第86話 学院一年目 ~商人からの誘い
前世で言えば三が日の最終日。
俺は喧騒に包まれるセレンの街を歩いていた。
あちこちで音楽が鳴り響き、露店には客が群がっている。
人混みを避けながら進んでいると、不意に酒場の扉が開く。
数名の男が飛び出し、
「新しい年に!」
と、叫びながら空に向けて《火炎の短矢》を放った。
そして駆けつけた警備兵に確保され、歩行者に笑われながら連行されていく。
あれは新年だけの特例らしい。しかし、多少の酒なら発動できるみたいだな。
そんな騒がしいセレンだが、元日に比べたら静かになった方だった。
というのも、明確に仕事が休みなのは元日のみで、昨日と今日は後片付けと新生活に向けての準備期間である。当然、気の早いところは昨日から営業しているし、俺の目的地に至っては年中無休だった。
到着してみると、商業ギルドは普段よりも混雑していた。
一瞬、日を改めようかと思ったが、しばらくは似たり寄ったりだろう。
今日は仕送りの確認、そして学費と寮費、家賃の支払いが目的だ。
去年は向こうから声を掛けてくれたが、今は入学の時期じゃない。
玄関ホールを見渡し、総合受付に並ぶ。
ここで用件を伝えれば、別の窓口や担当者に案内されるはずだ。
てきぱきと捌かれる行列で待っていると、「アルター様?」と声が掛けられる。
目を向ければ、ギルドの職員、サミーニだった。
「久しぶりだな、サミーニ」
「はい、お久しゅうございます。今日は学費のお支払いで?」
「それも含めて諸々だな」
「かしこまりました。どうぞ、こちらへ」
そう言って、なぜか俺を個室に通す。
サミーニはテーブルにお茶を置き、「少々お待ちください」と退室していった。
ホールの仕切りと違い、ここは完全に個室だった。
華美ながら落ち着いた装飾眺めつつ、俺は首を傾げる。
妙だ。金貨数十枚のやり取りなんて、商業ギルドなら隠す必要もない。
ホールで充分だし、実際に去年はそうだった。
好意――のわけないか。相手は商人、利益を生まぬ行動はまず取らない。
もしかして家賃の値上げ?
修繕はそれなりに進んでるから、わずかでも価値は上がっている。
数ヶ月の家賃は現状維持、それ以降は――とか言い出すつもりだろうか。
しばらくして、書類の束を抱えてサミーニが戻ってきた。
改めて簡単な挨拶を交わし、俺は用件を伝える。
聞き終えると、サミーニは手紙を差し出してきた。
「ご入金は去年のうちに済んでおります」
二通?
受け取って見れば、父と母からの手紙だった。
父は学業の心配から始まり、鍛錬を欠かしていないか、寮の皆に迷惑を掛けていないかなど、つらつらと認められていた。
父は何気に心配性だ。寮生に迷惑なんか掛けられまい。住んでないのに。
次に母からの手紙を開き、苦笑が浮かぶ。
父と同じ内容が、父以上の長文で書き連ねられていた。
挙げ句の果てに、
「今年のリードヴァルトはとても暑かったです。夏の間だけでも戻ってきたら? メレディも氷がほしいと言っています」
と、直球で帰郷を促してきた。
俺は冷蔵庫か。母は良いとしても、メレディは立場的に駄目だろ。
また俺が気にしていると思ったようで、兄やロランの動向にも触れていた。この辺りはさすが母親だ。
兄はさらに政務に打ち込み、家令のグレアムと並んですっかり父の片腕らしい。
そしてロランは、アホみたいに鍛えているという。あいつはどこを目指しているのだろうか。
さすがにラグニディグやネリオの話はなかったが、彼らのことだから以前と変わらず彫金と狩りに励んでいるだろう。
礼を言って手紙をしまうと、用意された学費支払いの用紙を確認した。
そして金額のところで動きを止め、内訳を読み返す。
「サミーニ、入寮費はどうした?」
「おや、入寮なさるのですか? 家賃と仰っていたので、寮のお部屋は退居なされるとばかり――」
「そうだが……あ、一年契約なのか」
「左様にございます。二年目以降に、借家を借りられる方もいらっしゃいますので」
それもそうか。
だが、困ったな。貴重品の保管場所として重宝してたんだが。
一応、冒険者ギルドでも有料で保管してくれる。
保管料は一週間で銀貨一枚。だから講義が一日でも入っていれば、そのためだけに預けなくてはならない。
入学してからの出来事を辿り、講義が行われた週をざっと計算していく。
残りの三ヶ月はまだ不明だが、学年末も近いし講義は少ないはず。大体、二十から二十四週くらいか。ひとまず二十四週として、銀貨二十四……いや保管は一品単位だった。
預けるのは甲犀の剣とスティレット、青藍のマント、軽量の両手剣、魔石等の金品はひとまとめにすれば、年間で銀貨百二十枚、金貨にして十二枚か。
寮費が金貨十四枚ほどだから、一応、冒険者ギルドの方が安い。
とは言え、もう一品増やしたらほぼ同額になってしまうし、考えてみればいくつかの魔石を錬金溶液に漬けている。あれだけで金貨十枚近い。充分、大金だ。
「いかがなされましたか」
俺の様子に、サミーニが問いかけてきた。
理由を説明すると、サミーニも考え込む。
「なるほど、貴重品。手っ取り早い手段としては、奴隷ですが――」
「奴隷……」
この世界にも当然、奴隷はいる。
俺は大店か小さな商店を利用することが多く、前者は体面上、奴隷を表に出さず、後者は買うほどの余裕がない。だから、あまり縁がなかった。
また、奴隷は首に奴隷の証をぶら下げているが、大きな街ほどぼろぼろの格好で歩かせたりしない。奴隷は高額で、平均的な平民の年収はざらである。技術のある奴隷であればさらに高額だった。
だからみすぼらしい格好はさせないし、道を歩いていても気付きにくい。
俺の躊躇をどう捉えたのか、「ですが――」とサミーニは言葉を継ぐ。
「安い奴隷を買ったとしても、貴重品を預けるわけですから隷属の首輪が必要となります。そうなると初期費用が掛かりすぎ、よろしくありません」
奴隷の是非はともかく、その通りだった。
魔道具である隷属の首輪は、下手な奴隷よりも高い。
テッドたちに留守を頼むという選択もあるが、ロラの依頼を受けているため、前よりも忙しい。それがなければ、小遣い稼ぎに丁度良かったかもしれないが。
『魔道具作成』の準備が、状況を面倒にしてるな。
漬け込んだ魔石を放置せざるを得ないため、所持品の線引きを迫られている。
寮費を払い、盥を寮に移動させるのも手だが、溶液の交換で毎日通わなければならない。いや、そもそも外泊ができなくなるのか。これは盲点だった。
溶液の交換は――誰かに頼むしかないか。入れ替えるだけなので技術はいらない。
ともかく貴重品だ。
大事な物だけ冒険者ギルドに預け、もし自宅の魔石を盗まれたら諦めるしかない。
借家を選んだのは調合のため、金を稼いでいるのは生活のためだ。『魔道具作成』に使う魔石は換金する気はないし、それ以外に盗まれて困る物はない。
俺が結論を固めていると、おもむろにサミーニが切り出す。
「一つ、ご提案がございます。商業ギルドに所属なされてはいかがでしょうか」
「それは――商業ギルドでも保管業務を行っている、ということか?」
「左様にございます」
サミーニの話では、馬車一台分の品を銀貨五枚で保管するという。
期間は一ヶ月で、期間内は品の出し入れは自由、延長料金は同額だった。支払いが滞った場合、保管品は没収されるので、大抵の商人は数ヶ月分をまとめて支払い、期限前にすべて引き取ったら、差額を返金してもらうそうだ。
組合費として年に金貨一枚が必要だが、年間契約でも金貨七枚。かなりお手頃だし、馬車一台分なら、錬金溶液の盥も保管できる。
「また組員であれば、高額な品の売買、オークションの代行も請け負っております。それに商売上の揉め事であれば、ギルドが仲裁いたしますよ」
「それは心強いが――」
商売上がなければ、もっと心強いけどな。
俺は悩む振りをしながら、サミーニを窺う。
それはそれとして、狙いはこれだったか。
奴隷を提案し自ら否定、そして冒険者ギルドよりも安価な保管業務の提示。
だが分からん。なんで俺を商業ギルドに入れたがる?
少し、つついてみるか。
「僕がよその貴族と揉め、実家の支援が得られないとき、商業ギルドは助けてくれるんだな?」
「商売に関わる揉め事であること、そしてアルター様に非がないと判明すれば、商業ギルドは全力で支援いたします」
「相手が大貴族でもか」
「円滑な流通と規律ある商売。それが我らのモットーにございます」
微笑を浮かべるサミーニ。
俺は腕を組みつつ、意地の悪い質問をぶつけてみた。
「それは心強い。なら、相手がセージェでも助けてくれるな?」
一瞬、サミーニは苦笑を浮かべる。
そして慇懃に頭を垂れると、
「たとえ本部と事を構えることになろうとも、商人の本分を貫かせていただきます」
と、言い切った。
セージェは、セレンに似た都市国家。
商業ギルドの本拠地があり、実質、支配者は商人である。そしてリードヴァルトと幾度も紛争を繰り広げた、バロマット王国が所属するコージェス連合の一員でもある。
古い時代はヴェリアテスの造幣を一手に引き受けており、外の見えない倉庫に積まれていたヴェリアテス金貨もすべてセージェ産だった。
これは本気のようだな。
サミーニにとって、俺はそれほど価値があるのか。
見えない屋敷の一件を知っている?
有り得るが、評議員は大した情報を持っていない。詳細は俺とエルフィミアしか知らず、彼女が話すはずもなかった。
そうでないとしたら――そうか、ポーション。
思い至れば、次々と状況が符合していく。
前期試験で高品質のヒーリングポーションを調合した。高額であっても、それ自体は珍しくない。重要なのは作成者の俺が紐付きでないことだ。普通、それだけの錬金術師なら魔法ギルドに所属している。ポーションの販売権だけでなく、素材入手や膨大な知識の蓄積、所属しない理由がなかった。
対して、俺の所属先は冒険者ギルドのみ。しかも田舎貴族の次男坊で、将来は平民の可能性だってある。囲い込めば、仲介無しで優れたポーションを仕入れられる。これほどの良物件はないだろう。
「そこまで言われたら考えんでもない。だが、僕は貴族だ。商売はしない。ポーションの販売とかな」
「はは、これは参りました」
あっさりと仮面を外し、サミーニは破顔する。
「ま、すべて冗談だよ。誘ってくれて感謝はするが、そもそも僕は商業ギルドに入れない。知ってるだろう。リードヴァルト男爵家は、コージェス連合と敵対している」
「バロマット王国だけでは?」
「同じだ。侵略には手を貸さずとも、攻められれば総力を挙げて支援する。それがコージェス連合の盟約だ。我らが打って返したとき、セージェは明確に敵となる」
「国とギルド本部の意向は別――」
そこまで言い、サミーニは諦めたように首を振る。
「そう訴えても信じる者はいませんか。まずはお礼を」
「さすが商人。聞き逃さないな」
すべて冗談だ。ポーションを売らないと言ったのも、俺が貴族と言うのも。
「数は期待しないでくれ。リードヴァルトで医師にポーションを卸していたが、品薄の辺境だからだ。本業の生活を圧迫するつもりはないし、魔法ギルドと揉めたくない。それに何かと忙しい身でな。昔より調合に割ける時間は少ないんだ」
「残念ですが仕方ありません。出来の良いポーションが余るようでしたら、是非とも商業ギルドにお願いいたします。あ、魔道具もよろしくお願いいたしますね。いつでも品薄ですので」
「あまり、人を詮索するな」
サミーニは、にこりと笑った。
俺が『魔道具作成』を習得すると確信しているようだ。
もしかすると、こちらが本命か。まったく、やりづらい。
「では、そろそろ失礼――と忘れていた。実家への手紙を頼めるか」
俺は手紙を差し出した。
中には仕送りの感謝と、怒られない程度に近況が書かれている。
「かしこまりました、すぐに手配を。あ、手数料は結構ですよ」
革袋を取り出す俺をサミーニが止めた。
早速、恩を売ってきたな。
どう期待しようと自由だが、余るほど魔道具が作れるとは思えなかった。
仕方ない――ひとまずはポーションでも納品するか。