美女と彼女が望んだフィナーレ
この後は、たったの一言だ。あたしだってちゃんと覚えている。「『あなたを愛しているわ』」と言って野獣の首元を抱きしめ、着ぐるみの口先にキス。スモークとライトと王子様。そしてハッピーエンドで幕が下りるのだ。
――それなのに、どうしてそんなに泣きそうな顔をしているんだろう。
薫さんは、顔を赤くして唇を噛んで、泣くのを我慢しているように見える。鼻の頭もぼんやりと色づいてきて、黒い瞳いっぱいにたまった涙が器からあふれようと震えているのが見えた。
一筋こぼれようとしたとき、あたしは咄嗟に手を伸ばす。本当に無意識的に、手で受け止めようとしたのだ。一筋流れていこうとした涙は、毛だらけの茶色い指に吸い込まれていった。
――あ、やべ。
すぐに台本にも練習にもなかった動きをしたことを後悔したが、いまさらどうすることもできずに頬に手を当てたままでいると、その手にそっと白い指が重ねられ、中の指を確かめようとするかのように絡めとられた。
驚いて見上げると、美女は嬉しそうに微笑んでいた。
「――ずっと探していたのよ、あなたのことを。これで最後かもしれないから」
静まり返った会場に、柔らかな声が響く。あたしが知っている台詞ではない。アドリブだろうか。困惑するあたしは、黙って彼女を見上げる。
狭い視界に映った薫さんは、頬ずりするように茶色い手を顔に押付けて、うっとりと目を細めてあたしを見下ろす。背筋が寒くなるほどの美しさに、目がそらせない。
固まっているあたしの手を地面に縫い付けるように下ろしてから、熱に浮かされたような瞳でじっとあたしを見つめて、あろうことか両手でしっかりと野獣の頭を掴んだ。え、いや、それは駄目、です!
慌てて押さえようとした腕は、馬乗りになった薫さんの膝に抑え込まれた。えええええ、なんか美女強いんですけど。こうなったら最後の手段、とあたしは口を開く。
「――っ、ちょ、薫さ」
「こんなのしてたら、とける魔法もとけないわ」
問答無用とばかりにぴしゃりと言葉を遮られる。その隙に華奢な両手は戸惑うことなく野獣の頭を引っこ抜いて、邪魔とばかりに舞台奥に放り投げた。あたしはパニックだ。どうすんのこれ、奇しくも中身出ちゃったんだけど!
さらけ出された顔は汗まみれで、いつもよりさらに見れたものじゃなくなっているだろう。情けなくて顔を背けていると、がっしりと両肩を掴まれる。驚いて薫さんを見上げた時、あたしは絶望すら感じるほど強く確信した。
野獣の中から出てきたみすぼらしいあたしを見下ろしながら、上気した頬とうるんだ目でどこか自慢げに微笑む薫さん。彼女は今この瞬間、世界の誰より美しい。
「ナツキ、好きよ、どうしようもなく」
台本とは似ても似つかない拙い愛の言葉を幸せそうに言い放ち、美女はあたしに口づけた。
あまりの眩さに目の前を見ていられず、恐る恐る目を閉じる。その瞬間、強い風が舞台上を吹きぬけて、花のような甘い香りがあたしを包んだ。
ああ、これは、いつかの。




