第3話「畑のカラスと小さな脅威」
朝のギルドは、今日も変わらず賑わっていた。
受付の前には依頼用紙を手にした冒険者たちが集まり、掲示板の前では仲間と作戦会議をしている一団もいる。
そんな中、僕――アルフ・ブライトンは、昨日の筋肉痛を感じながらも、一歩ずつ掲示板へと歩み寄っていた。
(昨日の配達依頼は、思ったより充実してたな。今度はもう少し体を動かす依頼に挑戦してみるか)
ギルド生活も四日目。初心者講習に始まり、掃除、配達と、少しずつだけど経験を重ねてきた。
そして今日の僕の目に留まったのは、「畑のカラス追い」という、なんとも地味なFランク依頼だった。
──畑を荒らすカラスを音や動きで追い払う。朝から昼まで。報酬70G+野菜詰め合わせ。
(地味だけど、実戦に近いかもしれない。走り回るのも訓練のうち、って言うし)
そう思って受付に向かうと、やはりミーナさんが対応してくれた。
「この依頼、受けます」
「“カラス追い”ですね。最近は魔獣よりカラスの方が手強いなんて話もありますから」
ミーナさんは冗談めかしつつも、依頼票にハンコを押し、地図と注意事項の紙を手渡してくる。
「動き回る系の依頼は初めてですよね? 水分補給、忘れずに」
「はい、気をつけます」
注意書きには「大声で威嚇するのも効果的」「棒を使っても構わないが、作物を傷つけないこと」とある。
(棒……そういえば、あの露天で買った木の棒、今日こそ出番かもな)
少しばかり心が躍る。戦闘ではないけれど、自分の力を使って誰かの役に立てる。それが少し嬉しかった。
僕は準備を整え、地図を片手に農地へと向かった。まだ朝の陽射しがやわらかい、そんな時間だった。
* * *
畑に到着すると、すでに何羽かのカラスが作物をついばもうとしていた。
僕は地図に記された農家──今回の依頼主のもとに挨拶に行き、指示を受ける。
「おう、坊主か。動きやすい格好だな。いいぞ、カラスってのは人を見てナメるからな。でっかい声で追い払ってくれや」
陽焼けした顔に刻まれた皺が深いが、その口調はどこか親しげだ。
(……なんだろう、昨日の鍛冶屋さんとはまた違う、土地の人のあたたかさってやつかも)
カラス追いの範囲を聞いて、僕は指定された畝を中心に巡回を始めた。
草の匂いと湿気、そして朝露に濡れた土の感触が、足元から伝わってくる。
「おーいっ! どけどけぇ、カラスども!」
わざと大げさに声を張り、木の棒を振り回す。
最初は照れくささもあったけど、何度か繰り返すうちにだんだん慣れてきた。
カラスたちは、最初は少し離れた木に止まり様子をうかがっていたが、棒を振って近づくと不満げに鳴いて飛び去っていく。
(……これ、地味だけど、けっこう達成感あるな)
作物を守れている実感。それだけで、足取りは自然と軽くなっていた。
午前が半ばを過ぎた頃──
風かと思った。だが違う。
土の上を擦るような足音とともに、現れたのは猫より少し大きなサイズの灰色の獣。
牙がむき出しで、短く太い鼻先を土に擦りつけながら、こちらを威嚇するように睨んでいた。
(……魔獣!? こんなところに!?)
依頼書には書かれていなかった不測の事態。
だが、あれは確かに見たことのある姿──初心者用の図鑑に載っていた、“牙猪子”。
(突進に注意……距離をとって、棒で牽制しろって……!)
僕は息を呑みながら、木の棒を構える。
逃げようかと一瞬頭をよぎったが、背後には農家の作物が広がっている。
(逃げたら、畑が荒らされる。逃げない……でも、無茶はしない)
意を決して、一歩踏み出す。
牙猪子が鼻を鳴らして、低く構え──突っ込んできた!
「っ……来るなッ!」
叫びと同時に横へ飛び退き、地面を滑るように転がって回避する。
そのまま棒で側面を打つ──だが、力が入り切らず、獣は体勢を崩しただけだった。
(固い……! でも、効いてる!)
牙猪子がぐるりとこちらを振り返る。今度は、より低く、より速い。
足元の土を蹴って迫る姿に、僕は再度回避を試みるが──
「っ、うわっ!」
横っ飛びの着地で足をくじいた。ズキン、とした痛みが足首を貫く。
(くっそ、捻った……! でも、やるしかない!)
棒を両手で構え、迫る牙猪子の顔面目がけて振り下ろす。
ゴッ! という音とともに、獣の動きが一瞬止まった。
目をぐるぐると回しながら、牙猪子は数歩よろけ──そのまま畑の外へと逃げ去っていった。
僕はその場に膝をつく。息が荒く、手は震えていた。
(……勝てた、のか?)
でも、逃げなかった。それだけは──自分でちょっとだけ褒めてもいい気がした。
そのとき、畑の向こうから農家の男が駆け寄ってきた。
「おい、坊主、大丈夫か!? 今の……牙猪子だったろ、あぶねぇ!」
「……なんとかなりました。ただ、ちょっと足を……」
男は慌てて僕の肩を貸してくれ、農機具小屋まで連れていってくれた。
「いや、よくやった。あんなのが出てくるとは思わなかったが……助かったよ」
薬草を煎じた湿布と包帯を貸してもらい、応急処置を施す。
ひんやりとした冷たさが、少しずつ熱を引かせていく。
(……こんなのもあるのか。Fランクでも、油断は禁物だな)
僕は黙って、痛みを噛みしめながら空を見上げた。
まだ午前の終わり。太陽は高く、畑には再びカラスの影が戻っていた。
(休んでる場合じゃない……もうひと踏ん張りだ)
僕はゆっくりと立ち上がった。
* * *
午後になっても、空にはまだカラスの影がちらついていた。
足首に巻いた包帯が少しずつ湿り、痛みはひいてきたものの、油断すればすぐにぶり返しそうな鈍さが残っている。
それでも、僕は畝の端を歩いていた。
棒を支えにしながら、作物を守るためにゆっくりと視線を巡らせる。
(少しは……慣れてきたのかもしれない)
初日に比べれば、カラスの動きも予測できるようになってきたし、どう動けば追い払えるかも分かってきた。
けれど、ふとした瞬間に、さっきの牙猪子の突進が頭をよぎる。
土煙、風圧、目の前に迫る牙。
あのとき、ほんの一歩でも遅れていたらと思うと、背筋が冷える。
(怖かった……正直、心臓が飛び出るかと思った。まあ、飛び出したらそれはそれで珍獣扱いか)
けれど、逃げなかった。
そして、結果として誰も傷つかず、畑も守れた。
「ありがとな、坊主。今日の分は十分やってもらった。無理すんなよ」
農家の男が、麦藁帽子の下から笑いかけてきた。
「いえ……こちらこそ、ありがとうございました」
僕は少しだけ頭を下げて、ギルドへの帰路についた。
木漏れ日が土道にゆらぎ、遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。
その音を聞きながら、僕は胸の奥に、じわりとしたあたたかさが広がるのを感じていた。
(恐怖に勝ったわけじゃない。たぶん、次も怖い)
(でも、“怖くても動けた”っていう実感がある。よし、今日の僕には干し芋一個分くらいの自尊心を進呈だ)
それが、何より大きな収穫だった。
* * *
ギルドに戻った僕は、受付でミーナさんに報告書を提出した。
彼女は静かにそれに目を通しながら、ちらと僕の足元を見た。
「足、どうかしました?」
「あー……少し捻りまして。魔獣にちょっと突っつかれました」
冗談めかして言ってみたけど、ミーナさんの目は少しだけ鋭くなった。
「詳細、お願いします」
僕は観念して、牙猪子との遭遇と応戦、そして応急処置のことを順を追って説明した。
「……畑を荒らされるのを防いだんですね。分かりました。処置が済んでいるのなら、今日はもう無理しないでください」
「はい。ありがとうございます」
手続きを終えると、ギルドの隅にいた訓練員の男性が、ちらとこちらを見た。
何も言わなかったけれど、目が合った瞬間、軽く頷いた気がした。
それだけで、なんとなく心がじんわりとあたたまった。
その後、報酬の袋と一緒に、農家からのお礼の品──新鮮な野菜の詰め合わせを受け取った。
「……今夜の夕食、グレードアップ確定だな」
誰に聞かせるでもなく呟いたその声に、自分で小さく笑う。
宿に戻って湿布を貼り直し、布団に身体を沈めると、足首の痛みがじんわりと戻ってきた。
(……うん、ちゃんと痛い。でも、ちゃんと“生きてる”)
天井を見上げながら、少しだけ目を閉じる。
(冒険者って、もっと華やかかと思ってた。でも、案外こういう地味な一日が積み重なっていくのかもな)
僕は心の中でそっと呟いた。
(まあ、配達して、畑を走って、魔獣と一戦交えて……ちょっとした一日観光ツアーだと思えばお得か)
そんなふうに思えたことが、今夜いちばんの収穫かもしれなかった。
※この作品はカクヨムで先行公開中です。
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【ステータス変化】(前話 → 今話終了時点)
- 筋力熟練度:28 → 38(+10)
- 敏捷熟練度:0 → 10(+10)
- 精神熟練度:20 → 32(+12)
- 持久力熟練度:30 → 45(+15)
- 所持金:269G → 324G
(内訳:報酬70G、朝食−2G、夕食−3G、宿泊−10G)
- 装備変更:─
- スキル開花:─
- アイテム取得/消費:野菜詰め合わせ+1、朝食・夕食・宿泊利用




