29. 池水は濁りににごり
クルアハが療養と題してゴロゴロして、およそひと月が経った。このままゴロゴロし続けるかと思いきや、部下のジョルジュが火急の知らせを持ってきた。
「大変でッ……。……何してんすか」
ジョルジュは勢いが削がれたように急ブレーキを踏んだ。
「編み込みと三つ編み」
「見ればわかりますよ」
「手入れすればするほど綺麗になって私は嬉しい」
来訪者を放置し、やや真剣な顔のクルアハとされるがままのデュドネは呑気なままである。
「で?」
右手に櫛、左手にこの世で一番美しい黒を携えたままクルアハはジョルジュに目線を移した。何の用だと目が問うている。
「早馬が来ました。曰く、サプナにて爆発物が投げ込まれ団長が怪我をされたと、……詳細は不明です」
「……嫌な予感がするなぁ」
レヴィアンが伝えてきたということはクルアハに来いということだろう。クルアハは眉間に皺を寄せて、フィッシュボーン・アレンジ版2を完成させた。
サプナはクルアハが療養しているパトリアからそれなりに近く、馬車で一日もかからない。クルアハ、デュドネ、ジョルジュは馬車に揺られてサプナに到着した。
「爆発物を投げ込まれたのは団長のようですが……、避けきれなかったシャルル殿下を庇って怪我をしたそうです。下手人は捕縛し、情報を引き出している最中です」
「庇って怪我、ねぇ……」
クルアハは訝し気に呟いた。シャルルとは誰だと思っていると、ジョルジュが新しく軍務大臣となった王弟の息子と教えてくれた。ちなみに軍務大臣交代はロシェクール失脚の余波だという情報も追加された。まったく、出来過ぎる部下である。
「レヴィアンはどこにいる?」
デュドネは厳しい顔で黙り込んだクルアハの代わりにジョルジュに聞いた。
「近くの宿で休んでいるそうです」
「爆発物を解析してくる。その間、見に行ってくれば」
「……悪い」
クルアハはジョルジュにあれよあれよと言う間に案内されてレヴィアンがいる部屋の扉の前に立った。
「ジョルジュ、人払いを頼む」
「かしこまりました」
ジョルジュを扉の前に置いて部屋に入るとベッドで大人しく横になっているレヴィアンがいた。
「遅かったな」
「……誰が何のために事を起こしたのか、察しはついてんのか?」
「当たり前だ」
あれから、レヴィアンはロシェクールの情報をもとに大捜査を行っていたらしい。王都から遠いパトリアにもその噂は届いていた。その捜査の影響で周囲の者が失脚し、権勢が陰りつつある誰かが犯人だろう。
「ボロボロだな」
「名誉の負傷だ」
「庇ったとか馬鹿みたいな話を聞いた。……どーせ避けれたろ」
「手厳しいな」
クルアハはこれはレヴィアンの予定調和だなと理解した。付き合いの長さでわかる。
「何はともあれガキに嫌なもん見せてんじゃねーよ」
「……今後に必要だから仕方ない」
子供を巻き込むことすらもレヴィアンの予定調和のうちらしい。クルアハは久々にレヴィアンに対して腹が立った。
「大義を追い、足元は見えてないんだ。そりゃよくないね」
「……あの子供は生きてるからいいだろう」
「骨の髄まで利用し尽くすつもりなだけだろ、人でなしめ」
「俺も目的のためならば手段を選べない人でなしでね」
「お前にとって善人を傷つけてやることに意味などない。だって、善人が死なないですむ世界にしたいんだろ……?」
「何事も犠牲は付きものだ。お前も痛感しているはずだ」
犠牲の上に我らはあの戦争を生き残った。それを痛いほどわかって、傷付いたお前が言うのか。遣る瀬無いとレヴィアンは暗く笑った。
「……それでこれからどうする気だ?」
「そうさなぁ」
「私がいれば手段を選んで目的を果たす道もあるはずだ。なぜ私を呼ばない?」
「とんだ自信家だな」
「悪魔はどんな願いだって叶えられる」
「……俺はお前がどうするのか、何を選ぶのか見たくてな」
「悪趣味だな、レーヴ…………」
久々にレヴィアンから試されたなと目を伏せた。レヴィアンがクルアハを試す時は多かれ少なかれ迷っている証拠だ。
「あなた!」
ノックもなしに扉が開いた。レヴィアンの妻、ブランシュがジョルジュを押し退けて部屋に入ってきた。そして、レヴィアンに大丈夫?と声をかけて心配をしている。パトリアまで届いたおめでたいニュースによると、ブランシュはレヴィアンの子を身籠っているらしい。クルアハは目の前の妊娠した妻が夫を心配するという家族の様子を眺めた。
「入れ替わりの療養になるな。……団長代理としてあとは頼む」
「ごゆっくりお休みください」
クルアハがブランシュになぜか睨まれながら部屋を出るとジョルジュがすまなそうに頭を下げた。
「どうした」
「申し訳ありません。人払いを命じられていたのに」
「ご家族を追い払うのは無理な話だ。……いつからいた?」
「副団長が入られてすぐですね」
「じゃあ、なぜあのタイミングで入ったのかな……」
「決め手はレーヴと呼ばれたからじゃないですか」
「え……」
クルアハは文字で表現するとえと当たるであろう声を漏らした。
この部屋を去るクルアハの背中をレヴィアンは扉が閉められても見つめていた。
「心配しました。……レーヴ」
扉ばかり見つめる夫にブランシュは心配そうに声を掛け、手を握った。
「……ああ、さっきの聞こえたんだ」
「ええ、何かありましたか?」
団長と副団長の間に何があったのか。団長の妻として知らねばなるまいとブランシュは考えた。
「その呼び方はしないでくれ」
「え?」
「いや何、貴女にはレヴィと呼んでほしいんだ」
レヴィアンは誤魔化すように笑った。そして、今日は何が楽しかった?といつもの会話に移った。




