54. 聖女は英雄に困っていた
長きにわたっていた五十年戦争が終結した年……今より二十七年前。その前線には英雄と聖女がいた。
アダン・オベール騎士団長。輓馬に乗って敵兵を蹴散らし、馬から降りても大きすぎる大剣で蹴散らす。強靭な肉体には矢も刺さらず、矢先に毒を塗られていても効かない。侯爵家の後継ぎであり、二十一歳にして前線を任された英雄は……非常に図体が大きく、また声も大きかった。
『部下の見舞いに来たぞ!!』
『オベール騎士団長、ドアをそんなに強く開けないでくださいといつも……』
今日も野戦病院のドアは大破。文字通り木っ端みじんになった木片は薪に使われる。
何をしでかすかわからず、脳筋で、それでいて善人で悪気のない筋肉だるま。聖女と呼ばれし神官補佐の娘、クラリスはとても困っていた。
『おお! すまん!』
『元気よく謝罪するくらいなら改善してください……ってもういませんし』
英雄は武勇を話して、談笑と共に安心させて、また去っていく。テントに帰る前にちょっと山に寄り道し、翌日にはまた新しいドアがついている。良い人なのか、困った人なのか、いやそもそも人間なのか。
どうしようかと悩んでいても、仕事がなくなることはない。クラリスは神官補佐として、傷ついた兵士に回復魔法をかける役目があった。
『女が戦場に出てくんじゃねえ!』
普段は病院で、酷い時には戦場にも駆けつける。命を懸けて国を守っている彼らの気性が荒くなることは、当たり前のことだった。守るべきものに守られる悔しさというのもあるのだろう。ましてや彼は、最新の魔法兵器の被害に遭い、足を失っていた。
回復魔法は、あくまで治癒。失ったものを取り戻したり、生やしたりすることはできない。
『ごめんなさい』
こういう時、クラリスは謝ることしかできなかった。
やるせなさに顔を伏せていた時、輓馬の地ならしが聞こえてきた。英雄が大きな声で「大丈夫かぁ!!」と叫びながら近づいてくる。見ればわかるだろう、命に別状はないが、大丈夫ではない。
『え、あの、団長!?』
『む、足がないな。俺が運ぼう!』
『いや、それよりこの女が』
苦しさに八つ当たりしていた彼の怒りが、聖なる光に当てられて弱々しくなっていく。
『女? 女じゃなくてクラリス嬢だろう』
本当によくわからなそうな顔だった。
『衛生兵も、兵だ。俺たちの仲間だ。そこに女も何もない。覚悟に性別は関係ない』
英雄は言い切った。誰よりも強い力を持ち、クラリスの弱さをわかっているだろうに。クラリスの覚悟を認めてくれた。いつもうるさくて動きの大きい英雄は、案外人を丁寧に見ていた。
『……泣かないのですか?』
『泣いてもらいたくて、死んだわけじゃないだろう』
戦死した人を悼む時、彼は泣かなかった。クラリスはうるさいほどに泣くと思っていた。彼は、自分の感情よりも他人を優先する人だった。
英雄の躍進と聖女の献身により、戦争は終結に向かっていった。クラリスが戦場に出る日は少なくなり、重傷者も減っていく。
『見舞いに来た!』
それでも毎日ドアは破壊される。
クラリスは遠い目をした。自分で作ったドアを、そのまたすぐに壊すのが、人間であってほしくない。
でも、もう諦めていた。しょうがないなぁと思いながら、地ならしが聞こえたときはドアを開けておく。すれ違うたびに目が合って、ちょっと呆れて。たまに話すこともあった。
……いよいよ、戦争が終わった。
『クラリス、結婚しよう』
『はい?』
勝利に皆が泣き叫ぶ中、一番の英雄は片膝をつき、聖女に求婚した。なんとも素晴らしい祝い事なはずが、聖女の低い声に戦慄する。しかしもっともな反応だった。
この二人、付き合ってもいなかったのである。
『恋人って言葉を知っていますか?』
『知らん!』
何をしでかすかわからず、脳筋で、それでいて善人で悪気のない筋肉だるま。明るくて、馬鹿で、まぬけで。どうしようもない人。だけど、繊細で思いやりのある人。
『私のことは好きですか?』
『大好きだが!?』
『もう、しょうがないですね』
クラリスは、そんな人に恋をした。
*
「……それって本当に好きなの?」
「とってもね」
語り終えた母は笑った。レティは首を傾げる。記憶を失っても、癖は消えない。
「恋ってこんなものでもいいの」
「こんなものって?」
「嫌いだったり困ったことがあったりしてもね、その人と一緒にいたいって思えば、それはもう恋なのよ」
たとえ、結婚後もドアを破壊されても。




