ー年の瀬ー壱ー
年末を迎えた花見の小路は、華やかに彩られ、いよいよ押し迫った印象を受けます。
菜乃菊姐さんのイケズも、堪えなくなったこのごろは、軽く受け流すこともできるようになりました。
下足番の金蔵さんは、「毎度のことやさかい、気にせんときや。」と言います。
まあ、そんなもんやろね。
とにかく、祇園小唄とほかに三つは舞もマスターして、人前で舞っても恥ずかしくないくらいにはなりました。
ある日、ウチが玄関周りの掃き掃除をしていると、金蔵さんも居てはらへんし、浄美さんも居てはらへんのに、お客さんがありました。
しょうがないので、ウチが対応に出ることにしました。
「おいでやす、旦那はん。あいにく、お母さんは外出してますのやけど。」
「ああ、それは残念だな。どのくらい時間がかかるかな?」
「へえ、御茶屋組合の会合どすさかい、あと小一時間はかかると思います。」
「そう?どうしようかな。」
イントネーションは、関東の人らしいけど、お母さんの知り合いでしょうか。
年の頃なら、三十五・六、ダークスーツに身を包み、コートはカシミヤです。
髪をぴしりと分けて、苦み走った感じがすてきなおじさまです。
鼻の下のゲーブル髭もすてき。(藤竜也タイプどすやろか?)
背は百八十を少し下がるくらいで、筋肉質な印象を受けます。
「えっと、上がってお待ちにならはりますか?あんまり、おもてなしも、できしまへんけど。」
「そうだな、お茶でもいただけるかい?」
「へえ、お茶屋どすさかい、お茶しかおへんけどよろしおす?どうぞ、お上りやして。」
ウチは、先に立って座敷に案内しました。
お母さんのお客さんやったら、あんまり不調法もできしまへんので。
お客さんに、座布団を勧めると、お茶を煎れに出ました。ちょっとイケズかもと思いましたが、抹茶をたてて出すことにしました。
関東のお人やさかい、抹茶はどうかなと思いましたが、お客さんは喜んでくれたようです。
「これは、君がたてたの?」
「へえ、あんまり上手やおへんのやけど、お母さんのお客さんどすさかい、いま出来る一番上等なのんをお出ししました。」
「それが、茶の湯の心と言うものかもしれないね。」
お客さんは、おいしそうにお茶を飲み干さはって、お代わりを所望しはりました。
もう一度、お茶を点てて持って行くと、ウチのことを興味深そうに、のぞき込みました。
「君は、仕込みさん?」
「へえ、そうどす。この秋からお世話になってます。倉橋みどりと申します。旦那はん、よろしゅうお頼の申します。」
「そう、僕は大瀧英一郎と言います。東京で小さな会社をしていましてね、今日は商談で来たんですよ。それで、昔お世話になった、女将さんにご挨拶に来たんです。」
「そうどすか。それは、わざわざご丁寧に、おおきに。大瀧さんは、どんなお仕事をしてはるんどす?」
「僕ですか?まあ、金融関係を少しね。」
「はあ、銀行さんどすか?」
「まあ、そんなものかな。おっと、電話だ。ちょっと失礼。」
「へえ、どうぞ。」
お客様が仕事の話になったときは、舞子はすぐに控えることと、千代菊さんお姐さんから教わっていましたので、すぐに黙って控えました。
大瀧さんは、電話口で少し目つきが鋭くならはりました。
「ああ、それはだめですよ。ええ、条件の緩和は認められません。あなたも、何年住宅金融をしてらっしゃるんですか。いま、サハリンは天然ガスで、潤っていますが、この先何十年も保証されているわけではないでしょう。ましてや、前回の募集で何人集まりました?四十九?では、残りは危なくないですか?保証人三人の枠は、緩和してはいけません。回収ができなくなりますよ。…そうです。日本と同様に考えてはいけませんよ、そちらのメンタリティをもっと考慮に入れて、ええ、そうです。」
なんや、難しいお話のようどす。
「だから、その条件で借り入れできない人には、貸さなければいいでしょう。損をするために、あなたに行ってもらっている訳ではありませんよ。そうです、もう一度その条件で進めてください。…そうです、わかりましたね。」
ウチは、黙って電話が終わるのを待ちました。
「そうじゃない、不良債権を増やすなと、言っているのですが、わかりませんか?では、あなたは引き上げなさい。ええ、柳葉君に行ってもらいますから。…そうですか?では、そのように。」
やっと、電話は終わりました。
「サハリンに派遣した社員からでした。国によって、メンタルな部分は違いますね。」
「大瀧さんは、外国にもたくさん出かけはるんどすか?」
「年に数回程度ですよ。」
「よろしおすなあ。ウチ、海外に出たこと、おまへんにゃわ。」
「そうですか?まあ、仕事で出かけるのは、あまり楽しいものではありませんよ。」
「そうどすやろか?景色も、日本とは違いますやろ?」
「そうですね、でも、うちは片田舎が多いですから、あまり華やかでもありませんしね。さみしいものです。」
「そんなもんどすか?」
「そうですよ。特に今は、サハリンと言って、ロシアの一番東が多いですから。」
「なんや、寒そうどすなあ。」
「今は、寒いでしょうね。北海道より北ですし。」
「ひゃ~、そら極サムどすなあ。」
「あはは、極さむかあ。そうですね、マイナスなん十度なんて、世界ですね。」
「うひゃ~、ウチ・凍ってしまいます~。」
ウチは、ぐりぐりメガネを、持ち上げて聞きました。
「ほかには、どこに行かはるんどす?」
「そうですね、アフリカの北とか、インド・パキスタンなどにも行きますよ。」
「ほえ~インドどすか?お釈迦様の国どすなあ。」
「そうですね、今は電子部品やパソコン関係の会社が、たくさんありますよ。昔の、遅れた印象は、もうありませんね。」
「そうどすか?ビルとか、建ってはりますのん?」
「ええ、たくさんね。」
「ヨーロッパやアメリカには、行かはりませんのどすか?」
「そうですね、チェコやハンガリーには行きますよ。古い都市ですから、きれいですね。」
「うわ~モルダウどすか?」
「君は変わった娘だね。」
「そうどすか?」
「店だしは、いつごろになりそう?」
「へえ、あと一年くらいは、かかると思いますけど。」
「そうなの?言葉がちゃんとしているから、もうすぐかと思ったよ。」
「へえ、ウチはすぐそこで産まれましたよって、言葉の壁はあらしまへんのどす。」
「へえ、純粋な京都産?それは、かえって珍しい舞妓さんになるね。」
「そうどすやろか?もともとはこれが本当の、舞子ちゃんやと思いますけど。」
「そうだね。でも、最近は遠くから舞子になりたくて、やってくるのではない?」
「そらそうどすなぁ。近くの仕込みちゃんも、とれはったのは静岡どすさかい。」
「そうだろ?今は、どこもそうだもの。」
そこへ、からりと音を立てて、格子戸が開きました。
「ただいまー。あらまあ、大瀧の若旦那はん。ようおこしやすぅ。まあ、みどりちゃんがおもてなししてはったん?琴江はんは?」
「へえ、いま用事で出てはります。ほなら、お母さんが帰ってきはりましたので、ウチは失礼します。」
時刻を見ると、大瀧はんが来はってから、かれこれ一時間。ウチは、お抹茶の茶碗を引いて、座敷を出ました。
「ありがとう、みどりちゃん。楽しかったよ。」
「そうどすか?ウチも楽しおした。ほな、ごゆっくり。」
「ありがとう。これから京都に来る楽しみが増えたよ。」
toウチは、にっこり笑って、襖を閉めました。
大瀧の若旦那はん、また京都に来てくれはると、うれしいなあ。