第64話 学院一年目 ~足掻く者
ただでさえ人気の少ない学院内は、いつにも増して人の姿が見当たらなかった。
ほとんどの生徒は寮で試験勉強をしているか、図書館に籠もっているのだろう。
敷地の奥に到着すると、庭園の様子を窺った。
鍵は開いているが、気配は――相変わらず分かりづらい。
俺は入り口から覗き込み、声を掛けた。
ほどなくして、庭園管理歴六十年の学院トップが顔を見せる。
「こんにちは、学院長」
「アルター君? どうしたのかね、試験までは休みのはずだよ。まさかラッケンデール先生が無理矢理――」
「いえ、そうなっても逃げますので。今日は学院長に伺いたいことがあるんです」
「ほう、私に」
兎にも角にも、まず訊かねばならない。
それ次第で話は終わりだ。
「いきなりですが――僕が入学試験の模擬戦で戦った相手、ご存じですか」
「すまないね、一人一人は把握していないんだよ」
その口ぶりだと、関与はしてるんだな。
俺は一呼吸置き、切り出す。
「僕の対戦相手は平民でした。他の貴族も同様です。ほとんどの対戦は貴族と平民、そうでなければ貴族と騎士です。知るかぎり、貴族同士は一度もありませんでした。学院長、その理由を教えてもらえませんか」
如雨露を置き、管理者の証で手を拭う。
向き直った老人は、学院長の目をしていた。
「君らしくないね。試験だよ? 試しているに決まってるじゃないか」
受験者が試された――何を?
自分の発言を思い返し、はっとした。
学院長は微笑を浮かべる。
「そう、あれは覚悟を試しているんだ。学院に入れば仕官の道が開かれる。場合によっては貴族に剣を向けなければならない。身分の差で怖じ気づくようでは、使い物にならないよ」
「貴族は当て馬ですか」
「そうだよ? 君たちは合格が決まってる。何を試すんだい?」
「仰るとおりです」
酷い勘違いをしていたんだな。
ということは、あいつ――それ以外で落ちたか。
テッドは貴族の俺に何度も立ち向かってきた。覚悟は充分だ。
筆記だな。名前もまともに書けないんじゃないか? そっちも教えないといかんな。
「私からも質問だ。どうして今、それを聞くんだい。理由があるんだよね」
「そうでした。ここからが本題です」
貴族だけを見ていたのではない。むしろ見てもいなかった。
この人なら大丈夫、安心して任せられる。
「学院長、助手を雇う気はありませんか」
「それは――庭園のかい?」
「もちろんです」
喜ぶと思いきや、学院長は顔を曇らせた。
「雇うということは、生徒ではないんだろう? ここだけの話、学院にはあまり余裕はないんだよ」
「給金はほどほどで良いと思います。僕と同い年、それも難民の少女ですから」
「難民……それは、大丈夫かね」
学院長はさらに眉もひそめる。
「人柄は保証します。元は農家の娘で植物との接し方を心得ていますし、さらに土魔法の適性もありますよ」
「それは理想的ではあるが――ああ、気を悪くしないでくれ。庭師を雇わないのは、予算だけでなく貴重な植物が多いからなんだ。庭師ギルドは独立組織。どんな契約をしても、状況によっては裁判になってしまうんだ。そうなるとね、大変なんだよ。その点、生徒なら身元がしっかりしてるし、いざとなれば親に責任を取らすこともできる。ごねたら評議会を介して皇帝陛下にご報告もできる。だけど、君の推薦する難民では責任が取れないんだ。誰もね」
それで学院長が管理しているのか。
生徒も管理者候補らしいが、実際は保証と信用も必須条件なのだろう。俺は最下級でも貴族の息子。さらにラッケンデールが講師たちにあることないこと吹き込み、無駄に信用もあったわけだ。
少し悩み、決断する。
ここまでする必要はないが――ま、金品を恵むわけじゃないしな。
「では彼女の落ち度で紛失、損壊があった場合、僕が弁済しますよ。もちろん証書も書きます」
「君の一存で決めて良い話かい?」
学院長は表情を変えず、問い返してきた。
「リードヴァルト男爵ではなく、僕個人ですから。これでも冒険者の端くれです。まとまった額を工面するのは、そう難しくありません」
「君は冒険者もやっているのか」
「あ、他言無用でお願いします」
首を傾げる学院長だが、その表情は曇ったままだった。
だが、葛藤も見える。もう一押しか。
「それに最初申し上げたとおり、庭師としてではなく学院長の助手としてです。一人で庭園に入ることはありませんし、貴重な植物に近付けさせなければ良いんです。それなら万が一損壊させても、学院の損失は最小限でしょう。一度だけでも会っていただけませんか」
学院長は考え込んだ後、口を開く。
「その少女は模擬戦の相手かね?」
「いえ、妹です」
「そうか、妹。受験生の妹か」
難民の少年がカルティラールを受験していた。
ただ受験するだけでもどれほど困難か、学院長はよく理解しているのだろう。
コルミス・ハリカル。
称号に『評議員』はあっても、貴族の文字はない。彼もまた、平民だ。
「分かった。君がそこまで言うなら、会ってみようじゃないか」
「すぐに」
学院長に一礼し、俺は家へ駆け戻る。
テッドたちは裏庭で寛いでいた。
事情を説明し、ついてこようとするテッドたちを学院の外で待たせる。関係者以外を敷地内に入れるのは躊躇われるし、彼らは言葉遣いや態度が悪すぎた。学院長が悪い印象を抱くかもしれない。
尻込みするリリーだけを連れ庭園に戻ると、学院長は入り口で待っていた。
「その子かね」
リリーは少し怯えていたが、丁寧に挨拶した。
学院長が微笑みながら応えると、その温和な印象や老人なのもあってか、リリーの緊張はだいぶ和らいだ。
そして学院長は質問を始める。
内容は暮らしぶりなどだったが、図らずも庭園の仕事に関わっていた。
「そうか、薬草を採取して生活費に――」
「はい。ですが、失敗もしてしまって……」
「ほう」
「アルター様に指摘されるまで、アクティニの実とサルニスの実の区別がつきませんでした。気付かずに何度か売ってしまったんです」
「それで?」
「雑貨店のおばさんに話したら、除けておいたから大丈夫って言われました」
「それは良かった。サルニスはお腹を壊してしまうからね」
そんなやり取りを繰り返し、気付けばすっかり打ち解けていた。
なんとかなりそうだな。
そっと距離を取り、静かに見守る。
まるで祖父と孫娘。
しかし実際は、セレンを代表する学院の長にして評議員、そして難民の少女だ。
もしかすると、この学院の望む本来の姿は、目の前の光景なのかもしれない。
◇◇◇◇
リリーが庭園で働き始めてから一週間が過ぎた。
買い出しのついでに様子を見ようと、俺は学院を訪れていた。
学院長と引き合わせて三日後、リリーの雇用が正式に決まった。
外部からの雇用はほぼ前例がないらしく、しばらくは試用期間になると言っていたので、それを知ったときは驚いたものだ。
ちなみに教えてくれたのは、ラッケンデールである。
前期試験に備えて図書館で調べ物をしていたら、いきなりぬっと現れ、
「君が紹介したんだって? 素材の扱いが丁寧で良いね、あの子。だけど調合スキルがないんだよねぇ……」
と残念がった。
危ない。少女をつけ回すおっさんは、完全に事案だ。
学院長はリリーをいたく気に入ったようで、正式雇用と同時に作業服の支給も決める。
リリーは必死に断っていたが、俺は受け取るように薦めた。
学院の生徒は富裕層ばかりで、皆、こざっぱりとしている。そこに難民丸出しの少女が歩いていたら目立ってしまうだろう。特に馬鹿な貴族が、何らかのちょっかいを掛けるのは想像に難くない。またリリーには申し訳ないが、セレンを代表するカルティラール高等学術院の品位もある。作業服の支給は必要な処置だと思う。
ただ、なぜか作業服の選定は学院長自ら出向き、リリーを連れ回して食事などを楽しんだそうなので、一緒に買い物がしたかっただけなのかもしれない。
それと懸念していたテッドたちとの顔合わせも無事に済み、「庭の爺ちゃん」呼ばわりされてもニコニコしていた。拗れなかったのは、間に入ったリリーの尽力だろう。
図書館を回り、石畳を進む。
庭園に近付くと、学院長とリリーの笑い声が聞こえてきた。
仲良くやってるな。
初めて会ったときに比べ、学院長から活力を感じた。
長年の疲労と義務感。それが一週間程度で様変わりしている。
リリーは腕力も知識もない。助手として紹介したが、大して戦力にならない。
それでも熱心に話を聞き、少しでも役に立とうと努力する。
その姿がそばにあるだけで、かけがえのない励みとなっているのだろう。
しばらく窺い、踵を返す。
もうこちらは大丈夫だ。
心配があるとしたら、テッドのプライドかね。
今では、リリーの収入が生活費の大部分を占めている。ネイルズを加えて採取に行っているようだが、前ほど収穫はなく、石灰おばさんにも丁寧に扱うよう注意されていた。
元々リリーの才能に頼っていたが、分離されて明確化してしまった。
そろそろ、実戦を経験させるべきだろうか。
そんなことを考えながら図書館の角を曲がると、その先に人影があった。
偶然、通りかかる場所ではない。
俺を待っていたのか、ランベルト。
無言で近付くと、向こうも近寄ってくる。
そして距離を保ち、お互い立ち止まった。
「話がある」
俺は頷き、先を促す。
しかしランベルトは眉間に皺を寄せ、黙ってしまう。
彼が口を開くのを待ち続け、しばらく時が過ぎた。
そして意を決したのか、まっすぐ俺を見据え、口を開く。
「俺には――お前の考え方が理解できない。俺は貴族だ。将来どうなっても、それは変えられない。だから難民と馴れ合うのも、理解できない」
何も言わない。言う言葉がない。
それは分かりきったことだし、理解も望んでいない。
で――どうしたいんだ、ランベルト?
俺の表情にランベルトは一瞬、苦い顔を浮かべる。
「だが……彼らのやろうとしていることは、分かる。悲惨な境遇から抜け出そうと足掻いている。それは――俺も同じだ」
途端、ランベルトの姿がいつもより弱々しく見えた。
「俺は……父に期待されていない。だから、頼み込んで学院に入れてもらった。ここで父の望む俺になれなければ、ケーテンから追い出される。そうなれば路頭に迷うだろう。学費や生活費は、その時の手切れ金なんだ」
十歳の少年。その当たり前の姿が目の前にあった。
そうだったのか。ランベルトは戦士としての才能がある。俺と似たような立場かと思っていたが。
ただ、珍しい話ではない。俺自身、幼い頃はそうなるのを覚悟していた。非情な決断を迫られるのは、貴族の常だ。
「では、はっきり聞こうか。僕に何を望む、ランベルト?」
その目に、強い光が宿る。
「このままでは届かない。もっと足掻かなければ。だから……俺に力を貸してくれ、アルター!」
「力を、か。僕にできることなんて高が知れているが――」
俺は手を差し出す。
「微力だが、力になろう。ランベルト」
「ありがとう、アルター!」
ランベルトは、俺の手を強く握りしめた。
彼の本質は変わっていない。折り合いを付けただけだ。学院の在り方やロラとの関係で垣根をずらしたように、また自分なりの妥協点を見出した。それで良いのだと思う。この程度で変わるのなら、たぶん、その人間は空っぽだ。
しかし――力を貸してくれと言われてもな。
何をすれば良いんだろうか。テッドたちと事情が違うし。頼まれたことをやるしかないな。
「何やってんの、あんたら」
不意に図書館の窓が開き、冷たい声が放たれた。
エルフィミアだった。
「友情を確かめ合ってるだけだが?」
「そう。気持ち悪い」
うん、女には男の友情は分からないんだよ。残念だね。
「で、お前は何してる」
「調べ物よ。それより、馬鹿なことやってる暇はあるの?」
「言われんでも必死にやってる! 今もフェリクスは不眠不休で戦ってるんだ!」
「いないと思ったら、そういうことか……」
呆れる俺に、エルフィミアが指を突きつけてきた。
「あんたじゃなくて、こっちよ。大丈夫なの? 舞踏の試験」
「え……なにそれ?」
「舞踏は教養の一部、あるに決まってるじゃない」
嘘だろ? 聞いてないんですけど?
いや待て、大丈夫だ。一部だからな、一部。
「きょ、教養は範囲が広いだろ? 舞踏を落としても他で何とか――」
「落とす前提なんだ」
エルフィミアは、これ見よがしにため息をついた。
くそ、こいつは余裕なのか。汚えよ、宮廷魔術師の娘。どうせ朝から晩まで踊り狂ってんだろうさ。そりゃ、舞踏なんて簡単ですよね?
「手伝ってあげようか」
「へ――?」
唐突な提案に、思わず変な声を上げてしまう。
「舞踏の練習。一人じゃできないでしょ。それとも、お手々繋いでるお友達と練習する?」
「お前が頼むなら……クッ、手伝おう」
「クッ、じゃねえよ! 頼まんから!」
力一杯振りほどき、窓に向かって頭を下げる。
「お願いします、エルフィミア先生!」
「そこまで言うなら、お願いされましょう。一つ貸しよ」
尊大に応えるエルフィミア。
それに慌てたのは、なぜかランベルトだった。
「いや、ちょっと待て! この後、早速アルターの力を借りる予定なんだぞ!?」
「じゃあ、あんたが練習に付き合えば?」
「クッ、そういうことなら――」
「だからねえって!」
全力で拒否し、俺は笑顔でその肩を叩く。
「お互い足掻こうぜ、ランベルト」
「え、そりゃないだろ!? おい待てって! 助けてくれよ、約束したろッ!?」
ランベルトの声が遠ざかっていく。
復活した友情に早くもヒビを入れ、俺はエルフィミアと舞踏の練習に向かうのだった。
頑張れ、ランベルト。




