すっぽん女は、噛みついたら離さない。(修学旅行編その6―2日目)
肉食系女子の未羽様ならさくっと噛みついてペロッと食べに行くとばかり思っていたのに、意外にも未羽の返事ははっきりとした否定だった。
「――え、なんで?」
「前にも言った通り、私、忙しいもん」
「それはゲームの補正って意味で?祥子と太陽は時間の問題はほぼ終わったでしょ?」
「でもまだ終わってない。あの二人にとって一番危険なイベントだってまだ残ってるでしょ?」
「それはそうだけど……」
「それに加えてスチルの回収対象が今、こめちゃんのところ、あんたのところ、明美のところ、三か所もあるのよ?身が一つでよくやってると思うわー」
「じゃあそっちをやめればいいんじゃ――」
「それは私に死刑宣告をするに値する」
「大げさな。付き合ったからできなくなるってもんじゃないでしょうが。あんたの奇想天外な行動だって俊くんなら見慣れたものじゃない」
釈然とせずに食い下がると、未羽はやれやれと言ったように軽く首を振った。
「大体さぁ、今更何言ってんの?って状態でしょ。俊くんは私のこと何とも思ってないんだから」
「実は!とかがあるかも」
「あるか。そんなことがあろうもんなら観察マスター王座の地位を返還するわ」
一体、誰がいつその称号をあんたに与えたんだ。
じっとりとした視線を向け続けていると、「それにさ」と未羽が小さな声で付け加えた。
「……鮫ちゃんにも悪いじゃない」
「そんなの!誰を好きになるかなんて自分でどうにかできるものじゃないよ。私がそうだったじゃない」
自分で選べるなら、秋斗のエンドを補正するために、私は冬馬を好きになる前に秋斗を好きになろうとしたはずだ。それが気づいたときにはもう遅かった。私が「男性」として好きなのは冬馬で、秋斗への好き、はどうしても「幼馴染」以上のものにはならなかった。
「あんたと私は違うのよ!」
「ゲームの立場がなんてくだらないこと言ったら怒るよ?」
「そうじゃなくて」
未羽が苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
「私は、鮫島くんに許されないことをした」
「許されないこと?断ることくらい、あることでしょ?」
「違う!私は、もっと酷いことをしたの!」
「酷いことって?」
しつこく追及すると、いつもならひらりひらりと余裕で躱していくはずの未羽が珍しく素直に答えてくれた。
「私は、今年が始まった時にゲームを補正することに全てを捧げるつもりだったわ。彼が四月の段階で私のことをちゃんと好いてくれていることに気づいた時――まぁ、これがそもそもの失敗だったんだけど――あの状態から彼の気持ちをなくすことができないと思ったから、一番酷い手を使ったの。好意を持たれても応えられない、それなら逆になればいいって思ってさ」
「好き、の逆って言うと――」
「憎まれようと思ったのよ。『鮫ちゃん』って呼んでそれとなくチャンスがあるようなふりして、期待させて、断った。彼のこと、異性としては本当になんとも思ってなかったのにね」
未羽の手の中のカメラの画面にはちょうど鮫島くんと俊くんの二人が笑いながら話している写真が写っていた。盗撮だということを除けば、文句なしのいい写真だ。
それを見下ろしながら未羽が、蚊の鳴くような小さな声で続けた。
「選択したのは私。自分でこの道を選んだ。だから後悔はしてないわ。でもそんな人間が、どの面下げて、他の男に惚れましたーなんて言えるのよ」
嘘だ。後悔してないわけがない。後悔してないんだったらどうして今そんなに泣きそうな顔をしているの。この攻略対象者が大量にいる未羽の天国とも言える修学旅行なのに、そんなに浮かない顔をしているの。傲岸不遜、こめちゃんと合わせてゴーイングマイウェイ二人組の筆頭株が、私以外誰もいないこの部屋でそんな遠慮がちな声を出すの。
未羽、言っていることとやってることが矛盾だらけだよ。
「鮫島くんに、そのことは言ったの?」
「言ったわ。『人間観察が好きだから、好意を持った相手に振られる相手がどんな顔するか見て見たかったのよ。ごめんなさい。あなたのこと全然好きとかじゃないから』って言ったの。そうすれば私のこと恨んで、こんな女って憎んで、罵ってくれると思ったから。その責任くらい負うつもりだったのよ。――でも」
「でも?」
「……彼、バカよ。大バカ」
俯いた未羽の声が少しだけ震えた。
「全部言ったのに!私が彼を弄ぶために適度に連絡に応じたりして期待させたってこともぜぇんぶばらしたのに。なんで、なんであいつ、普通に接してくれるのよ……なんで『そうか』って言って頭撫でてきたのよ……!」
項垂れる彼女は泣いてはいない。そこで泣くのを潔しとしない子だもんね、未羽は。
きっと鮫島くんに言ったときもこの子は泣かなかったんじゃないかな。
でも、未羽は、完璧な悪女にもなりきれなかったんだと思う。きっとそこまで演技しきれなかった。非情すぎる悪魔な女になれなかった。それで、きっと、鮫島くんを傷つけるために吐いたセリフで一番傷ついて、それを必死で隠そうとしていることまで鮫島くんは気づいた。
私すら気づけなかったのに、彼が未羽の細やかな心遣いに敏感に気づいてくれたのは、彼が未羽のことを本気で好きになってくれたからだ。本当に好きな人だからこそ、きっと些細な表情も見ていて、だから未羽の嘘も見破った。
「だからさ。私は恋愛的に他人を好きになるわけにはいかなかったの。なのにこんな状態になっちゃって、ざまぁないわよね!なら、せめて、想いを告げてはいけないと思ってさ。告げて、解放されちゃいけない。片想いの苦しさを味合わなきゃ、鮫ちゃんに申し訳立たないじゃん」
「未羽、それは違うよ!!」
私が、天夢高校のメンバーの中で一番交流がないのが鮫島くんだ。だから未羽の話からだけで彼の人となりを判断するしかないけれど、未羽から聞く鮫島くんの姿は、私の中で、私の大事な幼馴染の姿に被る。
どんなに鈍くても、秋斗がどれくらい私のことを想ってくれたかは知っている。そして想ってくれたからこそ、背中を押してくれたことももう知っている。
鮫島くんもそうだ。そうじゃなきゃ、ゲームの事情があったことも知らないのに、酷いことを言った未羽の頭を撫でたりしない。
「未羽。鮫島くんは、秋斗と同じだよ。未羽にはちゃんと好きな人を好きになって、幸せになってほしいって思ってくれてると思う」
「いいのよ!私がそれでいいって思ってるんだから!」
未羽の両肩を掴んだ私の手は未羽によっては無理矢理振りほどかれた。
「未羽はそれで後悔しない?俊くんに好きな子が出来た時に、後悔しない?そうなったら遅いんだよ?」
私の言葉に珍しく未羽が少し間を置いてから、きっぱりと答えた。
「しない。しないわ。今の関係があれば満足。今までそうしてきたし、それで楽しかったのよ。それで十分なの」
「でもっ――」
「はい、これでこの話は終わり!」
「未羽!」
「くれぐれも余計なことはしないでね?そんなことしたらキレるわよ?」
話を半ば無理矢理強制終了させた未羽と、納得いかない私の間に緊迫した空気が流れる。そこに、「ただいまー!」と明るい声が聞こえ、部屋のドアが開いた。
「おや?なんで二人で向かい合ってるの?」
どう見ても険悪なこの空気をどう誤魔化すか……!
「み、未羽に襲われそうになった」
「ちょっと待てぃ、雪。それはさすがに無理があるでしょ。それとも何?本当は私に襲われたい願望でもあるの?」
「冗談!」
「未羽もとうとうそこまで来たか……」
「明美もそこでわざわざ乗るわけ?喧嘩売ってるなら買うわよ?」
「いやー否定するには日ごろの言動行動がねぇ。疑わしきは罰した方がいいかなって」
「逆でしょうが」
未羽が明美相手に第二ラウンドを始めようとしたところで京子が介入してきた。
「そ、それより、雪はどうして手に湿布を持っているんですの?」
「あ、これは。冬馬が手を痛めてるのに今日流鏑馬やってたから痛みがぶり返してないかなぁと思って。念のため持っていこうかと思って」
「え、それ――」
明美が言いかけたときに最後の班員が駆け込んできた。
「ふぁーギリギリだったぁ!!」
「ん?何が?」
「消灯時間だよぉ!他のフロアいたら大変なんでしょう?」
時計を見れば既に長針が十時を指している。消灯時間外に男子フロアに立ち入ったら自由行動時間に先生方と一緒に楽しく修学するというペナルティーが待っている。
「げ」
「あんたばっかねぇ!そーゆーことは先にやっときなさいよ!!」
未羽はいつも通り私に呆れ顔を見せた後、私に一枚の紙を押し付けてきた。
「ほら、これ先生の見回りルートをメモった紙!見回りが始まるんだから注意しなさいよ」
「いつの間にこんなものを。というかなんのために……?」
「計画上あると何かと便利だからよ」
この子は一体何を計画していたんだろう。
「夜這い以外に用途はないんじゃない?」
「あるじゃない!まさに今!ほら、電話してちょろっと行っちゃいなさい!」
「いやでもよく考えたら迷惑な気も……消灯時間過ぎたわけだし、寝てるかも」
「こんなに早くにあいつらが寝てるか!特に遊くんなんてまた『男のロマン』とやらを実践しようとして先生に捕まってるに決まってるわよ」
「そうですわ。寝てるとしたら今日一日で疲れ切った俊くんだけですわ。上林くんはきっと起きてますわ」
「そーだよー!雪ちゃん気にしてくれてるって知ったら絶対冬馬くん喜ぶよぉ!」
「ほら、早く電話しろっ!」
冬馬と二人だけで過ごせなかった昼間の気まずい状態を思い出して尻込みしだした私に業を煮やした未羽が、私のケータイを奪って勝手に冬馬への電話をかけた。
「あっ!!未羽の泥棒!」
「ぐずぐずされるとイライラすんの」
「は、早く切って!!」
『雪?』
あぁ、遅かった!なんでみんなの前で公開電話することになってるんだ、もう!
『どうかした?』
「冬馬、い、今から会えないかな?」
『え?』
「そのっ!湿布をねっ!!あるならいいんだ!手痛めてないかなって気になって!」
「あんたその意味不明な日本語で伝わると思ってんの?元文系主席として恥ずかしくない?」
『会う』
「伝わっているみたいですわ。」
「さすが冬馬くん!」
ギャラリーがうるさいが突っ込めない。こんな時に限って全員静かに耳を澄ましているせいで冬馬の声も筒抜けだ。
「あ、じゃあ二階にいくね!」
三階に行く、と言われる前に慌てて通話を切った。これ以上の迷惑はかけられないもんね。
「さ、いってらっしゃーい」
部屋を出て、閉まるドアの向こうに一瞬見えた未羽の顔を思い出す。
未羽のことは、気になる。このままでいいわけがない。気持ちを言わない理由がああいうことにあるんだったら、未羽は葛藤しているはず。
「伝えたい。でも伝えちゃダメ、伝えるのが怖い」の二つでせめぎ合って、それでも私にあんなことを話してきたのだから、彼女の深層では言いたい気持ちが勝っているはずだ。私は、あの子が隠し切れないくらい大きくなった気持ちを解放させてやりたい。
未羽、私はそんなに大人しい子でも「思いやり」のある子でもないって知ってるよね?
未羽がああいう態度をとった以上、未羽は絶対自分から告おうとはしないだろうから、だったら告白させてやるまで。決めたよ未羽。私、たとえ嫌われても、あんたにとことん介入してやるから。
にやにやギャラリーに叩き出された私は、覚悟を決め、先生の監視レーダーの中に足を踏み出した。




