第90話 幕間 ~姫剣士
タージュの森はセレンから遥か西方、馬車でおよそ十日の距離にあった。
サノーク連山から広がる広大な森で、豊富な動植物、そして魔物が跋扈する地域として近隣の住民を恐れさせ、また多くの冒険者を引きつけることでも知られている。
そんな森の入り口に、群衆が集まっていた。
多くは統一された革鎧や武具を身につけた兵士、残りは多様な装備の冒険者。
その総数は五十を下らない。
彼らの先頭に立つのは馬上の少女だった。
年の頃は成人の十五歳になるかどうか。
使い込まれた白い革鎧に身を包み、切り揃えた前髪の下から鋭い視線を森へ向けている。
少女の後方には、同じく馬上の中年女性が付き従っていた。こちらは鎖鎧の上に濃紺のケープを羽織り、小剣を腰に下げている。
誰一人声を発することなく、無言の時が流れた。
ほどなくして、中年女性が視線を動かす。
藪を掻き分ける音に、五十余名の兵士と冒険者が武器を構える。
飛び出したのは一人の冒険者。
息を切らせながら少女の馬前に跪く。
「釣れました!」
少女が頷くと同時、森が軋み、悲鳴を上げた。
ざわめく兵士たちを鎮めるように、少女は剣を抜き払う。
「総員、戦闘準備!」
号令に兵士たちが動く。
のそりと現れたのは、大木だった。
無数の枝が蠢き、垂れ下がる蔦は獲物を求めて空を彷徨う。
頭部や顔はなく、樹冠の近くに大きな洞がぽかりと空いていた。
その異様さと巨大さに、兵士たちは呑まれてしまう。
しかし、少女はたじろぐことなく剣を向ける。
その姿に皆は踏みとどまり、武器を握り直した。
「想定よりも大物ですね」
中年女性の馬が進み、守るように少女と並ぶ。
「パンドゥーに変わりはあるまい」
「では手筈どおりに?」
「無論」
少女は剣を振り、「槍隊、前へ!」と指示を飛ばした。
兵士が一斉に飛び出し、槍衾を展開。
パンドゥーはそれを探るように枝を動かすと、風穴のごとき咆哮を上げた。
振り下ろされる枝に兵士が数名、吹き飛ばされる。
それでも残りの兵士は果敢にも槍で応戦、引き寄せながら少しずつ後退していく。
パンドゥーが森から出たのを見計らい、少女が再び剣を振った。
後方の部隊が左右に回り込み、パンドゥーの背後に油壺を投擲する。
「火を放て!」
言うも果てず、後方から《火炎球》と《火炎の短矢》、そして無数の火矢が飛翔する。
巨体が捻れ、震えた。
舞い落ちる火の粉が油に引火、森と巨体の境に炎の壁を作り出す。
逃げ場を塞がれたためか、狂ったように枝を蠢かせ、周囲に叩き付ける。
そこに兵士がいようといまいと関係ない。燃えさかる炎から逃れようと、ただひたすらに暴れる。
「仕上だな。総員――かかれッ!!」
号令一下、少女は馬の腹を蹴った。
不意の突撃に中年女性は慌てる。
「シーラ様ッ!?」
絶叫の中、少女の突撃に呼応し、五十余名が一斉に飛び掛かっていった。
◇◇◇◇
春の穏やかな風に乗り、焦げた臭いが辺りに漂っている。
怪我の手当をする者、火の粉が残っていないか確認する者、戦いの後始末に皆が奔走していた。
パンドゥーは動きを止め、巨体を草原に晒していた。
兵士の一人が笑いながらそれを叩く。
誰しも表情は明るいが、死者は避けようもない。
兵士が五名、冒険者は二名。
寝かされた戦死者の周囲には、友人や仲間が集まっていた。
シーラは彼らの勇気を讃える。
残された者たちは泣きそうになりながら、また無理に笑顔を作りながら、シーラの言葉に耳を傾けていた。
非難する者はいない。
この場の全員が自らの意思でここにいる。彼女を責めるのは、命を落とした者たちを愚弄するに等しかった。
そしてシーラの背後では、中年女性――ダリヤが不服そうな表情を浮かべていた。
咄嗟にダリヤが飛びつき難を逃れたが、シーラ自身、彼らの仲間入りをするところだった。
周囲から人がいなくなるのを見計らい、ダリヤが口を開く。
「シーラ様」
「分かってる。軽率だった」
シーラは小声で返答した。
だが、ダリヤの表情は晴れない。
口ではそう言っても、このシーラという少女は同じ事を繰り返す。
それが自分の役割だと思っている。信じ込もうとしている。
護衛であり、乳母でもあるダリヤは元冒険者。そんな気構えは、命を捨てる行為だとよく知っていた。
細い背を見つめ、ダリヤは常の決意を新たにする。
自分が先に死ぬしかない。止められないなら、先に死ぬ。
シーラの討伐隊がヴォークルの町に戻ったのは、それから数刻後だった。
ヴォークル男爵家は、アルシス帝国南西部の一領主である。
小さな地方領主であり、ヴォークルの町の他、宿場代わりの村が一つあるだけだった。
シーラたちの帰還を歓声が出迎えた。
町の住民、すべてが集まったような群衆。
歓声に応えながら、討伐隊は大通りを進む。
「姫様!」
父の肩に乗った幼い少女が、シーラに手を振っていた。
その声は至るところから上がる。「姫様」、「姫剣士様」と。
普段は固い表情のシーラも、口元に微笑を湛える。
付き従うダリヤも微笑んでいたが、その心境は複雑だった。
数年前まで同じ言葉に嘲りが込められていた。
特に兵士たち、命を張って戦う者にその傾向は強かった。
シーラの男爵令嬢らしからぬ振る舞いのため、そして並ぶべくもない存在がちらつくためだ。
変化はシーラが戦場に出るようになってからである。
領民を守るためなら死をも厭わない。
そんな戦い方を目の当たりにし、兵士や冒険者、領民の見る目が変わっていく。
気付けば、シーラの人気は長男のパイクスはおろか、領主のトルタスをも凌いでいた。
討伐隊が広場に到着する。
布に包まれた戦死者を最前列に、シーラはその名を読み上げた。
そして彼らと生き残った者たちを讃え、大きな新緑の魔石を突き上げる。
「皆の働きにより、パンドゥーは討伐された!」
群衆がヴォークルの町を揺らした。
数名の兵士が太い枝を高々と掲げると、歓声は一層に高まる。
「ただ今を以て、討伐隊を解散する! 皆、よく戦ってくれた! 祝宴の席を設けてある、好きなだけ飲んでくれ!」
兵士や冒険者が、群衆に負けないほどの雄叫びを上げた。
討伐隊は解散となり、それぞれが互いの無事を喜びながら祝宴の場へと向かう。
その様子を見守り、シーラは踵を返した。
目線の先には一人の文官。
「姫様、閣下がお呼びにございます」
◇◇◇◇
執務室で待っていたのは、父のヴォークル男爵トルタス、そして兄のパイクスだった。
父は眉間に皺を寄せ、パイクスはいつもと変わらぬ無表情でシーラを見据えている。
重い空気を意にも介さず、シーラは平然と跪く。
「ただいま戻りました」
「また、勝手に兵を動かしたようだな」
「領内の平和を守ったまでです」
「冒険者も雇ったそうだな」
「パンドゥーに詳しい者が必要でしたので」
トルタスは深いため息をつくと、任せるとばかりに手を振った。
一礼してパイクスが進み出る。
「処分は追って申し渡す。それよりも話がある」
シーラは訝しげに兄を見上げた。
いつもなら淡々と非を咎めてくる。今回の討伐もシーラの独断であるため、充分な戦力を集められなかった。兵の数こそ多いが騎士は同行せず、冒険者もCランクが限界だった。トルタスが正式に討伐命令を出していれば、犠牲者はもっと少なかっただろう。
ただ、その時の指揮官はパイクスであり、シーラに出番はない。
「お前に縁談の話が来ている」
「お断り――」
「最後まで聞け」
遮られ、シーラは口を閉ざす。
それを気にした様子もなく、パイクスは続ける。
「縁談の相手は、ケーテン子爵家の次子だ」
ゆっくりと、シーラの表情が変わった。
「それは東の……」
「そうだ。ケーテン子爵から、次子の妻にお前がほしいと手紙が届いた」
「なぜ私を?」
「知らぬ。だが次子とはいえ子爵家、悪い話ではない」
素気ない兄の言葉に、シーラは俯いてしまった。
無数の感情が入り乱れ、言葉が出ない。
ようやく「考えさせてください」と絞り出し、シーラは退室していった。
遠ざかる娘の足音を聞きながら、トルタスが口を開く。
「どう思う?」
「ケーテンは皇帝派に近いと聞き及んでおります。切り崩しでしょうか」
「かもしれんが……」
ヴォークル男爵家は侯爵派だった。昨今では皇帝派とヴィールア公が率いる公爵派の対立はさらに深まり、各地で紛争が起きている。侯爵派に火の粉が飛ぶことも珍しくない。
「ラズインルッド伯はなんと?」
「任せると。あの御方は政を好まれん」
そう言い、トルタスは困ったように笑った。
ヴォークル男爵家の寄親は、西方の侯爵派を束ねる大貴族ラズインルッド伯だった。
ラズインルッドは、セムガット公国が臣従する前の最前線であり、ヴォークルはその包囲網の一翼を担っていた。平和が訪れてもラズインルッド家の家風は変わらず、ブラスラッド候と並ぶ帝国きっての武闘派として名高かった。
「皇帝派なら無碍にもできまいが――娘を嫁がせただけで鞍替えするはずもない。なぜ、あやつを欲する?」
再びの問いにパイクスは考え込み、慎重に応える。
「戦力として、かもしれません」
「戦力?」
トルタスは呟き、小さく首を振った。
「確かに腕は立つ。なれど貴族の娘にしては、だぞ?」
「領民の間では、姫剣士などと呼ばれているそうです。噂が大きく伝わったのではないでしょうか」
それを聞き、トルタスは不愉快そうに顔を歪めた。
「勝手なことを。何も知らん連中が」
「他人の事情など誰しも分からぬもの。致し方ございません」
「そうだな……失言であった。忘れろ」
パイクスは無言で一礼する。
「それで、あやつは幸せになれると思うか」
「分かりかねます。ただ――」
言葉を切り、パイクスは窓の外を見やった。
ヴォークルの町並みが広がり、遠くにはサノーク連山の稜線が新緑に輝いている。
「この地に留まるのは真の幸せではないかと。妹は、母の影から離れるべきです」
パイクスの双眸は、どこか愁いを帯びていた。
◇◇◇◇
町が一望できるテラスは、シーラのお気に入りだった。
叱られたり嫌なことがあると、大抵、まっすぐここに向かう。
いつものようにダリヤに出迎えられ、テーブルにつく。
「何かございましたか」
ダリヤは問いながら、アクルーの果実水をシーラの前に置いた。
赤子の頃から見守っている。いくら感情を隠そうとも、手に取るように分かった。
固い表情でヴォークルの景観を見つめたまま、シーラは果実水に手を伸ばす。
アクルーの酸味に、エルメリ酒のほのかな甘みが香る。
しばらく無言の時が過ぎ、シーラはゆっくりと口を開いた。
「縁談の話が来たわ。相手はケーテンの次男よ」
「左様にございますか」
一言だけ応え、ダリヤも口を閉ざした。
背筋を伸ばし、ヴォークルを見つめるシーラ。
その姿を、ダリヤはそっと見つめた。
悩むのも当然――そう思いながら、少女に恩人の姿を重ね合わせる。
ダリヤは冒険者ギルドの職員と結婚し、冒険者を引退した。
子も身ごもり、幸福な日々だったが、それは短かった。
夫の事故死、そして死産。
突然、すべてを失ったダリヤは自暴自棄になった。
無気力に過ごし、食事もろくに取らない。
やつれていく姿に、同じギルド職員だった義父が手を差し伸べた。
ダリヤに侍女の仕事を紹介したのだ。
当時、男爵の長子トルタスに、遠方から貴族の娘が嫁いできたばかりだった。
その護衛も兼ね、城へ行けという。
ダリヤは、体の良い厄介払いだと思った。
言われるがままに赴き、そこでフリーデと出会う。
第一印象は美しい女性。
だが、それもすぐ打ち砕かれた。
「元冒険者なのね。なら、勝負しましょう」
困惑したまま、ダリヤは負ける。
前衛職ではなかったが、Cランク間近と言われた冒険者。貴族の女性に負けるはずがない。
納得できず、挑み、また負ける。
何度も負け続けるうち、ダリヤから笑みがこぼれた。
剣を握ったのは何年ぶりだろうか、と。
そんなダリヤを不思議そうに見つめながら、フリーデは告げる。
「あなたを雇いましょう」
その一言で、人生の新たな一歩を踏み出すことになった。
変わり者の主は、懇願する夫をやんわりと流し、騎士や兵士を引き連れては魔物や盗賊退治に赴いた。ダリヤは侍女として働き、時に剣を携え、ともに戦った。
冒険者時代に戻った気分だった。
ただ、そばには仕えるべき主、守るべき主がいる。
すべてを失ったダリヤには、フリーデという存在が救いとなっていた。
それから時が経ち、長男のパイクスが生まれ、シーラが生まれる。
幸福に満ち溢れた時間。
その中心に自分がいなくとも、ダリヤも満たされていた。
だが、忘れてもいた。永遠の幸福など無いということを。
シーラを生んで数日後、フリーデは他界してしまう。
あまりにも突然で、そばにいたダリヤでさえ、しばらくは気付かなかった。
また失い、呆然とするダリヤ。
その指先を小さな手が握る。
楽しげな笑い声に、ダリヤは泣いた。
いつまでも泣き続け、それが枯れたとき、決意する。
フリーデによって救われた命を、この子のために使うと。
成長したシーラは、母の死を背負い、剣を取った。
母の代わりにヴォークルを守る。皆を守る。
その幼き背をダリヤは見守り続けた。
恩人の忘れ形見――それはいつしか、己が子の影にもなっていた。
シーラは物憂げな表情で、ヴォークルの景色を眺めていた。
血は争えない、とダリヤは思う。
表情こそ違えど、フリーデもこのテラスで寛ぐのが好きだった。
彼女が知る由もない、過去の一幕である。
そんな追想に耽っていると、不意に無作法な足音が聞こえてきた。
ダリヤは顔を動かし、廊下を見やる。
ほどなくして姿を見せたのは、壮年の騎士。
騎士は二人に気付くなり、濃い髭面を破顔させる。
「おお、こちらにおられましたか」
「父がまだ何か?」
ため息交じりのシーラに、騎士は大仰に手を振る。
「いやいや、そちらではございません。姫様、愚息が戻りましたぞ!」
シーラは驚き、徐々に笑顔となった。
遅れてテラスに姿を見せた若者は、流れるように膝をつく。
「ハルヴィス・ラズフォール。ただ今、セレンより帰還しました」
「お帰りなさい、ハルヴィス。もう五年経ったのね」
普段は固いシーラの表情も和らぐ。
フリーデに代わりヴォークルを守ると決めた時、剣を教えてくれたのは一歳年上の少年だった。シーラにとっては師匠、そして気を許せる友人でもある。
「だいぶ腕を上げたようね」
ともに研鑽に励んだ。シーラ自身、前よりも実力を付けている。だからこそ、分かる。
ハルヴィスの纏う雰囲気が、出立前とは別人だった。
そんな師匠の成長にシーラは微笑む。
「物足りなかったでしょう。あなたには」
その言葉にハルヴィスは苦笑し、なぜかラズフォール卿は哄笑した。
思わず、シーラとダリヤは見交わす。
「それが姫様。こやつ、最後の最後で負けてきおったようです!」
「負け、た……?」
シーラは耳を疑った。
五年前の時点で並の兵士をはるかに凌ぎ、騎士とも対等に渡り合っていた。
それが負けた。しかも、今のハルヴィスが?
「それについて土産話が――」
言葉を切り、ハルヴィスは微笑を深める。
「僕の負けた相手は、アルター・レス・リードヴァルト。姫様の従兄弟にございます」
これにて二章前半の残り、学院一年目は終了です。
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これから数ヶ月の間、書き溜め期間に入ります。気長にお待ちください。




