第42話 セレンへの旅路 ~ヴェレーネ村の異変
おじさんと化したマーカントに給仕されたりしながら、宴会の夜は過ぎていく。
腹が膨れたのと騒ぎ疲れたようで、村の子供は家へ戻り、広場は大人だけとなっていた。給仕を担当していた者たちも一息つき、除けていたゴウサスの串などを食べながら酒と談笑に興じ始める。最初から飲みっぱなしの連中は結構な数が昏倒しているが、未だ飲み続ける者も多かった。
ほどなくして例の菓子を携え、ミランダがロニーと挨拶にくる。それを受け取り、料理の礼と労いの言葉を掛けた。二人はやりきった顔で応え、村人の輪に入っていく。テスはそのまま主賓席に残り、マーカントたちの話を楽しそうに聞いていた。普段からこうして酔っぱらいの話に耳を傾けているのかもしれない。
俺はスナック菓子を口へ放り、果実水を飲みながら皆の様子を眺めていた。
さて、そろそろ引き上げるか。楽しい村なのでもう少し滞在したいところだが、自由な旅ではない。明日は出発だ。
そして立ち上がりかけたとき、村人の会話が耳に届く。
その内容に、俺は座り直した。
「――ウェルドにいた連中だろ? 逃げられたって聞いたぞ」
「食い物が減った気がするんだよなぁ」
「そりゃ、寝てるうちに食ったんだろ」
「うちの子羊も数が減った気がする。盗賊に盗まれたのかも……」
「羊なんか盗むかよ。だから、うちの食い物だって」
盗賊か。道中でも何度か噂を聞いた。兄が注意したように世情が荒れている証明だが、今のところ見かけていない。
この辺りに出没した――いや、その気配があるってところか。
ちらりと窺うと、オゼとピドシオスも耳を澄ませていた。
彼らくらいになると酔っていようが関係ないよな。他の者は要修行ってことで。
「テス、盗賊が出たのか?」
突然話を振られたテスは一瞬戸惑い、その後、首を傾げる。
「どうなんでしょう。噂はあるみたいですけど」
「放牧地は村から離れているだろう。怖くないのか?」
「平気です、盗賊が来たら杖でやっつけますから!」
そう言って叩く素振りをする。
ちょっとほのぼのした。ぽこん、とか擬音がしそうだ。
そんな話をしていると、村人の一人がこちらを向き、マーカントらに声をかけてきた。
「なぁ、あんたら冒険者だろ。盗賊、退治してくれよ」
「何言ってんだ、ニール! この人たちはCランクだぞ!」
ロニーが諫めるも、ニールと呼ばれた男はむしろ笑顔になった。
「おお、なら強いんだろ。簡単じゃねえか」
「強さの問題じゃない。Cランクを雇うにいくら掛かると思ってるんだ。気軽に頼めるわけないだろ」
呆れてロニーが首を振る。
元冒険者だから色々と知ってるんだろうな。俺は知らないが。
目線で皆に尋ねると、ダニルが応えてくれた。
「依頼内容でだいぶ変わりますが――安くても村人が一年以上暮らしていける金額、と言えば分かるでしょうか」
それを聞いたニールが肩を落とした。
ん? 聞いた名だと思ったら、羊のニールか。テスを見れば、どこか表情が揺らいでいた。強気な発言をしていたが、大人たちが騒いだことで不安が増したのかもしれない。
「どう思う? 村長」
「そう聞かれましても……実害は出ていませんし、目撃者もおりませんので」
村長の発言に羊のニールと食べ物男は異論有り気な様子だが、口を噤んでいる。
依頼料を考えれば、村の負担は大きい。町の一般人の日収が一日銀貨一枚弱。この村だと半額くらいか? 同額だとしても、一年以上であれば最低でも金貨三十六枚。疑惑段階で強弁できる金額ではない。
マーカントとヴァレリーは顔を見合わせている。二人は村落の出身、人事ではないのだろう。しかし今は護衛依頼中、勝手に動ける立場ではなかった。
俺たちなら盗賊くらい、どうとでもなるが――
隣に目を向けると、分かっていたとばかりにロランは口を開く。
「よろしいので? 盗賊がいてもいなくとも、確信を得るのに二日は掛かります。出発後、もし悪天候に見舞われれば、日程の余裕なんて簡単に吹き飛びますよ。そうなったらアルター様お一人で走ってもらいますが」
「それはまずいだろ」
「まずいですね、かなり。ですから家名に塗りつけた泥を払拭してください、在学中に」
「主君の息子に言う言葉ではないぞ。だが、良かろう。泥程度ならいくらでも拭ってやる」
それを聞いたマーカントたちの表情は明るくなったが、対照的に『深閑の剣』は反応が薄かった。特にピドシオスは始めから聞いておらず、明後日を見ながら酒を飲んでいる。
しかし、話はすべて聞いているはずだ。
「ピドシオス、頼めるか?」
俺の言葉にこちらを向く。
眉を寄せ、口を捻じ曲げていた。
「本気で言ってる? 俺たちは冒険者、金をもらって命を掛けんだぞ。頼まれただけでほいほい動いてたら、命がいくつあっても足りねえんだけど。それにさ、万が一いたとしても、逃げてきたんだろ? 村を襲う力なんて残ってねえよ」
「偵察を請け負うと約束したよな。違えるのか」
「話を捻じ曲げんなよなぁ。道中の偵察って約束だぞ。盗賊探しは道中か? 違うよなぁ?」
ほんと扱いづらいな、こいつ。正論だから反論できん。
しかも道中の偵察と御者は、完璧にこなしている。ゴウサスを解体小屋まで運ぶときも、文句一つ言わなかった。ある意味、ピドシオスは純粋なまでに冒険者である。
盗賊程度なら俺とオゼでも探せるだろう。だが、特化した彼らに動いてもらうのが最善。彼ら抜きなら二日では済まない。本当に単独走破する羽目になる。
『深閑の剣』は良くも悪くもピドシオスのワンマンチーム。この捻くれ者をなんとか説得できれば良いんだが。
マーカントとヴァレリーの射るような視線をへらへらと躱し、ピドシオスは酒を注ぎ足す。
だが――そこで動きを止める。
優れた斥候だからこそ気付く、今までと異なる気配。
おそらく方向から嫌な予感はしているだろう。
しかし確認せずにはいられない。斥候の性だ。
横目でちらりと窺い、「うっ」と唸る。
上目遣いのすがるような目。
視線を外すこともできず、ピドシオスは硬直。
しばらくして、諦めたように深いため息をついた。
「わぁかったよ! 行けば良いんだろ、行けば!」
表情を一変させ、笑顔で礼を言うテス。
うわぁ怖え……。
これ天然だよな? 分かってるなら……尚更怖え。
「ふぅん……そういう趣味なんだ」
ぼそりと呟いたサルマに、別の怖気が走る。
俺は立ち上がり、明日から調査すると宣言、さっさと宿へ逃げ出した。
◇◇◇◇
外敵の多いこの世界では、町や村は固まるようにして住居や施設を建てる。
ヴェレーネ村も例外ではなく、草原の中央を横断する小川を中心に家屋が密集していた。周囲には放牧地でもある広い草原、その先は森となっている。そして森の奥はウェルドや低山に繋がっていた。
翌朝、俺たちは村人から聞き取りする傍ら、村内を調べた。
しかし異常は見当たらず、草原の調査に移る。
ヴェレーネ村で羊を飼育しているのはニールだけではない。他にも何世帯が畜産家がおり、それぞれが方角や範囲を定め、草原を休ませながら放牧させていた。彼らにも話を聞いたが、盗賊を見た者は一人もいなかった。
このままでは埒が明かないと考えたのか、ピドシオスは『深閑の剣』だけで森に入ると提案してくる。手っ取り早く有無の証拠が欲しいのだろう。
それを了承し、残った者で草原の調査に戻った。
昼頃、疲労から身体を伸ばしていると、前日と同じ場所でテスと羊の群れを見かける。
群れの前で、手を動かしたり頭を抱えていた。
何をしているのかと気にはなったが、調査を続行。
しかし収穫を得られぬまま、ひとまず宿へ戻ることになった。
その帰路、何気なく視線を送ってみると、テスはまだ羊の前で格闘していた。
どうやら数を数えているらしい。
総数を把握できれば盗まれても分かる。番を任された責任感だろうか。
ただ百頭以上が好き勝手に動き回っているので、数えるのはまず不可能だ。タグを付けて管理するのが確実、そうでなければ一頭ずつ数えながら隔離していくしかない。夜になれば村に隣接した柵に戻すそうなので、それを利用するのが妥当だろう。ただ手間は掛かるし、ニールや大人たちの協力が必要となる。一段落したらニールに話すとするか。
「帰ったぞー」
俺たちが宿に戻ってほどなく、夕暮れ前に『深閑の剣』も帰還する。
エールを注文し、ピドシオスは俺のテーブルに着席。
運ばれてきたエールをぐいっと煽り、「盗賊がいた」と切り出す。
「もう死んでるけどな」
「どういうことだ?」
「まず盗賊と言ったが、旅人や冒険者の可能性もある。発見したのは足跡だけだからな。だけど旅人なら森を突っ切るような馬鹿はしないし、冒険者にしては数が多すぎる。なんせ十人以上だ。んで、そいつらが死んでいる理由はな――狼だ」
真っ先に木登り狼ヌドロークが浮かぶ。
しかしピドシオスは否定した。
「いや、ただの狼だよ。だけど甘く考えるな。数が揃えばオークだって喰い殺すぞ」
「それほどいたのか」
「いた。発見した群れだけでも、二十は下らない。狼は足跡を追跡していた。それが数日前。盗賊なら着の身着のままで逃げてきたはず。だから、もう死んでる」
盗賊を追って別のが出てきたか。
動物でも肉食なら下手な魔物より危険だ。その典型例が狼である。
「ロニー、この辺りに狼は多いのか?」
「いますが、群れは大きくても十頭前後ですよ。二十を超えるなんて聞いたことがありません」
肥大化した狼の群れ。そうなると食い物はともかく、羊の方は襲われた可能性もあるな。痕跡は何日も残っていないし、あれだけ広い草原なら見落としだってある。
「村を襲うと思うか?」
「時間の問題だろうな。むしろ盗賊のおかげで襲撃が遅れたのかもしれん」
「狼なんざゴブリンと変わんねえよ。ぶっ潰せば良いんだ」
マーカントが不愉快そうに発言すると、ダニルも同意した。
「ここは畜産の村ですから、ゴブリンより厄介だと思います。何より人を襲った狼はまた襲います。数も多いですし、獲物を食い尽くす前に対処すべきですね。ある程度数を減らし、充分警戒していれば、わざわざ家畜や人を襲わなくなるでしょう」
「決まりか。では狼の群れを叩くとしよう」
特に異論や反論はなく、明日の早朝、討伐に出発することとなった。
その矢先だった。扉が開きニールが顔を出す。
「テスは戻ってるかい?」
「まだ帰ってきてませんが――」
ロニーが応え、俺たちは顔を見合わせる。
それはいくらなんでも――タイミングが良すぎやしないか?
「そりゃ、おかしいな。いつもなら一声かけてから帰るのに」
「どこかに寄っているのではないのか?」
「そうかもしれません、ちょっと見てきます!」
とロニーが駆け出していく。
『破邪の戦斧』も俺が頷くのを見て、後を追った。
村の捜索は彼らに任せ、俺たちはテスのいた放牧地へ向かう。
俺と『深閑の剣』の斥候組は痕跡を探し始める。
村内にはいなかったらしく、しばらくしてオゼも加わった。
一通り調べ終わり、俺とオゼ、斥候組は集結する。
「どうだ?」
「狼は侵入してないな」
ピドシオスの言葉に他の者も頷いた。
そしてオゼは一点を見ながら口を開く。
「テスの足跡はありますね。ですが――」
俺たちは暗い森へ視線を向けた。
なぜ、森に入ったのか?
盗賊がいるかもしれないと話題になったばかりだ。
どうにも――面倒の予感がする。
俺は足下に刻まれた、もう一つの痕跡を見下ろす。
同じものをピドシオスとオゼも、じっと見据えていた。
これに意味があるのか。あるとしたらどちらなのか。
俺たち三人は無言で頷き合い、皆の元へ戻った。
「テスは森へ入った」
ロニーとミランダ、そしてニールに、調査の結果を告げた。
最悪の展開に言葉を失うが、それを吹き飛ばすようにマーカントが進み出る。
「任せておけ、俺たちが連れ戻してやる」
「待て。『破邪の戦斧』は待機だ」
制止されたうえ待機と言われ、マーカントは不満げに睨み付けてくる。
それを真っ向から受け止めた。
「狼が村を襲う可能性がある。誰かが残らねばならん。戦闘力の高いお前たちが適任だ。それにもうすぐ日が落ちる。探索に長けた者でなければ何もできまい」
「そりゃ、そうだけどよ……」
納得はできるが、承服したくない様子だった。
「今の発言からすると、私も居残りですか。護衛なんですが」
「そう言うな、今更だろう。それとロラン――」
俺は声を落とす。
「あらゆる事態を想定してくれ。まだ状況が掴めない。経験豊富なお前が指揮を執るんだ。オゼ、ロランの補佐を頼む」
ロランとオゼは目を合わせ、頷き合った。
俺はロニーとミランダ、集まってきた村人たち、そして村を一望。
そして皆に「行ってくる」と告げ、『深閑の剣』とともに森へ駆け出した。
さて、何が出てくるんだか。




