【言葉の鍵穴】─の奥の人は、息をする暇もなく─(番外の番外編)
本編では、言葉の間にある沈黙や、相手の声を待つことを描いてきました。
……が。
今回は、その沈黙を少しだけお休みします。
七つの村を救おうとするセラと、三日間にわたって彼女の話を聞くことになった、とある領主様のお話です。
どうぞ、気楽にお楽しみください!(*´∀`*)
【言葉の鍵穴】─の奥の人は、息をする暇もなく─(番外の番外編)
──とある領主様の三日間──
※本編の真面目な沈黙は、ここにはありません。笑ってください!(*´∀`*)<領主様は、笑えませんけど(笑)
◆◆◆
──その女が部屋に入ってきたとき、ベルトランは、すぐに、分かった。
右の頬に、火傷の痕があった。
声は、少し、低くなっていた。
けれど、目は、変わっていなかった。
──姉さま。
そう呼びそうになって、やめた。
机の下で、左の袖を、握った。
袖の奥で、腕輪が、重くなった。
──まだ、何も、嘘をついていないのに。
「本日は、お時間をいただき、ありがとうございます」
女は、深く、頭を下げた。
角度は、礼法書の、挿絵のとおりだった。
礼儀正しかった。
恐ろしいほどに。
「こちらこそ。遠いところを、よく──」
「さっそくですが、七つの村の件について、お話しさせていただきます」
女は、帳面を、一冊、机に置いた。
領主は、少し戸惑いながらも、うなずいた。
まだ、一冊だった。
このとき彼は、知らなかった。
帳面には──仲間がいる。
◆◆◆
【一日目】
彼は、前の晩に、三十回、練習した。
女は、容赦なく、切り込んでくると、聞いていた。
鏡の前で、三十回。
最後の一回は、悲しげな声で、言えた。
「飢えは、先代の頃から、続いている」
そして今、本番で、言った。
悲しげな声は、うまく出た。
「承知しております」
──承知、していた。
「ならば、私だけの責任では、ない」
「はい。先代の代も、確認が、必要です」
彼女は、紙を、一枚、差し出した。
「こちらは、先代の三年分の、徴税の記録です」
もう一枚。
「こちらは、領主様の代の、三年分です」
さらに、一枚。
「こちらが、倉の数でございます。先代の代は、三つ。領主様の代は、四つ」
ベルトランは、倉の数を、見た。
倉は、増えていた。
「……倉は、兵糧のためだ」
「はい。その倉の中身を、お伺いしてよろしいですか」
「……今、ここでは、分からない」
「承知いたしました。では、未確認として、記録いたします」
彼女は、さらさらと、書き込んだ。
──未確認。
その三文字が、なぜか、判決文に見えた。
左の袖を、握っていた。
握ってから、気づいた。
領主は、彼女の目を、盗み見た。
女は、袖を、見ていなかった。
一度も、見なかった。
それが、かえって、恐ろしかった。
袖を見る必要が、ないのだ。
彼女は、口だけで、足りていた。
──昼になった。
「お食事に、いたしませんか」
侍女の提案に助かった、と思った。
「はい。では、お食事の間に、第二冊を、読み上げましょうか」
助かっていなかった。
茶が、運ばれてきた。
「お気遣い、痛み入ります」
女は、茶に、一度も、手を、つけなかった。
彼は、三杯、飲んだ。
──夕刻、彼女は、帳面を、閉じた。
「本日の、未確認は、十一件でございます」
「……十一」
「明日は、七つの村について、お伺いいたします。お疲れさまでございました」
女は、来たときと、まったく同じ角度で、頭を下げた。
彼は、椅子から、立てなかった。
彼女は、一日中、話し続けて、少しも、疲れた顔を、していなかった。
◆◆◆
【二日目】
予め、準備をセねば。
──夜明け前に、来たつもりだった。
「お待ち申し上げておりました」
彼女は、もう、座っていた。
机の上に、帳面が、七冊。
縦に、一列。
きれいに、整列していた。
七つの軍団、のようだった。
「ご用意を、させていただきました」
「……早いな」
領主は、胃を、押さえた。
「民が、勝手に、畑を、捨てたのだ」
前日より、慎重に、言った。
「はい。その点を、確認してまいりました」
嫌な予感が、した。
「こちらが、徴発の使いが、村に着いた日です」
一冊目。
「こちらが、牛を、売った日です」
二冊目。
「こちらが、畑を、起こせなくなった日です」
三冊目。
「こちらが、種籾を、煮た日です」
四冊目。
「どの村でも、順序は、同じでした」
女は、帳面を、閉じた。
「使いが、先に、来ています」
「……なぜ、これほど、記録が、ある」
「七つの村を、回りましたので」
「七つ……、すべてか……」
「はい」
「いつの間に」
「館へ伺う前に」
領主は、言葉を、失った。
彼女は、彼に会う前から、すでに、準備を──終えていたのだ。
彼が、鏡の前で、悲しげな声を、練習していた間に。
「それは……、村の者が、決めたことだ」
彼は、言った。
「はい。生きるために、選んだのでしょう」
「ならば、私の責任では──」
「では、領主様」
女が、顔を、上げた。
「選ばなければならない状況を、つくったのは、誰ですか」
彼は、口を、閉じた。
彼女は、少しも、声を、荒らげていなかった。
それなのに、逃げ道が、ひとつずつ、消えていく。
「……少し、席を、外す」
腹が、痛いふりを、した。
「お待ちします」
彼は、小部屋に、入った。
鍵を、かけた。
壁に、額を、つけた。
半分は、本当だった。
一刻、そこに、いた。
──戻ると、女は、まったく同じ姿勢で、座っていた。
茶の面に、薄い膜が、張っていた。
一口も、減っていなかった。
彼女は、一刻の間、動かず、飲まず、待っていたのだ。
「では、先ほどの、続きから」
こちらを、責めもせずに。
責められるより、はるかに──重かった。
女は、帳面を、開いた。
「領主様は、『ならば、私の責任では』と仰って、そこで、止まっておられました」
「……よく、覚えているな」
「記録しております。『あー』も、含めて」
「あー、も、か」
「はい。四回、ございました」
その、とき。
扉が、叩かれた。
「領主様、至急の、ご報告が──」
家令だった。
領主は、救いを、見た。
「どうぞ、お聞きください。お待ちします」
家令が、耳元で、囁いた。
「他領から、麦の件で、使いが」
麦。
「その麦は、どの村へ、向かう予定ですか」
女が、静かに、言った。
「……それは、まだ」
家令が、固まった。
「では、その件も、本日の、記録に」
家令は、青い顔で、出て行った。
扉が、閉まった。
重い音がした。
領主は、二度と、扉が開くことを──期待しなかった。
──昼が、過ぎた。
──夕刻が、近づいた。
彼の口が、ひとりでに、動いた。
「……姉さ」
無意識に出た声だった。
女の、ペンが、止まった。
半拍。
ほんの、半拍だけ。
彼は、その半拍に、すべてを、賭けた。
覚えて、いるのだ。
「あのとき」
あの、林檎の木の下を!
「続けます」
ペンが、動いた。
半拍は、終わった。
賭けは──負けた。
◆◆◆
【三日目】
領主は、朝から、食べられなかった。
昨夜は、逃げ出す案を、三つ、考えた。
一つ、病に、倒れる。
二つ、王への、急使を、出す。
三つ、領主を、辞する。
三つ目まで、考えたところで、気づいた。
その、すべてが、彼女の帳面に、すでに、載っているような、気がした。
「おはようございます」
──彼女は、今日も、先に、座っていた。
「……おはよう」
喉が、乾いていた。
唇は、何故か、笑みの形に、なった。
「本日は、死者の記録でございます」
領主は、笑うのを、やめた。
もとから、笑って、いなかった。
「一つ目の村で、三人」
女は、帳面を、開いた。
「二つ目の村で、二人。三つ目の村で、一人」
「……もうよい」
「まだ、終わっておりません」
「……セラ」
「四つ目の村では、徴用に出た父親が、戻らず、母親の行方も、分かりません」
「もういい」
「残された子どもたちは、隣家から、食べ物を、分けてもらっています」
「聞いている」
「七つの村で、確認できた死者は、合わせて──」
「聞いていると、言っている!」
声が、部屋に、響いた。
セラは、止まった。
ほんの、一瞬だけ。
「失礼いたしました」
ベルトランは、息を、吐いた。
ようやく、止まった。
「聞いておられる、とのことですので」
セラは、静かに、言った。
「一つ目の村の、死者の数を、お答えください」
──止まっていなかった。
「……三人」
「はい。二つ目の村は」
「……三人、か」
「二人です。三つ目は」
「……」
「一人です」
彼女は、帳面を、一枚、戻した。
「聞こえておられなかった、とのことですので、最初から、読み上げます」
「聞こえて……、いた」
「では、四つ目の村の、子どもたちの人数を」
ベルトランは、答えられなかった。
彼女は、怒鳴らなかった。
怒鳴る必要が、なかった。
最初から、読み上げられた。
一つ目の村で、三人。
二つ目の村で、二人。
ベルトランは、二回、聞いた。
二回目は、数ではなく、人として、聞こえた。
最後まで、聞いた。
最後の、一人まで。
部屋が、静かになった。
「領主様は、この人たちの名前を、ご存じでしたか」
「……知らなかった」
「知らなかったのであれば、なぜ、知らずに、済んでいたのですか」
「私は、報告を、受けては……」
「報告を受けていたのに、村へは、届かなかった」
セラは、帳面を、閉じた。
「報告が、なかったのであれば、領主の耳へ届く道が、なかった。どちらであっても、民には、同じ結果です」
ベルトランは、何かを、言おうとした。
──何かを。
言葉が──出てこなかった。
「明日、広場で、お話しします」
「……何を」
「七つの村の名前と、失われたものを、一つずつ」
彼女は、立ち上がった。
きっかり、同じ角度で、頭を、下げた。
ベルトランは、思い出していた。
幼い頃、彼女は、話すとき、言い終わる前に、一度、息をした。
あのとき、自分は、約束した。
その間に、入る、と。
三日間、彼女が、息を継ぐのを、見なかった。
息を、吸いながら、話していた、としか、思えなかった。
──その間は、どこにも、なかった。
──入る場所が、なかった。
◆◆◆
【その夜】
ベルトランは、机に向かっていた。
借財の帳面を、開き、閉じ、──また、開いた。
数字は、変わらない。
兵の給金を止めれば、兵が、離れる。
返済を止めれば、他領との約束が、崩れる。
小麦を動かせば、どこかが、足りなくなる。
どこかを守れば、どこかが、飢える。
言えば、よかったのだ。
三日の間に、一度でも。
言い訳に、なる。
時間を、戻すことなど、できない。
そう思って、言わなかった。
言い訳を、しない領主は、立派だ。
自分は。
ただの、言い出せない領主でも、あった。
腕輪が、重かった。
嘘を、ついていないのに、重かった。
窓の外に、灯りが、見えた。
彼女の、宿だろうか。
彼女は、眠る前に、明日の私の言葉を、すべて、並べているのかもしれない。
そして、そのすべてに、答えを、置いている。
左の袖を、握ろうとした。
手が、止まった。
もう、見られても、意味が、ないのかもしれない。
◆◆◆
【四日目・朝】
──夜明けとともに、ベルトランは、命じた。
門を、閉めよ。
帳面を、持たない扉は、もう、それしか、なかった。
門だけは、彼女の帳面に、載っていないはずだった。
大きな音が、した。
門の上から、彼は、セラを、見下ろした。
彼女は、七つの村の者たちと、一緒に、立っていた。
火傷の痕。
幼い頃と、同じ目。
そして、何も言わない、口。
彼の、右の手は、袖を、握っていなかった。
握る力も、もう、なかった。
「──では」
彼は、言った。
「私には、何が残る」
彼女は、答えなかった。
ベルトランは、思った。
ああ。
姉さまは、もう──、息をしないのだ。
彼は、背を、向けた。
門の外で、何かが、ぶつかる音が、した。
聞かなかったことに、した。
聞く役を、やると、言ったのに。
◆◆◆
【後日談・王都の監察記録】
──七つの村に及ぶ飢饉と領主の対応について、王都は事実関係を調査するため、監査官を派遣していた。
領主との会談に臨んだ、陳情人の発言も、宰相への調査報告に添えられることになっていた。
「ベルトラン領主の、会談記録ですが」
「何か、問題が」
「はい。三日間の会談で、領主様の発言が、極端に少ないのです」
「合計、四百二十七字。陳述人は、八万字を、超えております」
「……」
「記録官が、三日目の昼までに、多くの筆を折りました」
「折れた……、のか」
「はい。一本目は、昼前に」
監査官は、帳面を、めくった。
「記録官は、二日目の午後に交代しております」
「なぜだ」
「最初の記録官が、筆を折りました」
「折れたのか」
「はい。物理的に」
「……そうか」
監査官は、帳面をめくった。
「二人目は」
「三日目の昼に、記録を続けられなくなりました」
「なぜだ」
「休憩を申し出る間も、なかったのではないか、と」
「……そうか」
「ちなみに、陳情人の発言は、すべて敬語でございました」
「礼儀正しいことだな」
「はい」
監査官は、少し考えた。
「礼儀正しいことと、優しいことは、別なのだと、学びました」
◆◆◆
──その頃、ベルトランは、ひとりで、林檎を、食べていた。
赤い皮ごと、囓った。
幼い頃、姉さまに、渡した、林檎。
あのとき──彼女は、笑っていた。
自分も、笑っていた。
そして、彼女は、ほんとうの名を、教えてくれた。
誰にも呼ばせない、二人だけの、鍵。
もう一口、かじった。
「……姉さま」
誰もいない部屋で、そう、呼んだ。
返事は、なかった。
当たり前だった。
扉の向こうに、彼女は、もう、いない。
机の上に、白紙の帳面が、一冊、置いてあった。
ベルトランは、それを、開いた。
手が、勝手に、動いた。
最初の頁に、自分の字で、こう、書いてあった。
『今後の食糧配分について』
いつ書いたのか、覚えていない。
筆の先が、まだ、湿っていた。
彼は、天井を、見上げた。
「……誰か、私に、息を、させてくれ」
その願いを、聞く者は、いなかった。
「……誰か、彼女に、水を、飲ませて、あげてくれ」
自分以外には。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回は番外の番外編ということで、少し肩の力を抜いて、ベルトラン視点のコメディホラーにしてみました。
セラは決して、ベルトランを困らせるために話しているわけではありません。
七つの村の人々を救いたい。その思いは本物です。
ただ、正しいことを伝えることと、相手が言葉を返せる余地を残すことは、必ずしも同じではありません。
本編では沈黙の中に置いたものを、今回は少し違った角度から描いてみました。
ベルトランには、三日間、本当にお疲れさまでしたと言いたいです(笑)。
そして、読んでくださった皆さまにも、心から感謝を。
どうか、領主様には少しだけ息をする時間をあげてくださいませ……。
……もっとも、机の上には、まだ新しい帳面が一冊あるかも知れません。(*´∀`*)




