3
週が明け、月曜日の朝_。夜明け前の静けさが街を包み込んでいた。
住宅街では、まだ多くの家の窓が眠りの中に沈んでいる。北村は、ふと目を覚ました。枕元の時計は午前5時を少し回ったところを指している。
薄暗い部屋の中で、彼女は静かに身を起こした。窓の外からは、夜と朝の境界を思わせる淡い青が広がっている。カーテンを少し開けると、遠くの空に細い月が浮かび、その下で街がゆっくりと目を覚まし始めていた。
洗面所で顔を洗い、鏡に映る自分を見つめる。少し疲れが残る顔。しかしその瞳には確かな光が宿っていた。
台所へ降りると、由恵が湯気の立つ鍋の前に立っていた。味噌汁の香りが部屋いっぱいに広がっている。
「おはよう。早いわね、恵理。」
「うん、今日は早めに行こうと思って。」
由恵は柔らかく笑いながら、味噌汁をお椀によそった。その手の動きには長年の習慣が感じられ、湯気が立ちのぼるたびに、北村の心もほっと和らいだ。
「今日も寒くなりそうだから、ちゃんと上着持っていくのよ。」
「うん。」
それからテーブルには、湯気の立つご飯と味噌汁、卵焼き、そして浅漬けが並べられた。北村は箸を手に取り、卵焼きを口に運ぶ。ほんのり甘くて懐かしい味が舌の上に広がる。
「やっぱり、お母さんのご飯って美味しい。」
「そんなこと言って、また向こうに戻ったらカップ麺とかコンビニ弁当ばかり食べるんでしょ。」
北村は照れくさそうに笑った。
「バレてる…。」
母娘の笑い声が、穏やかな朝の空気の中に響いた。外の光が少しずつ強くなり、障子の向こうに朝の訪れを感じさせる。
食後、北村はジャケットを羽織り、玄関へ向かった。しかし、その前に足が自然と仏間へ向かう。
仏壇の扉を静かに開くと、そこには父の遺影が微笑んでいた。柔らかな表情のまま、どこかで娘の成長を見守っているように思えた。北村は正座をし、両手を合わせた。
そして目を閉じて言った。
「お父さん、行ってきます。」
その声は小さく、しかし確かな響きを持っていた。線香の香りが静かに漂い、淡い煙が天井へと昇っていく。仏壇の脇には、母が今朝替えたばかりの新しい花が一輪挿されていた。白い菊と黄色のカーネーションが、朝の光に優しく照らされていた。
玄関では母がコートを手に待っていた。
「いってらっしゃい、恵理。」
「うん、ありがとう。行ってきます、お母さん。」
靴を履き、外へ出る。冷たい空気が頬を撫で、息が白く立ちのぼった。
東の空はすでにオレンジ色に染まり、雲の隙間から射し込む光が家々の屋根を照らしていた。
________________________________________
八王子駅のホームに立つ頃には、通勤客の姿が増え始めていた。朝のざわめきとともに電車が滑り込み、北村はその中へと乗り込む。ドアが閉まると同時に車内には静かな空気が流れ、車窓の外を朝焼けが過ぎていく。
電車に揺られながら、北村はスマートフォンの画面に目を落とした。新着メールの確認、当日の業務スケジュール。いつもと変わらない朝のルーティン。しかし、心のどこかに温かい余韻が残っていた。
________________________________________
午前7時過ぎ、北村は航空公園駅で下車した。
駅前の空には、すでに朝日が高く昇り、街路樹の葉が金色に輝いている。吐く息が白く光に混ざり、秋の冷たい空気が頬を打った。
駅から歩くこと約20分、東京コントロールの建物が見えてきた。出勤する職員たちが次々とゲートを通過し、カードをかざす音が小気味よく響いた。
北村は胸元のIDカードを取り出し、ゆっくりとゲートにかざした。電子音が鳴り、ドアが開く。
「おはようございます。」
受付に軽く会釈をし、エレベーターへと向かう。
上昇するエレベーターの中で、北村は背筋を伸ばした。さきほどまでの家庭の温もりが、少しずつ緊張感へと変わっていく。
エレベーターが静かに止まり、扉が開いた。
廊下の先には、オフィスフロアが広がっている。
ドアを開けると、モニターの光が淡く室内を照らしていた。
その中で、片山の背中がまっすぐにモニターへ向かっているのが見えた。
「片山さん、おはようございます。」
北村が声をかけると、片山は振り返り微笑んだ。
「おはよう、恵理。」
「今週もよろしくお願いします。」
「よろしく。」
片山は優しく頷きながら答えた。
「実家に帰ってたんだろう?週末はゆっくりできたか?」
「はい、おかげさまでリフレッシュできました。片山さんは?」
「俺か?特に変わりはないけど、しっかり休めたよ。」
北村はその言葉に少し安心したように微笑み、
「それなら良かったです。」
と答えた。
そのやり取りを見ていた伊東がニヤリと笑いながら割り込んできた。
「お二人とも、朝から仲が良いですね!」
「何冷やかしてんだ、お前も早く席について準備しろ。」
中山が冗談交じりに伊東をたしなめる。
梶原も笑いながら、
「まあ、そんなに慌てなくても、今週も長いからな。」
と軽く場を和ませた。
そこへ高橋がフロアに入ってきて一同を見渡しながら言った。
「よし、みんな揃ってるな。今週も頼むぞ。体調管理だけはしっかりしてくれ。」
全員が一斉に「はい!」と返事をすると、高橋は満足げに頷き、自分のデスクに向かった。
こうしてまた、東京コントロールの新しい一週間が始まろうとしていた。




