第65話 学院一年目 ~前期試験
前期試験は三日に渡り行われる。
初日は筆記、二日目は模擬戦と魔法の実演、三日目は舞踏と調合だった。
それと教養と学問しか履修していないドリスのようなお嬢様方は、二日目は休み、三日目は得意の舞踏なので、実質、試験らしい試験は初日のみである。
筆記を無難に終え、翌日の模擬戦に挑む。
俺の相手は野外演習の時、取り巻き一号と一緒にいた騎士の息子だ。
名前は――まあ、どうでも良いか。
片手剣と盾という王道装備だったが、どちらのスキルも持っていないようで、兵士程度の実力だった。顔だけは真面目にしつつ、適当にあしらって勝利。
終わってから『鑑定』したら、『鎌1』だった。
あるとは聞いていたけど……初めて見るな。農作業中にゴブリンとでもやり合ったのだろうか。これで敏捷が高ければ忍者に転職できそうなのに。
午後からは魔法の実演だった。
申告した魔法を移動する複数の的に当てるだけなので、さして難しくない。強いて挙げれば、的が移動後に隠れてしまうので、発動速度が重要なくらいか。
他と比べるまで気付かなかったが、『多重詠唱』持ちの俺は発動速度がかなり速いらしい。同時並行で無数の魔法を処理できるのだから、考えてみれば当然な気もする。
こうして実演もあっさりとクリアし、二日目を終えた。
そして、最難関の三日目が訪れる。
早朝、俺は学舎の舞踏場にやってきた。
あれからすべての日数を舞踏の練習に費やしている。
エルフィミアは途中で「いい加減にして」と俺を見捨てたが、それでも、一人で空しく練習を続けた。
しかし――まるで自信がない。
手こずる理由は三つあった。
舞踏はスキルでないため、『成長力増強』は役に立たない。確かに魔力の補助なんて不要である。
次に、舞踏は創作ダンスではなかった。前世で舞踏会と言えば、音楽に合わせ、即興で優雅に舞い踊るイメージを抱いていた。確認できないので事実は不明だが、この世界の舞踏は、音楽ごとに振り付けがきっちりと決められていた。しかも、ダンスによっては全体の一部になったりもする。十歳の子供たちが派手な衣装を身に纏い、生真面目な顔で大きなダンスを形作る。どう見てもお遊戯だ。おっさん間近の心が、激しく拒否するのもやむを得まい。
最後に、この世界には録音機材が存在しなかった。音楽と振り付けは一体なのに、その音楽を聴けないのだ。講義の初日に楽団がやってきて色々な曲を弾いたが、どれも初見ばかりだった。貴族連中は、「あ、これね」みたいな顔をしてやがったが。
だからエルフィミアとの練習でも、曲は彼女の頭の中にしか流れていない。俺はテンポと体内時計で振り付けのタイミングを計るしかなかった。
これで踊れという方が無理だろう。
だから、俺のセンスが欠けているわけでは決してないのだ。
暗澹たる思いで待っていると、生徒が集まり始める。
その中にはランベルトとフェリクスもいて、すぐさま俺に気付く。
そして近付くなり、
「お前のおかげで、昨日は散々だったよ」
と、愚痴をこぼしてきた。
「僕だって必死だったんだぞ。踊りが上手なお貴族様と違ってな」
「お前も貴族だろうが」
「僕は良いんだ。アルターは踊れなくても良いのよって、母が言ってたからな」
「諦めてるだろ、それ……」
そしてお互い、ため息をつく。
「相も変わらずしけてるわね、あんたら」
顔を上げれば、いつの間にやらエルフィミアが立っていた。
隣にはロラもいる。ちょっと懐かしい。筆記試験の時にも見かけているが、きちんと顔を合わせたのは野外演習後、初めてだ。
「ちゃんと練習したんでしょうね?」
「やったぞ。練習はな」
「ものすごく不安なんだけど。分かってるの? あんたが失敗すると私も減点されるんだからね」
「理解はしている」
エルフィミアはジト目で俺を見た。
嘘は言っていない。どうにもならないだけだ。
そんなやり取りに見かねたのか、ロラが助け船を出してくれる。
「大丈夫ですよ、アルター様は器用ですから!」
「ありがとう、ロラ。お礼として僕の護衛に――」
「お断りします!」
速攻で船から蹴落とされた。
ロラはそそくさと逃げていき、他の生徒に隠れてしまう。
なぜだ、騎士になれるのに。
「あんたも学習しないわね」
エルフィミアは呆れて首を振る。
そして立つように俺を促してきた。
「じゃ、ステップの確認するわよ」
この舞踏、二回も試験は行われる。
最初はお遊戯、次はパートナーと組んで踊る。エルフィミアはそのパートナーだった。
模擬戦で戦った鎌男などから声を掛けられていたそうだが、ずっと断っていたらしい。
そう聞くと、俺に誘われるのを待っていたように思える。
だが、エルフィミアから恋愛感情は一切感じられないし、面倒見が良いタイプでもない。
正直、何を考えてるのかさっぱり分からなかった。
必死に足を動かしていると、妙に華やかな気配を感じた。
目を向ければ、ドリス様ご一行が入室なさるところだった。
いつもの一号と二号、又の名を金髪ドリルとちっこい黒髪、そして騎士息子数名がずらずらと続く。そして舞踏場の一角を占拠し、談笑を始めた。
ステップの確認とかパートナーとの打ち合わせなぞ一切しない。こいつらにとって、舞踏などは呼吸と同じのようだ。滅びたら良いのに。
そうこうしながらも、刻々と時間が迫ってくる。
彼らの余裕が焦燥感をさらに刺激した。
「落ち着きなさいよ」
エルフィミアに言われ、立ちながら貧乏揺すりをしていたと気付く。
いかん、落ち着かねば。やるべきことはやったんだ。後は運を天に任せるのみ。
大きく深呼吸する。
落ち着こう。あれだけ練習すれば、最悪の結果にはならないはず。
それでも、また焦燥感がぶり返す。
もし教養を落としたら……。
貴族の息子として恥である。ましてや、舞踏と言えば必須とも言える技能。
俺は藁にもすがる思いでステータスを開く。
この窮地に使えるスキル。魔法でも良い。何かあるはずだ。
一縷の望みを掛け、丹念に読み返す。
その時、不意に脳内で何かが嵌まった。
これは……もしかして、いける?
「なに笑ってるの。とうとう壊れた?」
「馬鹿言わないでくれ、エルフィミアさんよ」
「そう。保健室、行く?」
「僕は気付いたんだ。定石に囚われてはならない。革命だよ」
不敵に笑う俺に、エルフィミアは胡乱げな眼差しを向けてくる。
そして何かを言いかけたとき、舞踏場の扉が開いた。
生徒たちが一斉に私語を止める。
「皆さん、揃ってますか」
舞踏の講師、ロレッタだった。
その後ろから数人の四、五年生、さらに楽団まで入ってきた。試験ともなると本格的だ。
普段はロレッタが口で拍子を刻み、助手が適当な楽器で最低限の音を鳴らす。それに合わせて生徒たちは踊っていた。ちなみにロレッタは三十前後の元貴族である。なぜ元なのかは不明だ。聞けるはずもない。
楽団が準備している間、ロレッタは試験内容を説明した。
それも終わると指揮者に確認、宣言する。
「それでは、舞踏の試験を始めます。最初の組は位置についてください」
わらわらと最初の組が散っていく。
ロレッタの合図で、舞踏場を優艶な調べが満たす。
それに乗り、次々とお遊戯が披露されていった。
ランベルトは平然と、騎士の息子であるフェリクスでさえも危なげなくこなしていく。たどたどしいのは一部の平民だけで、ほとんどが消化に近かった。
そして、俺の番となる。
最初は目の前にエルフィミア。その後はステップを踏みつつ、円を描いてフロア全体を移動する。相手は目まぐるしく変わり、時に男子生徒と向かい合うこともある。何が悲しくて男を見ながら踊るのか。この振付師は少し、おかしいと思う。
俺の不満を意に介さず、音楽が流れ出す。
ロレッタや助手たちの暖かい眼差し、エルフィミアから突き刺さる視線に耐えながら、俺は頑張った。
「さっきの自信は何だったの!?」
お遊戯が終わるや否や、エルフィミアが食ってかかってきた。
それを、ランベルトとフェリクスが震えながら宥める。
「し、仕方ないさ。誰でも得て不得手は……プッ、あるんだから」
「そうですよ、エルフィミ……プッ」
それでもエルフィミプの怒りは収まらない。
名前、変わってるけど? そっちには怒らないの?
「サボってたでしょ!」
「人聞きの悪い。とても頑張ったぞ。自分を褒めてやりたい」
「結果を出してから言いなさいよ!」
間髪入れず、全否定してきた。
まったく、お子様は視野が狭くて困る。
「その結果はまだじゃないか。次もあるぞ」
「次って……なに考えるのよ?」
「任せておけ。今日は歴史が変わる日となるだろう」
そう、俺には切り札があった。
それが披露されたとき、貴族の社会は新たなステージへと駆け上がる。
俺は先駆者となるのだ。
わずかな休憩の後、試験が再開される。
今度はパートナーとのダンスだ。
早速、最初の生徒たちが、曲に合わせて一斉に踊り出す。
全員の歩幅は一定のため、メリーゴーラウンドを連想させる。
全体を注視し、タイミングと距離を頭に叩き込んでいく。
それを何度か繰り返していると、俺たちの出番となった。
生徒たちが出そろったのを見計らい、俺は挙手する。
「ロレッタ先生、発言よろしいでしょうか」
ロレッタは小首を傾げ、「どうぞ」と許可を出した。
一つ咳払いし、俺は切り出す。
「一般に舞踏とは、曲に合わせ、決められた振り付けで踊ります。そして多くの者により、一つの舞となす。美しい光景です。華やかな宮廷の舞踏場なら尚のことでしょう」
言葉を切り、皆を見渡す。
良い感じに食いついてるな。
「ですが個々に焦点を当てれば、ただ振り付けを覚えただけとも言えます。まさに無個性、踊れて当然ではないでしょうか」
「どの口が言うのよ」
ちょっと黙ってなさい、小娘。
「これで本当に舞踏の技術が測れるでしょうか? 僕は疑問を禁じ得ません。それにこのやり方では、どれほどの名曲が生まれても、振り付けが決まるまで世に出ません。世界の損失です。そもそも、舞踏の本質とは何か? それは感情の奔出ではないでしょうか。喜びや悲しみ、多種多様な感情の発露こそが舞踏であるはず。優れた振付師の振り付けも良いでしょう。ただそれに縛られず、内なる情熱にも目を向けるべきと愚考します。それこそが新たな舞踏、新たな世界です」
俺は高らかに宣言する。
「よって、この舞踏――僕は剣舞を舞いたいと思います!」
静まりかえる室内。
ロレッタは俺を見つめ、にこりと微笑んだ。
「駄目です」
◇◇◇◇
俺は舞踏場の片隅で、体育座りしながら泣いていた。
「馬鹿でしょ。底なしの」
エルフィミアの声が頭上から聞こえてくる。
室内に残ってるのは、俺とエルフィミアだけだ。
ランベルトとフェリクスは励ましの言葉を掛け、ロラは掛ける言葉もないのか、痛ましげな目でそそくさと舞踏場を出て行った。
何故だ、完璧な理論武装だったのに……。
それに『片手剣6』に高い敏捷と器用さ。最高の剣舞になったはずだ。
「差別だ、訴えてやる……剣舞だって舞踏じゃないか」
「まず基礎を身につけなさいよ。剣を振り回すだけで良いなら、剣士はみんな舞踏家じゃない」
痛いところ突いてくるな、こいつ。
「それになによ、剣舞って。宮廷の舞踏会には皇帝陛下もお見えになるのよ。剣なんか振り回せるわけないでしょ。第一、魔法使いの私にどう合わせろって言うの? あと何だっけ――世界の損失? やっぱり馬鹿でしょ? 著名な作曲家の新曲なら、すぐ演奏会が開かれるから。それと感情剥き出しにしたいなら、その辺の草原で勝手に踊ってなさいよ。迷惑だから」
おかしいな、涙が止まらない。
しくしくと泣き続ける俺に、エルフィミアが追い打ちを掛ける。
「はぁ、これで私の評価もだいぶ下がったわ。この貸しは、しっかり返してもらうから」
「……すごく嫌な予感がしてきた」
「近いうちに連絡するわ」
そう言い残し、エルフィミアは舞踏場を去っていった。
ぼやける視界にその後ろ姿が映り、そして消える。
ここに至り、俺はようやく気付いた。
あいつ……こうなると分かっていたな。
何をやらせるつもりだ、あのお嬢様。