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17 ドラゴンと竜の庭①


「おい、お前、こんなところで何やってるんだ?」


 肩をつつかれ、遠慮のない声で起こされて、私は夢から覚めました。


 うーん……ゆめ……夢?


 わりと大事なことをたくさん聞いたような気がするんですけど、もうあんまり憶えていません。

 どうしても気になるのに思い出せないのは、私を見下ろしている金髪ぼうやの気配りが足りないせいでしょう。もっと寝かせてほしかったです。実際、まだお日様はそれほど高くないですし。


「なんですか、ジオくん?」

「睨むなよ」

「寝起きですから」


 にらんじゃってましたか?

 つい、ささくれてしまったようです。でもだって、寝ているところを他人に邪魔されるなんて、今まで気持ちのよかったためしがないですからね。


 私は上体を起こし、自分のほほを軽く叩いたり引っ張ったりして、頭を切り替えました。


「野宿するにしても、他に場所があっただろ」


 ジオくんは馬を引いて私の隣に立ちました。

 まあ、彼が言わんとしていることは分かりますよ。ソラ様のせいで道が狭いですから。今のジオくんみたいに一人で馬に乗っているならともかく、馬車が通れる幅じゃないですものね。


「でも、眠くなっちゃったんだから、仕方ないじゃないですか」

「それにしても、女が一人、道端でとか」

「独りじゃないですよ。ソラ様もいますって」


 話しながら私は身をよじらせ、寝ていた隙間から抜け、ソラ様の腕に腰かけます。

 続いて小物入れから葉っぱの(つつ)みを取り出しました。包みを開くと、固い丸パンが二つ。どちらにも切れ込みが入っていて、キュウリの酢漬け(ピクルス)と細切りチーズをはさんであります。


「ジオくんは、朝ごはんもう食べました?」

「俺は駅で食べてきた」

「じゃあ、あげませんからね」

「いらねえよ」


 本気で嫌そうに言われました。それではまるで、私のお弁当が不味いみたいじゃないですか。


「またあんな辛いのを食わされたら堪ったものじゃない」

「あのクッキーは私が作ったんじゃないですよ」


 とにかく、私はパンをひとかじり。酢漬けのパリポリした食感とチーズの旨味が、しゃっきり目を覚まさせてくれます。

 いらないとは言いつつもジオくんは、私の手元を覗き込んでいました。


「前にも思ったけど、質素……素朴だな」

「変に言い直さなくていいです」


 私は水筒の水を飲んでから、またかぶりつき。


「俺だったらせめて、そこに薄切りの塩茹で肉(ハム)でも欲しい」

「……私、お肉が食べられないんですよ」

「美味いのに」

「私だって好きですよ? でも、食べられないんです」

 

 それは何故かと言いますと――


 そのとき、ぷすーっという湿った鼻息を吹いて、ソラ様が頭を震わせました。


 それから目を開けたソラ様は、長い首をゆっくりもたげて、くわあぁっと大あくび。風も無いのに、辺りの木がざわめきます。

 私が荷物を抱えて腕から降りると、ソラ様はのっそり立ち上がって、翼と足と尻尾をピンッと伸ばしました。何度か羽ばたき、お尻を後ろに引いたり、肩を前に倒したり。

 そんなふうに身をほぐしてから、首を曲げ、カカカカッと後ろ足で角の裏を掻くのが寝起きの癖なのです。


「おはようございます。ソラ様」

「おー、ステラ。おはよう……」


 あいさつしたソラ様は、私の後ろにいるジオくんにも目を落としました。


 ソラ様の動きが止まって、長い沈黙。

 グルグル声も、ぐるぐる声もありません。


「この竜は、なんで俺を見てるんだ?」

「分かりません」

「おいっ」


 正直、何を考えているのか、こうなっちゃうと私でもさっぱりなんですよね。


「ソラ様? ねーえ、ソラ様ー?」


 私がぴょんぴょん跳ねながら手を振っても反応無しです。


 それなのに、ジオくんが動けば目で追うのですから、こちらは気が気でなりません。また変な夢を見ていなければいいんですけど。

 うう、いやな汗が出てきました。


「…………おはよう」


 しばらくしてようやく、ソラ様は口を開いて、ちょっとだけ頭を下げたのです。


「お、おはよう?」


 つられてジオくんが返事をすると、やっとソラ様はおすわりして落ち着きました。かつて、これほど緊張感のある「おはよう」があったでしょうか。ある意味で、歴史的な瞬間だと思います。


 それはそれとして、ソラ様が私の手元を嗅いできました。


「ごはんですね? はい、どうぞ」


 まだ手をつけていない、もう一つのパンを差し出しました。


「うん。いただきます」


 私の手のひらよりも大きいものですが、やっぱりソラ様の口には小粒です。ソラ様は舌と牙の先でつまみ上げるようにパンを咥えると、首を上に反らして一口に呑みました。

 もちろんこれっぽっちでお腹いっぱいになるはずはないのですが、今までソラ様が食事について不満をもらしたことは一度もありません。


「そうだ。ジオくん。なんで私がお肉を食べられないかというと、ソラ様が食べないからなんです。ソラ様と生きる、竜の巫女としての、戒律(かいりつ)っていうんですかね。これをやっちゃダメとかの決まりごと」


 肉を食うべからず。


 血を飲むべからず。


 骨を噛むべからず。


 これらの教えは、おばあちゃんに厳しく言われていたことです。三年前には特に疑問を感じていなかったのですが、ソラ様の過去が気になりがちな最近は、ちょっとだけ思うこともあります。

 つまり、本当に、ソラ様は一度もお肉を食べたいと思ったことはないんでしょうか。


「……チーズはいいのか?」

「乳を舐めるのはオッケーですって」


 実際、乳製品入りのパン生地はソラ様の好物ですからね。

 ともあれ、いま考えたって仕方ないので、私はパンの残りを口に詰め込みました。




 身支度をして、せっかくだからとジオくんと一緒に都へ行くことに。馬を引くジオくんに合わせて、私とソラ様も街道に沿って歩いてゆきます。


「そういえば、ジオくんはどうして都へ?」

「ローサさんの結婚式。俺にも招待状が来たんだよ」

「えー、本当ですか?」

「疑うなら、見てみろよ」


 ジオくんが背負い袋の底から出してみせた封書を受け取ります。むむ……たしかにお姉ちゃんの字ですね。『白金の眠り猫』の印が押してあって、お姉ちゃんだけじゃなくてパパさんの署名もあります。


「でも、なんでジオくんが?」

「だってほら、俺、王子だろ?」

「あー、なるほど」


 偉い人と繋がりをもちたいなんて、パパさんの考えそうなことですね。

 ただ、手紙を返しながらジオくんを見てみると、あまり誇らしげじゃなさそうですね。気乗りしていないような。


「で、ローサさんの相手って、どんな奴なんだ?」

「え、知らないです」

「なんでだよ!?」

「こっちが訊きたいですよ。お姉ちゃん、教えてくれなかったんですもん」

「聞いたけど憶えてない、とかじゃないよな?」

「バカにしてます?」

「俺の名前を聞き流したやつが言うか」


 今後ことあるごとに、このネタを掘り返されそうな気がします。 


「しかし、ローサさんが、どこの馬の骨とも知れない奴と……」

「どこ目線で言ってるんですか。それに、本物のお馬さんの目の前で、馬の骨って」

「そいつと決闘して、勝てたら俺がローサさんと結婚ってならないかな?」


 またアホなことを口走っていますね。


「その場合、私が最後の番人になりますけど、かまいませんね?」

「お手上げだ」


 こういう言い方はジオくんの自信を折っちゃいそうなので、あれですが、正直、私のほうがずっと強いです。ひまなときに何回か、彼の訓練につきあったのですけど。


「それより、ステラこそ何やってんだ? この竜に乗っていけば速いのに」

「だったんですけどね。いろいろありまして」


 そこで私は昨日の出来事を話しました。そしてソラ様が風車を巨人と勘違いしたくだりで――


 何か、頭の中で、パチンと火がはじけたような、手探りでさがしていたものが急に明るく見えたような感じがしました。


「……秘術!?」


 答えを確かめるみたいに、自然と私の口をついて言葉が出ます。


 秘術。


「ソラ様、秘術って何ですか?」


 私はソラ様を見上げ、声を張って訊ねました。

 そうですよ。これですよ。今朝の夢をちょっとだけ思い出しました。


「それが巨人の手に渡ったらまずい、みたいなこと言ってましたよね?」


 巨人とソラ様。

 お母さんとソラ様。

 どちらにも繋がっている、なんだか大事そうなもの。


「お前、秘術を知らないのか?」


 だけど返事をしたのは、ソラ様ではなく、なぜかジオくんでした。それも、信じられないとでも言いたげに。


「知ってるわけないじゃないですか」

「竜の巫女なのに?」

「関係あります?」

「この国で知っているとしたら、竜の巫女くらいなものかと思ってた」


 でも、おばあちゃんからは何も聞いていません。


「ということは、ジオくんは知ってるんですね? 教えてください」

「あ、いや、知らない。そういえば俺も知らなかった」

「これだけ口をすべらせておいて、何を今さら」


 詰め寄ると、ジオくんは私とソラ様とを交互にチラ見してから、またごまかすように前を向いて足を速めました。


「じゃあ、お姉ちゃんの小さい頃の話、かっこいいのとかわいいの、どっちがいいですか?」

「かわいいので頼む」


 きりっと振り向くジオくん。私がにやりと笑ってみせると、すぐに、しまったという表情に崩れます。ふふん。


「……俺の国では、王族にしか伝わってないんだ。だから、なるべく教えたくないし、俺から聞いたってことは誰にも言うなよ」

「はいはい、分かりましたから」


 やがて意を決したように、ジオくんは言いました。


「秘術は、竜の秘術とか、泉の秘術とかっても呼ばれている」

「竜は分かる気がしますけど、泉って……?」

「《知恵の泉》だ。まさかそれも……?」

「はい」

「うわぁ……」

「引かないでくださいよ」

「ざっくり説明すると、この世界の始まりにあった何かのことだ。空や大地や海、竜とか巨人もそこから産まれたってことになってる」

「いきなり壮大ですね」

「というより、葬式で遺体を焼くときに、お前が唱えてただろ」


 

 ()く等しく すこやかに 泉の定めし流れへと 還り給え――



「あーっ!! あれですか? あれ、そういう意味だったんですか!?」

「だから、なんで知らないんだ」

「……そういえば前に一回、おばあちゃんに教わったことがありましたっけ。普通に忘れてました」

「だからよ!!」

「はい。これからは忘れません」


 さすがに、ちょっと反省。

 深く息を吐いてから、ジオくんは続けてくれました。


「とにかく《知恵の泉》は、この世界の不思議な力の源だ。もっとも古くて《知恵の泉》に近い生物である竜は、その一部を扱えるらしい」


 だから竜の秘術であり、泉の秘術だということなんですね。


「そしてその力を、人間でも使えるようにした技術が、泉の秘術だとさ」

「でも不思議な……って、たとえば?」

「そこまでは俺も聞いてない。なんたって、秘は秘密の秘だからな。作り方も使い方も、今でも残っているのかさえ分からないんだよ」


 とはいえ、すでに心当たりはあります。

 ソラ様はジオくんの腹痛(はらいた)と暴走を治したことがありますし、日打ちが本当だったらすごいことでしょう。


「ありがとうございます、ジオくん。と、こ、ろ、で……ソラ様?」


 途中から無言を決め込んでいたソラ様に、私は話題を放り投げました。


「ソラ様は、秘術のことはご存じだったんですよね? ジオくんの言ってたことは、本当なんですか?」


 ちょっと困ったように目を細めるソラ様……なんだか今朝の夢でも見た気がします。

 

「すまんのう、ステラ。それについては、どうしても言いたくなかったんじゃ。思い出したくないことも、沢山あるからのー」


 そして返事の声は、近頃にしてはしっかりしたものでした。

 知っているけど、事実だけど、それ以上は語りたくないと。

 やんわりしていながらも、明らかな否定です。


 ですが、ボケているのか、ふりなのか、確かめようがない態度をされるよりはずっと晴れやかに思えました。


「そうですか。でしたら理由は訊きません。でも最後にひとつだけ……」

「なんじゃー?」

「私のお母さんは、秘術に詳しかったですか?」


 ちょっと押し黙りつつも、ソラ様は足を止めません。


「……うん」


 しばらく迷ったのでしょう。その末に出された答えは、ほんの短い言葉でしたが、私の胸にはこの上なく温かいものでした。


「それでステラよ、ローサさんのかわいいエピソードは……」


 さてジオくんが隣で何か言いかけたところで、ちょうど私たちは森を抜けました。




 この小高い丘の上から、二股の川を抱き込むように広がった街並みが見下ろせます。


 あれがこの国(アプリール)の首都――『竜の庭(ドレイクガーデン)』です。


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