抜け殻
それからの数日、イサキオスはどうしていいか分からなくなってしまい、街へ出ることもなくぼうっと過ごした。
黙っていてもアラクネはメシを食わせてくれる。
もちろん薪割りくらいはしたが、それだけだった。
治療を終えたレミが戻ってきた。
「ただいま! みんな、あたしに会えなくて哀しかったでしょ?」
急に騒がしくなった。
弾けるような眩しい笑みだ。
「聖女さま! お帰りなさい! ぴゃあ、いいにおいするぅ!」
アラクネは苔まみれのローブに抱きつき、呼吸を繰り返した。修道女にあるまじき行為だ。
レミはそれを手で押しのけつつ、シドへ告げた。
「そういうわけだから、あんたの出番はもうおしまい。いつでも帰っていいわよ」
「えっ……」
「なにか不満? でもあんたはとっくに合格してるんだから、ここに残る理由もないわよね?」
「やだ……」
涙目でぷるぷるしている。
するとアラクネが顔をあげた。
「聖女さま、聞いてください。あの子、男同士なのをいいことに、イサキオスさんとずいぶん仲良くなってるんですよ。毎晩一緒の布団で寝ちゃって」
「え、ホントに? それってアレじゃないの?」
「はい、アレです」
見たわけでもないのに勝手なことを言う。
エイミーがカタカタ骨を鳴らしながら茶を持ってきた。
「聖女さま、こちらをどうぞ」
「あら、ありがと。あんたも元気そうね」
はじめこそ怖がっていたものの、すでに仲良くなっている。
レミは、イサキオスのところへもやってきた。
「で? まっさきにあたしを歓迎しなきゃいけないあんたは、なんでひとりでふさぎ込んでるの? もしかして、あたしのこと忘れた?」
「いや……。そうだな。お帰り。回復してなによりだ」
「どしたの? 頭でも打った?」
「たぶんな」
後頭部を岩石でぶん殴られたような気分ではあった。
その後、彼女たちはお茶会と称して食堂へ向かった。シドはいちおう残ろうとしたのだが、イサキオスに声をかけづらかったらしく、やはり食堂へ行ってしまった。
礼拝堂にはイサキオスひとり。
神を信じてもいないのに。
魔王の手のものに恋心を寄せていたのに。
壁には神のシンボルである「塔」が掲げられている。それは天へ通ずる階でもある。
「おーい! 誰かいるかー?」
農家のジョンソンが現れた。抱えられたバスケットには大量の葉っぱが詰め込まれている。
イサキオスは立ち上がり、そちらへ向かった。
「シスターなら奥にいるよ。すぐ呼んでくる」
「いや、あんたでいい。頼まれてたハーブだ。ビールに使うんだろ? あんたから渡しといてくれ。完成が待ち切れねぇぜ」
「ありがとう。俺も楽しみだよ」
するとジョンソンは、やや表情を暗くした。
「これで世界が平和だったらもっとよかったんだがな。聞いたか? また森が枯れたんだとよ。なんでも、教皇庁の雇った義勇兵が神殿に近づきすぎて、神の御使いと戦闘になっちまったらしい。街は大騒ぎだぜ」
「なんだって……」
森を守るために派遣されたものたちが、森を破壊してしまった。安い金で人をかき集めるからこうなるのだ。
ジョンソンは苦い笑みを浮かべた。
「ま、こんなときこそビールが必要ってこった。完成したらいつでも呼んでくれ。夜中でも駆けつけるからよ! じゃあな!」
「ああ、それじゃ」
神殿は残り二つ。
不気味なのは、神々がまったく動きを見せないということだ。いくら人界に介入したくないとはいえ、あまりに放任が過ぎる。
「みんな、農家の人がハーブ持ってきたぞ」
これに飛び上がったのはエイミーだ。
「まあ、素敵! これでぐっと大人の味になることでしょう!」
「大人の味?」
「苦みですよ! 苦み! これがビールの味わいを引き立てるんです! これは腕が鳴りますよ!」
ハーブを手渡すと、エイミーはスキップで食堂を飛び出した。よほど待ちわびていたらしい。
アラクネも溜め息だ。
「彼女、ビールのこととなるとホント見境なくて」
ビールへの思い入れが原因で、死後も魂が地上に留まったほどだ。並の執念ではない。
するとレミが、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「あんたもなにか趣味もったら? 死んだような顔しちゃってさ。エイミーのほうがよっぽど生き生きしてるわ」
「余計なお世話だ」
「気遣いはできない、話はつまらない、髪だってボサボサ。女にも興味ないんでしょ? 生きてて楽しいの? あ、男には興味あるんだっけ?」
「お前と一緒にするな」
「は? なにそれ! 一緒じゃない!」
わめくレミを置き去りにし、イサキオスはふたたび礼拝堂へ戻った。
空間はガランとしている。
静かだから、考え事をするにはうってつけだ。問題は、肝心の思索がループしているということだが。
のたのたと老婆が入ってきた。
「ったく、心労で寿命が縮んじまうよ」
「またあんたか? なんの用だ?」
魔女は、すると大儀そうにイサキオスの隣へ腰をおろした。
「シドのヤツ、あんたに余計な情報を流したろう? 困った子だよ」
「感づいてたのか?」
「あたしを出し抜こうなんて百年早いんだよ。あの子にはお仕置きしてやらないとね」
「できれば許してやってくれ。悪気はないんだ」
「代わりに魂を捧げるかい?」
「それでもいい。あの子を責めないでやってくれ」
老婆はふんと鼻を鳴らした。
「やめとくよ。これ以上あんたから吸い取ったら、すぐにでも怪物になっちまうだろうからね」
「彼女は悪くない」
「そんなに必死になって……。お仕置きったって、あんたから引き離すだけさ。きっとそれが一番こたえるだろうからね」
「……」
イサキオスもいい加減理解した。この老婆はお人好しなのだ。だからシドやレミもなついている。イサキオスを育てた魔女たちと似ているかもしれない。
「四つ目の森が消えたらしいな」
「あんたにとってはいいニュースだろう?」
「まあな。だが、順調すぎる」
「ふん。きっとあんたがなにもせずに寝てたって、塔への道は勝手にひらかれるだろうさ」
それは聞き捨てならぬセリフだった。
「どういう意味だ?」
「さあね。ただの勘だよ。年寄りの勘。けど、これがよく当たるのさ。だからってボヤボヤしてちゃいけないよ。大事なときに寝てたらね、大事なものを失うことになるよ」
「もっと分かりやすく言ってくれ」
これに老婆は笑った。
「これ以上はムリだね。あんた、少しは賢くおなりよ」
「それができたら苦労はねぇよ……」
かくしてシドは魔法陣で強制的に連れ去られ、魔女も霧のように姿を消した。
護衛は一度に一人まで。
契約は履行された。
*
翌日、イサキオスは街を訪れた。
「聞けい! 聞けい! 教皇庁よりお達しである!」
噴水広場では、例の弁士が声を張り上げていた。
「神々の森を守るため、『良識ある義勇兵』を募集する! 我こそはと思わんものは最寄りの役所まで申し出るように! 日当は30リブラ! さらには神の恩寵が授けられるであろう!」
文言が少し変更されている。
金額も5リブラ上乗せされた。
教皇庁も状況を改善したいと考えているらしい。
貧民街のバケツ酒場に入った。
「よう、期待の新人。久しぶりだな。仕事ならいくらでもあるぞ」
ミゲルはいつものように奥の席にいた。
イサキオスもその正面に腰をおろす。
「情報を買いたい」
「800リブラ貯まったのか?」
「いや、その件はもういいんだ。神の森にどれだけの兵が配置されてるか教えてくれ」
ミゲルは肩をすくめた。
「俺に聞かずとも、広場に張り出されてるだろ」
「文字が読めない」
イサキオスの言葉に、ミゲルは天を仰いだ。
「なら特別にタダで教えてやる。俺が最後に見たときは、ひとつの森に二千人ってところだった。フカしてる可能性もあるがな。まさか参加するつもりか? やめとけよ。うちの仕事を受けたほうがいい」
「参考にするよ。ありがとう」
「なんだよ、それだけか? いつでも来てくれ。腕の立つヤツは大歓迎だ」
店を出て、薄暗い貧民街を抜けると、ずんぐりとした赤鼻の男に出くわした。
「よう、いつぞやの若造じゃねぇか」
ヤンだ。
平服である。武装していないから、こうしていると酔っ払った市民にしか見えない。
「あんた、デカ鼻の……」
「赤鼻のヤンだ。仕事を探してるのか?」
「いや、散歩してるだけだ」
するとヤンは、不審そうに目を細めた。
「散歩? 貧民街を? 面白いジョークだな」
「あんたこそなにやってんだ?」
「見て分かんねぇかい? 散歩だよ! ガハハ!」
特に用はないのかもしれない。
イサキオスが「じゃあな」と行こうとすると、後ろから服をつかまれた。
「待てよ。せっかく再会できたんだ。ちょっとうちに寄ってかねぇかい」
「家? あんたの家か?」
「そうさ。なにかおかしいか?」
「いや……」
「じゃあ決まりだ」
ヤンの自宅は、中流の市民が集まる居住区にあった。豪邸ではないが、狭くもない。
「おーい! 帰ったぞ! 父上さまのお帰りだ!」
帰宅するなりヤンは大声で誰かを呼びつけた。
顔を覗かせたのは三つ編みにした地味そうな少女だった。
「はぁ、なぜ神は、私をこの男の子として産み落としたのでしょう。となりの物騒な男性はどなたです? 借金取りでなければいいのですが」
流れるような毒舌だ。
まったく父親を尊敬していない。
ヤンは一気に消沈した。
「いや、お前、客人だぞ。戦友のアイザックだ。そうだよな?」
「イサキオスだ。戦友でもない」
だがヤンは構わず奥へ入り込んだ。
「ヤスミーン、酒だ。酒持ってこい」
「では、その酒とやらを買うためのお金を用立てていただけませんか? もう売り払う家財も残っていないのですよ」
「金? なに言ってんだ! こっそり作ってたのがあったろ!」
「かつては存在したかもしれませんが、すでに父上の口から入って、とっくにどこかへ出て行ったはず」
「ガハハ! そうだったな!」
笑いごとではない。
椅子さえなかったので、ヤンもイサキオスも床へ腰をおろした。
たしかに家具がない。代わりにクモの巣が張っている。修道院よりひどい。
「よくこれで客を呼ぼうと思ったな……」
「だってよぅ、客を呼ばなかったら俺と娘のふたりきりだぜ? 外に出たってビールを買う金さえねぇ。行くも試練、戻るも試練ってわけだ」
「俺を巻き込むな」
「待て待て。ただの暇つぶしじゃねぇよ。ホントに用があったんだ。仕事だよ、仕事」
金に困っているのは分かる。
しかしイサキオスは仕事を引き受ける気分でもなかった。
「悪いが休業中だ」
「そう言うな。お前みたいな戦闘狂にうってつけの仕事があるんだ。話くらい聞いてくれ」
「聞いたら帰るぞ」
「ぜひそうしてくれ。西の遺跡は知ってるよな? 近々、そこへの襲撃が計画されてる。まだ正式な依頼じゃないがな」
イサキオスは思わず溜め息をついた。
「断る。俺は盗賊じゃない」
「逆だ、逆。その襲撃から研究者を守る仕事が、大学から依頼されるはずなんだ。俺はその警備隊長になる予定だ」
「もう話がついてるのか?」
「いや、まだだ……。だが、間違いなくそうなる。お前も俺の才能を目撃しただろ? お前も参加しろ」
「なぜ俺が? あの戦い方は嫌いだったんじゃないのか?」
まだ根に持っている。
ヤンはへへへと卑屈な笑みをこぼした。
「俺の戦術には、お前が必要なんだよ。肩を並べて戦うのと、隊長として駒を動かすのは別だ」
「あんたの駒になれってことか?」
「そうだ。後悔はさせねぇよ。自慢じゃねぇが、俺は駒を失ったことがなくてな。いや、少しはあったような気もするが……。ま、ほとんどねぇ。大学は金払いがいいぞ。受けても損はねぇ」
「考えておく」
イサキオスは立ち上がり、室内を見回した。
娘のヤスミーンは階段を椅子代わりにして読書している。気の毒に、勉強用のデスクさえないのであろう。
戦争のせいか酒のせいかは分からないが、こんな境遇は許されたものではない。
(続く)




