赤鼻の傭兵
イサキオスは男にナイフを手渡し、こう尋ねた。
「あんた、敵が見えてるのか?」
「まさか。こんなに暗いんだぞ?」
「じゃあなぜ?」
すると男は、懐の水筒から酒をぐびりとやった。
「この辺は前に来たことがある。あっちに茂みがあって、んであっちが森だ。あそこは少し高くなってる。そうするとだな、矢を射かけるのにいいのは、あそことあそこ、そんであそこら辺。たぶんな」
「よく分かるな」
「まあ分かるんだよ。哀しいことにな。ここらは何度か戦場になってる。俺もかつて傭兵として参加したんだ」
元傭兵ということだ。
男はどっと腰をおろし、また酒をやった。
「あー、だが、思ったほど稼げなくてな。傭兵隊長は給料をハネやがるし、そもそも領主の支払いも渋い。だったら冒険者のほうがマシだと思ったんだ。ミゲルの野郎、金の支払いだけはキッチリしてっからな」
すると草をむしって風向きを確認し、なにやら思案顔になった。
「お前、名前は?」
「イサキオス」
「変わった名前だな。俺はヤン。赤鼻のヤンで通ってる」
聞いたことのない名前だ。
きっと仲間内でしか通じない呼称なのだろう。
すると、ヤンがいきなりナイフを投げ飛ばした。
どっと重たいものの倒れる音。
「へへへ、当たりやがった」
「やっぱり見えてるんだろ?」
「足音が風に乗って聞こえてきたんだ。遠くからじゃ当たらないもんだから、近づいてきたんだろ。マヌケな野郎だ」
ヤンは重い腰をあげ、ふらふらと死体へ近づいた。
ナイフを抜いて自分の衣服で拭き、イサキオスへ返却。
「悪いな。洗おうと思ったんだが」
「もう使わないのか?」
「こいつからもらうよ。もう必要なさそうだからな」
死体はクロスボウを所持していた。矢もいくらか残っている。
ヤンはぐっと腰をのばした。
「さて、ここからどう行くのが正解だと思う?」
「暗くてよく見えない」
「素直なヤツだな。ま、思い込みでアレコレ言わないだけマシか。もちろん見えない。だが、さっきのマヌケが来たのはあっち。馬車に矢が撃ち込まれたのもあっちから。となると答えは?」
「あっちだ」
「ご名答。こっちは風下だが、なるべく静かに行くぞ。デカい声で会話するのも禁止だ」
「ああ」
だがヤンは、まったく声をひそめていなかった。近くに敵がいないと判断しているのだろう。
歩きながら、ヤンはクロスボウの矢をしげしげと見つめた。
「こいつは頭をこすると火が出るタイプだな。最新式だ。ただの賊じゃねぇぞ」
「じゃあ誰なんだ?」
「あの娘っ子らは、隣の領地に売られる予定だった。だから現地のギルドが一枚噛んでるはずだ。金を払うのが惜しくなって強奪したか、あるいは別のギルドに情報が漏れて横取りされたか。いずれにせよロクな連中じゃねぇさ」
ふと、一条の光が見えた。
馬車が木にぶつかりでもして、御者の死体が草原に投げ出されたのだろう。そこから光が伸びている。少女たちがいるのもそこだ。
「へへへ、日頃の行いがいいと、神が味方しやがるぜ。行こう」
「ああ」
神は味方ではない。そう反論しかけたが、イサキオスはぐっと飲み込んだ。いまは思想や信条について論争している場合ではない。
しばらく進むと、屋敷に遭遇した。
かがり火が焚かれているから、離れていてもすぐ見えた。見張りもいる。有力者の邸宅かもしれない。
ヤンはやれやれと溜め息をついた。
「おそらく盗賊ギルドのアジトだな。いや、幹部の別荘か。どっちでも同じようなもんだが。お前ならどう攻める?」
そんなことを聞かれても、イサキオスにはアイデアなどない。
「火でもつけるか?」
「いいアイデアだが、そのやり方だと中の娘っ子も死んじまうな」
「じゃあどうする?」
「俺なら無茶な戦いはしないね。いっぺん引き返して、ミゲルに事情を説明する」
戦わないということだ。
イサキオスはふんと鼻を鳴らした。
「歩いて帰るのか?」
「そうだ。酒もなくなっちまったことだしよ。だが、このまま帰るのはシャクだな。記念に一発くらい撃っておくか」
「おいおい……」
するとヤンはクロスボウを構え、目を細めて狙いをつけた。少しふらふらしている。
トリガーを引くとバネがあがり、矢が射出された。かと思うと見張りの一人が倒れた。
「お、当たっちまった。愛してるぜ、女神さまよ」
「女神って誰だよ?」
「なんでもいいから一番の美女を思い浮かべろ。そいつの十倍はキレイな女だ」
「……」
そう言われても、イサキオスは幼馴染のリリスしか想像できなかった。もはや病気といっていい。
ヤンはクロスボウに矢を装填し、ふたたび構えた。しょぼしょぼした目で狙いをつけ、二発目の発射。また見張りに命中させた。
「えーと、つまりどういうことだ? 見張りがふたりとも死んじまった。つまり堂々と近づいてもバレねぇってことだ。じつに驚きだ……」
「行くのか?」
「もちろんそうなる。女神さまも祝福してるぞ」
「そんなわけあるか」
イサキオスの反論に、ヤンは苦い笑みを浮かべた。
「お前はシラフだからそんなことが言えるんだ。酒が足りねぇよ。酒はなぁ、なんというか……とにかくイイんだよ」
「分かったから行こうぜ」
「大事な話だぞ」
盗賊ギルドも、まさか自分たちが襲撃されるとは思っていなかったのだろう。警備はおざなりだった。
ドアを開くと、エントランスは無人。
ふたりは声のするほうへ近づいていった。
「いいか? お前らは売られたんだ。遅かれ早かれ慰みものになる。ここで慣らしておいたほうがいいと思うぜ? なにせこのネロさまは優しいからな。従順な女には特にな」
男の声がする。
少女たちのすすり泣く声も。
「おいおい。そんなメソメソしてたらいい思い出にならないだろ? 笑えよ。悪い子にはお仕置きだぞ? ん?」
とんだゲス野郎だ。
笑い声もするから、仲間たちも全員同じ部屋に集まっているらしい。
ヤンは肩をすくめた。
「楽しそうだな。俺たちも混ぜてもらおう」
「正気か?」
「バカ野郎。この俺がシラフに見えるのか?」
もちろん見えない。
イサキオスだって、このまま帰るつもりはない。ないが、しかし正面突破するつもりもなかった。
なのにヤンが、計画もナシにコンコンとノックした。
「なんだ! いま重要な会議の最中だぞ!」
お楽しみに水を差されたとでも思ったのだろう。男がイラ立たしげな態度でドアから顔を出した。その額にクロスボウが炸裂。床へ崩れ落ちた。
やや遅れて、少女たちの悲鳴。
いきなり始まってしまった。
「は? どこの組織だ!?」
ヤンが悠長にクロスボウの再装填を始めたので、イサキオスはハルバードを構えて室内に突入した。
「女を返せ!」
「だからどこのモンだって聞いてんだよ!? ヒドラか? それとも番犬か?」
「イサキオスだ!」
男たちは目をパチクリさせた。
期待と異なる回答だったのだろう。
「オラァ」
じれた下っ端がナイフを構えて襲い掛かってきた。
ネロが「待て」と制するが、すでに遅かった。イサキオスの突き出した槍が、胴体に深々と突き刺さっていた。
引き抜くと、男は膝から崩れ落ちた。
残り四名。
「バカ野郎が! 相手が誰かも分かンねーのに仕掛けんなボケ!」
「けどネロさん、こいつ、話通じねーですよ!?」
「根気よく聞け」
「……」
部下も困惑している。
だからイサキオスは重ねてこう応じた。
「イサキオスだ」
「それはもう聞いた。こっちはどこの差し金か聞いてんだ」
「雇い主の名前は言えない」
「雇われてる? ヒドラか?」
「女を返せ! そうすれば見逃してやる!」
すると男たちは面食らった顔をして、それから大笑いした。
「見逃す? 俺たちがブラック・ワイバーンだと知ってて言ってんのか?」
「誰だ?」
「どうやら知らねぇようだな。ここらを仕切ってる盗賊ギルドだよ。テメーは、絶対に手を出しちゃならねぇ相手を敵に回したってワケだ」
「女を返す気はないってことだな?」
「こいつ、ちっとも理解してねぇな……」
盗賊ギルドのことなど知らない。だいたい、イサキオスには一般常識さえ備わっていないのだ。常人に通じるかもしれない脅しが、彼には通じない。
「ネロさん、やっちまいましょうぜ」
「仕方ねぇ。ぶっ殺せ」
ナイフを手にしたチンピラ三名が、イサキオスを取り囲んだ。しかし最初に踏み込むのは危険だと分かっているらしく、他のメンバーを先に行かせようと互いに牽制している。
イサキオスから仕掛けた。
まっすぐに突き込み、槍による一撃。これはひらりと回避されてしまった。しかし構わず横へぶん回した。
「ぐがぁっ」
斧がチンピラの胴体へ食い込んだ。
イサキオスはもともと度胸のあるほうではなかった。なのだが、魔女との契約で再生能力を得て、しかも守護神に何度も半殺しにされてきた。命の奪い合いというものに対して、感覚が麻痺していた。
「ネロさん、こいつヤバいですよ!」
「うるせぇ! とっととヤれ!」
「うわあああっ!」
やぶれかぶれの突撃。
イサキオスは槍で貫いた。そして側面へ回り込もうとしていたもうひとりを、ハンマーでぶちのめした。
戦闘不能。
残り一名。
するとネロは、あろうことか少女のひとりを人質に取り、ナイフを突きつけた。
「止まれ! 止まらねぇとこいつを殺す!」
「……」
リリスの顔が思い浮かんだ。
守ろうとした少女が、目の前で死体にされる。
そう思うと体が固まって動けなくなった。
「そうだ、おとなしくしてろよ? いいか? この場はお前の勝ちってことにしといてやる。だが、おぼえておけ。ブラック・ワイバーンにケンカを売って生き延びたヤツはびゃっ」
ネロの頭部に矢が突き刺さった。
少女は悲鳴をあげることさえできず息を飲み、その場に崩れ落ちた。
「どうにも話が長ぇな。おい、娘っ子ども。喜べ。おうちに帰る時間だ」
ヤンだ。
クロスボウを肩に担ぎ、自慢の赤鼻を指でぽりぽりかいている。
イサキオスはようやく我に返った。
「いたのか?」
「いたのか、じゃねぇだろ。つめてぇな。お前の戦いぶり、見せてもらったぜ。自分が傷つくことをまったく恐れてねぇ。イヤな戦い方だよ」
「褒めてるんだよな?」
「違う。あんなやり方、誰も幸せになれねぇよ。やめたほうがいい」
「……」
イサキオスは、自分の弱さを自覚している。いまだって圧倒的に有利な武器で戦ったから勝てた。捨て身で挑まなければ、守りたいものを守れない。
「勝てたんだ。なんだっていいだろ」
「いずれ分かるさ。死ななけりゃの話だがな」
(続く)




