第2話 「配達と訓練」
翌朝。目覚めと同時に、昨日の筋肉痛が全身にのしかかってきた。
特に腕と背中。木の棒を何度も振ったせいだろう。
(……これが、“冒険者”の日常か)
ゆっくりと起き上がり、顔を洗い、昨日より少し慣れた手つきで装備を整える。
宿を出て、いつものようにギルドへ向かうと、掲示板にはまた新たな依頼がいくつも貼り出されていた。
その中に、ふと目を留めた一枚があった。
《依頼:郵便の配達》──町内の三か所へ重要書簡を届ける。丁寧な言葉遣い、時間厳守。報酬:50G。
戦闘ではなく、配達。だが書簡は「重要」と明記されている。地味な内容に見えて、責任は重い。
(午前中で終わるなら、午後は訓練に使えるし……いいかもしれない)
僕はその紙を持って受付へ向かった。
「配達の依頼ですね。アルフさんが選ぶと思っていました」
受付のミーナさんは、手慣れた様子で書類を確認すると、注意事項の載ったパンフレットと配達報告書を手渡してくる。
「配達先は三件。順番は自由ですが、午前中のうちに終わらせてください。書簡を受け取った方からサインか印章をもらって、報告書に添付してくださいね」
「了解です。気をつけます」
「それと」とミーナさんが声を低める。
「この依頼、たまに“手抜き”する人がいるんです。でも、たとえ戦わなくても、これは立派な仕事です。誤配や遅延は信用問題になりますから」
その目に、わずかに真剣さがにじんでいた。
「……はい。任せてください」
書簡が入った封筒と報告書を胸ポケットに収め、ギルドを出た。
目指すは三つの配達先──鍛冶屋、診療所、雑貨屋。
限られた時間と、ひとつひとつの手渡し。
ただ歩くだけじゃない。責任を運ぶ、初めての“仕事”が始まる。
* * *
まずは地図と街の記憶を頼りに、三か所の配達先を確認する。
鍛冶屋「赤鉄工房」、医師ロミルの診療所、そして雑貨屋「ペチカ堂」。
位置関係から、「南門→西区→中央通り」の順に回るのが効率的だと判断した。
朝の通りはまだ静かで、屋台の準備や掃除の音が耳に届く。
僕は小さく深呼吸し、足を踏み出した。
◆
最初の目的地は、南門近くの鍛冶屋「赤鉄工房」。
煤けた石造りの建物の中からは、すでに鉄を打つ音が響いていた。
入り口をくぐると、熱気と金属の匂いが一気に押し寄せる。
「……失礼します。冒険者ギルドからの配達です」
しばらくして、鉄粉まみれのエプロンを着た男が現れた。
無愛想に見えたが、僕の手にある封筒を見ると、黙って手を差し出す。
「町役場からだな。助かる」
重々しい手で封を開け、ざっと目を通すと、奥から無骨なスタンプを持ってきて、報告書に印を押してくれた。
「これでいいか? ……悪いな、手ぇ離せなくて」
「いえ、大丈夫です。ご協力ありがとうございました」
報告書を受け取り、ふと視線を上げると、壁にかけられた大小さまざまな武器が目に入った。
無骨だが美しく整えられた剣や斧、槍。それぞれの刃には使い込まれた跡があり、それでもなお、光を宿していた。
(……すごい。これが本物の武器か)
思わず足を止め、しばらく見とれてしまう。
鉄を打つ音、炉の熱気、金属の香り──そのすべてが、何かを作り上げる現場の力強さを感じさせた。
(いつか……僕も、こんな武器を持てるようになれるだろうか)
そんな淡い憧れが胸をよぎるが、すぐに我に返った。
(……油売ってる場合じゃない。次に行かないと)
気を引き締め、診療所へと足を向けた。
◆
次は、西区の坂を少し上ったところにある診療所。
表札には「医師ロミル」と書かれていた。
扉をノックすると、看護助手らしき若者が出てきた。
目つきは柔らかいが、所作はてきぱきとしており、日頃から忙しいことが伝わってくる。
「診療中ですが、書簡の受け取りですね。少しお待ちください」
しばらくして、中からロミル医師本人が現れる。
白衣を着ているが、どこか鋭さを感じさせる眼差し。
僕を一瞥すると、まっすぐ手を伸ばしてきた。
「ふむ……時間どおりだな。ご苦労。……中身は確かに受け取った。サインを」
報告書に筆で署名すると、医師は特に多くを語らず、診療所の奥へと戻っていった。
冷たいというより、職務に徹している印象だった。
◆
最後は中央通りの雑貨屋「ペチカ堂」。
可愛らしい看板が目印で、店先には手作りのアクセサリーや小物が並べられている。
通りからは子どもの笑い声や、客引きの声がにぎやかに響いていた。
「いらっしゃいませ……あ、ギルドの方ですね」
若い女性店主が、僕の封筒に気づいて笑顔を向けた。
「町役場からの書簡ですね。ありがとうございます。……あ、ちょっと待ってください、印章を」
奥のレジ横から小さなスタンプを持ってきて、丁寧に報告書へ押してくれる。
「午前中にちゃんと届くって聞いてたけど、本当に早かったですね。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。助かりました」
時刻はギリギリ午前の終わり──街の時計塔が、昼を告げる鐘を鳴らす中、僕は急ぎ足でギルドへと戻った。
報告書には三つの印章。
誰一人として、僕の名前を間違えることも、扱いを軽んじることもなかった。
たかが配達。けれどそこには、確かに“信頼”が生まれていた。
(戦うより、歩き回ってる方が性に合ってるかも……このまま配達員になるのも悪く……いやいや)
そんな考えがふと頭をよぎって、思わず苦笑する。
剣も魔法もないけれど──足と礼儀と少しの根気で、今日の僕はちゃんと誰かの役に立てた。
そんな一日だった。
* * *
ギルドに戻り、受付に報告書を提出すると、ミーナさんがさっと目を通して頷いた。
「三件とも、きちんと時間内に配達されてますね。丁寧な記録もありがとうございます」
その言葉に、自然と胸が温かくなる。
真面目にやったことが、こうして評価されるって、案外クセになりそうだ。
「書簡を渡すとき、少し緊張しましたけど……なんとか」
「その緊張を乗り越えたから、今の“信頼”があるんです。地味な依頼ほど、実は一番信用を測られるんですよ」
ミーナさんの声はいつも通り静かだったが、ほんの一瞬だけ目元がやわらいだ気がした。
それだけで、胸の奥がふわっと軽くなる。
(よし、“地味担当”としては、まずは及第点ってところかな)
「午後はどうするんですか?」
「訓練場に行ってみようと思ってます。昨日のスライム戦で、自分の未熟さを痛感したので……」
「いい心がけですね」
ミーナさんが微笑み、机の引き出しから小さな紙を取り出して渡してくれた。
「これ、訓練場の入場証。初心者は無料です。遠慮なく使ってください」
「ありがとうございます。行ってきます」
ギルドの扉を出ると、陽射しが少しだけ強くなっていた。
配達を通して、自分でも気づかなかった“向いていること”が見えた。
(戦うより、歩き回ってる方が性に合ってるかも……このまま配達員になるのも悪く……いやいや)
思わず笑ってしまいそうになる。
こんなふうに軽口が浮かぶくらいには、少しだけ心に余裕ができたのかもしれない。
でもやっぱり、強くなりたいという想いは、ちゃんと胸に残っている。
僕は訓練場へ向かって歩き出した。
少しずつでもいい。この足で、信頼と力を、積み上げていこうと思った。
* * *
ギルドの裏手にある訓練場では、木剣を振るう音や、跳躍する足音が響いていた。
僕は入場証を見せ、初心者用の一角へと案内される。
広場の端には、模擬戦用の人形、丸太を並べた簡易の障害物、射的の的が並んでいる。
まばらに練習している新人冒険者たちの中に、見覚えのある顔もあったが、僕は声をかけずに木の棒を構えた。
隣の区画では、同じくらいの年齢に見える若い訓練者が、鋭い動きで模擬戦人形を打ち込んでいた。
足さばきは滑らかで、踏み込みは鋭く、打撃には迷いがない。
その動きを見るだけで、“格が違う”と肌でわかる。
(……すごい。あんなふうに、僕もなれるだろうか)
尊敬と、そして少しの不安が胸をよぎる。
自分はまだ、振り下ろすたびに棒がぶれるような初心者だ。
それでも──と思い直して、木の棒をしっかり握り直した。
(……他人と比べてもしょうがないな。昨日の自分より成長することだけを考えよう)
汗が額を伝う。
昨日のスライム戦で棒が滑ったことを思い出し、握り方を微調整してみる。
何度か素振りを繰り返していると、少し離れたところから視線を感じた。
そちらを見ると、訓練場の隅で腕を組んでいる中年の男がいた。
肩にはギルドの紋章入りのベストを羽織っている。
(あれが……ギルド職員の訓練員?)
彼は何も言わず、こちらを一瞥してから、ぼそりと呟いた。
「地味だが……続ける奴は強くなる」
それだけ言うと、また別の新人の方へ視線を向けた。
褒められたわけじゃない。
でも、否定されなかったことが、なんだか少し誇らしかった。
午後の陽射しはじんわりと肌を焼き、木の棒を振るたびに肩と腕に熱がこもる。
それでも、足が止まることはなかった。
休憩中、水桶で顔を洗いながら、ふと思った。
(まだ何も成し遂げてないけど……昨日より、ほんの少しだけ“冒険者”に近づけた気がする)
その実感が、明日もまた頑張ろうという気持ちに変わっていく。
夕暮れ、訓練場の空に一番星が浮かび始めるころ、夜風がひんやりと頬を撫でた。
今日も、少しだけ進めた。
そう思いながら、僕は棒を肩に担ぎ、ゆっくりと宿へ戻る道を歩き出した。
※この作品はカクヨムで先行公開中です。
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【ステータス変化】(前話 → 今話終了時点)
筋力熟練度:17 → 28(+11)
持久力熟練度:15 → 30(+15)
精神熟練度:12 → 20(+8)
所持金:234G → 269G
(内訳:報酬50G、朝食−2G、夕食−3G、宿泊−10G)
装備変更:─
スキル開花:─
アイテム取得/消費:─