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憎悪の戦士  作者: 不覚たん
赤い砂編
30/35

思い違い

 隣の街とは言うものの、かなり歩いた。

 空気は乾燥したままだったが、ちらほらと草木が見られるようになった。もちろん草原と呼べるレベルではない。大地は乾燥でヒビ割れており、そこから堅い草木が少し伸びているだけだ。

 小さな柵で囲まれた街が見えた。

 家々はどれも色褪せたテント。住んでいるのは二足歩行の猫ばかり。特に娯楽もなく、最小限の生活を営んでいるらしいことが分かる。


「なんだあいつら……。オークと……竜人族? それに人間?」

「いったいなんなんだ」

「また厄介ごとを持ち込む気だぞ」

 彼らは物陰に隠れ、ヒソヒソとそんなことを言い合った。

 あきらかに警戒されている。


 しかしここで空気を読まないのがトカゲだ。

「猫の諸君、ごきげんよう。見ての通り、私が王都で侍従長を務めるガニメデ男爵です。もろもろあって転移装置を使わせていただきたい。責任者は?」

 すると杖を突きながら、年老いた猫がよたよたやってきた。長老であろう。麻布を織っただけの質素な前掛けをしている。

「ほう、王都の……。いったいなぜ南から?」

「話すと長くなるから、わざわざ割愛したのです。それより男爵ですよ。もてなしはないのですか?」

「見ての通り貧しい集落です。水くらいしか差し出せるものはございません」

「水! まさしく私が欲しているもの! あるだけ出すのです! ほら早く!」

 このトカゲは水の話になるとすぐムキになる。

 旅の途中もガミガミうるさかった。イサキオスやファラが飲み過ぎると、すぐに逮捕だなんだとわめきたてた。


 長老のテントに案内された。

 椅子もテーブルもないから、ゴザの上に座った。

 水が提供されると、トカゲはすぐさまカップに舌を突っ込み、せわしなくペロペロと舐め始めた。

 これがファラには受け付けないらしく、不快そうに目を細めた。

 長老もやや苦い表情だ。

「して、転移装置の件ですが」

「続けてください」

 ガニメデは水分補給に必死で、返事さえ億劫らしい。

「じつは先日から調子がよくありませんで」

「先日? 具体的に! いつ?」

「さあ、はっきりとは」

 長老は表向き従っている様子だが、あまり親身になって応じたくないというのが伝わってきた。

 さすがのガニメデも水を中断し、顔をあげた。

「先に結論から確認しますよ。使えるのですか? 使えないのですか?」

「最後に確認したときは、起動さえしませんでしたな」

「……」

 するとガニメデは思案するように目をあちこち動かしたのち、また水をペロペロと舐め出した。なにを考えているのかは分からない。

 今度はファラが口を開いた。

「起動しないというのは? 故障しているの?」

「おそらくそうでしょうな。こちらが故障しているのか、あちらが故障しているのかは分かりませんが」

 ダン、と、ガニメデが床を叩いた。

「あちらが? ありえませんな! 王都ですよ? 一流の魔術師が管理しているのです! 絶対にありえません!」

「絶対に?」

「疑うのですか?」

「可能性の話をしたまでです。水が終わったらご案内します」

「結構」


 *


 しかし結果は、長老の言った通りであった。

 魔法陣は起動しない。

 装置はよく手入れされており、傷なども見当たらなかった。


 顔色からはなにも判断できなかったが、ガニメデは立ったまま卒倒しているように見えた。

「そ、そんな……なぜ……」

「……」

 長老は、だから言ったのに、という顔だ。

 実際、彼らに落ち度はないのだろう。王都の魔法陣が起動していないということだ。

 トカゲは魔法陣の中央で膝から崩れ落ちた。

「で、では王都は……? 私が使ったあと、なにかよからぬ事態でも起きたのでは……」

 そういうことになる。

 だがイサキオスもファラも魔界の様子には詳しくない。辺境に暮らしていたマールも同じだ。ここの猫たちだってそうだ。王都でなにが起きたのか、誰も知らない。

 長老はかすかに息を吐いた。

「寝床を手配します。旅に備えてお体をお休めください」

 また長い距離を歩くことになる。

 しかし次は砂漠でないだけマシであろう。


 未使用のテントに案内された。

 数分前まで物置きとして使われていたのであろう。家具もなにもない、ゴザだけのテントだった。布団などというものもない。

 ここでは誰もが同じテントを使うから、貴族であろうと庶民であろうと関係がないようだった。

 ともあれ、いまのガニメデにはそれをうるさく言う気力さえ見られなかった。完全に落胆し、がっくりとうなだれている。


 マールがどっしりと腰を落ち着けた。

「大変な話になってきたな」

 オークたちは何代か前に砂漠に飛ばされて以来、街から出ていないようだった。この猫の集落とも滅多に交流がないらしい。彼にとって王都は遠すぎるのだ。

 ファラも足を投げ出した。

「もう疲れたわ。これ以上歩いたら、足が太くなっちゃう」

「お前は細すぎる。もっと太くなったほうがいい」

「イノシシと一緒にしないで。人間は繊細なの」

 オークを基準にすれば、どんな人間だって細すぎるだろう。


 イサキオスも疲れていた。

 片膝を抱え、そこへ頭をあずけた。

「王都ってのは遠いのか?」

「ここからだと、約2700テイルってところだな」

「つまり?」

「俺たちの街からここまでが300テイル。だから同じ距離をあと九回歩けばつく計算だ」

「そうか……」

 イサキオスはつい崩れ落ちそうになった。

 リリスには会いたい。王都に異変が起きているなら、なおさらだ。もし追い詰められているなら救い出したい。そんな力もないのに。


 ファラが話題を変えた。

「そういえばこのトカゲ、竜人族なの?」

 そのトカゲは寝そべったまま返事さえしない。まるで服を着たトカゲが死んでいるようだ。

 マールも苦笑した。

「あくまでそういう名前ってだけだ。ドラゴンなんているわけないだろ」

「魔界にもいないの?」

「お伽話にはよく出てくるがな。ま、砂漠に転がってる骨がドラゴンのものって説もあるが……。少なくとも俺は見たことがない」


 この会話を横で聞きながら、イサキオスは少し笑った。

 案内所で見たドラゴン退治の依頼は、ガセネタだったということだ。きっと正体はトカゲかなにかだろう。


 *


 同刻、人界にある聖レミ修道院には、客人が訪れていた。

 ヒラヒラのついた豪奢な服を着て、ビューティフルな白馬で駆けつけたアーロン・A・アートマンだ。今日も今日とて花をくわえている。

「やあ、麗しの淑女。君のナイトだよ」

「また来たのですか……」

 応じるアラクネは露骨な迷惑顔だ。

 この自称ナイトは、特に用もないのにたびたびこうして訪れるようになった。街にいても誰からも相手にされないから、暇で仕方がないのであろう。

 アーロンは長い髪をファサとかきあげ、キザにウインクして見せた。

「何度でも来るさ。僕は諦めないよ。さ、この花をどうぞ」

「ああ、えーと、花瓶を用意しますので、そちらへお願いします」

「仰せのままに」


 いま、地下ではエイミーとヤスミーンがビールを仕込んでいる。

 ヤスミーンは昨日、ここで働きたいと言ってきた。アラクネとしても人手が欲しかったから、すぐさま受け入れた。


 礼拝堂のテーブルで、アラクネはアーロンと向かい合った。

「もちろん僕は礼拝に来たんじゃない。君に会いに来たんだ」

「分かってます。ただ、少し忙しいので手短にお願いします」

「また密造酒かい?」

 アーロンは分かってるといった顔で笑みを浮かべた。

 アラクネとて隠すつもりはない。近隣の農家を集めて派手に振る舞ったのだ。すぐにバレるであろう。

「神のお恵みである麦を、ビールに加工するのは修道院の仕事のひとつです」

「もちろん分かっているよ。君の作るビールは、きっと芳醇な味わいなんだろうさ」

「あなたもお酒を飲むのですか?」

「パーティーでね。しかし葡萄酒ばかりだよ」

 寝かせた葡萄酒は投機の対象になっていて、どこでも価値がつり上がっていた。モノの価値が高まると、それを手にした人物の価値まで高まる。だから貴族はビールよりもワインにご執心だった。

 だが、アラクネは対抗する気はない。手の届かない高級ワインより、目先のビールだ。丁寧に作れば、誰もが喜んで飲む。

「街の様子はどうです?」

「よくないね。教皇庁の集めた義勇兵に、いきなり解散命令が出されたらしくてね。給金の支払いで揉めてるらしい」

「教皇庁がお金に渋いのはいまに始まったことではありません。けれども、なぜ解散命令を?」

 すべての神殿が破壊されたいま、白亜の塔は無防備であった。誰かが守る必要があるはずだ。

 アーロンも肩をすくめた。

「聞いた話じゃ、教皇庁に神々から通達があったそうなんだ。余計なことはするなって」

「まるで誰かが攻め込んでくるのを望んでいるみたい……」

「あるいはよほど自信があるか、だね。神の信徒としては気になるかい?」

「ええ、まあ」

 イサキオスが本気で攻め込むつもりかまでは分からないが、それを口にするのは得策ではない。

 軽く思案を始めたアラクネを、アーロンはニヤニヤしながらからかった。

「困り顔も素敵だね、シスター」

「相変わらずおぞましい物言いをしますね」

「そう毛嫌いしないで。僕は君の笑顔が見たいんだ。本当の君は美しいんだから」

「はぁ、ありがとうございます」

 アラクネとしては、あまり嬉しくはなかった。

 このアーロンという男が悪人でないことは分かっている。しかしアラクネは男性に興味がなかった。そもそも、この修道院を運営しているのだって、目的の八割はレミに回復魔法をかけるためだ。残りの二割がビール。アーロンの入り込む余裕はない。

 しかもこの男、しばしば悪意もナシに口を滑らせる。

「さ、メガネをとって。本当の笑顔を見せておくれ」

「はっ?」

「えっ?」

 アーロンは自分がなにを言ったのか分かっていない顔だ。

 間違いなく善意で言っている。

 アラクネはなるべく怒りを抑えたまま、こう応じた。

「いまなんと? メガネを?」

「そうだよ。メガネをとって」

「いったいなぜです? 理由をご説明ください」

「だから……。君の目を悪く言ったつもりはないんだ。ただ、その邪魔なメガネは、ないほうがいいと思って。君だって同じ気持ちだろう?」

 邪魔なメガネ――。

 きっと本気でそう信じているのだろう。

 アラクネはすまし顔のまま咳払いをした。

「私のことはどう仰っていただいても構いません。ただし、メガネを侮辱するのだけはおやめください」

「えっ? メガネを? なぜ……」

「まだ分からないのですか? 私は好きでメガネをかけているのです。そういうことさえ分からないから、あなたはいつまで経っても一人なのですよ!」

「な、なんだって……」

 そんなこと、考えたこともないといった様子だ。

 アラクネは修道服の裾を抑えながら席を立った。

「作業がありますので、失礼します」

「……」

 だが、追い返しはしなかったし、二度と来るなとも言わなかった。

 修道院である以上、誰かの来訪を拒むような発言はしたくなかったのだ。アラクネにもその程度の良識はあった。


 残されたアーロンは、唖然とした表情のままいつまでも固まっていた。

 ある人物にとってなにが大事であるかは、それぞれ異なる。少なくとも今日、彼はそのことを学んだはずだ。次回に活かされるか否かは未知数であるが。


(つづく)

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