前門からシシとオオカミ。
普段より、気持ち長めです。
いつもの決まり文句で返そうと口を開きかけた時、机に乗り上げ僕の方へ顔を寄せていた橙君が、バンという音と共に仰け反りました。同時に袖を掴んでいた手も離れてゆきます。
雅臣さん、出席簿使いが多彩ですね☆
でも、下から顎を狙って振り上げるって……体罰じゃ……
いつの間に移動してきたのか、紫ノ村先生が微笑みながら僕と橙君の机の間に立っていました。
蛮行の名残か紫色の長い髪をなびかせ、そのこめかみには何故か青筋が……
凍りついた場を僕が取りなすより早く、橙君が復活します。
「なにすんのー!」
雅臣さんの額に頭突きする勢いで立ち上がりました。
「級友の自己紹介は、大人しく聞きなさいね」
片頬をひくかせ辛うじて笑顔の人が、負けじと額で押し返します。
「それ、めっちゃ建前やん。センセーがオレを叩く時に『近すぎだ』って呟いたの、聞きましたー」
「空耳じゃないかな?」
「はぁー?」
グレーがかった紫の瞳と瑞々しい若葉色の瞳がぶつかり合い、火花を散らします。
身長差およそ十センチの二人が額をつけて睨みあっている間に入るのは、正直めんどくさそうですね。
でも、このままではらちが明かないので、しょうがありません。
一肌脱ぎましょう。
「はいはい。入学早々、言った言わないで喧嘩しない。先生は教壇に戻る、橙君は席に着く」
ちゃっちゃと雅臣さんの背を押して黒板前へ追いやります。
背を押された人は、蕩ける一歩手前の笑顔で「キリィには敵わないねえ」と囁いて、大人しく教卓へ戻っていきました。
お次は、仕切りおばちゃんの出現に毒気を抜かれ、ポカンとしている橙君の肩に手を添え椅子に押しつけます。
すんなり着席した彼に、事の発端への回答をしておきましょう。
「僕は生物学的に女だから女子の列に座ってるんです。そこのところ、よろしくさん」
付け足しの一言に「あちゃー」と眉を下げ、「失礼なこと言って、ゴメン」と手を合わせて拝んできたので、苦笑一つで流してあげました。他にも数人、申し訳なさそうな顔をしていた人が居ましたが、ま、よくあることです。さすがに慣れました。二度見したのも広い心で許しますよ?
「広瀬君、中断して悪かったね。名前から、もう一度お願いできるかな?」
僕が着席したタイミングを見計らって、紫ノ村先生が自己紹介を再開させます。
それからはスムーズに進み、女子は僕を皮切りに半ばまで済んだ頃……廊下から百メートルダッシュをしているような音が迫ってきて、教室の戸が勢い良く開け放たれました。
金の髪も目に眩しい御方が、出入り口にバーンと仁王立ちして言い放ちます。
「キリコ、来たぞ!」
な に が ?
ああ、
俺 様 が ?
ご指名を受けたのは僕なので、仕方ありません。
努めて冷静に対応しましょう。
「新入生代表様、H組のホームルームはまだ終わってません。お引き取り下さい」
そう言ったはずなのに、ご不満顔の大型犬は教室内にズカズカ踏み込んで、僕の前に立ちます。
「なぜそんな他人行儀なんだ!」
僕の机を両手で打ち鳴らしやがりました。
イラッときて、声がワントーン低くなります。
「事実、他人ですが?」
余程、僕の表情が冷ややかだったのか、つと目を逸らし教壇の上に矛先を向けました。
「話が違うぞ、雅臣!!『新入生代表に、誰もが惚れるぜ憧れるぅ☆』と言っていたではないか!」
えっ。今、雅臣さんの口真似を挟みました?
微妙に似てて、キモイんですけど。
誠志郎の視線を追って、『☆』付のセリフを素で言えるお方に目を遣ると、顔色一つ変えずにコテンと首を傾げました。
「なんのお話やら?」
「貴様っ!とぼけるなっ!!」
掴みかからんばかりの勢いに水を差す、低い美声が割り込みます。
「誠志郎、廊下を走るな、ホームルーム中の他の教室に入るな、ソレは紫ノ村先生、だ」
誠志郎が開けっ放しにした入口から現れたのは、軽く頭を下げて鴨居を潜るほど長身の、燃えるような赤毛の先輩です。
ガバリと振り返った大型犬は、今度は在校生代表様に向って噛みつきに行きました。
「悠馬!だがっ……」
しかしそれは、上段からの物理的な押さえつけで途切れます。
アイアン・クロー炸裂ですね☆
「あと声、でかい」
「確かに!」
納得の付け足しに、つい噴き出してしまいました。
と、先輩の手を振り払った情けない顔が、こちらに向かいます。
「ひどいぞ!キリコ」
なぜ、こうもいちいちオーバーアクションなんでしょう。
血圧高過ぎです。
黄金の熱気に中てられそうになっていたら、またしても先輩が、その頭を後ろからむんずと掴んでくれました。
「とにかく、落ち着け」
お犬様は目だけで振り返り、言い募ります。
「悠馬だって吹き込まれていたではないか!『生徒会長になればイメージ一新、好感度アップ☆』と!」
「……真に受けるな」
「しかし――」
溜息交じりのあきれ顔に、なおも突っかかろうとしたので、さすがに遮ります。
「その話はあとで詳しく聞きます。取りあえず、うちはまだ自己紹介が終わってないので、廊下で待機!赤原先輩も――」
テイッと誠志郎を廊下へ突き飛ばし先輩を振り仰ぐと、赤い瞳にジッと見据えられていて、続ける言葉を見失ってしまいます。
しばしの間の後、先輩が一点を指しました。
「――――キリ。ソレ、は?」
指先を辿れば、この場を教え子に一任してにこやかに見守っている教師の姿。
「雅臣さん?又は紫ノ村先生」
答えると小さく頷いて、出入り口でガルガルしている金髪を指します。
「コレ、は?」
「誠志郎。又は黄田君?」
「誠志郎のままでいいぞ!」
喰い付いてきた犬は二人でスルーして、先輩は自分を指しました。
「オレ、は?」
これは迷いようが無いですよね。
「赤原先輩」
すかさず返すと、間髪入れずに先輩がぼそりと呟きます。
「悠馬」
「え?」
聞き取れなかった、というより、意味が呑み込めずに間抜けな声を上げてしまいました。
目上に対して礼を失した僕の態度にも先輩は苛立った様子を見せず、先程の動作を繰り返して説明してくれます。
「アレが雅臣、コレが誠志郎。なら、オレは悠馬、と」
数秒間の攻防の末、静かな緋色に押され、僕は敗北を知ります。
「えー?あー、はい。ゆ、悠馬、先輩、も、廊下で待っていてくれますか?」
つっかえたのは愛嬌という事で。
「了解」
ふっとした微笑みに、クラス中の女子のハートは射抜かれたのではないでしょうか。
その後の女子の自己紹介は小動物のようにプルプルと、あるいは上の空であったのは言うまでもないでしょう。
※『なな色☆カレシ』参照
・誠志郎の設定『王者の風格』(笑)から、王者→ライオン→獅子→シシ→猪
・悠馬の設定『孤高のアウトロー』(笑)から、なんの捻りもなくオオカミ




