第43話 セレンへの旅路 ~潜むもの
草原を抜け、北の森へ入る。
この先は低山だった。山に入られると厄介だと思ったが、それ以前の問題が発生する。
森へ踏み込んですぐ、テスの足跡を見失ってしまったのだ。
というのも、あまりにもノイズが多すぎたためである。どうやら狼の通り道になっているらしく、古いのから新しいのまで、無数の足跡や痕跡がそこかしこに付けられていた。テスは体重が軽いため足跡が残りにくく、最近、雨が降っていないのも悪条件となった。それでも時間を掛ければ見つけられるかもしれないが、日は沈む寸前で識別は困難、掛けられる時間も残っていない。
すぐさま二手に別れて捜索することを提案、『深閑の剣』はあっさり了承する。
こういう時、彼らは理解が早くて助かる。ハンターフィッチとの戦いを間近で目撃しているため、余計な心配をしてこない。
俺は単独で北西、『深閑の剣』は北東に進路を取り、森の奥へと進んでいった。
臨時の斥候として『破邪の戦斧』とレクノドの森に潜っていたが、俺の本質は狩人。不慣れな者と組むよりは単独の方が行動しやすかった。
暗い森を、月と星明かりだけを頼りに進む。
すぐ、レクノドの森との違いに気付いた。
生命の息吹を感じない。
それだけ動物や魔物を狼が喰い荒らしているのだろう。もしレクノドの森なら、これほど狼は勢力を拡大できなかったはずだ。いくら集まっても所詮は狼。あの森では餌にしかならない。
その後も這うように森を探索するが、テスのいた形跡は見つけることができなかった。
悩みながらもさらに進み、俺は立ち止まる。
外れかもしれない。
ここまで何も無い以上、テスはこちらに来ていないと考えるべきだ。
戻るか?
『深閑の剣』には俺より探索能力の高いピドシオス、そして獣人のダイラスがいる。ダイラスは夜目が利くので、暗所での探索では普段以上の実力を発揮できた。方角さえ合っていれば、発見している可能性もある。
しかし、そうでなければ時間のロスだ。
今現在、この森の脅威はほぼ狼のみ。
裏を返せば、狼を排除、もしくは追い払ってしまえばテスの危険は激減する。
となれば――狼を叩いた方が早いか。
狼を追跡しながら手がかりを探す。何も得られなれば、そのまま群れを襲撃。改めてテスを捜索すれば良い。
これが今の最善手だ。
◇◇◇◇
どこかで遠吠えがした。
その途端、至るところから遠吠えが上がり、森に木霊する。
方針を切り替えてほどなく、狼は自らその居場所を教えてくれた。
最も近い遠吠えへ向かうと、五頭の狼が一方向を目指し、森の中を駆けていた。
仲間に呼ばれたようだ。
もしかすると、『深閑の剣』が別の群れと交戦しているのかもしれない。戦闘が不得手とはいえ、狼に後れを取るとは思えない。増援を呼んだ可能性は充分にある。
合流できるならそれも良しだ。
風向きに注意を払いながら『常闇の探索者』を発動、狼の追尾を開始する。
しかし、予想に反し狼たちは森の奥へ向かう。
『深閑の剣』とは別件なのか?
狼の表情など分からないが、殺気立っていないようにも見える。
そして低山の麓付近まで到達したところで、無数の気配を感知。
追尾を止め、木陰に身を潜めた。
慎重に気配の出所に近付き、そっと窺う。
月から零れる青白い光の中、目的の人物を発見した。
これは……何かと予想外だな。
斜面に穿たれた虚を中心に、狼たちが集まっている。その数は三十頭以上。虚は巣穴らしく、幼い狼が走り出てきては玩具にちょっかい出し、大慌てで暗い穴に逃げ込んでいった。
玩具は男だった。
見るからに盗賊。膝立ちでテスの首と腕を掴み、盾のように構えて狼の子供を牽制していた。テスは顔を引き攣らせ、硬直したまま振り回されている。
恐怖で固まっているのが幸いしたか。もし泣き喚いていたら、どうなっていたか分からない。
俺は飛び出したい衝動を抑える。
ともかく、無事にテスを発見できた。
肩から出血しているようだが、大した怪我ではない。
だが、状況が悪すぎる。
周囲は狼の群れ、テスは盗賊の人質だ。
『高速移動』なら近付けるが、問題は盗賊の手が首に掛かっていること。
盗賊の筋力は14と高い。子供を絞め殺すなど造作もないだろう。
なら……いっそのこと殺すか?
両腕を切り落としても良いが、万が一もある。確実に処理するなら、一撃で命を刈り取るべきだ。
――人を殺す。
いずれはやらなければならなかった。父や兄の剣として戦うのであれば、敵は魔物だけではない。覚悟を決めた上で手を下したかったが、そうも言ってられない。
これも運命か。
ふぅと小さく息を吐き、甲犀の剣を静かに抜く。
物音を立てないよう前傾姿勢を取り、狙いを見定めながら力を蓄える。
その時――動きが起きた。
これまで静観していた狼たちが進み出、盗賊を取り囲んだのだ。
食事の時間。こいつらはそのために呼ばれたのか。もう一刻の余裕もない。
『高速移動』を発動、踏み出そうとしたとき、
「く、来るなぁッ!」
狼へ向け、盗賊がテスを突き飛ばす。
一瞬、虚を突かれた。しかし漏れた息は安堵。
これもまた運命だな。
硬直したまま、放り出されるテス。
我先にと狼が殺到、その合間を俺は駆け抜けた。
テスを回収した瞬間、狼が空間を噛み砕く。
減速することなく近くの木の幹を蹴り、駆け上がる。
枝葉を突き抜け、空中で『高速移動』を停止。
テスを抱え込んだまま、俺は大ぶりの枝に着地した。
「遅くなってすまない」
テスを下ろし、枝に座らせる。
呆然と俺を見、テスは周りに視線を彷徨わせた。
そして木の下で混乱する狼を見るなり、緊張の糸が切れる。
俺にしがみ付き、大声で泣いた。
その背をぽんぽんと叩く。
「よく頑張った。今まで泣かなかったのは偉いぞ。だが、もう少し頑張れるか? まだ終わってないからな」
終わっていないという言葉に、テスはびくりと震えた。
「心配するな。必ず家へ帰してやる」
その手を解き、幹を掴ませる。
そして俺は飛び降りた。
不意の出現に狼たちは慌てて距離を取り、盗賊は仰天して引っくり返る。
「命拾いしたな」
言い捨てると、盗賊は引き攣った笑みを浮かべ、その場にへたり込んだ。
勘違いさせたようだが――ま、どうでも良いか。
テスは木の上、ひとまず後顧の憂いはない。
『深閑の剣』も遠吠えを聞いたはずだから、遠からず駆けつけてくるだろう。
だが、早くても困る。
盗賊の方をちらりと窺う。
無数の人骨が辺りに散乱している。唯一の生存者は、足首の裏側が綺麗に噛み千切られていた。
いくらこの世界の狼でも、食糧を保存したりしない。
うなり声を上げ、包囲を縮める狼。三十対以上の光る目が俺を見据えていた。
この中に異物が混じっている。
それを炙り出さなければ解決しない。
圧倒しては駄目だ。ぎりぎりを装い、数を減らしていく。リミットは『深閑の剣』の到着まで。挟撃になれば狼たちは逃走するかもしれない。そうなる前に見極める。
先頭の狼たちが一斉に飛び掛かってきた。
最初の一頭を躱し、前進しながら次を斬りつける。
そのまま大地を転がり、体勢を入れ替えた。
ふくらはぎに微かな痛み。
掠ったか。さすがに『高速移動』無しだと避けきれない。俺の敏捷は補正込みで19。狼は15から18。個体差はあれど、敏捷は拮抗している。これで丁度良いんだがな。
血の臭いに触発され、狼が次々に飛び掛かってくる。
俺は剣を振るい、殴り、蹴り上げる。その間も革鎧を爪が切り裂き、手足から鮮血が吹き出す。噛みつかれるのだけは避けた。顎の力がどの程度か分からない。俺の筋力で振りほどけなければ、装えなくなる。
瞬く間に、周辺は俺と狼の血で染まっていった。
狼がすぐそばを通るたび、盗賊が悲鳴を上げる。
虚からは無数の視線。子供の狼たちが戦いを注視していた。
一瞬、それに気を取られ死骸に蹴躓く。
間髪入れず飛び掛かる狼に、死骸をそのまま蹴り上げる。
可愛らしい悲鳴をあげ狼は失速、その首を斬り裂く。
これで七体目。
重傷を負い、後方に下がった狼も同じくらいか。半数近くは戦闘不能に追い込んだ。
狼が崩れた包囲を立て直し、俺は呼吸を整えながらそれを見据える。
凌ぎきれないと判断したときは、全力で叩いて無理矢理引きずり出すつもりだったが、まだまだ余裕だった。血まみれはハンターフィッチで嫌というほど経験している。あれに比べればこの程度、じゃれあいだ。
「こっちに剣を寄こせ!」
突然、盗賊が喚いてきた。
なに寝ぼけたこと言ってんだ、こいつ?
あ、そうか。傍目ではぎりぎりの戦い、俺が満身創痍に見えてるんだな。なら成功だ。
良い頃合いかもしれん。数もだいぶ減っている。
まだ騒いでいる盗賊の戯れ言を聞き流し、俺は『鑑定』を発動。その成果を確認した。
今ならすべての個体を視認できるはず。
あらゆる可能性を考え、注意深く、それでいて素早く見渡す。
そして一点。
俺はほくそ笑んだ。
もっと面倒な状況も想定していたが――そのままか。分かりやすくて助かるよ。
群れの奥で、異物が俺を睨み付けていた。
見た目は大きいだけの狼。だが、すべてが別物。
こいつか。
飛び掛かる狼たちを『高速移動』で引き離す。
一瞬で異物の目の前に躍り出、甲犀の剣を振るう。
甲高い音。
織り込み済みの動き。もう『高速移動』を把握したか。
距離を取り、向かい合う。
「お前が元凶だな、オヴェック」
甲犀の剣を弾いたのは、狼には存在するはずもない黒い鉤爪のついた触手だった。
頭部の横で揺れるそれが一本、また一本と増えていく。
触手は胴体に巻き付き、いや、胴体そのものに擬態していた。
細くなるはずの体格は増大、体毛が集まり鋭利な鱗となり、全身はどす黒い赤へと変わる。その外皮は瘡蓋を連想させた。
爬虫類のような頭部に亀裂が走り、新たに一対の目が開く。
俺はその様子を興味深く観察していた。
『擬態』とあったから魔法みたいに変身するのかと思ったが。結構、力業じゃないか。
どうやら体毛一本に至るまで体積や色、質感を操作できるようだな。これはこれで逆に感心する。
さて、この姿が本性、もしくはこいつの戦闘態勢か。
こちらも全力で行かせてもらおう。
剣を一振り、一気に斬り込む。
その瞬間、針千本のごとく触手が伸びた。
速度を落としながら何本か斬り飛ばすも、追撃の触手に再び距離を取る。
攻防一体か、面倒な。
オヴェックでは『高速移動』と競り合えない。だが、来るのは分かる。それを理解しての戦法だな。知力はハンターフィッチと同格、油断できない。
再び斬り込み、触手を斬り飛ばす。
剣身の長さまで計算に入れてるな。頭部や胴体に剣が届かない、ぎりぎりまで触手を伸ばしている。だが、再生能力はない。新しい触手は生えてくるが、動きがぎこちない。外皮を触手に模しているだけ、似て非なるものだ。
しかしどうするつもりなんだ?
これでは常に後手。
このまま続けても、いずれ押し切られると分かっているはず――
その時、背後で短い悲鳴が上がった。
「まさか、これが奥の手じゃないだろうな?」
《旋風の盾》に弾き飛ばされたのは小さなオヴェック。
妙な視線を感じると思ったが、やはり虚に潜んでいたか。
子供のオヴェックが宙を舞う。
俺は振り返りざま、その首を刎ねた。
その間もオヴェックは動かない。俺がどれほど隙を見せても、速度で勝ち目がないのを悟っているのだ。そしてこいつには、もう状況を打破する術がないらしい。
オヴェックは後退り、四つ目を周囲に泳がせていた。
「知能はあいつ並みでも、能力が違いすぎるか。もう終わりにしよう」
十本の《雷衝の短矢》を放つ。
オヴェックは飛び退こうとしたが、全弾直撃。
輝きとともに硬直し、そのまま崩れ落ちた。