第49話 疎屋の城
セレンは魔法ギルドの本拠地、そして誕生の地でもある。
それ以前から魔法使いのギルドというか互助会はあったそうだが、秘密主義の魔法使いは他人の助けを借りることが少なく、師弟や兄弟弟子と連携するのが精々、数が少ないのも相まって、互助会は有名無実と成り果てていたそうだ。
そこに登場するのは毎度おなじみ、アルファス・カルティラールだ。
さっさと引退を表明したうえ、才人でさえ理解不能な領域に到達している。今更、守る秘密もない。『多重詠唱』の英雄、ラプナスも似たようなものだろう。
ちなみにそのラプナスが何度挑んでも勝てなかったアルファスは、『魔術の神髄』という超稀少スキルの持ち主である。本人が語ったところによれば、魔法に関わるすべてが効率化されるそうだ。おそらくは威力、発動速度、成功確率、消費魔力の補正だろうが、『多重詠唱』で太刀打ちできないとなると、恐ろしいほどの効果に違いない。そんなのと敵対すれば、街なんて簡単に消滅する。当時の貴族たちは気が気でなかったろう。
そんな非常識な彼らによって、互助会は魔法ギルドとして生まれ変わる。惜しげもなく知識が伝授され、特に属性の整理・体系化は、後の魔法使いが理解を早めるのに大きな助けとなった。その影響をもろに受けたセレンは、今でこそ学術都市などと呼ばれているが、魔法都市、又は魔法学都市と呼ぶ方が相応しいだろう。実際、貴族の教育機関であるはずの学院でも魔法を教えているし、特化した私塾も多かった。
大通りから枝道に入る。
俺はそんな魔法都市の一角、カルティラール高等学術院へ向かっていた。
紋章入りの馬車と何度かすれ違い、また追い抜かれる。
入学手続きの貴族たちだろう。
雑踏に混ざり、在学生や新入生の姿も散見できる。ただ、俺のように貴族剥き出しで歩いている者はいない。少々、浮いている気もしたが、今の体面を取り繕ったところで無意味だろう。どうせこの先、好き勝手に街中を歩き回るのだから。
手続は学舎で行っているようだ。
受付に並び、納付証明を手渡す。
事務員は不備などが無いか確認、それも終えると入学までの手順について説明を始める。
話は日時、必要な物、入寮についてだったが、ある一言に、思わず事務員を遮ってしまう。
「え――火気厳禁?」
「はい、そうですが」
話の腰を折られ事務員はちょっと不服そうだが、それどころではない。
寮が火気厳禁ってどういうことだよ。
「調合はどうするんですか。それに将――食事だって作れませんよ?」
「調合は学舎でお願いします。食堂がありますので、自炊の必要もありません」
「学舎……あ、なるほど! 二十四時間、利用できるんですね!」
「ははは、まさか」
事務員は軽く笑い飛ばした。
寮は小火騒ぎが頻発し、遙か昔に禁止されたという。しかも学舎は講師がいなくなるので十八時に閉鎖される。
これって……火属性の魔法もアウトだよな。なにそれ、魔法ギルドのお膝元だろ。学生育てる気あるのかよ。魔法都市とか呼んでしまった俺の立場は?
どうしよう、隠れてこっそりやるか。
まずいよな。ばれたら追い出される。庭でやれば火事にならないけど、雨は降るし周りからも丸見えだ。いっそ、敷地内のどっかに隠れ家でも作るか。地下とか掘ったり。それこそまずい。下手したら退学だ。
最悪、夜間の鍛錬に制約がつくのは仕方ない。実家も火属性は最低限に抑えていた。問題なのは調合だ。ヒーリングポーションは自作だから気軽に使ってるけど、買ったらすぐに破産してしまう。
もう――寮は諦めるか?
良い考えかもしれんが、大抵の宿も火気厳禁。それに宿泊費も嵩むから、どっちみち破産だ。そういや、学院までの道中に安い宿があったな。入寮できない学院生向けかもしれん。それなら宿より安いだろうし、調合できるかも。
「ところで、入寮を取り下げたら返金されますか」
「申し訳ございません。返金はいたしかねます。入学手続の際、書類に記載されていたはずですが」
冷めた顔で事務員は陳謝した。
こういうのは、ちゃんと読まないとね。
少し泣きそうになりながら、質問を続ける。
「では入寮だけして、寮に戻らなかったら問題が起きますか?」
「いえ、特には。学院は学ぶところであり、それ以外は関知しません」
放任主義というよりは、貴族を縛るのが難しいんだろうな。
遊び半分の連中はパーティーとか開きまくってそうだし。
仕方なく事務員から寮の場所を聞き、学舎を出た。
どうするにせよ、一度くらいは見ておくか。高い金を払ったんだし。父が。
男子寮は学舎の右手にあり、一階の事務室で鍵を受け取った。
部屋は四階で、入ってみれば実家の部屋並みに広く、必要な家具が揃えられていた。
見晴らしは良いし、雰囲気も好みだが……ここに戻ることは無さそうだ。
学院からの連絡事項などは置かれていなかったので、鍵を掛け直し、俺は寮を出た。
◇◇◇◇
玄関をくぐるなり、サミーニが気付いて近付いてくる。
ちらりと周囲に視線を向けたのは、ロランを探しているんだろう。
「これはアルター様、何かございましたか」
やや表情を曇らせながら、話しかけてきた。
昨日の今日だからな。真っ先に浮かぶのは書類の不備だ。
「私事なのだが、少し問題が起きてな」
「伺います。どうぞこちらへ」
先日の応接セットへ通されると、俺は事情を説明した。
そしていきなり、サミーニは頭を下げる。
「申し訳ございません。火気厳禁なのをお伝えすべきでした」
「いや、それは商業ギルドの仕事ではあるまい。学院側が入寮希望者に確認を取るよう、通達すべきだったんだ」
「それにしても調合ができないから入寮せず、ですか。この役目に携わってから数年になりますが、初めてですね。失礼ですが、アルター様は『調合』スキルをお持ちなのですか?」
「もちろんだ」
俺は腰の皮袋からヒーリングポーションを取り出す。
それを鄭重に受け取ると、サミーニは色や香りを確かめた。前にロランも似たようなことをやっていたな。ちなみにこれは標準品質だ。一段階上の良質は、ロランに渡した分ですべてである。あれ、滅多にできないんだよな。
サミーニは「もしや標準品質でしょうか?」と聞いてきたので、俺は首肯する。
そして改めてポーションを眺めると、小さく唸った。
「そのお年でこれほどのものを。調合を理由に入寮を拒否なさるのも頷けます」
「もう流れで分かるだろう。調合できる部屋を探しているんだ。どこか手頃な物件はないだろうか」
サミーニは少し眉間を寄せ、指を組む。
「それは難しいかもしれません。学院生向けの部屋はいくつもございますが、大抵は自炊不可となっております。火事を起こされては家主の責任になってしまいますので。少数ながら可能な部屋もございますが、この時期ではすべて埋まっております」
「そうか……これは困ったな」
「そこで提案ですが――」
悩む俺に、サミーニは切り出す。
「家を借りられてはいかがでしょうか」
「家を?」
「自宅であれば、火の使用に制約はございません。それに調合をなされるのであれば、大量の素材を扱われるはず。一部屋では収まりきらないのではないでしょうか」
「思い当たる節がありすぎるな。しかし、家一軒か。いくらくらいで借りられるんだ?」
「調べて参ります」
サミーニは立ち上がり、奥へと姿を消した。
家一軒ね。この二年間で稼いだ金は金貨三十枚ほど。仕送りの残金を合わせると、金貨六十六枚。それだけあれば足りると思うが……。
しばらくしてサミーニは戻ってきたが、どうにも表情が芳しくなかった。
「申し訳ございません。こちらから提案したのですが、良い物件は軒並み借り手がついておりました」
「多少なら高額でも構わないが」
「いえ、そうした家ほど早く埋まってしまいますので」
貴族連中が借りてるんだな。
寮は使用人も不許可、身の回りの世話を丸投げの貴族は生きていけない。
ん、ということは――下は空いているんじゃないか?
俺の問いにサミーニは肯定するも、表情は変わらない。
「もちろんございますが、とても貴族のご子息が住まわれるような家では……」
「程度によるな。レンガか石造りの広くて頑丈な家。それ以外は問わん」
それでも渋ったが、最後には案内を買って出てくれる。
そして俺とサミーニは商業ギルドの馬車で大通りを北門へ、脇道からさらに奥へと進んでいく。
次第に、渋った理由が分かってきた。
馬車が進むにつれ、周囲の雰囲気が変わってきたのだ。
現在地はセレンの北東あたり。
大抵の街は、大通りや中央に近くなるほど地価が高騰する。逆に言えば、門から離れるほど安くなり、場合によってスラムが形成されてしまう。まさにここだ。
建物は木造が多く、どれも古びていた。
ネリオの住んでいた区画に似ているが、雰囲気はそれより良くない気がする。
スラムか、その一歩手前だな。
馬車は外壁ほど近くまで進み、ようやく停車する。
「こちらです」
サミーニが示したのは、石造りの二階建てだった。
古いし、大きなひび割れがいくつも走っている。状態はかなり悪いが、想像よりも大きな建物だった。
サミーニは両開きの扉を開け、俺を中へ招き入れる。
玄関をくぐってすぐ、大部屋となっていた。
天井も普通の家より高い。
「いきなり広いな。もしかして商業施設だったのか?」
「ご明察です。何十年も前の話ですが、ここは酒場でした」
だからアーチに装飾が施されているのか。
俺は柱からアーチ、天井へと視線を動かす。
装飾はずいぶん簡単だ。あまり予算を掛けなかったらしい。
それにしても、良い土地がなかったのか、それとも貧困層相手に営業するつもりだったのか。
どちらであれ、無謀な真似をしたものだ。こんなところ、近所以外は気付かない。それとも、それが狙いだったのか。知る人ぞ知る酒場。悪くはないが、閉鎖している以上、うまくいかなかったのだろう。
大部屋を一通り調べると、広めのキッチンや水場なども確認する。
「排水は機能しているか?」
「大丈夫です。近くに共用の井戸もございますよ。ただ、問題があるのは二階ですね」
その言葉に二階へ上がり、俺は納得する。
「なるほど、これでは薦められないな」
見上げれば、綺麗な青空が広がり、春の雲が優雅に漂っていた。
屋根や壁の一部は崩落し、落ち葉も溜まっている。
防犯もへったくれもない。入り放題だ。
「修繕する計画もあったのですが、どうも安い石材が使われているらしく、中途半端に直すよりは建て替えた方が安いと判明しました。しかも立地が悪いので、採算が取れないため放置している次第です」
話を聞きながら、二階の床を足で叩く。
幸い、簡単に崩れたりはしないようだ。安物でも石材は丈夫だな。それに二階の二部屋のうち、空が見えるのは一部屋だけなので、一時的に使用しなければ済む話だ。
「他に問題は?」
「これだけですね。後は地下と裏庭もございますよ」
地下は倉庫になっており、幾分、涼しかった。
特に異常は無かったので、水場の裏口から外へ出る。
「ここが裏庭か。意外と広いな」
「馬駐や荷物置き場として使われていたようです」
裏庭は雑草が生い茂っていた。
周囲は路地で区切られ、どの建物も余所を向いている。
人目を気にしなくても良さそうだ。
見渡しながら雑草を踏みしめる。
「少し、うちの庭に似てるか」
サミーニが首を傾げた。
「庭に鍛錬場があってな。あえて荒れ放題にしていた。祖父が言うには、足場の良い戦場などない、だそうだ」
感心するサミーニと並び、裏庭を眺めた。
まだ半月も経っていない。
なのに、足に伝わる土の感触が、どこか懐かしかった。
俺は小さく頷く。
「よし、ここにしよう」
「え――お待ちください」
我に返り、サミーニが止めに入った。
「数日いただければ、もっと良い物件を探してみせます。こちらでは修繕費用も掛かりますし、すぐに借り手がつくこともございません。今、お決めにならなくともよろしいのでは?」
「構わん。賃料はいくらだ」
それでも何度も念を押してきた。
言い分は分かるが、不安定な状態で学院生活を迎えたくはなかった。それにサミーニが言うほど悪い物件ではない。立地が悪く、ちょっと二階から空が拝めるだけだ。
サミーニはあの手この手で粘ったが、俺が撤回しないと分かり、ようやく諦める。
「こちらは年間契約となっておりまして、土地税込みで金貨三十枚にございます」
ほぼ仕送りの残金か。
当面、手持ちで生活だな。
「分かった、それで頼む。預けている金額で足りるな」
「はい、では手続きいたします。それと、こちらの裏庭も賃貸契約に含まれておりますので、ご自由にお使いください。よほどの状態でないかぎり、原状復帰も不要です」
「これに戻すって――どんな状態だ?」
「あ、それもそうですね」
俺たちは改めて裏庭を眺め、静かに笑い合った。




