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最後のピエロ  作者: ハロル・ロイド
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復讐劇の前夜祭

ムスタファはジープを降りた。

 車の燃料計はEラインを切っていた。予備に積んでおいたガソリンのポリタンクは何とか使わずに済んだがそれも精巧な車のナビシステムのおかげだ。地図を片手に運転すれば予備のガソリンを使い果たしてもこの目的地には着かなかったかも知れない。

 車はアメリカ製だがナビは日本から取り寄せたものだ。この車を手配してくれたモハンマッドのこだわりだった。かつて安価なチャイナ製ナビでガソリンを使い果たし砂漠に迷いながら死んでいった部下から得た教訓だった。

 精密機器は全て純日本製を愛用しはじめたのだった。


ムスタファが車から降りた眼前には灰色のモスクが建っていた。少し離れた場所に格納庫のような半円形の建物がある。それに続くアスファルトの広い敷地には、流線型の白い小型ジェット機が三台控えていた。もちろんそこから続く地面は長い長い滑走路が砂漠を切り取るように伸びている。

 ムスタファは喉に絡んだ痰を掻き出すように激しく咳き込んだ。顔半分を覆っているターバンの布をユックリを外し、口に溜まった痰をティッシュで拭い取った。 ムスタファの両頬には深い縦じわが傷跡のように刻まれている。目尻や額、顔の周辺にも無数の乾いた皺がある。張りと艶がある皮膚を残しているのは高く聳える鷲鼻だけであった。

 誰が見てもムスタファが三十半ばの若者だと思う者はいないだろう。それほどに、ムスタファの顔は初老をはるかに超えた様相を呈していた。

 モスクに入ったムスタファを出迎えたのは顔半分を黒い布で隠したモハンマッドであった。

 「アッサラーム・アライクム」そう言いながらモハンマッドはムスタファを抱きしめた。

 「兄弟よ、よく戻って来てくれた。アッラーの御恵みによってふたたび再会することができた」

 「お久しぶりです」

 「さあ、座りなさい。今日から、ここを終の棲家としてくつろいでくれたまえ。君と弘基の活躍は私の耳まで入ってくる。あれからアルファの連中は、我々に助けを求めてきたのだ。君達、白い悪魔を始末してくれと…我々が白い悪魔の友人とも知らずにだ。ハハハハ、全てはアッラーのお導きによるものだ。アルファの組織に我々の仲間が入り込み少しづつ奴等の闇に光を注いでいく。今では人身売買は臓器売買と生業を変え我々の仲間が支配しつつある。もちろん売買する臓器は奴ら自身のものだがね」


「モハンマッド、改めてお話があるのですが…」


「ああ、話を聞かせてくれ。ムスタファ、弘基と君の活躍ぶりを私は知りたい。人身売買の悪魔達を震え上がらせた物語を存分に聞かせてくれ。その物語を我々組織の教義の中に取り入れ、我々が進む道しるべとするつもりだ」


 ムスタファはモハンマッドの言葉が一区切りつくのを待って話し始めた。

「モハンマッド、私をもう一度、弘基の元に行かせてください」


 ムスタファの意外な言葉にモハンマッドは押し黙った。


 「モハンマッド、弘基は最後の仕事を一人で成し遂げようとしています。彼は死を覚悟しています。既に、彼には余命幾何もありません。そして、私も…。できうるなら彼と共に戦いたい」


 「弘基の病状はそれほど進んでいるのか?」


 「よくもって、半年…」


 「半年…、なんて事だ。アッラーは何故、それほどに弘基に試練ばかりを与えるのだ」

 モハンマッドは天を仰いだ。


 「モハンマッド、私は彼と共に戦っている時だけ生きている実感を感じていたのです。この、おぞましい病から解放されたのです。どうか弘基の元へ行くのをお許しください」


 「ムスタファ、弘基は君の事を案じていた。君の病状が日増しに進んでいくのを心配していた。私の元で安らかに最期を迎えることを望んでいた。そして私もそれを望んでいる」


 「モハンマッド、私は彼の元にいる時だけ、死の恐怖から解放されてた。彼の元で戦いたい」

 そう言ったムスタファの眼に淀みはなく、光輝いていた。



 か細い女の子の叫びが、微かに聞こえた。と、同時に激しい乾いた咳が男の体を襲い始めた。三十秒ほどの続いた咳が止んだのは口から溢れ出たおびただしい喀血を目の当たりにした時だった。湯船はインクをまき散らしたように赤く染まった。男は意を決したように、湯船から立ち上がりシャワーを浴びた。男の耳の奥には女の子の叫び声が鼓膜に何度も響いている。


 『兄さん、何をするつもりだ』

 弘基の耳元で、(いや、実際には弘基の脳が直接聞き取るのだが)弟の声が聞こえた。弘基は語る様に声を出さずに告げた。

 『兄弟よ、やるべきことをやる時が来たのだ』

 『兄さん、僕も行動を起こす』

 『分かった、だが、俺の後に続くのだ。俺の行動を見届けた後にお前は実行しろ』


 『奴の居場所は分かるか』


 『もちろん。兄さんの元に僕の仲間を行かせる。Xの部下だが今では僕のコントロール下にいる男だ』


 『兄弟、その前に血祭りに上げる奴がいる。本番はその後だ』 



 隣の部屋の三百四号室。そのドアには奥井という小さな表札が掲げてあった。弘基はチャイムを押した。


 二十八歳の奥井博隆は、人生で今が一番充実している時だと思っている。七歳年上の子持ちの女と結婚したのはただ、自分が働きたくなかっただけのことだった。女は顔に痣がある。その痣さえなければ奥井好みの理想の女性だった。しかも、ベテランの看護師でそこそこの給料を貰っている。女は奥井にベタ惚れだった。俺はこの女といる限り自由気ままに毎日を過ごせる。ただ、あのガキが邪魔なぐらいだ。ガキの俺を見る目はまるで死んだゴキブリを見るような蔑みと憐みと軽蔑が混じった目だ。ジット睨み返せば視線を慌てて逸らすが、年を経る毎にガキの目は奥井の心をイラつかせた。ただ、最近体付きが少し女性らしくなったことに気付いた奥井は子供への虐待の質を変えていった。

 しかも、顔が母親に似てきた。理想の女に少しづつ成長しているのに奥井は興味を持ち始めたのだ。それに母親は娘の虐待に目を瞑っていた。見て見ぬ振りをしているのをいいことに奥井の行動はエスカレートしていった。

 そんな矢先…。


チャイムが鳴った。


 「こんな夜中に誰だ。良子!出ろ」そう叫んだ奥井は裸で床にうずくまっている娘の耳元で囁いた。

 「レミ、静かにしてろ。少しでも泣きさけんだらただじゃすまないからな」


 「どちら様ですか」

 良子はドアの向こうの相手に尋ねた。


 「隣の山田と言います」


 「山田さん?…ああ、あの…何でしょうか」


 「宅急便の方にお宅の荷物を頼まれまして、お届けに上がったんですが」


 「荷物?」


 「ええ、僕、これから出かけるもので、少し遠出しますから、もし、預かった物が生ものですと大変なことになりますので、今日中にでもと、夜分遅いですけどお届けに上がったんです」


 良子はドアの覗き穴から山田と言う男を見た。

 めったに会うことはないその男は背が高く、いつもサングラスをかけているのを思い出した。そういえば大きなバイクを通勤に使っているようだった。ネット企業のオーナーとか予備校の経営者とか私学校の教師とか色んな噂を耳にする。本当のところは、誰もわからないし、もちろん誰も知ろうともしない。

 謎の人物だった。


 「おい、何やってるんだ!いったい誰が来たんだ」

 博隆は良子に訊いた。


 「隣の山田さんが家の荷物を届けに来てくれたの」


 「荷物?だったら貰ってけばいいじゃないか。何グズグズしてるんだ」


 「でも、宅急便からは何の連絡も受けてないのよ」


 博隆は覗き穴から山田を見た。


 皮の黒いロングコートを着て、つばのある白い帽子をかぶりサングラスを掛けている。

 「気障な野郎だ」

 手には大きな段ボールの箱を持っているのが目に入った。


 「良子、お前何かネットショップで買ったのか?」


 「いいえ、ひょっとすると実家から何か送ってきたのかしら」


 「実家?」

 良子の家は地主だった。博隆が良子と一緒になった理由の一つに実家が裕福だという事もあった。一人娘である良子の親が死ねば財産は全て独り占めできるという博隆の思惑があったのだ。


 「そうさ、実家が何かを送ってきたんだろう」

 博隆はそう確信した。向こうの両親は博隆のことをよく思っていない。だが、娘には甘い親だった。頼みもしないのに何やかやと品物を送ってくる。

 博隆はドアロックを外しドアを開けた。


 「いやあ、すまないね」

 そう言いながら博隆は段ボールの包みを取ろうとした。


 渡された段ボールはいやに軽い。まるで箱だけで中身はないような軽さだ。


 「そうそう、もう一つ奥井さんに渡すものがあったんだ」

 山田はそう言いながら自分のコートの中に手を差し入れた。


 博隆は首を傾げ、コートに突っ込んだ山田の手をジッと眺めた。

 その手の皮膚がいやに白いのが目に入ったからだ。

 「ところで、あんたこんな真夜中にサングラス嵌めているんだね」

 博隆は上目づかいをし、にやけた顔で言った。しかしその顔には自分より背の高い男を何とか見下してやろうという表情がありありと見てとれた。


 「サングラスをかけた方がよく見えるんだ。相手の本当の顔がな」

 山田の声が急に低くなり、ぞんざいな言葉になった。

 その唸るような音色に博隆の表情は強ばった。

 ただのヤサ男じゃない。博隆の直観がそう思わせた。

 いやな予感が頭をよぎり、背筋が寒くなった。

 「ところで、何だい、渡すものって」

 博隆は自分の心を悟られないように、急かすように言った。


 「つまらんものさ」

 コートから出した山田の右手には銀色に輝く銃が握られていた。

 銃口には消音装置が取り付けられ、そのため極端に銃身が長く見える。

 一瞬、博隆にはそれが何か分らなかった。その金属の固まりがあまりにも巨大すぎて見当がつかなかったのだ。

 分かった時には足はすくみ顔に血の気は失せていた。


 「な、なんだよ、そんな物だして。冗談のつもりか」


 「いいや、マジだ」

 鈍い重たい音が二回続けて鳴った。最初に右足の膝に、次に左足の膝が銃弾によって撃ち砕かれた。博隆は玄関先で体を崩すように沈んだ。

 両足の自由が利かなくなった後に始めて激痛が襲い始めた。と、同時に、さらにもう一発が博隆の腹を貫いた。焼け溶けた鉄が腹に流し込まれたような衝撃を感じた。 全身の力ががみるみる引いていくのが分かる。

 声を出す力も消え失せた。博隆は外に出ようと震える手をドアに差し向けたが、開いていたドアはユックリと閉じた。


 良子はそれを見て慌てて部屋の奥に駆けだした。

 何処へ逃げても部屋の間取りは同じつくりだ。弘基は土足のまま、コートをユックリ揺らし銃を持ったまま女を追った。

 キッチンに逃げ込んだ良子はカウンター奥の流し台に隠れた、


 狭い間取りの中ではどこに隠れようとすぐ分かる。


 弘基はカウンターと冷蔵庫の間に震えながら蹲る女に銃を向けた。

 

 『兄さん、母親も殺すのか』弟の声が聞こえた。


 『全てはこの女が起こした事だ』


 突然、弘基の足元をすり抜ける白い影が見えた。丸裸にされた子供だった。

 子供は女を庇うように身を盾にした。

 今まで泣き叫んでいた子供だった。弘基を教師と勘違いしたあの時の子供が素裸になって目の前にいた。

 体は痣だらけで、蚯蚓腫れを起こし、ところどころ血が滲んでいる。


 「そこをどけ。お前を助けに来たのだ」


 子供は顔を横に振り両手を横いっぱいに広げ女を守ろうとしている。


 「お前の母親は、そうやってお前を守ったのか?そこをどくんだ。そいつは母親じゃない。お前の幸せを奪い取る鬼だ。鬼が生きている限りお前は幸せにはなれない。さあ、何も言わずにそこをどけ!」


 子供は真一文字に口を閉じ、眼に涙を浮かべはじめた。


 「名前は確かレミだったな。レミ、そんな母親でもお前は命を懸けて守りたいのか。それほど、お前にとって母親は大事なものなのか」


 子供は黙ったまま涙を流し続けた。


 弘基はその顔を見て初めて気づいた。

 「お前は…母親の為に今まで、虐待を我慢していたのか」

 弘基はため息を吐き、構えた銃を降ろした。

 「レミ、よく分かった。母親の命は助けてやろう。だから服を着てこい。風邪をひくぞ」


 レミは頷き、両手で涙を拭きながらその場を駆け足で離れた。

 一人残った女は、恐怖で顔を引きつり口をワナワナと震わせていた。


 「今お前が味わっている恐怖をお前の娘は毎日耐えていたのだ。なぜ助けようとしなかった」

 女は、目に涙を浮かべた。

 弘基はその涙を見て違和感を覚えた。

 女の顔に一瞬だが微かに安どの表情が浮かんだのだ。笑みと言ってもいいだろう。それを見て弘基の考えは変わった。

 

 「命だけは、娘に免じて助けてやる。ただし、命だけだ」

 そう言った後、弘基は銃を再び構え最後の四発を女に放った。

 弾は女の手と足を砕いた。女は悲鳴を上げた。


 その叫び声に子供は慌てて母親の元へ走り寄った。

 「大丈夫だ、死にはしない。鬼の牙を抜いただけだ。レミ、お前は最後までこの女の面倒見なければならない。一生この女は車椅子の生活だ。お前しか頼る者がいない。望み通り死ぬまでこの鬼の側にいられるわけだ。だから、生かすも殺すもお前次第だ」


 弘基が部屋を立ち去ろうとした時初めてレミは話しかけた。

 「どうしてこんな事をしたの」


 弘基は振り返りレミの顔をジッと見つめた。そして手を首にいれネックレスにつけてある数個のキーをネックレスごと首から引き千切った。

 そして青いカードと共にレミに渡した。

 「お前と俺は似た者同士なのさ。お前の心の悲痛な叫びを俺は感じ取ったんだ。さあ、これをやろう。これは駅前のK銀行の貸し金庫のかぎだ。このカードで貸金庫の扉が開く。縦一列全ての貸金庫の箱を開ければ俺がなぜこんな事をしたのかよく分かるはずだ」


 「いいか、今日の出来事を忘れたければ一生貸金庫はあけるな。だが、大人になって今日の出来事の意味を知りたければ金庫の箱を開けるがいい。だが、中を見たらもう後戻りはできないぞ」

 レミはキーとカードを大事そうに赤いチェックのズボンのポケットに押し込んだ。


 「早く救急車を呼ぶんだ、母親の出血の量が思ったより多い。早くしないと、大好きな母親が助からないぞ」


 レミは急いで電話のある部屋に駆け込んだ。


 玄関から出ようとすると、壁にもたれ掛け、足の膝から下がハの字に開いた博隆が話しかけた。

 「なんでこんな目に…俺がお前…何をした…」


 「まだ、生きていたのか?」弘基は蹲って虫の息の博隆を見下ろした。


 「俺が…一体…何を…した?」


 弘基はデザートイーグル50の空のカートリッジを抜き新しい弾薬の詰まったカートリッジを装填して、言った。


 「分からなければ、分からないまま地獄に行くがいい」


 弘基は銃口を博隆の額に当て引き金を引いた。



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