雄弁は銀沈黙は金、があてはまらないときもある。(修学旅行編その5―2日目)
自由行動を終えた後、天夢の人たちとは別れて夕食を取り、昨日通りに班長会議も終えた。雹くんの心身を犠牲にした献身的フォローの甲斐なく、時間が経っても冬馬と二人きりになると気まずくなる現象は収まらない。冬馬の何か問いたそうな様子に気づきながらも逃げるように部屋に戻ってしまったことに罪悪感が残った。
ごめんね冬馬、落ち着くまでもう少しだけ待っていてね!と祈りつつ、そそくさと風呂を終え、部屋で一息つく。
「なんか、疲れた……」
「いろいろありましたものね。雪は今日はゆっくり休んだ方がいいかもしれませんわ」
蒲団にうつ伏せになって呟くと、一部精神的成長の止まった変わり者の多い我らがグループの貴重な例外・大人女子の京子様が傍に寄って来て頭を撫でてくれる。
「そーね。雪のためにも部屋を開けなきゃよね!ってことで、消灯まで遊びに行ってくるー」
なんだかんだ言いながら雨くんに会いたくて仕方ない明美がくすくす笑う京子を連れて出掛け、こめちゃんも会長に電話しにロビーに行ったので部屋には私と未羽の二人だけになる。未羽も静かにお宝写真集を眺めているだけで、今はちょっかいをかけようとして来ない。
悪ノリ大好きなこのメンバーも、訊いてほしくない時は触れてこないんだから、参っちゃうよなぁ。だから一緒にいて楽なんだろうなぁ。
「ねぇ、未羽」
「んー?何よー?」
「――もしかしての話で訊いてもいい?違ったらいいんだけど」
カメラをいじって今日の戦利品を確認していた未羽に起き上がってから声をかけた。
この二年間、彼女を一番近くで見てきたと自負している私が昨日今日と見ていて気づいたこと。そしてきっと私じゃないと気づけないこと――それを聞けるのはこの機会を逃したらきっとない。
「なによう、唐突に。歯切れ悪いわね。さっさと言いなさいよ」
「……鮫島くんに、付き合えないってはっきり言ったりした?」
私の疑問にカメラをいじっていた未羽が手を止め、薄茶色の瞳を眇めた。
「……ほー。恋愛鈍のあんたにしては上出来じゃない?」
「正面から断ったってこと?」
「そーよ。しっかり断った」
「それ、いつくらい?」
「夏」
未羽は一瞬遠くを見つめ、それから不思議の国のアリスに出て来る某猫のように、にんまりと意地悪く笑って見せる。
「しっかし、あの時は気づかなかったのに、なんでこんな時期に分かったわけ?」
「今日一日のあんたと鮫島君の微妙な距離感を見てたら分かるって。彼を見てちょっと気まずそうにしてた気がするんだ。天上天下唯我独尊の未羽様には珍しく」
「失礼極まりないわね」
「なんで断ったの?」
「見てお分かりの通り、私、普段の観察業務に忙しいからね。一人のモノになるなんてガラじゃないのよ。自由な未羽様だからこそ見えて来る世界ってもんが――」
「それが理由じゃないよね?」
「は?」
手元のカメラに目を落とし、操作しながら答える未羽をつい遮ってしまった。
「未羽ってもしかして案外嘘が下手?それともこの話題だからこそ?」
「どういう意味?」
「前の未羽が三百五十度くらいの視野と四色識別可能の鳥類の混合最強観察獣なんだとしたら、今は、肉食動物の視界で、かつ、二色識別機能しか持ってない犬とかと似た感じにまで弱体化してる気がするんだ、私」
「五十文字以内で答えよ」
「未羽の視野が広がるどころか狭くなってるってこと。それに、最近、未羽のあの恐ろしいギラギラした感じが減っててさ、まともになってきてる気がするんだ」
「それならあんたにとってはよかったんじゃないの」
「そこは私にとっては進化と言っても差し支えないし、このままマトモな人間路線を進んでほしいのはやまやまなんだけど――あんたが元気ないのは気になる」
無意識にか目を逸らそうとする未羽に近づき、腕を取ると、未羽が大げさにじたばたした。
「イヤー雪に襲われるー」
「棒読みでふざけてないで教えてよ。何があったの?」
「あんた、自分は上林君との気まずげな空気の理由訊かれたくないってオーラ出してみんなを追い払ったくせに……」
「冬馬とのことはせいぜい一日でしょ。でもあんたは違う。ここのところずっとだもん。あんたのことだって放っておいたよ?暫く放っておいても治らないからこうして治療しようと乗り出したわけ」
未羽は小さな子のように口をとがらせた。
「――単純に神無月くんのゲームエンド補正に忙しかったから」
「それだけじゃないでしょ?」
「他に何が?」
どうでもよさそうにこちらを見る――いや、と見せかける未羽だけど、その瞳は思ったよりも鋭い。その理由に思い当たる節はあるけど、合っている保証はどこにもない。言ってしまったら取り返しがつかない気がして躊躇い、迷うと、未羽の目の不審の色が強まっていく。
丁か、半か、と迫られ、乗りかけた勝負は乗ってやると片足を立てた江戸っ子な自分の姿のビジョンまでが浮かんだ。現実逃避に走るのは悪い癖だ。
「――未羽さぁ、好きな人、できたんじゃない?」
未羽の目の鋭さが増して、賭けに勝ったことが分かった。
「ほう。この私に好きな人、ねぇ。じゃ、この未羽様の愛なんていう貴重なものを贈られているそのお相手は一体誰だって思ってるわけ?」
二人だけの部屋が静まり返る。
ここまで来た状態でのこれは私の中で確信に近い。けど、未羽は本当にこれを言ってほしいと思っているのか、ずっと迷っていた。
恋愛を他人事のように語っていた彼女は、去年の私と似ている。未羽は私と同じで大切な人ができることを怖がっているのだという気がする。あからさまに嫌だと示していた私に対し、未羽は「観察が大好き」という隠れ蓑を持っていたから、一番気づいてあげるべき私が今日まで気づいてあげられなかったというだけのこと。
一人で困っているなら、私という他人に言われてでもそれに向き合わせるべきなんじゃないかと思う。背中を押されてこそ進めるものがあると知っている私だからこそ、未羽の友達としての私だからこそ、いつもこの子がやってくれているみたいに発破をかけて応援したい。
「俊くん、だよね?」
私の言葉を聞いて、未羽はまさにぽかんと口を開けた。そしていきなり大笑いした。
「あっははははは!何それ!よりによって俊くん!どーしたのよいきなり!」
「その反応は、大当たりーって返事で合ってるってことだよね」
私が答えると未羽が何か反論しようとしてきたので、言葉を発される前に言い重ねる。
「図星じゃなかったら、あまのじゃくで面白がりの未羽が今の場面で大笑いなんかするはずない。きっと『そーよぉ?私俊くんのこと大好きなの。キスしてみせよっかぁ?』とか言うもん」
私の断定に未羽は、うっと詰まったように黙って、顔を顰め、それからふぅーと大きく息を吐いた。
「……はー。今、年にホームラン一本しか打たないバッターを九回裏二アウト二ストライクで追い込んだところで満塁ホームランを打たれたピッチャーの気分が分かったわ」
「なにその無駄に細かい描写」
「それぐらい信じられないってこと。まさかあんたにそこまで悟られるとはね。私もおしまいねー。誰も気づいてなかったのはずなのにな。そんなに分かりやすかった?」
「こら、あんたも私を甘く見過ぎ」
未羽を軽く睨みつける。
「あんたとどんだけ一緒にいると思ってるのよ。他の人にとって未羽は一番分かんない人かもしれないけど私にとっては誰よりも分かりやすいの」
「じゃあ、いったいどの辺りで気づいたわけ?」
「あんたは何かに気を取られてるなって気づいたのはちょっと前かな。あんたが私のお弁当を掠める回数が二回に一回に減ったから」
「私はいつでも少食よ?」
「どの口がいうか。私のご飯のお肉を隙あらばかっさらっていく肉食女のくせに」
「心外ね。それから?」
「君恋と私に関わるイベントのこと以外であんたですら気を取られちゃうことって何かなぁって考えてて気づいたって感じかなー。自分じゃどうしようもなくて、気付いたら絡み取られてて、それで翻弄されるものって何かって、私が一番よく知ってるじゃないのってさ」
正座し、人差し指を立てて意気揚々と語っている私に対して、怨み深い視線が飛んでくるが無視だ。
「じゃあ相手は誰かってとこで今までの未羽がどうしてたかよく思い出した。そしたら思い出したんだ。あんた俊くんによく小学生並みのいたずらしてたり、からかったりしてたなって気づいたのよ。好きな子に好意を示したいのに示せなくて意地悪しちゃう、みたいなね?」
「私が小学校低学年男子並みだと……?この恋愛観察マスターの未羽様に向かってなんたる侮辱!」
「極めつけはこないだの弥生くんエンド補正事件でしょ。未羽、危ないところを俊くんに助けてもらったでしょう?危険ギリギリで身を呈して庇ってくれるっていうのは全世界の乙女ゲームファンが誰でも好きなシチュエーションでしょ?元々乙女ゲー狂いのあんたがあのシチュエーションに惚れないわけない」
「あんたの私への評価はよーく分かったわ。よくよくこれからの対応に検討させていただくわ……!」
未羽からどす黒い空気が発せられていることもあえて無視。事実なんだし。
「受け入れるかは自由だけど、現実を受け入れてこそ分かるものも手に入れられるものもあるんじゃないの。あんたの人柄も、気持ちもね」
「は?手に入れる?何を勘違いしているか知らないけど、私、この気持ちを彼に伝えるつもりなんて一生ないわよ」
いつものメンバーに観察者ではなくクラッシャーの名を冠されている未羽は、その名に違わず、揚揚と語っていた私の気分を一瞬でぶち壊してきた。




