あるのは大人の都合だけ②
ブチッと何かが切れました。
振り向きざま少年の手を振り払い、反射的に胸倉を掴んでしまう。
相手の方が背が高いので持ち上がりはしないけれど、ぎょっとした顔は怯んでいるようにも見えました。
「いい加減にしろっ!どうでもいい(?)小さい事にグチグチと拘っているから、大局が見えなくてタバコを吸うなんてアホな行動に出るんだよ。大人ぶるなら、もっと思慮深くなれ!モヤモヤするなら、隅っこでいじけてないで頭が真っ白になるまで運動でもしろ!それでも解決しないなら、誰でもいいから話してみろよ。言いたい事は溜め込まず、はっきり言う。言葉にすると意外と冷静になれるぞ?こんな体育館裏なんかでコソコソしているよりも、ずっと建設的だよ。煙を吸ったって、何一つ好転するわけないだろ?むしろ悪化するだけだ。なによりも、人生の中で一番いろいろなことを吸収できるこの時期に、腐っているなんて、もったいない!!」
うん。僕自身、かましながら頭が冷えてきました。
ヤバい。また、やらかしてしまったみたいです。
恐らくデフォであろう少年の鋭い眼差しが、あどけなさすら感じさせるほど見開かれています。
そりゃあ、一息に捲し立てられれば、ビックリするよねー。
冷や汗をかきながら乾いた笑いが漏れそうです。
と、豆鉄砲を食らったハト顔が、クシャリと歪みました。
「……こんなに言葉を浴びせられたの、初めて、だ」
「どゆこと?」
僕の方がキョトンとしてしまいます。
「今まで、オレに話しかける人、ほとんど居なかったから」
「はいぃ?!」
予想外過ぎて手に力が入り、学ランの胸元を捻り上げてしまいました。
今更ながらそのことに気付いて、バツの悪さを誤魔化しながらモソモソと掴んでいた胸倉を放して皺を伸ばし、ついでに詰襟を上まできっちりと留めてあげます。
見上げると、僕の行動を戸惑いながら見ていた顔が、首周りの圧迫感のせいで軽くしかめられ、襟元を自分の指で少し広げ調整すると、男らしい眉が心許なさげに下がりました。
その寄る辺ない風情に、傷ついた少年の心が透けて見え、胸が痛みます。
話を聞くなら腰を据えてと思い立ち、目に付いた藪に埋もれそうなベンチに座るよう促しました。
大人しく従う様はずいぶんと心細げで、張り詰めていたものを失えば、まだ小学生に毛が生えたような年頃なのが分かります。
隣り合って座って、嫌がるかと思いながら手を繋ぐと、不思議そうにぼんやりと重なる手を見るだけでした。
「それで、話し掛ける人が居なかったって、どういうこと?」
静かに話を促すと、緋色の眼差しがゆっくりと上がってきて、僕の視線と合わさり暗く陰ります。
怯まずに見返し、頷いてあげました。
なにを話しても良いし、なにを聞いても大丈夫、と瞳に込めて。
僕の気持ちが伝わったのか、ゆるゆると話し始めます。
「親父は、無口で……」
あ、それはなんとなく察しが付きます。
少年も、ずいぶんと口下手ですもんね。
「……お袋は、昔はよくしゃべってた、と思う」
途切れがちですが、言葉を探しているようなので、合の手は入れないでおきましょう。
目だけで頷きます。
「オレが小学校に入ったら働きに出て、あんまり顔を合わせなくなって」
いわゆる『鍵っ子』ですね。わかります。
話し振りから、忙しい両親と家で一人の少年が、目に浮かびます。
家族と生活のために働いているはずなのに、いつの間にか家族との生活が疎かになる。
それは大人の都合でしかないのに、子どもはいつだって置き去りで……
物思いに耽りそうになった所で、少年の声に引き戻されます。
「学校でもオレ、こんなんだから、先生も同級生も、なんとなく、遠巻きで」
あー、『オレの背後に立つな』的な雰囲気を醸していますものね。
平たく言えば、目つき鋭く無口でぶっきら棒+長身=威圧感満載。
そりゃ話しかけ辛いけど、教師もそれって、どうなんですか?
「だから、こんなに会話したの、初めて、かも」
そう締めくくって、僕をじっと見てきます。
カクッと首を傾げても、まだ注がれ続けます。
「あー、僕で良かったら、いつでもお話、聞きマスヨ」
おおぅ。
瞳がルビーのように輝きましたよ。
どんだけ会話に飢えていたのでしょう。
ちょっと不憫になりました。
ズボンの後ろポケットからキッズ携帯を取り出します。来年にはジュニア携帯に昇格予定ですが、番号や内容は引き継げるので大丈夫。
赤外線通信の準備をしていると、興味深そうに覗いてくる少年は携帯を握ったままです。
「もしかして、赤外線したことない?」
訊けば、返ってきたのは肯定で。
仕方ないので、自分の準備を済ませてから少年の携帯を受け取り、自作自演のような赤外線通信をします。
ちなみに、手元はガン見されています。目力、半端ない。
正しく送れたか確認すると、電話帳の四番目に『青野』がありました。
上から『自宅』『父・携帯』『母・携帯』……見なかったことにしましょう。
僕の携帯には『せ』のページに『赤原 悠馬』、『せきはら ゆうま』でしょうかね。
「はい、登録完了。メールはいつでもいいけど、電話はマナーを守ってね」
携帯を返しながら冗談めかして言いました。
神妙に頷かれて、ちょっと焦ります。
僕がどう訂正しようか悩んでいる間にチェックを済ませた赤原悠馬は、「名前」とポツリ呟きました。




