美女と野獣とめでたしめでたし
「『こうして呪いは解けたのでした、めでたしめでたし!涼ちゃーん!お姉ちゃんここだよー!ナツキちゃんもいるよー!顔見せにおいでー!』」
声の主は、どう聞いてもいずみさんだ。だが、エコーのかかり方がおかしい。廊下にも響いていたようだし、もしや全校放送だろうか。だとしたら涼子ちゃんもあたしもさらし者扱いなのだが、いずみさんはなぜそんなことを。
眉をひそめたあたしとは裏腹に、放送が終わるやいなや一斉に体育館中がわいた。歓声があちこちから上がる。拍手喝采。抱き合って喜ぶ親子。涙する男ども。一体ここで何が起こったのかわからないほどちぐはぐながら、すさまじい大騒ぎが始まった。
突然手を取られて肩を震わせると、黒髪の美青年が穏やかに微笑んでいた。憧れの女の子の顔が脳裏によぎる。いや、確かに似ている。似ているけれど。
「見て、ナツキ。あなたはこんなにたくさんの人を救ったんだ」
あたしの葛藤など知らない自称美園薫は、ゆっくりと指を絡める。柔らかなだけではない、少し節がごつごつとした長い指は白く、優美な印象を受ける。背はあたしより結構高い。
あたしの視線に気づいて、見下ろす形だった男は困ったように眉を下げ、顔を覗き込んでくる。上目使いだ。探るような、乞うような視線。吸い込まれそうな黒の瞳には、あたしが映っている。
気づいた瞬間、背中に電流のようなものが走って動けなくなった。
薫さんの上目づかいに、あたしは、弱い。
「あなたに、ちゃんと話す時が来たみたいね」
口を開く前に少し迷ったような素振りを見せて、決心したように話し始めたその口調は、まるで彼女のようだった。声はだいぶ低いが、耳に残る優しい響きをしている。
「この都市と学園は、男性のみが感染する中性化ウイルスの感染者を保護し、新たな感染者の増加を食い止めるとともに、治療法を研究するための場所なの。発症後は身体の女性化が始まり、同時に生殖能力を失う私たちは、学生時代を感染の心配のない女の子たちと過ごし、将来男に戻ることができなかった場合の訓練をしていたのよ」
男性のみが感染する、中性化ウイルスで、身体が女性化。
ということは、この学園のほとんどが元は男ということだろうか。それが今、あたしが何かしたことで元に戻ったというのか。そんな馬鹿な。あたしは呆然と目の前の光景を眺める。
「勿論、あなたみたいに女の子もいるわよ。外部生も今日のお客さんたちも、生物学上女ならここに入ることができるの。将来的にこのウイルスについて研究したり、私たちが社会に出た時に手助けしたりしてくれるような優秀な女の子を確保するために、外部生の受け入れ試験はとても厳しくなっているけれどね」
ところどころで驚いたように立ち尽くしたり、何人かでかたまって困惑した表情を浮かべたりしている女の子たちが見受けられる。同士のようだ。正直、この男の腕を振り切ってあの子たちと混乱を共有したい。
もし仮にこの男が薫さんだったとしても、今のあたしはすぐに受け入れることなんてできない。
遠い目をしていると、騒がしい声に現実へと引き戻された。
「あー!!また手なんて繋いで!駄目だよなっちゃん、あたし、じゃない、おれ、ええっと、超かっこいいアンリとしようよ!ほら、そっちばっかり見てないで、こっち向いて!」
「え、ええ、ちょっ」
「いつもべたべたくっついてるのはそっちじゃないか。ナツキはただでさえ男に近づくのを嫌がっているのに、強引にひっついてチャンスまでなくしたいのか、アンリ」
「はあ?二回もちゅーしといて何言ってるんですか、美園さん」
なにが起きているんだ、ほんとに。
どちらかと言うとガタイのいい部類に入る男二人に挟まれて、あたしは閉口する。そういえば薫さんとアンリちゃんのツーショットってほとんど見たことなかったな。もしかしてあの二人は仲が悪かったのだろうか。
ぼんやりと舞台そでを見ていると、花道を軽やかに駆け抜ける人影が見えた。またなんとなく見覚えがあるような人物は、あたしのいやな予感を的確に反映してこちらへ走ってきた。
「ナツキ!これっ、ナツキが治してくれたって本当!?って、何してんの菊野!と、美園さん!」
「うわ増えた」
あっちこっちにはねた髪が、ここまでずっと走り続けてきたことを思わせる。日に焼けたような茶髪に、男にしては大きめのくりっとした目。背は両側の二人よりは小柄で、なんとなく元気いっぱいにご主人様にすり寄ってくる中型犬が思い浮かんだ。
「なんで舞台まで上がってきてんのかなあ、翔子ちゃんくん?」
「カケルだよ!ていうか服くらいちゃんと着てから来いよ菊野!」
笑顔だがいつになく皮肉げな調子で首をかしげるアンリくん。もういい。もうアンリくんでいい。あたしの頭は、混乱のあまり今にも爆発しそうだ。ていうかやっぱこいつ翔子ちゃんか。
「ああ、ナツキのお友達の梨本さん?ごめんね、今ちょっと邪魔されたくないんだ」
「は?ナツキ、嫌がってるじゃないですか、何言ってるんですか」
あたしの顔が死人めいていることに気づいてくれたのはありがたい。だが、憧れのお姉さまや親しい女友達が一気に大嫌いな男になってしまって心が荒んでいるあたしが今一番求めているのは、安息。そして休息だ。
翔子ちゃんこと翔くん、ちょっと部屋に帰らせてくれないか。そこの冷戦地帯に足を踏み入れなくていいから。
と、舞台袖から魔法使いかつ王子のいずみさんが小走りで近づいてきて、あたしの肩を勢い良く叩いた。
「ナっツキちゃーん!やってくれたねえ、このこのっ」
「い、いずみさあん!助けてください、あたし今困って」
「おい、何してんだてめーら!ざけんな!離れろ!」
久々に女の子が近くに、と飛び出そうとした瞬間、いずみさんの後ろから突然馬鹿でかい男が現れ、あたしはたたらを踏む。あっぶね、あっちにダイブするとこだった。
いずみさんのマントを羽織っているそいつは、毛先に向かって明るくなっている茶髪を後ろで束ね、やたらだぼついたズボンを左手で抑えている。なんだそのカラフルな縞々は。衣装か何かだろうか。いずみさんがどこか嬉しそうにあたしを見つめていることから、こいつに会わせたかったのだろうかと首をひねる。誰だ。
「おい、あんたも抵抗しろ!殴れ!振り払え!」
「……えっ、誰ですかこの人、もしかしてあたしが知ってる人ですか」
「よくわかったね、改めて紹介するよ!私の弟の榊涼介でーす、よろしくね!」
榊涼介。いずみさんの兄弟は、確か妹で、名前は榊涼子。
そんな。あたしは叫んだ。
「嘘だ!嘘だと言って!ここが一番嘘であってほしい!嘘だって言えよ涼介くんとやら!!なあ嘘なんだろ!?」
「はあ!?無茶言ってんじゃねーよ!現実見ろ!」
「こんな現実あってたまるか!!童顔巨乳の涼子ちゃんはどこ行っちゃったんだよ!!」
「ど、どこ見てたんだよ変態女!馬鹿じゃねーのか!?」
もっともだ、すまない涼介くん。しかしあたしは、見た目だけじゃなくて性格も可愛いと思っていたよ。
「童顔じゃないけど涼ちゃんは巨乳っちゃ巨乳だよね、筋肉だけど」
フォローになってないです、いずみさん。
顔を真っ赤にしている涼介くんの顔は、確かにいずみさんに似ているかもしれない。
一見悪ぶってはいるし体格もいいが、元がかなり正統派王子に近いため、睨みつけてもあまり怖くない。しかもちょっと涙目。本人は無意識なのかもしれないが、女の子の時のこれはかなりあざとかった。
涼介くんという巨人になった今、あたしに対してそれほど威力はないが。
そこまで考えて、あたしの中に憤りが芽生える。こんなの展開的に間違っている。常識的に考えてみてほしい。童顔巨乳が長身マッチョになるか、普通。なっちゃいけないだろう、主にあたしのために。いや、普通は女の子が男に戻ったりそもそも男が女の子になったりしないはずなんだけど。
混乱が極まって、この場から逃げ出してしまおうかと考えたその時。救世主の声が舞台の前にある観客席から聞こえてきた。
「……ナツ、なにやってんの?」
「え、絵里子ちゃああああん!!」
いつもと変わらないその姿に、正直涙が出た。走って行って舞台から飛び降り、あたしよりだいぶ小さな体を抱きしめると、少し身じろぎはしたが、おとなしくされるがままにしている。
柔らかい体をぎゅうぎゅうと腕で締め付けながら、首筋に顔をうずめる。頭がパンクしそうだ。今日はもう何も見たくない。
「え、ちょ、なにやらかしたの?誰、この人たち。ていうか、この状況はなんなの」
「わかんないし考えたくもないけどあたしのせいかもしれない!あたしはあたしのためには絶対にといちゃいけない魔法をといちゃったのかもしれない!!」
「意味がわかんないんだけど」
「あたしだってわかんねーんだよー!!」
「ちょっと、耳元で叫ばないでよ。って、痛い!痛い痛い痛い離せ!えっ、ちょ、おい!重い!起きろ馬鹿!元ヤン!スケバン!強面!人でなし!極悪非道の……」
絵里子ちゃんの柔らかい体を抱きしめているうちに、頭がくらくらとしてきた。ハードな運動の後に水分も取らずに心拍数を上げたり、叫んだりしたからだろうか。
いつもより容赦のない絵里子ちゃんの罵詈雑言に包まれて、あたしの意識は沈んでいった。




