足し算じゃなくて、掛け算。(修学旅行編その1)
※ 新章スタート。相対的ほのぼの章です。
今年もやってきました、修学旅行。規模は4泊5日。毎度同じくキャリーケースを引いているけれど、今年隣にいるのは、秋斗ではなく未羽だということに一抹の寂しさを感じる。
秋斗が傍にいないことを日常として受け入れられるようになったと思っていたけれど、まだまだらしい。私は自分が思っていた以上に執着心の強い甘ちゃんらしい。
班の他のみんなは既に駅に着いていた。
「今年も四季せんせーがいるんだなー」
「去年愛ちゃん先生が助っ人で来てくれたのと同じですわね」
久々の登場となる四季先生は、駅改札の方で愛ちゃん先生と打ち合わせをしているようだ。四季先生は一年生担任で、今年は科目別でも二年生を教えていない。そんなわけで、担任を外れてから、生徒会で顔を合わせる私たちを除いた二年生が先生と交流する機会はめっきり減っている。が、相変わらず生徒からの人気は高く、男女問わずたくさんの生徒たちに囲まれている。
太陽の話だと、生徒との交流の様子は去年となんら変わっていないようだから、まだまだアゲハの幼虫時代を謳歌しているんだろう。そして永遠に成虫になることなくのんびりと草を食むんだろう。
そのまま行くと一生幼虫のままだよ、先生。
ぼんやりと先生のことを見ている横ではこめちゃんがスマホをいじっている。にこにこしているから会長と何かやり取りをしているに違いない。
「俊くん、こないだの大丈夫だった?」
「うん、平気。大怪我もしなくて済んだし、跡も残ってない。それに何より――」
俊くんがそこで滅多にない飛び切りの笑顔を見せる。
「兄さんがね、気をつけろって。こめちゃんのために命を危険に晒すようなことまではするなって!」
「それって……」
「今回は僕一人でずっと見張ってなくてもいいってこと。猿くんたちと分担するんだ!」
――てことは命を賭すようなことじゃなければ見張らせるんですね会長!!
普通ならお守をさせられること自体に抵抗してもいいはずなのに無条件で喜んでいる俊くんに誰よりも強い同情を禁じ得ない。未羽がまたもや拝んでいる。
「冬馬の方は?平気?」
「大丈夫。ちょっと捻っただけで大会は大事取って出るなって部長に言われただけ。湿布貼ってれば治るからそんな顔しなくていい」
弥生くんエンド回避イベントでみんなのフォローをしていた冬馬だったが、最後無理矢理ラクダ男のナイフを手刀で弾き飛ばした時に手首のところを痛めてしまっていたことがあの後分かった。
そのせいで冬馬は11月に予定していた弓道の大会には出られなくなったのだから、巻き込んだ私が罪悪感で青りんご顔になったのは言うまでもない。
暫く落ち込んでうじうじモードに入ってしまったせいで、この前とうとう、「俺の行動は俺が決めるもの。リスク考えて自分で入ったんだからそのことについて雪が落ち込むのはお門違いだろ」と叱られてしまった。
これ以上精神的に迷惑をかけるわけにはいかない!この修学旅行中、迷惑分は必ずお返ししなきゃ!
「困ったらいつでも言ってね?ほら、重いもの運ぶ時とか気軽に言って!私こう見えて力あるよー?2リットルペットボトルの段ボールくらいなら余裕でいけるからね!」
虚勢でもなんでもなく運べる。ああ見えて未羽(君恋関連時のビーストモードを除く)の方が私よりか弱いくらいなのだ。
くいっと腕を曲げてえっへんと胸を張ると苦笑された。
「その細い腕で何言ってんだよ。俺を押してよろめかせられるくらい強くなってから申し出て」
「言ったね?今でも行ける、はず……!」
両腕でぐぐぐと冬馬の背中を力一杯押してみる。
あれ、動かない。そうか!冬馬、体幹がしっかりしているから――こういう相手には腰から力を入れて――
「戦略練って本気出そうとしているところ悪いけど、押し返すよ?」
「こける!」
「ほら。言わんこっちゃない」
こっちを向いた冬馬にとん、と軽く肩を押されただけなはずなのにこっちに来る衝撃はかなりのもの。 たたらを踏んでこけかけた手を引いて体勢を立て直させてくれた冬馬がくすっと笑った。
む。やはり前世の時のようにはいかないか、悔しい。
「あっらぁ、朝からお熱いことでぇー。いちゃつくのは着いてからにしてもらえないー?」
「未羽っ!さっきまで俊くんの隣で拝んでたのになんでここにいるの?!キノコみたいににょっきり生えてこないで!心臓に悪い!それに今のはいちゃついてるとかじゃなくて真剣に冬馬に手伝いを申し出ていただけ」
「えぇー?雪ちゃん今のは立派にいちゃついてるって言うよう?」
「そーよぉ?やるのは構わないのよ。だけど今画素数のいいカメラはボストンに入れちゃったから出せないのよ。ケータイでしか撮れないなんて、私としたことが……!」
「撮ってんじゃないの!?それに場所を変えようが何しようがそんな変なことはしません!」
私の言葉に未羽がにやり、といつものごとく意味深げに笑い、私を引寄せてこそこそと耳打ちして来る。
「分かってないわね?今年はイベントの邪魔もない。そしてあんたはちゃんと『彼女』でしょ?去年みたいにただ単に合宿を楽しもうなんて、思ってはいないわよね?」
「え、それの何がいけないの?」
「ぬふふふふ。分かってないならないでよろし。ひっひっひ」
あんたはそろそろ女子って性別をお天道様に返上した方がいい。
「それにー?面白いのはあんたたちだけじゃないわ。そこなるお嬢さん?愛しの天夢皇帝様はどこで合流するの?」
「みみみみみ未羽っ!!な。何をっ!?い、愛しとかっ!!」
私たちの様子を遊くんや京子とにやにやして見る側だった明美が動揺し始めた。
「あら、愛しじゃないの?冷めちゃった?」
「そ、そんなことない!冷めるなんてことないからっ!あ、アツアツだからね!」
「誰をと?」
「雨!!」
「はい、いただきましたー。今音声データを雨くんに送ってる」
明美がくらぁとふらつき、隣の京子に支えられた。
未羽に隙を見せるなんてまだまだだな、明美。未羽はそういうの得意中の得意な女だよ。
「で?いつから合流?」
「しゅ、宿泊地から……ホテルが同じだから……」
「やっぱあいつらいんのかー。今回もうるさくなりそーだな!俊!」
「あはは。まぁみんなの方が楽しいから。いい思い出が作れるといいね」
そんなことをしている間に向こうからわぁっという声が聞こえた。
「先生!帽子、カラスに取られてるよ!」
「あ!カラスさん!私の帽子を返してください〜〜!」
俊くんの願い通り平穏に行くと、いいのだけど。
全員が先生の帽子を咥えて得意げに飛んでいくカラスの後ろ姿を見送りながら大きくため息をついた。
新幹線の移動中はこめちゃんの隣で二人席だ。今回は未羽、明美、京子が冬馬、俊くん、遊くんと一緒に三人席に掛けている。
「こめちゃんお菓子いる?」
「うん!もらうっ!!」
こめちゃんは嬉しそうにクッキーを頬張っている。
可愛いなぁ。こんな姿を見たら会長の溺愛っぷりも頷けるってもんだ。この子が娘だったらお嫁に出したくない。うん。
これから回る広島、大阪、神戸のコースの食べ物系の名店ランキングをチェックし、「あそこで名物のお好み焼きが食べたい」とか「タコ焼きが食べたい」などと雑談している最中、ふと気になって話を出してみた。
「そうだ、こめちゃん。会長って進路どうなってるんだっけ?確か文系って聞いた気がするんだけど、お父さんの後を継いで警察官僚でも目指しているの?」
「春先輩はね、アメリカに経済学を学びに行くんだよー。」
「え?」
何気なく訊いたのだが、こめちゃんから返ってきたのは全くの予想外の返答だった。
「向こうの大学だから入学は来年の9月になるんだけどねー。先輩、起業したいって言ってたし、こっちの大学で学べることは一定程度自分でも習得できるから本場で学びたいんだって、言ってくれたの」
「え、今は……」
「向こうの入学資格になる特別な試験の勉強とか、日本の大学の勉強をやってるんだって。数学とか普通の高校生の勉強もやってるみたいだけど、『研究者になるわけじゃありませんから一定程度できればいいです』って言ってたー」
先輩の一定程度って多分基準が一般人とはずれているから恐ろしい。
「じゃあ…遠距離になるの?」
「そういうことになるねぇ」
タコの吸盤のような会長がまさかの遠距離恋愛を選ぶとは。
「――こめちゃんはこっちで4年制の大学行くんだよ、ね?」
「うん、その予定だよ」
「寂しくないの?その……4年も離れるんでしょ?」
「寂しいよー?」
私が愚問を発すると、こめちゃんは両頬に入ったクッキーをもぐもぐしてから答えてくれた。
「――でもね雪ちゃん。私、春先輩がやりたいことを応援してあげたいんだぁ!」
ちょっとだけ目を伏せて、でもそれからこっちを見てにこっと笑った。
「春先輩ね、お父さんと同じ道に進むのは嫌だってずっと思ってたんだって。ご両親の反対を必死で説得して、それでいて理系の俊くんに、ご両親からの――なんていうかな?警察の道に来てほしいっていう望みがいかないように話し合いしてきたんだ。俊くんには俊くんのやりたいことがあるだろうからって何度も東京に行って、頭を下げて。それでようやく認めてもらったんだって」
会長とつながるツールであるスマホを握りしめ、こめちゃんは少しだけ大人びた笑みを見せた。
「春先輩が外国に行って会えなくなるのは寂しいけど、でもね、春先輩が大事だからこそ、そこまでして達成したい夢に向かって頑張ってもらいたいの」
会長は表面的には暴走することばかりが目立つけれど、人知れないところで地道な努力を重ねて、周りもちゃんと思いやっている人だ。そしてその会長が選んだこめちゃんは、その小さい体躯に見合わず堂々としていて、中身のしっかりした女の子だと思う。
「こめちゃんは、大人だね。私なんかよりずっと」
「そんなことないよぉ。この話、春先輩から聞いたときはすっごくショックだったよ?行ったらやだって泣いちゃったりもしたよ?私が泣くたびに『貴女をそんなに泣かせてしまってすみません。私がこちらにいる間すべての時間は貴女に捧げます。どうか私のわがままを許してくれませんか』って言って慰めてくれたの。わがまま言ってたのは私なのにね」
寂しげにこめちゃんが笑う。
「それにね、『4年も行きませんよ。半分の時間で終わらせてこっちに来て、貴女が大学を卒業するまでに会社の基礎を整えて軌道に乗せます。そして貴女を必ず幸せにします』って言ってくれたの。私ね、春先輩のこと信じてるし、好きな人だからこそ、私が出来ることをしようって思って。それからは泣かないって決めたんだ」
それでも笑顔で語る今のこめちゃんの顔には当たり前ながら涙の影はない。そこにいるのは、一見呑気にチョコレートを頬張る小動物のような美少女だ。
「――私もこめちゃんみたいに度量の広い女になりたいな」
「雪ちゃんは度量広いよぉ。冬馬くんのために医系に変えたんでしょう?」
「なんでそのこと知って――」
「春先輩が、ちょっと後悔してたんだぁ。『情報を伝えるのが遅かったかも知れませんね』って。独り言を聞いちゃって、気になって私が訊いちゃったの。言いたくなさそうにしてたからきっと私に聞かせるつもりはなかったんだと思うよー」
そうか、会長経由か。無駄に情報を流さないあの人がこめちゃんの前でうっかり漏らしているとしたら――いけない、会長もこめちゃんも転生とその意識の混同の話を知らないから、冬馬のお祖父さんに脅されたように考えて、そして会長はもしかしたら後悔しているのかもしれない。
「違うよこめちゃん。冬馬のお祖父様のことはきっかけに過ぎなくて、私は自分の意思でこの道を選んだんだよ」
「そうなんだ!」
「うん、だから会長にもそう伝えておいてね?」
「わかったぁ!」
拍子抜けしてしまうくらいあっさり頷かれて力が抜ける。
「……あっさりだね」
「そう言われても不思議じゃないもん。雪ちゃんはもし自分の望まない進路を強制されてもそれを跳ね除けて自分の進みたい道を進んでいくでしょうー?」
「そんなことないよ。買い被りだって」
冬馬か、家族かの二択で進路選択を迫られているのだと思った時は本当に困った。
それを跳ね除けるほどの能力も人脈も財力も何もかも、私は持っていなかったから、抵抗できないと諦めかけた。三番目の選択肢の存在に気づけ、そしてそれが本当はやりたかったことだったのだと気づけたから丸く収まった、それだけの話だ。
この体験で改めて思ったこと――それは、この世界で抵抗すべきはゲームだけじゃないということだ。普通に暮らしている人にはまるで当たり前のことに改めて気づかされた。
「ううん、雪ちゃんはいつでも凛としてて、一本芯が通った人だよ。特に最近は強さに磨きがかかったと思うの!冬馬くんの心も受け止めてあげて、弥生くんのこともちゃんと解決してきたでしょう?」
「それは……私一人の力じゃ全然なくて……」
主席を取っていようが、転生者としてちょっとだけ専攻した大学生としての前世の知識があろうが、この世界で私は普通の高校生。超能力も魔力もなければ剣も扱えない。大人にこうしろ、と言われたら否応なしに従わなければいけない普通の子供だ。
普通の子供は、大人の指示に逆らえない。自分の道なんて進めない。そんな当たり前のことに、どこかで気づけていなかった。
「だからだよ!」
こめちゃんが、黙り込んでしまった私の手を持ってふるふる、と首を振り、それにあわせて可愛らしいすもも色のツインテールが揺れた。
「――だから?」
「うん!きっと冬馬くんがいるようになってから、もっと雪ちゃんは強い人になったの!」
「冬馬がいてくれるようになって……?」
「うん!雪ちゃんは元々人のために頑張ろうってする人だけど、ちょっと無理しすぎてるところがあったんだよ~。それがね。今は無理してるって感じがなくなったの。それはきっと冬馬くんっていう雪ちゃんが弱いところを晒せて甘えられる人ができたからなんだと思うなぁ。冬馬くんの弱いところを雪ちゃんが支えてあげて、雪ちゃんの無理しがちなところを冬馬くんが支えてくれてる。パワーが+2、じゃなくて、×2になったんだよう!素敵なカップルだなって私思うよ~?」
確かに私には魔力やら超能力やら特別な能力はない。そして財力も地位も、まだまだ持っていない。
今の私にあるのは、高校生より少しだけ背伸びした程度のちょっとした知力と、冬馬や未羽を初めとした大切な人たち。
でも、そのことだけで、例え普通の子供でゲームの世界じゃない問題に対しても「抵抗」できることに気づけるようになった。自分に何が出来るのか、自分が何をすればそれを守れるのか、そのために必要なものが何か、それを見つめ直す原動力を得られた。
例えゲームのイベントじゃなかったとしても、理不尽な出来事に抵抗したい。そう思えるようになったのは大切な人がいるからだ。
大切な人たちを守りたい。
その想いはなにより強くて、その大切な人たちを守るためになら、つい、背伸びしたり走り過ぎたり、ちょっと無理をしてしまう。
でも背伸びするだけだとそのうち疲れてへたって、ある時に簡単に折れてしまうかもしれなかった。
無理して息切れする自分にセーブをかけてくれる存在が出来たから、私は安心して背伸びできる。後ろを任せても絶対に大丈夫だと思える人がいるから無理が利く。
無理の限界まで頑張れるから、私は成長できる。
そうだよね。単に愛おしいというだけでは足りないくらい、私にとっての冬馬の存在は大きいんだよね。
「そ、そうかな……照れる」
「うん!!絶対そうだよ!」
「足し算じゃなくて、掛け算ってところがいいね。引き算にならないようにしなきゃ」
「もう、雪ちゃんはまた~」
ピンク色の円らな目を細めて可愛らしい笑顔を見せてくれるこめちゃんはきっと私よりも早くそのことに気づいていたんだなぁ。
このことは、私と冬馬だけにあてはまるものじゃない。こめちゃんと会長だってそうだし、きっと明美と雨くんだってそう。
人を信じて、恋する気持ちを思い出せなかった今があるからこそ、知ることができたものだ。
「――ありがと、こめちゃん」
「どういたしまして~」
見かけ通りの天然で空気の読めないところもあるのに、時にとても大人びたところこめちゃんは、楽しそうににこにこと満面の笑顔を見せてくれた。




