第111話 学院三年目 ~狂奔の復讐者
背後で通用門が閉まる。
春の爽やかな風が身体を吹き抜け、空には霞のような雲が漂っていた。
柔らかな日差しが草原を包む、穏やかな春の日だった。
人が死ぬには向いてない。
『高速移動』と《脚力上昇》を発動し、さらに『気配察知』で全方位を索敵しながら街道を駆け出す。
そしてすぐだった。俺は違和感に気付く。
気配をまるで感じない。
人は当然、魔物や動物も。
ソプリックの群れが動き、あらゆる生き物が逃げ出したか。
復旧作業中も、見かけた魔物は最終日のゴウサス牛だけだった。
案外、あいつもソプリックを避け、山の中まで入り込んだのかもしれない。
気を引き締め、『気配察知』に意識を戻す。
何にせよ、ノイズがないのは助かる。
そして街道を走り始めてさほど経たないうち、俺は気配を捉えた。
だが、自然と眉根を寄せてしまう。
まずい状況だ。
街道の先で、巨大な気配がスライムのように蠢いていた。
ソプリックの塊か。
小さな気配が集まり、一つになっているようだ。
群れの総数は多くても五十くらいと考えていたが、軽く三桁を越えている。
他の生き物が逃げ出すのも納得できた。
走りながら集中すると、中央部分に複数の人間らしき気配を発見した。
死んでいれば感知できない。
少なくとも何人かは生きているが――それも毒次第だろう。
自前のポーションがどこまで効いてくれるか。
曲がりくねった街道を短縮するため、俺は林へ飛び込む。
そして縫うように走り抜け、飛び出た途端、視界を無数のリスが覆い尽くす。
こいつらがソプリック――。
周囲の立木や灌木、茂みの中でリスが蠢いていた。
見た目は普通だが、前歯はやや大きい。
それを剥き出し、人間たちにリスらしからぬ凶相を向けている。
林の小さな空間に取り残されていたのは、守備隊の他、冒険者数名と商人。
彼らは円陣を組んでいるが、外周で牽制しているのは守備隊だけだった。
「た、助けてくれ!」
俺に気付き、冒険者が叫ぶ。
切羽詰まった状況なのは一目で分かるが、子供に助けを求めたら駄目だろ。
素早く『鑑定』に視線を走らせる。
体力はゴブリン以下。
《火炎球》を放ち、群れの一角を吹き飛ばした。
十体以上のソプリックが炎に包まれ、無数の怒気と敵意が突き刺さる。
俺を新たな敵と見定めのか、群れは形を変えていく。
ブレントは生きているが、毒を受けたか。
他にも守備隊一人、冒険者が二人――それでも一番酷いのはブレントだ。
剣を杖にして立っているが、今にも意識を失いそうだった。
そして彼らに足下には、いくつもの空瓶が転がっていた。
手持ちのポーションで、どうにか粘っていたのだろう。
さらに《火炎球》で吹き飛ばすと、立て続けの殺戮に包囲していた個体も俺へ目標を切り替えた。
俺を最大の敵と認識したようだ。
包囲が崩れたこと、そして俺が中級魔法の使い手と知り、冒険者たちは歓喜した。
その中で、ブレントだけが声を振り絞る。
「気を、つけろ……跳ねるぞ!」
跳ねる――?
そこまで言って、ブレントは意識を失ってしまう。
だが、人の心配している場合ではなかった。
飛びかかってくるソプリックの群れ。
それを迎え撃とうと甲犀の剣を構えた直後、俺は驚愕する。
こいつら、空中を!?
小さな影が縦横無尽に空中を跳ね回った。
群れは網の目のように広がり、真上さえも覆い尽くす。
これは――無理だ。
『高速移動』と《脚力上昇》の併用で、敏捷は52まで上昇している。
人外どころの速度ではない。
それでも、これは避けきれない。
咄嗟に、《力場》を俺ごと展開する。
一瞬で構築された魔力の力場が、全方位のソプリックたちを絡め取った。
《力場》の効果は術者と対象者の力量差に依存する。
同じ魔法でも、俺とソプリックでは受ける影響がまるで違う。
わずかに感じる抵抗の中、俺は甲犀のスティレットを取り出した。
久しぶりの二刀流だ。
動きの鈍ったソプリックを斬り捨て、突き刺し、青藍のマントで叩き落としていく。
猛毒持ちのこいつら相手に接触はもちろん、返り血も危険だった。
一瞬、呆然とする守備隊たちが視界に入るも、異常な速度を隠す余裕はなかった。
呼吸も忘れ、ひたすら斬り続ける。
そして周囲に小さな死骸が山積みになった頃、群れの攻撃が止まった。
すべて片付いた――と言いたいが、まだ半数以上、残っている。
それどころか憎悪は激しさを増し、第二波に向け動き出した。
俺は深く呼吸し、改めて『鑑定』に視線を走らせる。
名前 :-
種族 :ソプリック(狂乱)
レベル :6
体力 :17/17
魔力 :15/15
筋力 :6
知力 :7
器用 :16
耐久 :6
敏捷 :14(機動力:19)
魅力 :13
【スキル】
強毒化
機動力強化4、跳兎7、毒耐性5
【魔法】
なし
【称号】
狂奔の復讐者
一体の戦闘力はゴブリン以下だが、珍しいスキルと称号持ちだった。
空中を跳ね回ったのは『跳兎』だろう。初めて聞くスキルだ。
毒は強化されているが、毒そのものはスキル化されていない。生物固有の特性らしい。
それより、注目すべきは状態異常の狂乱だろう。
こいつらは仲間思いじゃない。
称号の悪影響を受けているだけだ。
知ってみれば、納得できた。
無差別に襲うのに探そうとせず、そのくせ見つければ死ぬまで戦う。
行動に一貫性がない。
事実、最初の《火炎球》で多くの仲間が一瞬で殺された。
普通の魔物ならそこで逃げ出すか、どう戦うか思案する。
ソプリックはどちらも選べない。
称号に意識を支配されているから、突撃以外の選択肢がない。
そういや前に似たような山羊を見かけたが――あれは別物か。
称号はなかったし、それこそ生物固有の特性だな。
どうあれ、戦いはもう終わりだ。
予想どおり、第二波は《力場》に構わず特攻してきた。
俺は甲犀の剣とスティレットで処理し、躱しきれないのは青藍のマント、新たに《礫土の盾》を発動して叩き落とす。
《火炎球》で焼き払ってみたが、包囲が近すぎるし、単発では効率が悪かった。
何も考えず、ただ処理していく。
完全に流れ作業だが――目算が甘かったか。
気配の塊と感じたのは正しかった。
今のソプリックは、もはや一体の魔物だ。
すべての個体がブレントたちに目もくれず、俺だけを殺そうと躍起になっている。
俺は敏捷こそ呆れる高さだが、他は人並みだ。
際限のない特攻に、体力が続くか不安を感じ始めた。
『多重詠唱』を疑われても、初手で《火炎球》をばら撒くべきだったな。
そう後悔したとき、いきなり群れが歪み、一部が守備隊たちへ矛先を変えた。
斬り捨てながら視線を向けると、彼らの足下に矢で貫かれたソプリックが転がっていた。
短弓を持っているのは冒険者だけだ。
まったく、何のために注意を引きつけたと思ってる。
ちょっかいを掛けておきながら、冒険者は即座に戦意を喪失してしまう。
二人の守備隊が剣を振って威嚇したが、そんなものは無意味だ。
あまり接近すると巻き込んでしまうが――。
仕方なく中央へ移動、《穿風の飛箭》で撃ち抜き、『風牙走咬』で斬り飛ばす。
その直後、左腕に微かな痛みが走った。
咄嗟に掴み、地面へ叩き付ける。
見た目は愛らしいリスが、血反吐を吐いてのたうち回った。
やられたか……。
破れた布鎧の袖から、血が滴り落ちている。
もう、『多重詠唱』がどうのと言ってられない。
飛びかかるソプリックを斬り捨てつつ、許容範囲ぎりぎりの速度で《妨土の壁》を発動していく。
目標はブレントたちの周囲。
守備隊たちは、次々と迫り出す石壁に声を失う。
俺は四方を囲む最後の一枚に飛び乗り、中へポーションを放り込んだ。
「解毒のポーションだ。ブレントに飲ませておけ」
そう言って《妨土の壁》で天井に蓋をした。
これで視界は塞いだ。
ソプリックに襲われる心配もないが――最初からこうしておけば良かったな。
改めて『気配察知』で確認する。
周囲に人はいないし、ソプリックも隠れていない。
ここにいるのですべてだ。
「お前たちに分別があれば、対応も変わったんだがな。殲滅させてもらう」
近くの木に《火炎球》を撃ち込みソプリックを吹き飛ばすと、燃え盛る木を伝い、空中へ躍り出た。
無数のソプリックが空中を跳ね、磁石に引き寄せられるように俺へと迫る。
深く息を吐き出し、周囲一帯に《火炎球》を発動した。
火球による絨毯爆撃。
目標も何もない。視界に入るすべてを焼き払う。
凄まじい爆風が巻き起こり、林を揺らした。
周囲一帯は炎に包まれ、爆風に樹木がひしゃげ、跳ねていた個体が爆風に煽られて青空に軌跡を描き、また爆風に吹き飛んでいく。
すべてのソプリックも焼き払ったはずだが、数が多すぎ生死の判別がしづらかった。
ダメ押しでもう一度、《火炎球》をばら撒いた。
再び起きる爆音。
ほどなく、巨大な気配の塊は完全に消失する。
残されたのは炎に包まれた木立と、百を優に越える焼け焦げたリスの残骸。
石壁の上に降り立ち、生き残りがいないか注意深く観察する。
そして解毒付随のヒーリングポーションを取り出した。
これが最後の一本だ。
蓋を開けて口に近付け、ふと手を止める。
まさかとは思うが――。
俺はすべての《妨土の壁》を解除した。
守備隊と冒険者たちは、変わり果てた光景に呆然としている。
「なんだよ、これ……」
冒険者の一人が呟くのを聞き流し、俺はブレントを『鑑定』した。
やはりか。
状態異常を示す『毒:ソプリック』の表記が残っている。
毒を受けた冒険者は二人いた。今は一人だ。
ブレントに近付くと、ポーションを飲ませた。
心なしか顔色は良くなったが、毒は消えない。
冒険者が治ったのなら効果があるはず。一本では足りないのか。
俺は冒険者へ視線を向けた。
「なぜ飲ませなかった」
「お、俺たちの仲間も毒を受けた! なんで守備隊なんだ!」
「僕も食らったが?」
血に濡れた腕を見せつけると、冒険者は口籠もった。
「火の始末は後回しだ。すぐ戻るぞ」
守備隊に告げ、俺は立ち上がる。
そのとき、空のポーションが手から零れ落ちた。
まさか、もう……?
左手を見つめ、ゆっくり動かす。
感触はあるが、どこか鈍い。
毒というより麻痺――筋肉を弛緩させるのか。
これが全身に回れば、確実に死ぬ。
俺の様子に気付き、守備隊が心配そうに覗き込んできた。
「大丈夫か?」
「問題ない。それよりブレントを運んでくれ。急ごう」
◇◇◇◇
ケリール村が見えたとき、俺は歩くのもやっとの有様だった。
何度も転倒しかけ、守備隊の肩を借り、どうにか足を動かしている。
噛まれた場所も良くなかった。
左腕は心臓に近い。脈が弱っているのを感じる。
意識こそはっきりしているが、それもいつまで持つか。
少し改善したブレントも、気を失ったままだ。
門が開き、数人の守備隊が駆け寄ってきた。
そしてブレントの部下は、俺を見るなり頭を下げる。
「すまん、解毒ポーションは一本しか確保できなかった!」
「素材は?」
「錬金溶液が数本、素材ならかなり集めてある!」
「ならすぐに――」
言いかけ、俺は躓く。
咄嗟に両腕を伸ばすも左腕に力が入らず、そのまま地面に激突してしまう。
「お前、毒を……」
助け起こす部下の顔には、絶望が浮かんでいた。
火の始末を頼んだ後、俺たちは隊舎に運び込まれ、それぞれ部屋に入れられる。
テーブルに三本の錬金溶液、素材のラニム草とソグリオの実、解毒の素材である処理されたクングス草の根茎、そして錬金器具が置かれていた。
逸る気持ちを押さえ、椅子にもたれて現状を整理する。
俺を除き、毒を受けた者は三人。
そのうち重症はブレント、守備隊の一人もやや重い。
こんな状態でも、俺と冒険者はまだ軽症だ。
ここがセレンなら、対処法はいくらでもあった。
ルシェナの護衛として《弱毒浄化》が使える『剣閃』が滞在していたし、他にも神聖魔法使いがいるはずだ。
ポーションなら腐るほど流通している。
せめて錬金術師が見つかれば良かったが。
商店が薬局なら、錬金術師は製薬工場。
お隣の大工場に対抗する物好きはいなかったようだ。
「その状態で調合できるのか?」
部下の問いかけに、俺は無言だった。
全身の感覚は徐々に低下している。
まず俺がポーションを飲み、回復させてから調合するべきだ。
今の状態では、いつ意識が混濁するか分からない。
だが――ブレントの症状は重い。
ソプリックの毒が、どの程度で命を奪うかも未知数だ。
「ブレントに飲ませてくれ」
俺はポーションを差し出した。
「良いのか? もし意識を失ったら――」
「解毒の調合は大して掛からない。それより錬金器具を増やしてくれないか。同時並行で進めたい」
「分かった。すぐ手配する」
部下は頷くと、ポーションを手に部屋から飛び出していった。
戻るのを待たず、俺は調合を開始する。
クングス草の根茎を腕で押さえ、ナイフで削っていく。
作業を続けていると、しばらくして扉が開き、部下が戻ってきた。
「ブレントさんに飲ませてきたぞ」
「容体は?」
「少しだけ意識は戻ったが、治ってないと思う」
「そうか。時間が稼げたなら充分だ」
部下が用意したのは、標準より劣る低品質の解毒だった。
俺の標準品質でも全快していない。始めから期待していなかった。
「解毒のポーションの影響で、ソプリックの毒が排出されるかもしれん。排泄物や汗に触らないよう気をつけてくれ。ああ、一緒にいた守備隊や冒険者、商人もだな。手持ちのポーションで治療した者がいるだろう。毒を受けてなくても着替えるよう言ってくれ」
「伝えよう。すぐ錬金器具も用意する。他に必要なものは?」
「手が空いたらで良い。ヘチェルサボテンを探してくれ」
部下は了承し、駆け足で出て行った。
クングス草を素材とする場合、俺でも標準品質がほとんどだった。
希に良質はできるが、ヘチェルサボテンなら確率が大きく跳ね上がる。
ただ、南東のコルスネット地方原産の植物であり、最も近いリードヴァルトでもほとんど見かけなかった。
セレンならまだしも、ケリール村にあるとは思えない。
作業を再開しようと、削った根茎を掬い取る。
それが、指の間から零れ落ちた。
早い――右手もか。
感触は残っているが、力が入らなかった。
すぐに死ななくとも、自由が利かなくなれば死んだも同然だ。
どうにか掬い取り、錬金溶液に投入する。
そしてランプの灯火を見つめながら、俺は椅子にもたれ掛かった。




