第40話 セレンへの旅路 ~宿の少女
ヴェレーネ村は、三十戸ほどの小さな村だった。
人口は百人から二百人くらいだろうか。
街道から外れているので宿があると思わず、不意に現れた建物に驚いてしまった。平屋ながらも小綺麗な外観。入り口にはポリーの宿と彫り込まれた木の板が掛けられている。
村人が知らせたらしく、到着と同時、中からがっしりとした体型の男が出てきて礼儀正しく一礼した。
「ようこそいらっしゃいました。私はこの宿の主人、ロニーと申します」
「アルター・レス・リードヴァルトだ。一晩、世話になる」
マーカントたちも挨拶を交わす。
そして積み換えるのは手間ということで、ゴウサスはピドシオスが解体小屋に運ぶことになり、サルマだけが同行を申し出た。二人を見送り、俺たちは宿へ入る。
扉を開ければ、すぐ酒場だった。小さな村や町ではよくある作りである。客が滅多に来ないので、普段は村人たちの憩いの場となっているのだろう。
宿泊の手続はロランに任せ、俺たちはそれぞれの部屋に入って荷解きする。
女性のヴァレリー、サルマ、ミラーナが相部屋、男連中は同じパーティー内で固まり、ロランは気心の知れた『破邪の戦斧』と同室だった。当然、俺は一人部屋に押し込まれている。
ロニーは貴族の息子を宿泊させることに恐縮していたが、なかなかどうして、外観通り清潔感のある部屋だった。少しの間、俺はベッドに腰掛けて旅の疲れを癒やす。
しばらくして部屋を出ると、すでにマーカントたちはテーブルを占拠、さっそく酒を煽りながらつまみを頬張っていた。いつの間にかピドシオスも戻っており、美味そうにエールを飲みながら「うめぇ!」とチーズを囓っている。なんだかんだ言い訳していたが、詰まるところこれが目的らしい。素直に寄りたいと言えば良いだろうに。
そんな捻くれ者の隣には、当たり前のようにサルマが座っていた。
彼女はピドシオスに強い恋愛感情を抱いている。隠そうともしていないので丸わかりなのだが、向けられる本人は興味なさそうだった。ハーフリングの好みに合わないのだろうか。どうあれ、他人の恋愛に首を突っ込むとろくなことにならない。巻き込まれないよう、遠巻きに見守るとしよう。
ロランだけは律儀に俺が来るのを待っていたので、マーカントらのテーブルに着き、ロランも座らせる。
注文を取りに来たロニーに果実水を頼み、何気なくテーブルのつまみを眺めた。
一つは話題のチーズ、もう一つは果物だ。
果実はプルーンに似てるな。何かに漬け込んでる? 匂いはすごく酒っぽいが。
この世界の子供はそれなりに酒を嗜む。生水の危険だけでなく、そもそも禁止する法律が無かった。前世の法を守っても意味はないが、なんとなく止めておいた。治療薬作りで死にそうな目に遭って以来、少し抵抗もある。
そういうわけで、ピドシオスお墨付きのチーズを手に取った。
牛のチーズよりだいぶ硬いな。
小片を口に放ると、濃厚な味とわずかな酸味、そして強い塩気が口中に広がる。
これは……酒飲み向けかもしれん。
「お口に合いませんか」
ヴァレリーが笑顔を向けてくる。
「味自体は美味いんだが……ちょっと塩気が強いな」
「そうかもしれません、農村の保存食ですから。でも、ここのチーズはだいぶ塩を抑えていますよ。普通はそのまま食べたりせず、料理に使うんです」
「ふむ。もしかして、保存する必要がないからか?」
「仰るとおりです」
そう言って奥から現れた人物を見て、思わず固まる。
「皆様、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ロニーの妻、ミランダと申します」
栗色のウェーブヘアを後ろで束ねた貴婦人がやってきて、優雅に一礼した。
「この村で生産されるチーズや羊毛、羊肉のほとんどは、ウェルドに出荷されています。距離が近いのとすぐに消費されるため、保存はいらないんです。もちろん、通常のチーズも需要がありますので生産していますよ。村の備蓄もすべてそちらです」
話しながら、ミランダは皿をテーブルに並べていく。
「宜しければお菓子をどうぞ。味付けはチーズの塩気だけですので、食べやすいと思いますよ」
と再び頭を下げ、厨房に戻っていく。
ミランダが姿を消してから一拍、マーカントたちがざわめいた。
「なんだよ、あれ!? 宿屋の女房じゃねえぞ!」
同感だ。あれで一般人なら、貴族なんか見ただけで目が潰れてしまう。
そんな俺たちに、ロニーは照れくさそうに頭を掻いた。
「頑張って口説きました」
そして聞きたくもない自慢話が始まる。
どうやら本当にただの平民らしいが、あの見た目なので男に纏わり付かれ、ずいぶん苦労したそうだ。それを聞いてヴァレリーやサルマがやたらと共感する。そういや、うちの女性陣もレベルが高い。派手な二人に隠れてしまっているが、地味目なミラーナだって顔立ちは整っている。それとどうでも良い情報だが、ポリーはロニーの祖母で、宿の初代とのこと。すでに故人らしい。道理でポリーさんが現れないわけだ。
ふと懐かしい匂いを嗅ぎ取り、皿へ視線を落とす。
棒状の生地を捻りながら、一口大の大きさに丸く成形。それを揚げたものだった。
匂いは完全にスナック菓子。
誘われるように手を伸ばすと、さくりとした食感にチーズの風味とほのかな塩味が広がる。これは美味い。この世界でスナック菓子が食えるとは思いもしなかった。
もう一つ口に放る。味付けはチーズだけと言っていたが、バジルか何かを隠し味に使っているな。元現代人の味覚を甘く見るなよ。
俺の様子を見て、他の者も次々と手を伸ばす。
そして、隠し味が――とか分析している間に、皿は瞬く間に空となった。
「追加をお出ししましょうか」
皆の様子にロニーは嬉しそうに言ってきたが、俺は断った。
そろそろ夕食の時間だ。すでに仕込みが始まっているだろうし、菓子で腹一杯にしては申し訳ない。名残惜しいが、明日の土産にでもしてもらおう。
俺が夕食云々を伝えると、ロニーは頷いた。
「そうでしたね。宴会前ですし」
「宴会?」
「聞いてませんか? 今日はゴウサスで宴会だ、と村長は張り切ってましたが――」
いつの間にそうなった。
まあ喜んでくれるなら、運んだ甲斐もあったが。ゴウサスは並みの腕では仕留められない。完封するうちの連中が別格なのだ。おそらく、食べる機会なんて滅多にないのだろう。
それにしてもゴウサスか。うちの食卓では珍しくなかった。村人はどう料理するんだろうな。楽しみだ。
ん、ゴウサス――?
「あ、解体!!」
しまった、ゴウサスの解体をすっかり忘れていた。
エラス・ライノに次ぐ大物。見学するだけでも学ぶことが多かったはずだ。なんて勿体ないことを……。
「解体に何か?」
嘆く俺にロニーが驚く。
ぐびりとエールを煽り、マーカントが応えた。
「たぶん、やりたかったんじゃね」
「え――貴族のご子息様ですよね? 解体に興味がおありなので?」
おありです。
「こいつは変わり者だからなぁ。ゴブリンだってバラしてるぞ。八歳の時」
「それはまあ、なんとも……」
マーカントの発言内容と失礼な言動に、ロニーは反応に困る。
良いんだ、そんなことは。それよりも――ああ、勿体ない。
「間に合うかもしれませんよ」
意外な言葉に振り向くと、ミランダが厨房からやってきた。
簡単なものですが、とソーセージの盛り合わせをテーブルに置く。
「ゴウサスの解体なんて、この村では初めてだと思います。まだ肉が届きませんし、手間取っているのではないでしょうか」
「では間に合うかもしれないんだな!? 案内しろ、ピドシオス!」
「ええ……面倒くせえよ。もう終わってるって。諦めようぜー」
とテーブルに突っ伏し、ソーセージを囓り出す。
本当にこいつは……。
雇ってないから従う義務もないけどさ。案内くらいしろよ。サルマも道を知っているはずだが――止めておこう。引き剥がしたら恨まれそうだ。
もう一人で行くか。小さな村だし、迷うこともあるまい。
そう考え、俺が立ち上がりかけたとき、入り口の扉が勢いよく開いた。
「ただいま!」
元気よく入ってきたのは少女だった。
彼女は――モップと一緒にいた子か。宿の娘だったんだな。
「あ、やっぱりお客さんだ」
「お帰りなさい、テス。丁度良かったわ。アルター様を解体小屋に案内してあげて」
「え、なんでそんなところに?」
「ゴウサスの解体を見学なされるのよ」
「それ知ってる! おっきな魔物が運び込まれたって。ゴウサスだったんだ」
「そうなの。だから急いで、解体が終わってしまうから。それとアルター様は貴族のご子息様、失礼のないようにね」
「分かった!」
テスは了承するなり、こっちです、と飛び出していった。