第一章 — 俺がずっと望んでいた世界
考えたことないか?
一度でいい。
ほんの一瞬でいい。
異世界のことを。
魔法と、剣と。
血が滾るような怪物たち。
本当に好いてくれる美女たちのハーレム。
大地を揺るがすほどの力。
終わりのない冒険。
なあ、頼むから正直になってくれ。
一度は考えたことがあるはずだ。
俺は一度じゃなかった。
毎日だった。
毎日。
毎日。
毎日。
胸の奥にずっしりと居座って、どかそうとしてもどかせない何かみたいに——それが俺の望みだった。
そして、俺は死んだ。
正直、あっけなかった。
椅子に座ったまま。
ヘッドセットつけて。
画面の前で。
ゲームを起動したまま。
そして。
何もなくなった。
ロード画面が固まって、二度と戻ってこないあの感じ。
それだけだった。
それが俺の人生の全てだった。
一人でゲームしながら死んだ。
恥ずかしい。
本当に恥ずかしい。
まあ、次の話をしよう。
……なんで体が重いんだ。
動けない。
全然動けない。
なんで動けないんだ。
パニックだった。
純粋な、何も考えられないパニック。
言葉すら追いつかないやつ。
ただ頭の中で叫んでいるだけの、返事をしない体を持て余す感覚。
腕を上げようとした。
何も起きなかった。
頭を動かそうとした。
何も起きなかった。
何かしようとした。
何も起きなかった。
俺は死んだのか。
死んでいる。
死んでいて、これが死の感覚だ。
ずっとこのままなのか。
永遠にここで、動けないまま閉じ込められるのか。
これが俺の存在の全てになるのか——
天井を見上げた。
……綺麗な天井だった。
石造り。
彫刻入り。
金のかかってそうな天井。
シャンデリア。
本物のシャンデリア。
蝋燭まで入ってる。
……普通の天井じゃない。
しばらくずっと見上げていた。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
「これは絶対にあり得ない」と言われた事実を、現実が訂正してくれるのを待っている男のように。
あ。
あっ。
もしかして。
もしかして俺、転生したか。
ライトノベルみたいに。
漫画みたいに。
顔が次々と覗き込んでくる。
でかい笑顔たち。
「あらあら、見て見て!」
「おめでとうございます!」
「可愛い!」
王様みたいな、いかにも身分が高そうな男。
みんな笑って。
みんな褒めちぎって。
俺は動けない小さな体と恥ずかしい音を立てる肺で、そいつら全員を見上げていた。
転生した。
赤ん坊に。
動けないのは赤ん坊だからだ。
……よかった。
三年が経った。
俺の名前は才園海斗。
才園男爵家の五男。
異世界からの転生者。
現在三歳。
現在、自室の窓際に立って、今まで生きてきたどの人生でも見たことがない最も美しいものを眺めている。
緑。
ただ、緑。
見渡す限り、どの方向にも。
どこまでも続く草原。
きれいな四角に区切られた農地。
誰かが本当に丁寧に並べたとわかる、真っ直ぐな畝の作物。
早朝の農道を歩く農民たち。
全ての端に生える木々。
まだ名前も知らない、柵と柵の間に咲く花々。
我が家の屋敷は、その全ての真ん中にあった。
手入れが行き届いている。
綺麗な石造り。
しっかりした屋根。
母が自ら手をかけることもある庭。
快適さを保てるだけの大きさで、ここに住む全員がお互いの名前を知っている程よい小ささ。
才園男爵はもともと平民だった。
母もそうだ。
二人で働いて、戦って、貴族の地位まで上り詰めて、この場所を作り上げて、子供たちで満たした。
俺はそれが、この家族で一番格好いいことだと思っていた。
まだ誰にも言っていない。
三歳だから。
ちゃんと伝えられる言葉がまだない。
兄弟姉妹は四人いる。
アルドリック兄さん。
セリア姉さん。
シルヴィア姉さん。
レア姉さん。
全員が優しい。
全員が、俺に対して少し困惑している。その理由はまだ把握しきれていない。
それから、使用人たち。
リナ。
一番年上。
俺が階段に近づくたびに心配そうに叫ぶ。
セラとミナ。
現在、絶賛仲違い中。
どうやら昨日俺が間違った椅子で寝落ちしたことが原因らしい。
なぜそれで揉めるのか、俺には全くわからない。
俺は三歳だ。
ただ眠かっただけだ。
みんな、美しかった。
全員。
本当に全員。
これは、この世界に来てすぐ気づいたことだ。
この世界の女性は。
なんというか。
格が違う。
これは、幼児の体に閉じ込められた成人男性の魂として言っている。
どう聞こえるかは分かった上で言っている。
圧倒的だ。
顔も。
体も。
全部。
そしてもっと驚いたこと。
誰かの肩を掴んで揺さぶりたくなるような事実。
それが衰えないのだ。
六十代の女性でさえそうだった。
あの顔で。
あの体形で。
言いかけたことを忘れさせるような存在感で。
俺はこの世界の数字を計算した。
女性の方が男性より多い。
かなりの差で。
権力は男が握っている。
年老いた女性たちは、値打ちが下がった家具みたいに扱われ、相応しくない男に捨てられる。
それについては、俺には意見がある。
強い意見が。
でも、誰かが聞いてくれる年齢になるまでは黙っておく。
まあ、とにかく。
魔法だ。
危うく話が逸れるところだった。
そういうことがある。
でも違う。
本題。
本当の本題。
この世界には魔法がある。
本物の魔法が。
農民が素手で炎を出したのを見た時、俺は柵をそんなに強く握っていたせいでとげが刺さった。でも全く気にしなかった。
炎。
素手。
本物。
そのことを考えると、胸の中で何かが動く。
あの独特の高揚感。
恥ずかしいことをしそうになる前兆——例えば飛び跳ねるとか。
剣もある。
本物の剣。
人々が稽古をしている。
騎士がいる。
フィールドの向こうにはきっと魔物もいる。
ダンジョンも、学院も、魔法の体系も、力も、冒険も、その先に広がる世界も——
これだ。
俺は小さな顔を窓ガラスに押しつけた。
目を見開いて。
下では農民が土魔法で道具も使わずに畝を掘っている。
これが俺のずっと望んでいた世界だ。
これが、あの世界だ。
これは俺の世界だ、今は。
全部学ぶ。
存在する魔法の、全ての欠片まで。
絶対に——
俺は窓から離れた。
探索に行くことにした。
廊下を進む。
石の床に靴下。
早足。
興奮していたから。
あと、リナに廊下を走るなと言われていたから。
走っていない。
勢いよく歩いていただけだ。
違いはある。
角を曲がった。
反対側から、ちょうど同じタイミングで誰かも曲がってきた。
ぶつかった。
俺は倒れた。
仰向けで。
また天井。
また天井だ。
顔が覗き込んできた。
見下ろしてくる。
女の子。
俺より年上。
銀色の髪が前に垂れている。
深い水が光を受けたような色の瞳。
読めない表情で俺を見ている。
彼女が俺を見た。
俺が彼女を見た。
「……海斗」
静かな声だった。
「なんで走ってたの」
「走ってない」
「走ってた」
「勢いよく歩いてたんだ」
彼女はしばらく俺を見ていた。
その表情の中で、何かがわずかに動いた。
とても小さく。
誰かが何かを決める直前に起きる、あの感じ。
手を伸ばしてきた。
俺の手を掴んで。
引き起こしてくれた。
立ち上がった。
シャツを直した。
見上げた。
彼女は、あの読めない瞳で俺を見下ろしていた。
あの子が何を考えているのか、本当に知りたい。
いつか分かるようになる。
時間はある。
窓の外では草原がどこまでも続いている。
この世界のどこかに魔法があって、俺はその全てを学んで、ずっと望んでいた人生を手に入れる。
でも今は。
姉がまだ俺の手を握っていた。
まだ離していなかった。
俺は何も言わなかった。
彼女も何も言わなかった。




