登塔者
レミは杖を握りしめていたが、イサキオスは箒だけ持って塔へあがった。
幅の狭い螺旋階段だ。体を斜めにしないと通れない。
崩れそうな様子はなかったが、クモの巣が張っていて進むのに難儀した。
「いまから行くからね! 覚悟しててね! ビックリさせたら許さないから!」
レミは大声をあげながら、悪霊を威嚇していた。
そうでもしていないと怖くてあがれないのであろう。
イサキオスは構わず先陣を切った。
「ずいぶん長いこと放置されてたみたいだな」
「だからって悪霊が住みついていいわけないわ! これからはあたしたちが住むんだから、出て行ってね!」
不法侵入はお互い様であろう。
頂上には部屋があった。
古びた木製の扉がある。
イサキオスはドアノブをつかみ、ギィと音を立てながら押し込んだ。
窓のある小さな部屋だ。
外からは光が差し込んでいる。
そこには机があり、椅子があり、ベッドがあり、床には骸骨が転がっていた。バラバラだが、おそらく一人分であろう。
「ひっ」
レミが身をすくませた。
しかしそれだけだ。
特に危険そうなものはない。
「前の住民か?」
「ね、近づいちゃダメだって! 呪われちゃう!」
「誰に? こいつに? もう死んでるぞ」
「死んでるから呪うんでしょ!」
「それも一理あるな」
イサキオスは頭蓋骨をつま先で軽く蹴飛ばした。
もちろん反応はない。
レミはイサキオスの服を強く握りながら、後ろへ引きずろうとしている。早く下へ戻りたいのだろう。
「ね、あとでアラクネに埋葬してもらおう? あの子、修道女だから平気よね?」
「たぶんな」
「じゃ、用も済んだしさ、早く戻ろうよ」
「日記があるぞ」
「そういうのいいから! 早く行こ? ねっ?」
「しょうがねぇな……」
下へ戻ると、ちょうどアラクネが戻ってきたところだった。
「食材をたくさんいただきましたよ。ほら、カブにリーキにニンジン、卵まで。あとで麦を分けてくださるそうです」
しかしレミはそれどころではなかった。
「人が死んでる!」
「えっ?」
「死んでるの! 埋葬して? できるでしょ?」
「死体があるのですか?」
「もう骨だけだけど……」
「白骨? どこです?」
「塔の上」
さすがのアラクネも気味悪そうな顔だ。
「そうですか……。ではあとで見てみましょう」
「お願いね」
「はい、聖女さまのご希望とあらば」
イサキオスはしかし気にしていなかった。
あの白骨死体にはまったく凶悪なものを感じなかったのだ。それどころか、むしろ親近感さえ湧いた。なぜかは分からない。まさか親類ということもなさそうだが。
その後、アラクネは食材を置いて、塔の様子を見に行った。
が、しばらくして戻ってきたときには首をかしげていた。
「あのー、塔の上ですよね? 骨は見当たりませんでしたが……」
「えっ?」
またレミが怯えてしまった。
もちろんイサキオスも楽観視できなくなった。
「そんなはずはねぇよ。俺も見たぜ」
「どこにあったのです?」
「床だよ。探すまでもない」
「ホントに?」
「まさか、俺たちを担ごうとしてないだろうな」
「そんな不謹慎なマネしませんよ。もし疑うならご自分の目で見てきたらどうです?」
「……」
そしてイサキオスは、ひとりで塔をあがることにした。
今度はナイフを手にしている。
狭い階段をあがり、ドアを開く。
死体はなかった。
日記もだ。
何者かが移動させたとしか思えない。そしてその何者かは、アラクネ以外しか考えられない。
しかしもしアラクネが動かしたのならば、窓から投げ捨てたか、どこかよそへ隠したことになる。しかし窓には埃が積もっており、開いた形跡はない。隠せるような場所もない。
いや、ひとつだけある。
ベッドの下だ。
覗き込むと、そこに骸骨と日記が押し込められていた。
イサキオスは舌打ちし、ナイフを鞘へ戻した。
「おい、あったぞ。ベッドの下。隠しただろ?」
礼拝堂へ戻ったイサキオスは、溜め息とともに仔細を報告した。
アラクネはきょとんとしている。
「えっ? 隠した? 私が? なぜそんなことを」
「知るかよ」
「いえ、ちょっと待ってください。いま『隠した』って言いました? そうではなく、もしかして『隠れた』のでは?」
「は?」
「ちょっと見てきます!」
数分後、アラクネに付き添われ、ガックリと肩を落とした骸骨が現れた。
「ち、違うんです! 私、悪いスケルトンじゃありませんよ! 信じてください!」
その前に、骸骨が喋っていることが信じられなかった。
アラクネはすっとメガネを押しあげた。
「どうやら霊魂が行き場を失っていたようですね」
冷静すぎる。
が、逆に冷静でなさすぎるのがレミだ。
「ま、待ってよ! おかしい! なんで喋ってるの!? 死んでなきゃおかしいでしょ!」
またしても手をぶんぶん振り回している。
骸骨はうなだれてしまった。
「そうなんですけど、なんでかずっとこのままでして。諦めてここで暮らしてたら、皆さんがいらっしゃったので。このままじゃ埋葬されちゃうと思って、慌ててベッドの下に隠れたわけです。はい」
あまりに気の毒である。
イサキオスも警戒を解いた。
「何者なんだ?」
「いやー、それがちっともおぼえてなくて。もしかするとこの日記に書いてあるかもしれないんですけど、指がこんなでしょ? うまいことページをめくれなくて……。でも人に見られて変なこと書いてあったら恥ずかしいし……」
「正体を知るほうが重要では?」
「でもやっぱり恥ずかしいというか……」
外見からは性別さえ分からない。
アラクネがコホンと咳払いをした。
「ほかに遺品が見当たらない以上、どんな人物かは日記を見なくては分からないと思います。ご安心ください。私は神の信徒です。どんな秘密も受け入れますし、外へ漏らしたりもいたしません。もしかするとあなたは修道院の関係者かもしれませんし。そのように高潔な人物ならば、日記に妙なことを書くことはないと思います」
しかし神の信徒が必ずしも高潔でないことは、アラクネ自身が証明している。
なのだが、このスケルトンはアラクネとは初対面だった。まだその正体を知らない。
「はぁ、修道女のあなたがそういうなら、あなただけには……」
「では日記帳をこちらへ。怖がらなくて結構ですよ。こう見えて、各地の修道院を渡り歩いて来ました。そこらの修道女とはわけが違います」
各地の修道院を追い出されただけだ。
スケルトンはしかし話を信じてしまっている。
「ではお願いしますね」
「お任せください」
そしてアラクネは日記をめくり始めた。
はじめは一ページずつ丁寧に読んでいたが、次第にその手つきは乱雑になり、飛ばし飛ばしになった。
日記を閉じると、アラクネは不審そうな表情を浮かべ、じっとスケルトンを凝視した。
「あのー、ほとんどビールのことしか書かれていないのですが」
「えっ?」
「ちなみに、お名前はエイミーさんだそうです」
「なんか普通ですね」
「少しは記憶が戻りましたか?」
「いえ、まったく……」
エイミーはポリポリと指先で頭蓋骨をかいた。
それから左右をキョロキョロして、声をひそめた。
「ところで、どなたか服を貸していただけませんでしょうか? さっきから裸のままで恥ずかしいので……」
「……」
すると、外から声が近づいてきた。
「おーい、シスター! ジョンソンだ! ご所望の麦を持ってきてやったぞ!」
来客である。
エイミーはガタガタ震え出した。
「あーっ! 埋葬されちゃう! 隠れなきゃ! 隠れたほうがいいですよね? ね? 私、上行ってますね!」
「たしかに、見られたら大変です」
「ひーっ! 死にたくないーっ!」
カタカタと骨を鳴らしながら、エイミーは猛ダッシュで塔へ向かった。
外から入ってきたのはガタイのいい中年男性だ。
「見てくれ! 俺たちの育てた麦だ! こいつをビールにしてくれるんだろ? 考えただけで体が震えてきやがるぜ!」
荷車には山盛りの麻袋を乗せている。そのすべてが麦なのであろう。
「まあ、ありがとうございます。善き行いには神の祝福がありますよ」
「へへ。ま、ビールは言葉の次に大事だからな。けどよかったぜ。この修道院、長いこと放置されてただろ? どうなるのかずっと気になってたんだよな」
「いつから無人だったのです?」
「知らねぇのかい? 俺の婆さんの代に、妙ないざこざがあったらしくてよ。それで解散しちまったんだとよ」
「いざこざ?」
アラクネの問いに、ジョンソンはガハハと大笑いした。
「ビールの味をどうするかで揉めたらしいぜ。そんで一番頭のイカレた女がここに立てこもって、ひとりでビールを作り続けてよ。最後はビールの飲み過ぎで死んだってよ。ま、おそらく作り話だろうがな。だって修道院だぜ? そんなバカな話があるかよ」
「え、ええ……。面白い話を考える人もいたものですね……」
「とにかく、ビールができたら一番に飲ませてくれよな! どこの酒場も薄めて出しやがるからよ! ちゃんとしたのを飲んでみてぇんだ」
「はい。その点はお任せください。ビールにこだわりのあるメンバーがおりますので」
「任せたぜ!」
かくして男は上機嫌で出て行った。
エイミー。
かつてこの地でビールを造っていた修道女。
しかし仲間たちとビールの方向性で揉めて孤立。ひとりビールの味を追求し続け、そして没する。
イサキオスは思わず吹き出した。
「じゃ、ビール造りはあの骸骨に任せておけばいいってことかな」
「そうなりますね。かなりのこだわりをお持ちのようですから」
これにレミが目を丸くした。
「え、埋葬しないの?」
まだ言っている。
「諦めろ。動けるし、喋れるんだから。埋めたら可哀相だろ?」
「そうだけど……」
「だいたい、魔女がスケルトンを怖がるっておかしいだろ?」
するとレミは、また腕を振り回して抗議した。
「怖いものは怖いんだから仕方ないでしょ! なんで分かんないのよ! バカ!」
「そう怒るな。仲間が増えたんだ。歓迎してやろうぜ」
中身が空っぽの鎧だって喋るし戦うのだ。骸骨がビールを造ったっておかしくはない。
イサキオスは一件落着とばかりに椅子へ腰をおろし、しかしふと我に返った。
「いや待て。わきあいあいと修道院を再建してる場合じゃねぇ。俺たちの目的は、神と戦うことだ。もっと気合入れて行かねぇと」
だが、これに対するアラクネの返事はこうだ。
「ですから、そのための資金問題を解決するためにここへ来たのでしょう? 焦ったっていいことはありませんよ。計画は一歩ずつ進めなければ」
すました顔でメガネを押しあげる。
事実、彼女のアイデアがなければ、この家も食料も調達できなかった。もしイサキオスひとりであれば、いまなお宿代の支払いに追われていたところだ。
「そうだったな。お前が正しいようだ。考えを改める」
守護神を二体撃破できたことで、少し気が急いていた。見知らぬ誰かが一体を始末してくれたから、残りは三体。あと半分だ。
しかしついに教皇庁も動き出した。
今後は慎重にいかなくては。
(続く)




