140話 魔神
魔神が女の子である。
衝撃的な情報ではあるが、各自どうにか飲み込むことは出来たようだ。
「まあ女神様も人間ってくらいだからねえ。それは分かったけど、疑問はまだまだある。話を続けてもらえるかい?」
チトセが続きを促す。
「もちろんです。その女の子が授かった固有スキル『囁き』。その効果の全貌は不明ですが、一つ明らかになっているものでいうと他人の秘めていた欲望を解放させて、それに従って生きるように唆すことが出来たそうです」
「欲望に従って……つまり精神攻撃の類でいいのかい。そんなんで世界を滅亡させることなんて出来るかね」
「簡単ですよ。人間、誰だって欲望を理性で押し込めて生活しているんです。個々人がそれぞれの欲望だけに従って生きたら、社会は立ち行きません。直接破壊するよりもよっぽど簡単に世界を滅亡させることが出来ます」
ホミさんの話はなるほどだ。
例えば何かを食べたいという欲があったとして。その欲を手っ取り早く満たそうとしたら、それを持っている人から奪えばいい。しかし人の物を奪うのは良くないという理性があるから、お金を出してそれを買う。そういう風に社会は出来ている。
誰かが憎い。だから殺す。そんなことが横行する社会に未来はない。
サトル君の『今の俺はいつも以上に俺だ』という言葉も的を射ていたことになる。自分の欲望に従って行動する、それはある意味一番素に近い状態だから。
ホミさんの話は続く。
「さてそんな『囁き』のスキルを持った女の子ですが、幼き彼女にスキルの制御は出来ませんでした。周囲の人間に見境無くスキルをかけてしまう状態だったようで……最初の犠牲者は女の子の父親でした。『囁き』を受けた母親が日頃の不満から来る仄暗い欲望を解放させて父親を刺したんです。次の犠牲者はその母親でした。父親を刺してしまった自己嫌悪をスキルが肥大させて自殺したようです。
不幸中の幸いであるか災いであるかは判断が付きかねますが、幼き女の子には自分がしでかした事の大きさを理解する力も、善悪を判断する知性もまだ備わっていませんでした。
そのため、二人を心配して様子を見に来た村人たちにも『囁き』はかかってしまい、悲劇は連鎖的に広がっていって……最終的にその村は女の子一人残して全滅しました」
「もちろんその時点で時の世の中も対処に動き出しました。大規模な被害を出したその女の子を、どうにか確保する算段は付いていたとも言われています。
そういう意味ではチトセさんの言ったとおり『囁き』だけでは世界を滅亡させるのは難しいというのも当たっていますね。
しかし、ここで人類にとって最悪の出会いが起きました。女の子と魔族の集団が出会ってしまったんです」
「魔族は別世界の住人です。それがどうしてこの世界にいたのか……書物には推測として誰かが呼び出してしまったのだと書かれていましたが、真偽は不明です。
その出会いによって魔族にも『囁き』がかかってしまい、その破壊衝動を思う存分に振るい世界が滅亡するか……といった直前、女神様とその仲間たちが立ち上がり封印した。
これが太古の昔に起きた『災い』の全貌だそうです」
『囁き』。欲望を解放するスキルを持った女の子を中心とした悲劇が語り終えられる。
そう考えると魔族も巻き込まれた側ではあるのだろう。欲望を持っていたことだけで罪になるわけではない。
しかし疑問が残る。私たちが出会った復活派の魔族レイリ。彼女が言っていた言葉。
『魔族の悲願は一つ。太古の昔、封印された魔神を復活させてこの世界を滅ぼすことだ』
そのような大層な使命感はどうにもちぐはぐに思えてくるんだけど……。
「大昔の出来事は分かりました。現代の話に戻りましょう」
ヘレスさんが進行させる。
「話によるとサトルさんに『囁き』がかかっていたということですが、しかし魔神は封印されているはずでしょう? ならば不可能ではないですか?」
「これは私の推測ですが、学術都市でユウカさんたちは渡世の宝玉を提供して研究に手伝ったそうですね。つまり集まれば集まるほど力を増す宝玉を長期間一カ所に留めてしまった。そのせいで周囲が他の世界と繋がりやすい状態になっていたのかもしれません。
そして女神様の『魅了』と魔神の『囁き』は表裏一体のような存在です。愛を広める前者と欲を広める後者で。
魔神と女神様は何度も戦場で相見えたそうです……そのときにスキル同士に繋がりが生じたのでしょう」
「スキル同士に繋がり……そのようなことがあるんですか? 聞いたこともありませんが」
「ですから推測です。そもそも固有スキルは絶対数が少ないせいで不明なところも多く、女神様自身にも分からないところがあるとは書物に書かれていました。
それでスキル同士の繋がりを起点に魔神は別の世界からサトルさんに語りかけて『囁き』のスキルをかけた。ユウカさんが聞いたというサトルさんの独り言ももしかしたら魔神に対する応答だったのかもしれませんね」
言われてみるとサトル君の独り言は誰かと話している……そんな感じだったようにも思える。
話をまとめると魔神は封印されたままサトル君にスキルをかけることが可能だったというわけだ。
「『囁き』と魔神についての話はもう大丈夫でしょう。次は……」
「私から話してもいいでしょうか」
ヘレスさんが挙手する。
「どうぞ」
「話というのはこの一週間について。私はちょうど王国支部の方に視察の形で出向いていたんです」
「ということは……サトルさんがどのように王国を転覆させたのか見てきたんですか?」
「ええ、その通りです」
ヘレスさんは頷く。
「商会というところは様々な情報が入ります。最初はちょっとした違和感でした。いつも時間通りに来る人が来ないだったり、兵舎が騒がしい、武器の発注が多いなど。
それでも平穏は保っていて……しかしある朝方突然鳴り響いた爆発音に私は飛び起きました。報告を受けるとどうやら王都内で兵士同士が戦っているようだと。
これは推測ですがサトルさんは最初王国内で暗躍していたのでしょう。魅了スキルを使い軍の下の方から支配を出来るだけ広げていった。女性兵士には問答無用、男性兵士には賄賂なりなんなりで寝返らせていく。
ですがあるラインからは国への忠誠心が高くなって工作が効かなくなった。だから直接の武力で打って出たと。
結果、王都で起きた内戦は凄まじいものとなりました。流れ弾が罪もない民を襲い……万は行かないでしょうが、千は下らない数の民をサトルさんは間接的に殺したと思います。
内戦は終始サトルさん側が優勢でした。最後は王都にある王城に雪崩れ込み、王とその臣下を虐殺して……こうして王都内乱は終結したようです」
「………………」
語られたサトル君の所行に私は……。
「話を聞くとよほどの大悪党だねえ。魔王と呼ばれるのも分かるというか」
「チトセ!!」
「あっ……わ、悪い……」
ソウタ君がチトセの名前を呼ぶとハッとなって謝った。
二人は私がサトル君のことを好きだと知っている。好きな人のことを悪く言われて、私が良くない想いをしないように配慮したのだろう。
「ありがと。でも、大丈夫だから」
「いや、でも……ほら、あれだ! 今のサトルは『囁き』のせいでおかしくなっているだけだし!」
「違うよ。『囁き』はその人の本来の欲望を解放する。今のサトル君はいつもと違うけど、おかしくなっているわけじゃない」
「それは……」
チトセが二の句を継げなくなる。代わりにソウタ君が質問する。
「ユウカさん。思えば話し合いが始まってから、ずっと違和感がありました。サトルさんが魔王になって、離ればなれになって。なのに今のユウカさんは落ち着きすぎている……と、僕は思うんです」
「…………」
「サトルさんとの間に何かあったんですか? 今のユウカさんは何を思って行動しているんですか?」
ソウタ君の質問は核心を突くものだった。本当に聡い子である。
気付けば私に注目が集まっている。
あまり本題に関係ないと思って黙っていたけど……こうなったら話すしかないだろう。
「そうだね、これはまだ言ってなかったよね。駐留派と復活派の襲撃を受けた直前のことなんだけど……私、サトル君に告白したんだ」




