3、神出鬼没のM女!?
今日も暑く、くだらない一日が始まった。眠い目を擦り、洗面台で顔を洗う。酷い寝癖だ。それに今日は特別に、背後にお化けがくっ付いて来ている。日頃の行いが悪いせいだろうか。
……え?お化け?朝っぱらから?そな、あほな?どんなベタな心霊現象でも、朝っぱらからお化け出現なんてありえない?……うん。ありえない。きっとまだ寝ぼけてんだ、俺。昨日は散々な目に遭ったからな。
もう一度、よく冷えた水で顔を洗う。気持ちいい。
「おはよ、慎ちゃん」
お化けが話しかけてきた。しかも、母と同じ呼び方で。……何故か無性に腹が立つ。
「無視しないでよ、慎ちゃん」
あっ、そっか。わかったぞ。これ、母さんだわ。だってあの人、こういう事するの大好きだから。無視していこう。無視して。
歯磨き粉を歯ブラシに塗って、シャコシャコと歯磨きしながらリビングへ。その後ろを、母さんも付いて来る。
「慎ちゃん!クレ○ン慎ちゃん!」
「慎の字が違うよ、母さん」
「母さんじゃないわよ!愛しのハニーよ、慎ちゃん」
はあ?愛しのハニー?蜂蜜のCMのキャッチコピー?
「蜂蜜のCM、また新しいの始まったの?でも俺、蜂蜜嫌いだから関係ないや」
「蜂蜜のCM?何の事?愛しのハニーよ、ダーリンの!」
ダーリン?ああ、新生ユニットの新曲か?そういえば、そんな名前のユニットがいたような……。いたっけ?
「どんな曲調なの?いい歌詞?」
「曲調?歌詞?関係ないわよ、そんな事!何、慎ちゃん。新しい、ツッコミ?」
ああ、新人の笑い芸人の事を言ってるのか。でも、愛しのハニーだなんて、ダサい名前のお笑い芸人、いたっけ?……でも、ホントにいそうだな……。蜂蜜を全身に塗り付けてるみたいな感じ?
「もう、アタシよ。マイダーリン。貴方だけの、アタシよ」
このMな響きのある声は、いや、まさか。だって、今は朝だぜ?しかも、六時半だぜ?なのに、人の家にいるとか、ありえないだろ。うん、ありえない。てか、あったとしても、不法侵入だろう。
「どうして何も言ってくれないのよ、ダーリン。美咲はいつでも、ダーリンの事を想ってるのに……どうして!?」
美咲?……美咲だと!?
振り返れば、パジャマ姿の森野がそこにいた。頬を赤らめ、泣いている。
「な……」
「あれ?ダーリン。嬉しくて声も出ない?美咲、嬉しい!」
「嬉しくて声がでないとか、ありえないから、マジで。てか、なんでお前ここにいんだよ」
「ん?泊まったからに決まってるじゃない」
「泊まった?どこに?」
「ここに」
「ああ、地中か」
「地中じゃないわ、地上よ」
「地上のどこ?」
「ここに」
「ああ、俺の家か。……はあ!?俺んちに何で、勝手に泊まってんだよ!」
「ダーリンの家じゃないわよ、詳しく言えば」
「そんなこたぁ、どうでもいいわ!!」
「どうでもよくないわっ!私とダーリンで、夢のラブ・スイートハウスを立てるのよ!!」
「どこからそんな言葉が出てくるんじゃ、ボケ!!」
歯ブラシを奴の足元に投げつけて、そのまま自分の部屋へ飛び込んだ。ありえない。マジ、ありえない。どれくらいありえないかって言うと、地球の地軸が真っすぐになるくらいありえない!……ちょっと言いすぎかな……。
「……何で俺の家にいるんだ?どこから入って来たんだ?……あ」
良く落ち着いて考えてみれば、怪しい人が、約一名。どっかに出張に行っている親父は別として、考えられるのは、やんわりと笑っている母だった。
「あんにゃろぉ……森野だけ入れるなって、言ったのに……!」
ここでじっとしている暇はない。朝飯も食わずに学校へ行く気もない。森野と一緒に登校なんて、もっとありえない。絶対にない!
「かーーーーさーーーーーーーーーん!!」
思い切り扉を開けて、部屋を出、リビングに着くと、キョトンとした表情の母がいた。そして、平然と人の家の飯を食っている森野もいた。
「どうしたの?慎ちゃん。……もしかして、体操服、なかった?」
「そんな事じゃなくて、何でこいつを家に入れてんだよ!入れるなって、言っただろ!?」
「そんなに怒る事ないじゃない。だって、こんなに朝早くから待っててくれてるのに、外で待たせておくのは、可愛そうでしょ?」
「その前に、何でこんなに朝早く来たのかを疑ってよ!」
「……ああ、今思えば、そうね。……ゴメンね、慎ちゃん」
「……もういいよ、飯は?」
「私の、手作りなんです!食べてください、先輩!」
「だぁれが先輩じゃ!お前は飯持ってきてんなら、自分の飯食えよ!人の家の食費を増やすな」
「まあ、家庭的な慎ちゃんも好きよ。美咲は、全てを受け入れます」
「受け入れて欲しくねぇよ!お前みたいな変な奴に、受け入れて欲しくなんかねぇ!!」
弁当包みを開きかけていた森野は、その言葉に機敏に反応し、嬉しそうに頬に手を添える。
「私だけの、屈辱的な言葉。……美咲は、幸せです」
「お前は学校行く前に、病院に行ってけ」
そんな面白い息子を見ながら、母は嬉しそうに微笑んでいた。
それはそれで、いいかもしれない。だけど、俺の苦労を知って欲しいぜ……。