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イミテーションリリー  作者: 緒明トキ
体育祭編
10/28

保健室と秘密

 この都市は、外界から隔離されている。

 それは、感染者を外部と接触させないためであり、感染と同時に生殖能力と性的な欲求を失ってしまう彼女たちをいらぬ欲望から遠ざけるためだった。感染した女の子たちは、恋愛という感覚を失う。生理も来ない。


「治療法どころか、感染ルートすらまだわかっていないの。発症したらすぐにここへ連れてこられて、外界との接触を断たれる。私も小学生のころ発症して、以来ずっとここで過ごしているの」

「え、それならあたしもかかっててもおかしくないんじゃ……」

「あなたは外部生よね?それなら大丈夫よ、絶対にうつらないわ。感染する人間は遺伝子的に特徴があるの。その検査に通った人間しかここに入ることができないから」


 確か絵里子ちゃんは中学受験で入学した外部生だ。あたしと絵里子ちゃんは、遺伝子が感染者とは違うということだろうか。しかし、そんなもの、いつ調べたのだろう。身体測定や健康診断くらいしかしていない気がするが、貧血検査程度の血でわかるものなのか。いや、しかしそれは入学後ではなかったか。

 そういえば、とあたしは思い返す。あたしは美園さんと、一度外で会っている。そう、運命の出会いの日である。


「美園さんは外に出られるんですか?あたし、あの、一度お見かけしたことがあるんですが」


 嘘だ。見かけただけではない。しかし、あの時のガラの悪い女があたしだったとばらしたくはない。美園さんは苦笑する。


「このウイルスは本当に特殊なものみたいでね、どういうわけか、ウイルス同士がつながっているの。それも横のつながりだけではなくて、女王ウイルスと娘ウイルスという上下関係があるのよ。感染したうち一個体の中で女王ウイルスというものに変化するものが現れて、そのウイルスが他の個体のウイルスに影響を与えるんですって」


 例えば、女王ウイルスが活性化すれば、娘ウイルスも活性化する。女王ウイルスの感染者が体調を崩せば、娘ウイルスの感染者も体調が悪くなる。他のウイルスとその感染者に絶大的な影響力を持つ代わり、女王ウイルス自体には感染力がない。


「実は私がその女王ウイルスの感染者だったってわけ。私自身には感染力がないから、時々外出もできるの。私の気分がいい日は他の感染者の体調も安定するし、結構好き勝手にやらせてもらっているわ」


 いたずらっぽく笑う美園さんに少し安心しながら、あたしは疑問を口にした。


「娘ウイルスの感染者はどうなるんですか?」

「残念だけど、治療法が見つかるまでは外に出られないの。だから、窮屈に感じている人だって多いはずよ。高校を卒業しても、大学は一応あるけれど、就職はこの中でしてもらわないといけないから……」

「そうですか……美園さんもずっとここに?」

「ええ、多分ね」


 もしかしたら、涼子ちゃんのストレスとはこのことだったのかもしれないな。あたしはぼんやりと考える。一生ここで、なんて、絶望的なのかもしれない。元・普通の女の子にとっては。でも、あたしにとってはどうだろう。


「……あたしにとっては、ここは天国みたいですけど」


 ぽつりと言うと、美園さんの視線があたしを射抜く。真意を問うように黙って見つめてくる瞳を見返す余裕などなく、あたしはシーツの上に落ちているごつごつとした手のひらを眺めた。こんなの、女の子の手ではない。


「……もともと、男が嫌いなんですよ。あたし、昔から体格よくって、しかもこの顔、地元の不良のボスみたいなやつに似てたらしくて、やたら因縁つけられて。空手教室とか行ってたせいであんまり負けなかったんで、それもあって変な噂いっぱい流れたんです。そしたら女の子の友達なんて全然できなくて、あたし、毎日ぼっちで」


 どこぞの不良とやらに間違われたくなくてやけになって染めた髪も、敵を見極めようとかたくなになっていく心も、全部周囲の人間を遠ざける結果にしかならなかった。あたしは、誰にも迷惑をかけたくなかったから全部一人でなんとかしようとしたが、問題はやたらとこじれていった。馬鹿が一人で考えてもどうせ馬鹿なことしか思いつかないのだ。


「男はあたしにとってみんな敵で、今も近寄りたくないくらいなんです。仲良くなりたくても女の子には逃げられるし、もうだめだと思ってました。今考えれば自業自得ってとこもあるんですけど、みんなあたしのこと嫌いなんだって思い込んでたんです。だからあたしも周りの人のこと嫌っていい、傷つけていいって考えようとしてたんです。でも」


 運命の日は訪れる。

 見ず知らずのあたしを、あんなに見てくれも態度も悪かったあたしを、まっすぐ見つめて微笑んだ、憧れの女の子。あたしは、彼女にお礼を言われるのにふさわしい人間になりたいと思った。彼女の微笑みを向けられるのに値するような人間になろうと思った。


「ハンカチ拾っただけのあたしに、にこっと笑ってくれた人がいるんです。あたしのことちゃんと見て、お礼言ってくれて。その時あたし、絶対変わりたいなって思ったんです。どういたしましてって笑顔で言えるようになりたいって」


 思い出しただけで泣けてくる。なんていうか、ほんと、嬉しかった。

 みんなあたしのことなんて嫌いだと思っていた。だが、そんなものは幻想だと頬を張られたような気がしたのだ。その時、自分は随分甘えていたんだと思った。

 あたしは家族や先生に頭を下げて、助けてほしいとすがって、憧れのひとを追いかけた。その人はここにいる。あたしの、目の前に。


「その人が、ここにいるんです。多分、これからもずっと」


 口に出すとますます実感がわいて、視界がにじんでくる。あたしは強く拳を握った。自分勝手なことを言うくせに、泣いてはいけない。


「それを本人は望んでいないかもしれないし、あたしは彼女が悩まされている問題を解決することはきっとできないけど、それでも、ほんと不謹慎ですけど、一緒にいられて嬉しいって思うんです。逆にここでしか近くにいられないなら、あたしはここから出たいなんて思わない」


 言ってしまってからはっとする。こんなあたしの勝手でしかない重たい話をするつもりではなかった。美園さんや涼子ちゃんに対して、ここにいたいなんて言葉は失礼だ。


「な、なんて、いろいろすみません!きっと出たがってる子もいっぱいいるのに……あたしなんてただの部外者なのに、勝手なこと言って」


 慌てて顔を上げて弁解する。美園さんが気分を害されても仕方がないようなことを言ってしまった。ここは土下座だろうか。

 正座をしようと思い足を曲げると、小さくつぶやくような大きさで、柔らかな響きの声が耳に入ってくる。


「……どうして」

「えっ」

「どうしてあなたは、そこまでその人のことを思っているの?」


 顔を上げると、困ったような苦しいような顔をして、美園さんがあたしを見つめていた。あたしは、この人のこんな顔を見たかったわけではないのに。


「……あたしにもよくわからないんですけど、多分」


 複雑な問題に思えたが、答えは案外するりと出てきた。悲しい思いをさせたくないと思うのも、苦しんでほしくないと思うのも、あたしを突き動かすたった一つの感情が叫んでいるからだ。


「好きだからです、どうしようもなく」


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