しかけ、実際問題2人は殺したという。
「改名したんだぜリアス。新しい名前は『ザ・ハートブレイク』だ」
決意を抱いたリルは大きく一歩踏み出す。
するとプレスリーが左胸を抑え、その場に膝をつく。
「あぎッ……!…はっ…はっ…あぁう……ぅ………」
まともに喋れなくなったプレスリーは呻き声を上げ、苦悶の表情を浮かべる。
リアスには何が起こっているか分かっていた。発動するとリルの半径5メートル以内にいる心臓を持つ生物の鼓動が速まる能力。リルから遠ければ心拍数は少し上がるといったところだが、リルに近づけば近づくほど心拍数は上がり、至近距離にいれば人間はそう長くは生命活動を維持できない。いくらプレスリーの『パーフェクト・ストレンジャー』でも心臓を通過させることはできてもしないだろう。それがリル・ペルフの本当の能力『ザ・ハートブレイク』だ。そして30センチメートル以内に近づいた人間は……
リルは再び一歩踏み出し、倒れるプレスリーの顔の目の前に顔をやる。
「私を怒らせるとこうなる、覚えときな………いや、覚えても意味ねぇか」
パンッ!―――それは銃声ではない、手と手を激しく合わせたときのような、油が熱されたときのような軽い音。
プレスリーは言葉を発することなく、血を吐き出すこともなく、倒れた。
リルが『ザ・ハートブレイク』を発動している際に30センチメートル以内に近づいた人間の心臓は、内部で風船みたいに破裂する。




