第一話 転送開始
俺の名前は神代悠人。どこにでもいる普通の高校生だ。
……少なくとも、周囲からはそう見えている。昔から思っていた。有名人というのはすごい。テレビに出る人間。歴史に名を残す偉人。世界を変える発明家。子供の頃は本気で憧れていた。だが高校生にもなると分かる。世の中には天才が多すぎる。勉強ができる奴。スポーツができる奴。何をやらせても上手くいく奴。そして、そういう奴らは大体キラキラしている。俺はどちらかというと日陰側の人間なので、あまり見ないようにしている。理由?太陽を直視したときくらい眩しいからだ。だから有名人になる夢は諦めた。天才になれる気もしない。努力を続ける才能もない。インフルエンサー?無理だ。そもそも自撮りをネットに上げる勇気がない。
俺の人生はそこで終了した。
♦︎
野良猫の鳴き声で目が覚めた。 アラーム代わりだ。迷惑な話だが、意外と正確なので文句も言いづらい。おかげで今日も寝坊せずに済んだ。世の中には昼まで寝ている人間だっているのだ。その点、俺は毎朝ちゃんと起きている。まあ、学校があるから起きているだけで、褒められたものではないのだ眠い目をこすりながらリビングへ向かう。リビングへ入ると、テレビでは朝のニュースが流れていた。
「すごいわねぇ」
母さんが感心したような声を上げる。嫌な予感がした。こういうときの母さんは、大体俺の心を無意識に抉ってくる。
「悠人と同い年でロボットを開発したんだって」
ほら来た。食パンをくわえながら画面を見る。白衣を着た少年が映っていた。
『高校生天才発明家』というテロップ付きで。強い。肩書きだけで俺に致命傷を与えられる。少年は大勢の前で堂々と話していた。拍手。歓声。期待の眼差し。同い年とは思えない。というか、同じ人類なのか少し怪しい。
「あなたも機械いじり好きなんだから、こういうの目指せばいいのにね」
母さんは悪くない。本当に悪くない。だから反論できない。
「……行ってきます」
俺は食パンを飲み込むように食べて家を出た。別に努力していないわけじゃない。
勉強だってする。バイトだってする。機械いじりだって好きだ。
でも、テレビの中のあいつみたいになれる未来だけは想像できなかった。
♦︎
駅に着いた。電車まではまだ時間がある。俺は鞄から一冊の本を取り出した。
『世界を書き換えた発明家』
タイトルが痛い。少なくとも俺はそう思う。 だから周囲に見えないよう、そっと表紙を隠した。何を隠しているんだ俺は。伝説の発明家の伝記を読む高校生なんて別に珍しくもないだろう。そう思いながらも隠す。人間とは不思議な生き物である。本には奇妙な言葉が残されていた。
『私は発明しているのではない。すでに存在するものを、受け取っているだけだ』
意味が分からない。さらに最後のページにはこうある。
――彼は、雷の向こう側を見た。
もっと分からない。
「……やっぱ天才の考えることは分かんねぇな」
俺なんて昨日の数学の宿題ですら怪しかったのに。そう呟いて本を閉じた。そのときだった。人の流れに混じって階段を降りてくるサラリーマンの中に、一人だけ妙に目立つ男がいた。髪はぼさぼさ。ネクタイは緩みきっている。目の下には濃い隈。どう見ても健康的な生活を送っている人間の顔ではなかった。
いや、むしろ生きているのが不思議なレベルである。男は虚ろな目で宙を見つめながら、ぶつぶつと何かを呟いていた。
「……来るな……」
怖い。朝からホラーはやめてほしい。俺は幽霊より人間の方が怖いタイプなのだ。次の瞬間、男の身体がふらりと傾いた。
「あっ」
避ける間もなく肩がぶつかる。
「うおっ」
思わず体勢を崩した。男は謝ることもなく、そのまま歩いていく。
(なんだあの人)
少しくらい謝れよ。そう思ったが口には出さない。知らない相手に文句を言えるほど、俺のメンタルは強くない。というか、関わりたくない。世の中には触れてはいけないものがある。熱したフライパンとかスズメバチの巣とか。あのサラリーマンとか。
(ブラック企業勤めかな。お疲れ様です、社畜の先輩)
心の中だけで敬礼する。男は相変わらず何かを呟きながらホームの奥へ消えていった。その背中を見送りながら、俺は少しだけ首を傾げる。疲れているだけにしては様子がおかしかった。まるで何かに怯えているみたいな――そんな目だった。電車に乗り込む。空いている場所を探しながら車内を見回していると、一人の小学生が目に入った。ランドセルを背負っている。しかも一人だ。
(すごいな)
俺があの年齢だった頃、一人で電車に乗るなんてミッションは高難易度すぎた。駅員に話しかけるだけで緊張していた気がする。最近の小学生はレベルが高い。というか最近は、少しでも優秀な人間を見ると落ち込む。同い年でロボットを開発する高校生。SNSで成功する同世代。一人で電車に乗る小学生。最後のは比較対象として間違っている気もするが、気にしない。現実とは理不尽なものである。そんなことを考えていた時だった。妙な違和感を覚える。嫌な予感と言ってもいい。本来なら見逃していたはずの違和感。だが今回は妙に引っかかった。視線を向ける。そして見つける。
――さっきのサラリーマンだ。
同じ車両に。虚ろな目。死人みたいな顔色。ぶつぶつと続く独り言。
「……近寄るな……」
ホラー映画なら確実にイベントが始まるタイプである。俺なら関わらない。絶対に関わらない。なぜならモブだからだ。モブはイベントを回避する。それが生存戦略である。しかし残念ながら、現実はゲームではなかった。発車から数分後。男が唐突に立ち上がる。車内の空気が少し変わった。男は無言でポケットへ手を入れる。その瞬間、なぜか嫌な予感が確信へ変わった。頼む。スマホであってくれ。社員証でもいい。定期券でもいい。せめて害のないものを出してくれ。そんな俺の願いは一秒で打ち砕かれる。男の手に握られていたのは――包丁だった。
「やめろ!」
誰かの叫びと同時に、車内が悲鳴に包まれた。乗客たちは我先にと隣の車両へ逃げ出す。当然だ。俺だって逃げる。包丁を持った男に立ち向かえるほど勇敢な人間じゃない。俺は人の流れに混ざり、出口へ向かおうとした。
――その時だった。
泣き声が聞こえた。見ると、車両の隅で小学生が座り込んでいる。さっき見かけたあの子だった。人混みに押されて動けなくなったのか、泣いている。
(……まずいだろ)
頭では分かっていた。ここで立ち止まるべきじゃない。逃げろ。早く逃げろ。そう言っている自分もいる。なのに足は止まった。なんでだろうな、と今でも思う。正義感なんて立派なものじゃない。
たぶん俺は、どこかで期待していたんだ。この子を助ければ。ニュースに出たりして。誰かに褒められたりして。人生が少し変わるんじゃないかって。そんな下らない期待を。だから俺は人の流れに逆らった。
「ほら、立てるか?」
小学生の手を掴む。涙でいっぱいになった顔が俺を見る。
「だ、大丈夫……?」
小学生が不安そうに俺を見上げる。焦っているが、それを顔に出さないよう必死に隠す。正直、俺が一番大丈夫じゃない。それでも小学生は小さく頷いた。
「う、うん……大丈夫」
俺はその手を掴み、立ち上がらせる。その瞬間だった。ぞくり、と背筋が凍る。視線を感じた。前方を見る。そこには、もう誰もいなかった。乗客は逃げた。残っているのは――包丁を握った男だけ。男はじっとこちらを見ていた。そして首元。今まで気づかなかったが、何かが取り付けられている。
首輪のような装置。そこから青白い光が漏れていた。電撃みたいな光が、チカチカと走っている。
(……なんだ、あれ)
男が低く呟く。
「――〇〇者……百パーセント……」
聞き間違いかと思った。だが次の瞬間。男の目が、真っ直ぐ俺を捉える。
「見つけた」
首輪が激しく発光した。バチバチッ――!青白い電撃が走る。
「ああああああっ!」
男が絶叫した。そして。まるで糸が切れた人形みたいに、不自然な速度でこちらへ飛び出してきた。
その手には、包丁が握られたままだった。男の身体が消えた。そう錯覚するほど速かった。
「っ――!」
反射的に小学生を突き飛ばす。ドンッ、と小さな身体が床を転がった。その瞬間。
頭のどこかで、くだらない考えがよぎる。――これで助かったら。ニュースとか出るのかな。
『勇敢な高校生が児童を救出』
インタビューとかされたりして。母さんも驚くだろうな。クラスの連中も少しくらい見る目が変わるかもしれない。もしかしたら。もしかしたら今日だけは――何者かになれるかもしれない。そんな馬鹿みたいなことを考えた。次の瞬間。胸に衝撃が走る。
――ドスッ。熱い。
何かが身体の中に入り込んだ感覚。一拍遅れて痛みがやってくる。足から力が抜けた。膝が床につく。視界が揺れる。
(あ……)
刺された。そう理解した頃には、もう遅かった。遠くで誰かが叫んでいる。小学生かもしれない。
駅員かもしれない。もう分からない。ぼやける視界の中で、男の姿だけが見えた。首元の装置が激しく発光する。次の瞬間――男の首元が閃光とともに弾けた。
「……完了しました」
機械みたいな声だった。男は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
なんだよ、それ。意味が分からない。最後まで意味が分からないままか。視界が黒く染まっていく。音も遠ざかる。体温が抜けていく。
(結局……)
何者にも――なれなかった。そう思った、その時だった。耳元で。誰かの声が聞こえた。
『適合率、百パーセント』機械のような声。だがそれは、さっき首輪から聞こえたものとは違う。もっと近く。耳元に囁いた声だった。
『転送開始』
その声と共に俺の意識は――途切れた。




