砂サソリ
「人界と一緒にされては困りますな。そもそも、この魔界に太陽なんてものは存在しないのですよ。では、あの光の正体はなんなのか。答えは『神界から漏れ出した光』です」
旅が始まると、ガニメデ男爵が得意顔で知識を披露し始めた。
ろくに状況も把握せぬまま入り込んだイサキオスに、自分たちの世界を紹介しているのだろう。
「太陽ではありませんから、沈むこともありません。ただし、夜は来ます。あのもやもやした空をご覧なさい。あれがカーテンとなって光を閉ざします。するとこの世界は闇に閉ざされます」
「夜が来るとどうなる?」
イサキオスの問いに、ガニメデは眼球を回転させて笑った。
「暗くなるのですよ」
「じゃあなにかを燃やして光を用意しないとな」
「な、なにか、とは? なぜ私を見るのです! 貴族ですよ! 侍従長ですよ! 男爵ですよ!」
「そう怯えるなよ。貴族サマならなにか持ってるんじゃないかと思っただけだ」
イサキオスとて、皮肉を言われたから言い返しただけだ。本気で燃やすつもりはない。
すると棒で樽を担いでいるマールが、かすかに溜め息をついた。
「夜になったら砂漠のモンスターが活動を始める。そうなる前に街まで行きたいところだな」
だが、街は見えないのに、神界の光だけは徐々に小さくなっている。
夜は近づいていた。
「なにをしているのです! 早くしないと夜が来てしまいますよ!」
慌てたガニメデがやたらと手をぶんぶんさせた。
とはいえ、マールはあまり早く移動できない。水の入った樽をふたつも担いでいるのだ。重すぎるから、イサキオスが手を貸してやることさえできなかった。素直にマールの速度に合わせるしかない。
しかもげっそり顔のファラが、「そろそろ休まない?」と足を止めたがる。普段から転移魔法に頼っていることもあり、あまり徒歩での旅に慣れていないのだろう。
ガニメデが眼球を動かした。
「あなた、見たところ魔法使いですよね? 疲れたなら空を飛べばいいのでは?」
「うるさいトカゲだわ。いろいろあって魔力を使い果たしたのよ」
「いろいろとは? 具体的に説明してみてください。できないのですか? できないなら私の勝ちとさせていただきます」
トカゲはいちいち他人の神経を逆なでするクセがあるようだった。
「覚えてなさいよ。魔力が戻ったらその口を二度と開けないようにしてやるから」
「なんと! 野蛮な人間ですね。イノシシさん、これは立派な脅迫罪です。いますぐ逮捕なさい!」
トカゲはフリルのタイをゆるめもせず、ハイテンションで喚きたてている。砂漠にも適応できる種族なのだろう。
マールはブルルと鼻を鳴らした。
「男爵どの、まことに残念ですが、ここは俺の管轄外ですよ」
「ではガニメデ男爵の名において、あなたに権限を付与します。逮捕なさい。ほら早く!」
「なら逮捕しますがね。道具もないんで、このまま連行しますが構いませんか?」
「結構。王都についたら、すみやかに法務官へ引き渡してください」
「ええ、そうしますよ。おぼえていたらね」
「ご安心なさい。私は忘れませんから」
眼球をフル回転させながら、トカゲは愉快そうに身をゆすった。
ファラはしかし微塵も気にしていない。
「なんでもいいわ。それよりお水をくださらない? このままじゃ死んでしまうわ」
喉ならイサキオスも渇いている。
街を出てから、これまで一度の休みもない。
マールも足を止め、かすかに「ふむ」とうなった。
「分かった。じゃあそこの岩場でキャンプだ」
突き出した岩が日影を作っている。もし強風が吹き付けても少しは助けになるだろう。
しかしガニメデが抗議の声をあげた。
「なんですと!? キャンプ? 岩場で? このガニメデ男爵が?」
「お嫌でしたら構いませんぜ。先に街へ行って宿でもとっていてください」
「あなたね、それは国家反逆罪ですよ! 王都の頭脳が失われても構わないと?」
「ええ、構いませんとも。俺らオークを辺境に飛ばしたトカゲが死ぬんだ。その借りを返す絶好の機会ってワケだ」
「それは私ではなく、祖父が決定したことで……あっ。いえ、いまのは聞かなかったことに」
魔界も一枚岩ではないらしい。
マールは岩場へ樽を置いた。中で水の動く重たい音がした。
「いいですとも。聞かなかったことにしておきましょう。ただし、この旅は俺に仕切らせてもらう。この砂漠を渡るのは簡単じゃない。経験者の意見を尊重してもらいたい」
「わ、分かりました。そうしましょう」
「さっきの逮捕もナシだ」
「ええ、まあ……彼女が反省しているなら……」
もちろん反省などしていない。
枯れ木や枯れ草はそこらに落ちていたから、火はすぐに起きた。
全員が腰を落ち着けると、マールはバッグから赤黒いドライフルーツを取り出して配り始めた。
「こいつが食料だ。栄養満点だぞ」
トカゲはそれを指でつまみあげ、また眼球を動かしてしげしげと眺めた。
「デーツですね」
「俺たちはこれを食ってデカくなる。味もいい」
イサキオスは躊躇なく齧った。
深い甘味。滋味といってもいい。疲れた体の欲する味だ。果実を干すと味が凝縮される。
ファラも品よく両手で持ち、少しずつ齧った。
ガニメデだけが、いつまでも長い舌で舐め回していた。習性なのだろうか、なかなか口に入れようとしない。かと思うと味わう様子もなく、いきなり丸呑みしてしまった。
どこまで行ってもトカゲはトカゲだ。
イサキオスは、いずれ自分もこうなるのかと思うと、なんだか哀しくなった。
魔界の空に星はなかった。
その代わり、ときおり音もなく稲妻のようなものが空を駆け巡った。ガニメデの話では、空で魔力がほとばしっているのだという。
予想外に体が冷えたので、イサキオスは焚き火に近づいた。
砂漠地帯ということもあり、空から光が消えると急激に温度がさがるようだ。
しかし氷の魔女ファラも、毛深いマールも、トカゲのガニメデも、まるで寒そうにしていない。三名とも寒さには強いようだ。
会話が途絶えると、あとは木々の爆ぜる音と、鋭い風の音だけとなった。
夜とはいえ、周囲は完全な暗黒ではない。青黒い景色に、うっすらと地形のシルエットが確認できる。かすかに神界の光が漏れ出しているのであろう。
ザンと砂が舞い上がった。
樹木が、いきなり砂を突き破って生えてきたのだ。否。ただの木ではない。それは周囲をうかがうかのように蠢いている。
夜行性のモンスターだ。
マールが戦斧を手に、重たい腰を上げた。
「厄介だな。砂サソリだ。毒があるから注意しろ」
ガニメデは「ひぃ」と情けない声でうずくまっているし、ファラも危機感もなく寝そべっている。
この二名は戦闘に参加しないつもりだろう。
イサキオスはハルバードをつかんで立ち上がった。
「毒だろうが関係ない。要は当たらなきゃいい」
「まあそんなに強い毒でもないが。あの棘で刺されたら、毒なんて関係なく死んじまうぞ? 後ろにいたほうがいいと思うが」
「俺が倒す。あんたは見てろ」
「……」
イサキオスの態度が強情だったせいだろう。マールはその場に構えたまま先を譲った。
ザザッと砂を払いながら、砂中からサソリが躍り出た。尾だけでも人の背丈ほどのサイズだったのに、飛び出してきた本体も同じくらいの高さがあった。
外殻は砂と同じ赤色。
イサキオスは砂を蹴り、ハルバードを構えて真正面から突進した。
するとサソリは足を巧みに操り、横へ移動。のみならず、上から尾の棘を突き込んできた。
イサキオスは横っ飛びでなんとか避けた。転がりながら立ち上がり、ふたたびサソリと向かい合う。
サソリは威嚇のつもりか、尻尾を上下させている。
呼吸を繰り返しつつ、イサキオスは思った。
これはたぶん勝てない。
サソリはあらゆる動作を難なくこなしているのに、自分は大きく動かないと攻撃も回避もできない。
スタミナの消費量を考えれば、時間をかければかけるほど不利になる。
しかし短期決戦に持ち込もうにも、ハルバードでさえリーチが足りない。
リーチを埋めるためのスピードが足りない。
スピードを生み出すためのパワーが足りない。
やはり人のまま戦うには限界がある。
すると側面からマールが攻めた。戦斧を振り下ろし、サソリをカサカサと後退させた。攻撃は回避されたものの、かなりのパワーだったらしく、派手に砂を巻き上げた。
「俺がやるって言っただろ」
「ああ、聞いた。だがお前に任せてたら朝になっちまう」
「ふん」
チームで戦えば強いことはイサキオスも理解している。だが、だからこそひとりで挑みたかった。いつも誰かに助けられてばかりだ。
マールは不審そうにイサキオスを見た。
「お前、命を無駄にしたがっているように見えるな」
「余計なお世話だ」
「言っただろ。この旅は俺が仕切る。お前も従うんだ。さもなきゃ逮捕だぞ」
「分かったよ」
おそらくマールはわざと強い言葉を発している。旅の仲間を死なせたくないのだ。砂漠の警備隊としての責任を感じるのだろう。
イサキオスもそれが分かったから、素直に応じることにした。
「で、あのサソリをどう倒すんだ? 弱点はないのか?」
「ないな。だが左右から同時に仕掛けると、あいつは一瞬動きを止める。そのとき足をくじくしかない」
「分かった」
サソリは正面にハサミを構え、六本の足で自由自在に移動する。見た目に反して軽快な動きだ。愚直に挑んでも翻弄されてしまう。
イサキオスたちは二手に別れ、遠巻きに回り込んだ。
サソリはじっと動かない。様子をうかがっているのだろう。あるいはすでに混乱しているのかもしれない。
真横へ回り込んだところでマールがうなずいた。
「行くぞ!」
「おう!」
砂を蹴立てての猪突猛進。
サソリはヒクヒクするだけで向きを変えなかった。どちらに対処すべきか迷っているのだろう。
イサキオスは全速力で距離を詰めた。ハルバードを横に構え、殻に覆われた足へ遠心力で叩き込んだ。バキリと音を立てて刃が食い込み、体液が飛散した。
サソリは悲鳴の代わりに、軋むような音を立てた。
マールも戦斧で強烈に切りつけた。ひと薙ぎするたび足が切断され、サソリの身体がガクンと傾いだ。
サソリはそれでも役に立たなくなった足をもぞもぞと動かし、腹這いのまま必死に向きを変えようとしていた。
足を片付けたイサキオスは、今度は高々と掲げられた尾へ、斧を叩き込んだ。一度、二度、三度。ハルバードを引き戻しては叩き込んだ。外殻が弾け飛び、中の筋肉が見えた。そこへさらに攻撃を集中させる。
やがてイサキオスは戦いをやめ、その場に座り込んだ。
サソリは動かなくなっていた。
背中に飛び乗ったマールが、真上から頭部を潰したのだ。
結局、尾は切れなかった。腕力が足りなかった。ハルバードを握れなくなるほどしつこく攻撃したのに、だ。
「よくやったな」
戦斧を担いだマールが近づいてきた。
お互い無傷。
イサキオスにはしかし達成感などなかった。
「なあ。あんたならあの尻尾、切り落とせるか?」
「どうだろうな。だが横に切るより、上から切ったほうがよかったんじゃないか?」
「俺は方法を聞いてるんじゃない。あんたの力ならどうか聞いてるんだ」
力を使い切ったせいか、まだ呼吸が乱れたままだ。
マールは山のような肩をすくめた。
「そう突っかかるな。お前はよくやったよ。その武器だって、人間が振り回すにしては大変なんだろ? じゅうぶんだ」
ハルバードのサイズは、マールの戦斧と同じくらいだ。これをマールは片手で振り回す。
イサキオスは、マールにさえかなわないだろうと感じた。いまの実力では、神の塔に足を踏み入れた瞬間に殺される。
「そうだな。悪かった。俺にも、あんたみたいな力があったらと思って……」
「いいさ。お前にはお前の事情があるんだろ。それより気づいてるか? 目の前にご馳走がある。今夜はこいつで宴会だ」
「毒は?」
「俺は砂漠のプロだぜ。きちんと『調理』できる」
魔界へ来たイサキオスは、必要以上に身構えていた。きっとすべてが異様なのであろうと。しかしそこには気のいいヤツもいれば、嫌味なヤツもいて、人界とあまり変わりがなかった。
デカい獲物を狩れば食事もする。同じだ。
(つづく)




