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最後のピエロ  作者: ハロル・ロイド
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的場マリ

 県境にある寂れた山道は、車一台がかろうじて通れる幅しかない。アスファルトはひび割れ、その割れ目から草が野放図に伸びている。土と小石がむき出しになり、路面が波打つように変形している所もある。

 その道路には退避場所がない。対向車が来ればどちらかがギアをバックにし、元来た道に戻らなけれればならない。でないと立ち往生だ。

 脇にあるガードレールといえば老朽化した錆びだらけの年代物で歩行者の手すりにもならない鉄くずだ。

 街灯もない暗い夜道でカーブを曲がり損ねれば、のれんを押すようにガードレールを突き破り、がけ下に真っ逆さま落ちるだろう。

 谷底のむき出しになった岩に激突するのは容易に想像できる。事実、過去にスピードの出し過ぎで谷間に落ちた車が何台かいた。このような危険極まりない山道を、何時の頃からか「死神ルート」と名付けられた。


 つい最近、と言っても五年程前だが、この山を貫くトンネル工事が完工し、そこに片道四車線の幅広い道路が完成した。バイパスができたのだ。

 おかげで、ドライバーは危うい葛折りの「死神ルート」を利用する必要はなくなった。「死神ルート」は、廃路になるはずだったが、ある投資家がその道路の権利を買い取った。

 実際はその山すべて丸ごと買収したかったらしいが、既にトンネル工事完成間近だったため許可は出なかった。投資家は隣接する個人の山を莫大な金で手に入れた。


 投資家はその買い取った山を切り開き土地を造成しはじめた。近隣の不動産屋達は、その山にリゾート地かゴルフ場でも造るのかと噂しはじめた。

辺鄙なこの場所に一体何をつくりはじめるのだろう、と興味津々だった。


 それから数年後、今でも葛折りの「死神ルート」を利用する者がいる。どうしても、ある目的の場所へ到着するためにはこのルートを通らざるを得ないからだ。

 この道路は彼等にとって必要不可欠な道になっている。「死神ルート」は二車線に広がっていた。投資家が拡張工事を行い真新しい黒光りするアスファルト道路を造った。ただその二車線道路はある場所で途切れていた。

 場所は山腹中央辺り。そこに新たにできた脇道がある。二車線の道路はこの道に通じていた。

 脇道は下り坂になり、湿地が連なったふもとに出る。この山周辺には誰も住んでいるものはいない。

 そして再び上り坂を進むと反対側の山の中腹に出た。そこには山と山を繋ぐ頑強な吊り橋が新たに架けられていた。

 投資家が買い取った山に通じる架け橋だ。

 その橋を渡るとすぐ開けた場所に出る。百台以上が止まれる駐車場だ。

 周りは芝生が整備され、ところどころに青い葉が生い茂った木々が植えられている。

 そしてその広大な敷地の北側には白いホテルのような建物が二棟建っている。正面玄関の出入り口の前に背の高い看板が芝生の中から聳え立っていた。


 看板には金文字で 『まとば総合病院』と書かれてある。


 ここは私立の個人病院だ。この病院を知る人はあまりいない。高額で最先端の医療機器や、高度な技能を持った医療技術者と専門医師が常勤し、患者の完治率が99%にも関わらず世間にはほとんど知れ渡っていない。


 ここの施設の院長が医師会に入っていない事やマスコミ嫌いで変人である事が原因の一端か。

 それとも、自費診療のみで保険治療を一切やらないという噂が原因か。

 とにかく、この白い巨塔はひっそりと山の中に佇んでいるのだった。


 ここに入れる患者は限られた富裕層のみだ。治療には目が飛び出る程の金額が要求される。治って当たり前の結構な額だ。

 ここに来る患者は日本だけではなく、世界中の名立たる金持ちが順番待ちをしてやってくる。


 知る人は知る、寿命までもが一日億単位の金で買うことができる医療施設なのだ。


 的場マリはパソコンを食い入るように見つめていた。

 CTスキャンされた画像をパソコンに取り込み3D画像に転換した映像がモニターに映し出されていた。

 白く細い指に挟んだペンが画面の上をなぞっていく。

 肺の立体的な画像がそのペンに反応するように左右に動き、回転し、肺組織の微細な隠れた部分が顕になる。


 「どうだい。あと何か月生きられる?」

 的場マリの指よりももっと白い顔色の男はマリに尋ねた。


 「そうねえ、二か月持てばいいほうかしら」栗色に染めたロングヘアの女医は、モニターを見ながら呟くように言った。

 「二か月か。桜の花は何とか見られるわけだ」男は皮肉な笑みを浮かべた。


 マリは自分が座る回転椅子を男の方に向け、改まった顔で尋ねた。

 「オーナーから聞いてると思うけど、あなたの生体に極めて近い臓器が見つかった。それを移植をすれば希望が持てるわ」的場マリはそう言い終え男の表情を読み取ろうとした。


 男のその特異な目は何の反応もなかった。

 「マリ、弟が君に必死に頼んだのが目に見えるよ。答えは弟から聞いている筈だ。この体で寿命をまっとうする」


 マリは再びモニター画面に目を戻した。マリの表情は沈んでいた。

  「そう、・・・・私の腕を信用してないの?」

 電子カルテのキーをペンで無造作に叩きながらマリは言った。

 病棟の地下室には二、三日前に運ばれた脳死状態の患者が、人工呼吸器で生き長らえている。

 ある筋から地下組織を通じ運ばれた患者だった。どのような経過で稙物人間になったのかは明らかにされていない。ただ特異な血液型を持つ若者の体である事はハッキリしている。一万人に一人いるかどうかの血液型。マリも色んな方面に手配し捜したが見つける事はできなかった。それがある日突然、NPO団体と称する組織から連絡が入った。

 マリ達が手配していた脳死状態の人間が見つかり、送ると申し込んできたのだ。申込者はアルファと言う変わった名前の組織。しかし、調べてみてもそのようなNPO団体は存在しない。

 この病院のオーナーである元基からの紹介であった。元基とそのアルファと言う組織との関係は分からない。今までの的場病院での臓器移植はこの非営利組織アルファからの提供がほとんどであった。


 アルファからは金銭の要求はゼロだった。ただし条件として、秘密裡に行動してほしいとの事だった。もちろん組織の名前は公表しない。色々と不可解な部分はあるが、父親の的場誠の了解そしてこの病院のオーナー元基の紹介ということもあり、今まで受け入れてきた。

 マリ自身も喉から手が出るほど欲しかった臓器だった。

 その臓器があれば目の前の患者、弘基を救えるこちができる。


 その患者の健康な心肺を弘基に移植すれば、弘基は助かる。今すぐにでも手術が行えるように準備はできていた。ベテランのスタッフは常時スタンバイしている。マリはそのオペの症例を数多くこなし、自信もあった。

 弘基を助ける事ができる。そう思うだけでマリの心は躍った。


 「君の手術の腕は世界も認めているし、弟も俺も信用している。ただ、…」


マリはキーを打つ手を止め、弘基の次の言葉を待った。



 「俺は他人の肺を借りてまで長生きはしたくない。俺の生きた証、目的はもうすぐ達成する。それまでの寿命さえあれば十分だ。人の何倍もの不幸や痛みを味わった俺が、これ以上長生きして、再びまた味わうのはごめんだよ」

 男の口は笑みを浮かべたが、、目は笑っていなかった。


 マリの心に言うに言われない怒りが込み上げてきた。それを押し殺すように唇を噛みしめユックリと男を哀れむように語った。


 「生きる目的は復讐を達成する事だよね。幸せを感じることなく死んでいくのがあなたの人生なのね」

マリは目の前の男の素性を熟知していたし、男の目的も知っていた。


 「…」男は黙ったまま頷いた。


 ルミの目は苛立った。


 「人を愛することもなく、ただ恨みを晴らすためだけの人生なんて、恐ろしいぐらいおぞましいわね。私には到底、無理。ええ、あなた達兄弟ぐらいしかできない事よ。あなたの弟、我々にとって恩人であるオーナーには悪いけどあなた達兄弟は死神よ」


 マリのいつもの冷静な言葉使いとは打って変わって、怒りの籠った畳み掛けるような口調に男は少したじろいだ。

「マリ、俺なりに多少の幸せは味わったさ。かけがえのない人達に出会ったし、そして救われもし、慕われ、大切にされた」


「じゃあ、その人たちの為に生きようと思わないの?」

 マリはなんとか男の心を変えようとした。


 男の目がはじめて優しく微笑んだ。

 「マリ、君はどうなのだ?君の体に巣食った病は、治る見込みはあるのか」


 「今のところないわ、でもあなたより数年は長生きできる。それまでにいい薬ができるはずよ」


 「今できないのに数年先にできると言う保証がどこにある。どう考えても低いと思うね」


「さすがにあなたらしいマイナス思考ね。でも医学の進歩は日進月歩よ」


「マイナス思考じゃない。確率を言ったまでさ。十年経とうが君を救う特効薬ができるのは万に一つもない」


「私の事はどうでもいいわ。とにかくあなたは今生き延びるチャンスがあるのよ。そしてそれを手助けできるのは私しかいない。私にはあなたを助ける自信がある」


「生き続けて一体何をすればいいんだ?俺の過去を知ってるだろう。ウジ虫どもを殺し続けろって言うのか」


「愛する人達と生き続けるのよ。そして、これから現れる運命の人と共に」


「運命の人?そんなの二度と現れるものか」


「その確率こそ間違っていない」


 男はマリが座る椅子の肘掛を掴み自分の方に引き寄せた。

男の膝がしらがマリの両膝を割った。


「それが一番重要なのだ。分ってるはずだ。運命の人は俺の目の前にいる。お前がいない未来など何の意味もない」


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