#2 白の少女と黒の青年4
「阿久津、お前ってやつは……」
所轄署の受付。そこで夏澄は、善田から大きな溜息と共に呆れを含んだ言葉を吐かれることになった。
"阿久津夏澄の保護者"を自称する善田のお陰で、夏澄は何とか事情聴取から逃れることができた。しかし、まさか呆れの溜息を吐かれようとは思ってもおらず、夏澄は再び口をとんがらせた。
「しょうがないじゃん。見つけちゃったもんは通報するのが義務なんだから」
「馬鹿正直に発見の経緯を言うから疑われるんだろう!」
「分かってるよ。そんなことは。でもつい言っちゃった訳で……」
夏澄の言い分に、今回何度目か分からぬ溜息を善田は吐いていた。
晟一人だけが能力者という訳ではない。この男――夏澄もれっきとした能力者なのだ。先日のドラッグ摘発の件で能力者の能力を把握し、晟に的確な指示が出来たのもそのお陰だ。
尤も今回の事件で、事件現場がどこかを容易く突き止め、それ故に疑われたのもその能力のせいなのだが。
「……まあ、善田がいたから今回助かったよ」
そう言いつつ、夏澄は善田に笑いかける。彼は夏澄の笑顔を見て、どこか気の抜けた表情をしていた。
善田 冬弥。夏澄とは旧知の仲であり、良き理解者だ。
夏澄は善田のことを高く評価していた。何せ、警察の花形とされる捜査一課の刑事だ。時々間の抜けている自分とは違って優秀な男だ。
「……所で」
善田はどこか改まった口調で、一言。
「お前、今回この事件についてどう考えてる?」
その質問に、夏澄は待ってましたと言わんばかりにニンマリと笑った。
「……それ、やっぱり聞くんだ?」
「当たり前だ。百人の捜査員より一人の千里眼だ。使わない手はない」
その言葉に夏澄は朗らかに笑ってから口を開いた。
「あの被害者、あの現場の住人だよね?」
「そうだな」
「じゃ、今回の事件は間違いなく計画的な犯行だよ。物盗りを装って居直り強盗風に荒らされているけど、その可能性はまず排除した方がいいだろうね」
善田は黙ったまま、僅かに眉根を寄せていた。
「まず死体に刺さった包丁。あれは新品で、十中八九犯人が持ち込んだものだね。被害者の所有物じゃないよ」
「根拠は?」
「あの包丁を増やす合理的理由がないから。包丁入れに包丁がギッチリ入ってたし、みんな綺麗に研がれてた。新品のそれじゃない。シンクに傷があったし……あと鍋の使いこまれ具合、それと冷蔵庫に野菜室があって、野菜でぎっしりなことを含めて考えると、犯人は顔見知りで、彼女が料理をする人物だって知ってたかもしれない。それで、包丁を凶器に選んでさもその場にあるように紛れ込ませたのかも」
夏澄は確かに現場にいた。しかし現場のものには最初にドアを開けた時以外に一切触っていない。それでも彼があの場の全てを把握できているのも、彼の能力の賜物だ。
「次にあの死体の致命傷だけど。包丁でブスリと心臓を刺されたものだね。そうなるとさっきも言ったけど、犯人像は被害者の顔見知り。それでいて、人間の"急所"を的確に把握できる人物だよ」
「……どういう意味だ?」
善田が疑問いっぱいの表情を浮かべているのを知り、夏澄は受付へと向かった。そしてその受付の女性に声を掛ける。
「すいません。ちょっと、カッターかハサミか貸してくれませんかね?」
「はい?」
きょとんとする女性から何とかカッターを借りた夏澄は、それを善田に渡してから両腕を広げた。
「ホラ、今から僕のこと刺してみて」
善田は夏澄の発言に凍り付いた表情を浮かべた後、一言ぽつりと。
「……は?」
とだけ言った。どうやら夏澄の発言の意図が分からなかったらしい。
「ホラ、いいからさ。僕の事刺して、って。刃をしまっておけば平気じゃない?」
今度の夏澄の発言に、善田は頷きを返してカッターを握りしめた。
そして、カッターの持ち方を見て、夏澄はニヤリと笑った。
「ストップ」
「……?」
「それじゃあ心臓は刺せないよ。それだと肋骨に対して水平だからね」
「……あ」
心臓は刺せない。その言葉に善田は眼を見開いた。
人間の心臓は肋骨に守られている。もし、善田が今持ったように肋骨に垂直に刺さるように刃物を持てば、よほど強い力で刺さない限り刃の先は心臓に到達しない。
しかし、今回の事件の被害者に刺さった包丁は、肋骨に対して"並行"に刺さっていた。
結果、包丁の刃は肋骨を滑り、被害者の心臓にまで達したのである。
「争ってる最中に何かの拍子で刃が水平に刺さったって可能性はないね。そもそも被害者の身体に防御創がないし、それらしい形跡もないから」
「現場が荒らされてたことについては?」
「多分それはカモフラージュか、殺しついでに何かを失敬したんでしょ。鍵には壊された形跡も鍵以外のもので開けた形跡もないから、そもそも物取りの可能性は無いと思う。だから犯人は顔見知りで人間の急所を知ってる人物、ってことだね」
夏澄の語った犯人像。それに善田は眉根を寄せたまま、黙っていた。
そしてしばらくしてから善田は立ち上がり、カッターを受付に返してからようやく口を開いた。
「……参考になった。行ってくる」
どうやら今から報告してくる様子の善田を見て、夏澄はにっこりと笑って手を振った。
「いってらっしゃい」
他にも夏澄は言いたいことがあったが、それは恐らく後々善田自身が気付くだろうから引き留めはしなかった。
何はともあれ、これで夏澄は自由の身になった。溜息を吐き、先程放っといてしまった有紀に連絡を取ることにする。
有紀、怒ってなきゃいいけど。そんな不安を抱きながら、彼は電話を掛けた。
しかし、数コールのあと聞こえてきた声は、何故か。
「もしもし? 夏澄か?」
晟の声だった。
「あれ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げて叫ぶ夏澄に、電話の向こうの晟は溜息を吐いていた。
「電話掛けた先自体は間違ってないから安心しろ。有紀さんの携帯借りてるんだよ」
「どうして?」
「間違いなくお前から電話が来ると分かっていたからだ」
「…………」
夏澄は何だか、自分の行動パターンを読まれた気がしてならなかった。
「ところで、何で君が有紀の電話で?」
「面貸して欲しいからだよ。有紀さんも待ってる」
「……え?」
晟の言葉に夏澄は首を傾げた。一体こんな夜中に自分にしてほしいこととは何なのだろうか。
「何それ?」
「とりあえず来てくれ。今島野医院にいるから」
島野医院。その場所に、夏澄は更に眉根を寄せた。島野医院は夏澄の父親の友人が切り盛りする病院で、夏澄もよく知っている場所だ。
そこに何故晟と有紀が。その疑問は否が応でも頭を過った。
「……分かった」
どこか釈然としないものを飲み込んで、夏澄は所轄署を出て、彼等の下へ行くことにした。
*
所轄署から島野医院まで、歩いて15分ぐらいの距離だ。自宅兼診療所で、一階が診療所になっている。
いつもは既に真っ暗なはずのその場所には、煌々と電気がついていた。どうやら晟たちがいるのは間違いがなさそうだ。
ドアの鍵は開いている。
「すいませーん。夏澄です」
ドアノブに手を掛け、中に入って声を掛けてみる。辺りは真っ暗だが、診察室から光が漏れている。どうやらそこに彼等はいるらしい。
夏澄が診察室に向かうと、そこには晟と有紀、そして一人の初老の男性がいた。
白髪が増えて灰色がかった髪をふんわりと分けた、穏やかそうな50代ぐらいの男。彼こそがこの小さな病院の主、島野 亮平医師だ。夏澄の父親の友人である。
見た目こそまだ50を行って間もないぐらいに見えるが、これで60代半ばだというのだから驚きだ。
閑話休題。
島野は夏澄が来ると嬉しそうに笑顔を浮かべ、迎えてくれた。
「ああ、夏澄君。久しぶりじゃないか」
「ご無沙汰してます島野先生。何か、僕に用事があるとかで……」
「ああ。夏澄君と晟君、二人の意見を聞いた方がいいかなって思ってね」
「……意見?」
きょとんとする夏澄を見て、島野は視線をある方向へと向けた。つい、そちらをつられて見てみれば、そこには一台の診療用のベッドが。
それ自体はさして問題ではない。問題はそのベッドの上。
そこには、真っ白なワンピースを着た、一人の少女が腰かけていたのだ。
白い肌。緑色の瞳に、綺麗な茶色のロングヘア。細い手足。まるで妖精がこの世界に何かの拍子でやって来たのかと思うような出で立ちだ。
しかし、その肌も服も嫌にボロボロで、足は素足。辛うじて晟のロングコートを羽織ってはいるが、身体は寒さで小刻みに震えている。
「えっと……」
夏澄は僅かに考えた後、辛うじてそう呟く。
そしてそれ以上何も把握できないことを悟ると、彼はようやくその問いを口にした。
「……彼女は?」
その問いに答えたのは、意外なことに晟だった。
「さっき、俺が保護したんだよ」