思い違い
隣の街とは言うものの、かなり歩いた。
空気は乾燥したままだったが、ちらほらと草木が見られるようになった。もちろん草原と呼べるレベルではない。大地は乾燥でヒビ割れており、そこから堅い草木が少し伸びているだけだ。
小さな柵で囲まれた街が見えた。
家々はどれも色褪せたテント。住んでいるのは二足歩行の猫ばかり。特に娯楽もなく、最小限の生活を営んでいるらしいことが分かる。
「なんだあいつら……。オークと……竜人族? それに人間?」
「いったいなんなんだ」
「また厄介ごとを持ち込む気だぞ」
彼らは物陰に隠れ、ヒソヒソとそんなことを言い合った。
あきらかに警戒されている。
しかしここで空気を読まないのがトカゲだ。
「猫の諸君、ごきげんよう。見ての通り、私が王都で侍従長を務めるガニメデ男爵です。もろもろあって転移装置を使わせていただきたい。責任者は?」
すると杖を突きながら、年老いた猫がよたよたやってきた。長老であろう。麻布を織っただけの質素な前掛けをしている。
「ほう、王都の……。いったいなぜ南から?」
「話すと長くなるから、わざわざ割愛したのです。それより男爵ですよ。もてなしはないのですか?」
「見ての通り貧しい集落です。水くらいしか差し出せるものはございません」
「水! まさしく私が欲しているもの! あるだけ出すのです! ほら早く!」
このトカゲは水の話になるとすぐムキになる。
旅の途中もガミガミうるさかった。イサキオスやファラが飲み過ぎると、すぐに逮捕だなんだとわめきたてた。
長老のテントに案内された。
椅子もテーブルもないから、ゴザの上に座った。
水が提供されると、トカゲはすぐさまカップに舌を突っ込み、せわしなくペロペロと舐め始めた。
これがファラには受け付けないらしく、不快そうに目を細めた。
長老もやや苦い表情だ。
「して、転移装置の件ですが」
「続けてください」
ガニメデは水分補給に必死で、返事さえ億劫らしい。
「じつは先日から調子がよくありませんで」
「先日? 具体的に! いつ?」
「さあ、はっきりとは」
長老は表向き従っている様子だが、あまり親身になって応じたくないというのが伝わってきた。
さすがのガニメデも水を中断し、顔をあげた。
「先に結論から確認しますよ。使えるのですか? 使えないのですか?」
「最後に確認したときは、起動さえしませんでしたな」
「……」
するとガニメデは思案するように目をあちこち動かしたのち、また水をペロペロと舐め出した。なにを考えているのかは分からない。
今度はファラが口を開いた。
「起動しないというのは? 故障しているの?」
「おそらくそうでしょうな。こちらが故障しているのか、あちらが故障しているのかは分かりませんが」
ダン、と、ガニメデが床を叩いた。
「あちらが? ありえませんな! 王都ですよ? 一流の魔術師が管理しているのです! 絶対にありえません!」
「絶対に?」
「疑うのですか?」
「可能性の話をしたまでです。水が終わったらご案内します」
「結構」
*
しかし結果は、長老の言った通りであった。
魔法陣は起動しない。
装置はよく手入れされており、傷なども見当たらなかった。
顔色からはなにも判断できなかったが、ガニメデは立ったまま卒倒しているように見えた。
「そ、そんな……なぜ……」
「……」
長老は、だから言ったのに、という顔だ。
実際、彼らに落ち度はないのだろう。王都の魔法陣が起動していないということだ。
トカゲは魔法陣の中央で膝から崩れ落ちた。
「で、では王都は……? 私が使ったあと、なにかよからぬ事態でも起きたのでは……」
そういうことになる。
だがイサキオスもファラも魔界の様子には詳しくない。辺境に暮らしていたマールも同じだ。ここの猫たちだってそうだ。王都でなにが起きたのか、誰も知らない。
長老はかすかに息を吐いた。
「寝床を手配します。旅に備えてお体をお休めください」
また長い距離を歩くことになる。
しかし次は砂漠でないだけマシであろう。
未使用のテントに案内された。
数分前まで物置きとして使われていたのであろう。家具もなにもない、ゴザだけのテントだった。布団などというものもない。
ここでは誰もが同じテントを使うから、貴族であろうと庶民であろうと関係がないようだった。
ともあれ、いまのガニメデにはそれをうるさく言う気力さえ見られなかった。完全に落胆し、がっくりとうなだれている。
マールがどっしりと腰を落ち着けた。
「大変な話になってきたな」
オークたちは何代か前に砂漠に飛ばされて以来、街から出ていないようだった。この猫の集落とも滅多に交流がないらしい。彼にとって王都は遠すぎるのだ。
ファラも足を投げ出した。
「もう疲れたわ。これ以上歩いたら、足が太くなっちゃう」
「お前は細すぎる。もっと太くなったほうがいい」
「イノシシと一緒にしないで。人間は繊細なの」
オークを基準にすれば、どんな人間だって細すぎるだろう。
イサキオスも疲れていた。
片膝を抱え、そこへ頭をあずけた。
「王都ってのは遠いのか?」
「ここからだと、約2700テイルってところだな」
「つまり?」
「俺たちの街からここまでが300テイル。だから同じ距離をあと九回歩けばつく計算だ」
「そうか……」
イサキオスはつい崩れ落ちそうになった。
リリスには会いたい。王都に異変が起きているなら、なおさらだ。もし追い詰められているなら救い出したい。そんな力もないのに。
ファラが話題を変えた。
「そういえばこのトカゲ、竜人族なの?」
そのトカゲは寝そべったまま返事さえしない。まるで服を着たトカゲが死んでいるようだ。
マールも苦笑した。
「あくまでそういう名前ってだけだ。ドラゴンなんているわけないだろ」
「魔界にもいないの?」
「お伽話にはよく出てくるがな。ま、砂漠に転がってる骨がドラゴンのものって説もあるが……。少なくとも俺は見たことがない」
この会話を横で聞きながら、イサキオスは少し笑った。
案内所で見たドラゴン退治の依頼は、ガセネタだったということだ。きっと正体はトカゲかなにかだろう。
*
同刻、人界にある聖レミ修道院には、客人が訪れていた。
ヒラヒラのついた豪奢な服を着て、ビューティフルな白馬で駆けつけたアーロン・A・アートマンだ。今日も今日とて花をくわえている。
「やあ、麗しの淑女。君のナイトだよ」
「また来たのですか……」
応じるアラクネは露骨な迷惑顔だ。
この自称ナイトは、特に用もないのにたびたびこうして訪れるようになった。街にいても誰からも相手にされないから、暇で仕方がないのであろう。
アーロンは長い髪をファサとかきあげ、キザにウインクして見せた。
「何度でも来るさ。僕は諦めないよ。さ、この花をどうぞ」
「ああ、えーと、花瓶を用意しますので、そちらへお願いします」
「仰せのままに」
いま、地下ではエイミーとヤスミーンがビールを仕込んでいる。
ヤスミーンは昨日、ここで働きたいと言ってきた。アラクネとしても人手が欲しかったから、すぐさま受け入れた。
礼拝堂のテーブルで、アラクネはアーロンと向かい合った。
「もちろん僕は礼拝に来たんじゃない。君に会いに来たんだ」
「分かってます。ただ、少し忙しいので手短にお願いします」
「また密造酒かい?」
アーロンは分かってるといった顔で笑みを浮かべた。
アラクネとて隠すつもりはない。近隣の農家を集めて派手に振る舞ったのだ。すぐにバレるであろう。
「神のお恵みである麦を、ビールに加工するのは修道院の仕事のひとつです」
「もちろん分かっているよ。君の作るビールは、きっと芳醇な味わいなんだろうさ」
「あなたもお酒を飲むのですか?」
「パーティーでね。しかし葡萄酒ばかりだよ」
寝かせた葡萄酒は投機の対象になっていて、どこでも価値がつり上がっていた。モノの価値が高まると、それを手にした人物の価値まで高まる。だから貴族はビールよりもワインにご執心だった。
だが、アラクネは対抗する気はない。手の届かない高級ワインより、目先のビールだ。丁寧に作れば、誰もが喜んで飲む。
「街の様子はどうです?」
「よくないね。教皇庁の集めた義勇兵に、いきなり解散命令が出されたらしくてね。給金の支払いで揉めてるらしい」
「教皇庁がお金に渋いのはいまに始まったことではありません。けれども、なぜ解散命令を?」
すべての神殿が破壊されたいま、白亜の塔は無防備であった。誰かが守る必要があるはずだ。
アーロンも肩をすくめた。
「聞いた話じゃ、教皇庁に神々から通達があったそうなんだ。余計なことはするなって」
「まるで誰かが攻め込んでくるのを望んでいるみたい……」
「あるいはよほど自信があるか、だね。神の信徒としては気になるかい?」
「ええ、まあ」
イサキオスが本気で攻め込むつもりかまでは分からないが、それを口にするのは得策ではない。
軽く思案を始めたアラクネを、アーロンはニヤニヤしながらからかった。
「困り顔も素敵だね、シスター」
「相変わらずおぞましい物言いをしますね」
「そう毛嫌いしないで。僕は君の笑顔が見たいんだ。本当の君は美しいんだから」
「はぁ、ありがとうございます」
アラクネとしては、あまり嬉しくはなかった。
このアーロンという男が悪人でないことは分かっている。しかしアラクネは男性に興味がなかった。そもそも、この修道院を運営しているのだって、目的の八割はレミに回復魔法をかけるためだ。残りの二割がビール。アーロンの入り込む余裕はない。
しかもこの男、しばしば悪意もナシに口を滑らせる。
「さ、メガネをとって。本当の笑顔を見せておくれ」
「はっ?」
「えっ?」
アーロンは自分がなにを言ったのか分かっていない顔だ。
間違いなく善意で言っている。
アラクネはなるべく怒りを抑えたまま、こう応じた。
「いまなんと? メガネを?」
「そうだよ。メガネをとって」
「いったいなぜです? 理由をご説明ください」
「だから……。君の目を悪く言ったつもりはないんだ。ただ、その邪魔なメガネは、ないほうがいいと思って。君だって同じ気持ちだろう?」
邪魔なメガネ――。
きっと本気でそう信じているのだろう。
アラクネはすまし顔のまま咳払いをした。
「私のことはどう仰っていただいても構いません。ただし、メガネを侮辱するのだけはおやめください」
「えっ? メガネを? なぜ……」
「まだ分からないのですか? 私は好きでメガネをかけているのです。そういうことさえ分からないから、あなたはいつまで経っても一人なのですよ!」
「な、なんだって……」
そんなこと、考えたこともないといった様子だ。
アラクネは修道服の裾を抑えながら席を立った。
「作業がありますので、失礼します」
「……」
だが、追い返しはしなかったし、二度と来るなとも言わなかった。
修道院である以上、誰かの来訪を拒むような発言はしたくなかったのだ。アラクネにもその程度の良識はあった。
残されたアーロンは、唖然とした表情のままいつまでも固まっていた。
ある人物にとってなにが大事であるかは、それぞれ異なる。少なくとも今日、彼はそのことを学んだはずだ。次回に活かされるか否かは未知数であるが。
(つづく)




