抹茶と羊羹
海理に改善点を指摘された穂乃花は修正だけで済む分文字数が少ないのもあり先ほどまでと比べるとかなり早いペースで文章を書き上げ、再びパソコンの画面を海理たちの方へ向けた。
穂乃花が修正した文章は誤字や誤用の部分にはあまり手が入っておらず、全体の完成度という意味では高いとは言い難いけれど。
海理に指摘された描写不足に関しては大幅に改善されており、聖や海理に言及する際には二人に似合いの形容が散りばめられプロ級とは言わないにせよ初心者とは思えない程度にクオリティが上がっている。
ともすれば、その部分だけに限っていえば海理の書いたものと遜色ないかもしれない。
海理の思考が穂乃花の書いた文章と自作の文章の比較にまで及んだとき、彼は大きく息を吸い込んでから何かを振り切るように首を左右へ振りいつもの如く不敵な笑みを浮かべた。
「流石、俺が見込んだだけあって上達が早いな。これなら勝負は皆咲の勝ちってことでいいんじゃないか」
「確かに、だいぶ良くなっているわね。ただ、誰の書いたものがより優れているかという話なら、それでもまだ海理の方が上なんじゃないかしら」
聖の感想を聞いた海理は一瞬だけ複雑そうな表情で笑みを陰らせたものの、すぐに調子を取り戻すと敢えて聖の方を見ないようにしながら口を開いた。
「まあ、そこら辺は好みの問題だろ。というわけで皆咲、勝負はお前の勝ちだから帰りにちょっと寄り道していかないか? 景品代わりに何か奢るぞ」
「いいの? 自分でもよくなったとは思うけど、それでもこの中じゃ私が一番下手じゃない?」
疑問を口にする穂乃花の様子は謙遜しているというよりも本心から不思議に思っているといった感じで、海理の勝利判定に違和感を抱いているのが見て取れる。
「そりゃ、細かい誤字脱字を指摘しだしたら皆咲には減点要素が多過ぎるのは間違いないけどな。別に俺たち以外の誰に見せるわけでもないんだし、あんまり細かいことは気にしなくていいだろ」
「まあ、紫芝がそう言うなら」
未だ腑に落ちない様子ではあるけれど。
海理の言う通り気にするようなことでもないと思ったのか、穂乃花が一応は納得の意を示す。
そして、これ以上の異論が出てこないのを確認した海理は早々に帰り支度を済ませると鞄を持って立ち上がった。
「じゃ、今日の部活は終了ってことで。皆咲、甘いものは嫌いじゃないか?」
海理からの問いかけに、穂乃花は気の抜けた様子で首を縦に振った。
◇
海理に先導される形で三人が訪れたのは学校の近所にある和菓子屋で、砂利の敷き詰められた道を抜け建物の中に入ると、そこにはショーケースに入った生菓子や土産用に包装された菓子が数多く並べられている。
「甘いものっていうから、てっきり喫茶店でケーキでも食べるんだと思ったけど。なんというか、紫芝って意外と渋い趣味してるんだね」
「いや、別に洋菓子より和菓子が好きってわけじゃないんだが。この店、奥の方で茶屋もやってるからな。たまたま、今日はここに来たい気分だっただけだ」
店内を見回しながら意外そうな声を上げた穂乃花に向けて簡単な説明をしてから、海理が店員に声をかけそのまま店の奥へと案内されていく。
海理に続く形で穂乃花と聖も歩いていくと三人は畳敷きの部屋に案内され、海理と聖は早々に靴を脱いでから部室と同じように並んで座り始めた。
「なんか慣れてるけど、千凪もこの店来たことあるの?」
「ええ。私たちは母親同士が仲良くて小さいころはよくお茶するのに付き合わされたから。この店にもよく来ていたわ」
「なるほど。流石は幼馴染」
遅れて穂乃花が席に座ってから海理が抹茶と羊羹を頼み、聖と穂乃花もそれに倣う形で同じものを注文する。
「にしても、皆咲は思ってた以上に上手く書けてたな。この調子なら、真面目にゴールデンウィーク中に短編の一本くらい書けるんじゃないか」
海理が今日の成果を思い出しながら非常に前向きな台詞を口にすると、穂乃花の顔には彼の口ぶりとは対照的な困惑気味の表情が浮かんだ。
「え? ゴールデンウィーク? 休みの日は部活ないんじゃないの? 私、時子たちと遊びにいったり家族と出かける予定あるから普通に部活出れないよ?」
「ああ、うん。そうか。いや、そういうことなら全然休みでいいんだけど」
前回の土日は当然の如く活動していなかったし、海理もゴールデンウィーク中の活動に関して具体的なプランがあったわけではないので穂乃花に予定があるというなら休むのに否はないのだけれど。
なまじ一人で勝手に盛り上がっていたせいか、海理の口調は一気にトーンダウンした。
そして、そんな具合に海理たちが連休中の予定について話し合っていると注文していた抹茶と羊羹がやってきて、それぞれの前に濃い緑色の液体と艶のある小豆色の物体が置かれる。
「それじゃ、ごちそうになるわね海理」
「おい。何ちゃっかりお前の分まで奢らせようとしてるんだ。勝負に勝った皆咲はともかく、お前は普通に自分で払えよ」
からかうような笑みを浮かべながら抹茶に手を伸ばした聖に軽く突っ込んでから、海理も同じく茶碗を自分の方へ引き寄せる。
「というか、今さらだけど本当に奢ってもらっていいの? こう言い方するのもなんだけど、ここって安くないよね?」
「そりゃまあ、毎日通えるような値段ではないけど。別に云万円する高級店ってわけでもないし、約束なんだから気にしなくていいぞ」
「そうよ、皆咲さん。海理はこう見えてもぼんぼんだから、遠慮する必要はないわ」
「聖、ムカつくからぼんぼんはやめろ。というか、金の話するならお前は俺よりよっぽど稼いでるだろうが」
「あら、私の稼ぎなんてささやかなものよ。なにせ、うちの事務所を一躍有名にした夏瀬さんは私と同じ年のころには既に私の十倍近く稼いでいたようだし」
「いや、あの人のアイドル時代はいろいろ規格外過ぎて参考にならないだろ」
「そうよね。それなのに、最近の獅子宮プロには夏瀬さんみたいな才能のある若いタレントがいないとか好き勝手言ってるるアンチどもときたら──」
「それに関しては理解できるけど、ここで言うのはやめような」
途中から変な方向にヒートアップし始めた聖の台詞を遮り宥めている海理を見て、穂乃花の顔には呆れと感心がない混ぜになったような微妙な表情が浮かぶ。
海理と聖の会話の中で出てきた夏瀬というのは十五年前にアイドルを引退し現在は女優として活動している夏瀬涼香のことで、世代ではない穂乃花でさえ彼女が時代を代表するトップアイドルだったことは知っている。
そんな人物の名前が知り合いとして出てくる辺りは流石同じ事務所に所属する芸能人といった感じだけれど、同時にこうして穂乃花を置いてけぼりにして自分の分野でヒートアップしている様子には芸能人とは正反対の身近な人物の影響を感じるというか。
海理と聖の二人へ本当に幼馴染なんだなあとでも言いたげな視線を向けつつ、穂乃花は抹茶を飲んだことで広がった苦味を中和すべく一口サイズに切った羊羹を口の中へ運んだ。




