離れゆく磁石
仲間が死んだのにも関わらず、眠たそうな顔をして、黒髪の男は倒れているユノに近づく。
「!」
一瞬呆気にとられたが、あの男を近づかせてはいけないことを思い出す。
何が条件かは分からないが、近づいただけで相手をどこかへ連れ去る能力。アレクの父アベックもその能力により死亡した。
「帰りてぇな…」
男はボソッと呟く。
その責任感のない言葉が本心なのか、または能力の発動条件なのか、どちらにしようが脅威であることに変わりはない。
アレクは男の真横に影を被せるように立った。
「……あのリアスとかいう奴は自分の母親を捜すために命を惜しまないような馬鹿な男だ。だから俺も…命を賭けて自分の父親の骨ぐらいは捜す」
「…健気なお馬鹿さんだな」
その軽はずみな発言にアレクが眉をピクッとひそめる。
拳を握り締め、爪が掌の肉に食い込み痛むほどに、今までにない怒りが湧いてくる。
「テメー……俺だって理由は十分だぜ!」
勇ましく大きく見えるその拳を男に振りかざした。
「周りにもたまにいるんだよなァ、そういう熱血漢な馬鹿が。お前が今やろうとしてることはまだ立ち上がれない赤子のようにマヌケで、聡い行動とは正反対の無謀で無意味な行動だ」
余裕げに話していた男はあと数センチで拳が当たるというところで、瞬きする暇もなく姿を消した。
男だけが、加工された映像のように不自然に消えたのだ。
「なッ……!?」
なんの前触れも無く突発的すぎる消失に、アレクは茫然自失となる。
なんの能力なのか考える前に、男の声が再び耳に入る。
「だから無意味って言っただろ、アレクサンダー・コールマン。お前の家系って…皆、最初に「ア」が付かないと殺されんのか?」
男はアレクの後方。以前アベックの座っていた革張りの椅子に座り、A4サイズほどの紙の家系図をパラパラとめくっていた。
「……」
アレクは言葉を失う。
そしてまた、消える。アレクが移動に気づくことはなく、男は刃を突き立てた。
「スウェーデンに移住…イギリスに移住…まあアメリカ嫌いな一族だこと」
「アガァッ……!!!」
男はナイフをアレクの腹に突き刺す。痛みはじんわりと、そして素早く全身を徘徊する。
アレクがその場に崩れ落ちると同時に、その男は片手で憂鬱そうに紙を閉じた。
「んなこたぁどうでもいいんだわ。じゃ、仕事はちゃんと遂行しなきゃな」
再び消える。ゲームのバグみたいに、刹那でアレクの視界から雲散霧消した。
脳がショートしそうなほどに思案する。瞬間移動の能力か、透明になる能力か、それとも…
「時間を止めるとか、思ってるんじゃあないよな?」
「ッ………」
男は、既に意識のないユノの横に屈んでいた。
アレクは歯を食いしばり、驚いた顔を隠す。顔には汗が浮かび、今だかつてない恐怖がこみ上げてくる。
「時間かけさせやがってよォ…めんどくせェなァ」
男はユノに手を伸ばす。
「ユノは…渡さない…!」
荒々しい呼吸でリアスがどこからか言い放った。
男は顔を天井に向けると、リアスが天井に足を付けていた。腕はリアスのものではないように力が抜け、垂れ下がっている。
「はぁ…しつこすぎるだろ……お前その腕でどうしようってんだ?」
溜め息を吐き、男は眉間にシワを寄せる。
男はすぐにユノを連れ去ることもできるが、あえて相手をすることを選んだ。深い理由なんてない、ただウザったいから。
「物事は進化しなきゃあ前に進めない…」
「…答えになってねーぜ」
「進化の第一段階…ってところだ」
呼吸を整えると、リアスが飛び出す。天井から男に向かっているので厳密に言えば落ちているのだが、何かがリアスを押し出して加速させた。
「足からも能力を使えるようになった…か」
男は目に角を立てる。
リアスの腕は垂れ下がっている、痛みは伴うが掌に少しでも力を込めれば反発は行えるはず。それ以外にもチャンスは大量にある。
「ウォォオーーッ!!!」
雄叫びを上げ、男の真上に来たリアスは掌を力ませる。
「焦れったい…」
そう言うと男は姿を消す。
三度消える様を見たリアスだが、驚いている暇はない。頭の中にあるのはユノを助けるという信念のみ。
男が消えたため、今度はリアスは床に向かって反発を放つ。すると体は浮かび上がり、背面跳びのように宙に舞う。
「時には諦めも肝心だぜ」
男はリアスの斜め上、足側に現れた。
一瞬で姿を消せば一瞬で姿を現す。それが男の能力であり、彼はこの能力に多大な信じ切っている。いくら空中戦であろうとも、負けることはない。
「俺の『インサイドアウト』に…欠点は無い。俺だけの世界だ」
男は曲げていた膝を伸ばし、足をリアスに繰り出した。
リアスは不退転の決意をする。それは「死」に対する決意ではなく、「生」に対する決意。
作戦は既に進行中だ。
「ユノは絶対に離さない…!」
リアスの靴が宙に放り出される。
既にかかとを踏んでいた状態だった靴は脱ぎ捨てられ、中から無数の銅色に光る弾丸が顔を出した。
「こいつッ…!」
男は死に物狂いで周りを見渡す。発動条件である「それ」を見つけるために見渡したが、宙に浮いているため見つけられなかった。
散った弾丸は足の反発によって吹っ飛ばされ、散弾銃のごとく高速で散らばった。
「うぐゥッ…!!」
数個の弾丸は男の体にめり込み、痛みを走らせる。
そして男は落下し、机にぶつかった。
「ア゛ァアッ!!」
悲痛の叫びなのか、憤怒の叫びなのか、男は目くじらを立てる。
「なめてんじゃあねェぞクソガキがよォ……」
男はゆっくりと立ち上がると、大きく息を吸った。
「あーもう止めだ!テメーにチャンスは与えねェし容赦はしない!お前らなんかと遊ぶのは時間の無駄だったッ!!俺の『インサイドアウト』に敵はいねーんだよォ!!!」
男はらしくない大声を出しながら、また消えた。
マジックでもない、目の錯覚でもない。何度も見たその能力は、リアスとアレクを戦慄させる。
リアスは足で反発を行い飛び出し、命を捨てる覚悟でユノのもとに近づく。
「なにがなんでも仕事は遂行すりゃあいいんだよォォーッ!!!」
ユノの真横に現れた男は待つ時間を一切与えず、ユノに触れた。
その直前、ユノが口を開いた。そのか弱い声は乱心状態のリアスには完全には聞こえなかった。しかし、助けを求める言葉だけは、ほんの少し、アルプスのお嬢様が弾くハーブのような美しく透き通るような声は、聞き取れた。
助けて―――と
「ウォォォォオーーーッッ!!!!!」
非情にも時は待ってくれない。元々は母親を捜すだけだった。ユノに会っていたら今頃母と会えただろうか。それとも永遠に見つけることができずに闇の底を彷徨っているだけだったのか。それは誰にも分からないし、誰も考えたくはなかった。
ユノも母も両方助けられればそれだけでよかった。二兎を追う者は一兎を得ず。それは勇気ある者にも覚悟ある者にも通用するこの世の理。
ユノと男はその場から跡形もなく消失し、リアスの叫び声がこだまするだけであった。




