怒った猫は牛をも殺す。
※ 軽い流血描写があります。苦手な方はご注意ください。
物陰から見守る私たちの前で、周りを見ないではしゃいでいた葉月がチンピラ集団に軽くぶつかる。
「あ、ごめんなさい」
「それだけ~?」
「それで終わりってこたぁねーよな?」
謝ってそのまま歩き進めようとした葉月が鼻ピアスがたくさんついたリーダーぽい男(便宜上「ウシ男」と呼ぶことにした)に止められた。
「ぶつかったことは申し訳ありません。でもきちんと謝りましたから許していただけませんか?」
「オレ骨折しちまったよー!優しくなぐさめてもらわねーと割りにあわねーよ、なぁ?」
「……あぁ?」
肩を掴まれたままの葉月を庇うように立っていた三枝くんが無表情のままで怒りを滲ませたことで男たちが一瞬怯む。
彼は上背もあるし、そうでなくとも葉月に絡まれた時点で彼の逆鱗に触れているもんなぁ。
「な、な、や、やんのか?!」
「や、スダさん……!こいつやばいっす!オレ同じ中学だった三枝ってやつで、妹に近づく男100人半殺しにしたとかしなかったとか、曰く付きのやつっすよ!?」
と怯えるウシ男が気合いを振り絞っていくのと、
「五月。だめだよ殴ったら」
と弥生くんが介入したのが同時だった。
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「三枝の今の絶対素だろ。ゲームにのせようとか考えての行動じゃないだろ」
「三枝くん一体昔何してたんだろう……?」
「神無月くんに殴りかかる気がなさそうなのが不安要素ね。あくまで神無月くんがキレないとダメなのに」
場にそぐわず当て外れなツッコミを入れた男子二人に対し、意外にも冷静なのは未羽だった。真面目な未羽なんて未羽じゃない!
「どうでもいいけどさ、なんかこうやって見るとあまりに彼らがモブ悪人面すぎてレンジャーものの特撮っぽい絵面に見えない?題して、悪人軍団モーモーズ対君恋ヒーローズ」
「分かるわ。太陽くんがブルー、三枝くんがブラック、三枝さんがイエロー、湾内さんがピンク。残った神無月くんがレッドってことがいまいちかなって思ったけど、次期生徒会長ならレッドでもいいかもね。」
「……モーモーズのネーミングはどこから出てきたの、雪さん……?」
「あの一番前にいるやつの鼻輪でしょ。それで言うと、取り巻きはウシの周りを飛び回るコバエってとこ?」
「……なぁこれって神無月の退学を防げるかどうかっていう真剣な場面なんだよな?なんでこんな和やかな会話してんだ俺たち?」
冬馬、人をコバエと称した未羽の発言を含めて和やかと評したあなたも相当肝が太いと思います。
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こっちが好き勝手評釈している間にも事態は進む。
「……んだよやんのかよおめー?」
ウシ男は自分と同じくらいの身長の弥生くんの方に食って掛かる。
長身かつ殺意のにじみ出る三枝くんに向かわなかったのは、ウシ男がが小心者なのか、それともゲーム補正か、どっちだろう。
「あ、神無月だろお前?!こいつも同中だったやつっす!」
三枝くんと同中だったというウシ男に報告する男が神無月くんを憎々し気に言う。未羽の解釈に従って、周りの取り巻きくんの一人をコバエくんAと呼ぶことにしよう。
「……えーと。すみません誰ですか?」
「覚えてないのかよ!?ヤマモトだよっ!!同じクラスの!」
「五月、葉月、いたっけ?」
「覚えてませんわ」
「……興味ない」
弥生くんはゲームのシナリオに従うどころかいつも通りの丁寧な対応。絶対意識していないだろうが、幼馴染二人の即答の方がよっぽど酷い。
恐らく同級生だろうに誰一人覚えていない様子を隠されなかったことで、ヤマモトくんことコバエくんA――あ、違った。コバエくんAことヤマモトくんが泣きそうな顔のまま、弥生くんたちを指さした。
「こいつら本当に鼻もちならないやつらで!特にこいつのせいでっ。まみちゃんは俺のことっ!俺のことっ!」
「まみちゃん?……えっと誰だっけ」
「お前が散々笑顔で期待させといて勇気を出して告白したら『ごめん、彼女いるから』ってばっさり切った相手だよ!お前のせいでっまみちゃんしばらく食事ものどを通らなくなったんだからなっ!オレの片想いだって……!」
「……弥生の罪作りの犠牲者の一人か……」
三枝くんの言葉を聞いて弥生くんが申し訳なさそうに俯く。
「……そのまみ?さんのこと、僕、どうしても思い出せないんだけど。でも君にも申し訳ないことをしたみたいで――ごめん」
下手に出られたことで調子づいたコバエくんAが唐突にいきりだす。
「それぐらいで済むと思ってんのかよぉ!?あれから豹変したまみちゃんが『来ないでよ!!ストーカー男と付き合うとか考えられないからっ!私の毎日の残飯までじっと見てたこと知ってんのよ!?気持ち悪いのよっ!今後近よってきたら通報するからっ!』とまで言われてオレの心はぐさぐさにされたんだからな!」
「……それはあなた自身に問題があったんじゃ……」
端っこにいた祥子が真っ当なツッコミをいれたところ、「うっせぇ!」とコバエくんAが逆切れし祥子に手を上げた。
叩かれそうになって反射的に両手で顔をカバーしていた祥子は、いつまでも経っても手が来ないことに気づいてそっとそっちを窺ってから驚いたように前を見た。
「その足りなさそうな頭は見かけだけじゃないんですね。暴力沙汰にすることの意味、分かってます?」
自分より少し背の低い少年にただ手を持たれているだけなのにコバエくんAはぴくりとも動けない。太陽が小手を捻る形で動きを止めているからだ。
「お返事は?」
「いいっいたっ!!」
「日本語分かりますか?言い直しましょうか。このまま痛いままでもいいんですかって言ってるんです」
「分かったっ!分かったから放せよっ!!」
太陽はそれを聞いてぱっと手を放し、祥子の前に立つと軽く睨みつけた。
「ばかわんこ。この状況で余計なこと言ったらこうなることくらい分かれよ。それから俺の前に出んじゃねーぞ」
「う、うん……あの、ありがとう」
顔を赤くした祥子がきゅっと太陽の服を掴んだ。
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「うわぁ、太陽がっ!太陽が少女漫画のヒーローしてるよ、冬馬っ!!あの子成長したよ!!」
「はいはい、お姉さん。興奮はちょっと抑えような」
「立派にヒーローやってるよんだよ!?あのツンデレの弟がっ!」
ん?待てよ?不意打ちでの太陽の成長日記に私が感涙しているとなると――
そっと隣の未羽を見ると、案の定、未羽は隣でだ――――っと鼻血を垂らしたままじっとその様子を凝視しており、「未羽さん、鼻血鼻血っ!!」と俊くんにティッシュを差し出されていた。
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「ふっふざけんなっチビがっ!!」
「これだからイケメンはうっぜぇーんだよっ!!」
「何のくろーもしねーでのさばりやがって!」
「この世から消えやがれっ!!」
コバエくんAが解放されるとコバエくんBCDEが一斉にわめき始めた。
「スダさん、こいつら思い知らせてやらねーと気が済まねっす!」
「待ってください!彼らは関係ありませんから。その……昔の話は僕にしか関係ないでしょう!?」
なんとかその場を収めようとした弥生くんに、ウシ男がぺっと唾液を吐いた。
「そーゆーゆーとーせーっぽいのが一番うっぜぇんだよ!!」
訂正しよう、彼はウシではなくラクダだった。
「そうですか……穏便には解決してもらえないんですね…こっちが大人しくしてたのに……」
顔につけられたつばをハンカチで拭ったあと、ゆらり、と立ち上がった弥生くんがラクダ男に笑顔を向けた。
あ、きた。と全員が分かった。
「さっきから聞いてりゃ言いがかりばっかり言いやがって!なんの努力もしてねーくせにぐちゃぐちゃうっせーんだよっ!!俺らが努力してないとでも思ってんのかよ!?どんなに頑張ったってうまくいかないことなんかざらなんだよ!!それをイケメンだぁ?気に食わないだぁ?努力してから言えってんだこの野郎!!!」
弥生くんが、キレ、即座に三枝くんが後ろから押さえたから殴りかかなかっただけで勢いは止まらない。
「いけませんわっ!!弥生は普段温厚な分キレたら止まりませんのっ!!」
「なんだよっやるってんのかよっ!!男3人でやれるとでも思ってんのかぁ?!」
とうとう、この時が来た。
「し、師匠―-っ!!!」
祥子が大きな声で私を呼んだのをゴングに、君恋レンジャーズとモーモーズ改めラクダ・コバエ軍団の特撮ヒーローばりの乱闘が始まった。
飛び出た私たちはそれぞれの位置につく。弥生くんのセーブをかける役割を俊くんが代わり、葉月は三枝くんの後ろに隠れ、三枝くんは襲いかかってくる二人を同時にいなしている。
うっわぁ、三枝くんの笑顔が輝いている!楽しそうに笑うのはどうかと思うよ!
返り血つけてにやっと笑った想像上の姿が似合いすぎて戦慄する。
太陽は祥子を庇いながら一撃必殺(ただし過剰防衛にならない程度に抑えている)でせまりるコバエくんたちを確実に沈めていく。
冬馬は倒れたコバエくんたちを「暴行罪」と言ってまとめながら、この状況のムービーを撮っている。襲い掛かられたところから撮っているのは万が一言いがかりをつけられたときに「通行人が出す証拠」を残しておくためだ。
私は少し離れたところで防犯ブザーを鳴らし、周りの人を呼び集める。
「未羽は警察を呼んで!」
「まかせなさい!」
「け、警察っ!?」
「先に手を出したのはそっちです!」
「そ、そんなことさせるかつーんだよっ!」
ウシ――いや、ラクダ男がケータイを操作する未羽に狙いを定めて走り出した時、そのポケット付近で何かが光を反射した。
それが何であるか刹那に分かった。過激化された第3弾だったらあってもおかしくない。
「未羽危ないっ!!!」
私の叫び声に未羽が事情に気づいたがさすがの彼女もそれに目を見開いたまま動けない。
未羽が刺される。
そんなのだめ!!
「未羽っ!!!」
「未羽さんっ!!」
間一髪、滑り込んだ俊くんが未羽を抱え、ナイフが振り出されたところから未羽を庇ったおかげで未羽は無事だったけれど。
「つっ!」
「俊くん!?」
「俊!!」
おそらくナイフを見た瞬間にムービーを途中で放棄し一歩間に合わなかった冬馬がラクダ男の手からナイフを弾き飛ばしてから俊くんに駆け寄る。
「だ、大丈夫」
俊くん左上腕のシャツにじんわりと血が滲み始めていた。
「ちょっとやだっ!!俊くん、全然大丈夫じゃないわよっ!」
未羽が泣きそうな声で俊くんの腕を押さえている。
「本当に平気。ちょっとかすっただけだから。それより未羽さん、怪我ない?大丈夫?」
「私は全然当たってないから!人の心配してる場合じゃないわよ!」
「横田、早く救急車と警察!」
「そ、そうね……!」
珍しく動揺しているとすぐにわかる上ずった声で未羽が頷き、スマホを操作しているが、手が震えるらしく、上手く押せないらしい。
俊くんは大丈夫、と言っているけれど、シャツはじわじわと赤さが増しているし、なにより本物の刃物で傷つけられたショックでか彼の顔が少し青い。
もう許さない。
私はバックからお茶のペットボトルを取り出し、それを「お、お前らが悪いんだぞ…!」と震えるラクダ男にばしゃあっとかけた。
「うううううっ!!!」
残ったコバエくんたちも鼻を押さえて蹲る中、おそらく匂いでもうろうとしているはずのラクダ男の襟首を掴んで引き寄せる。
「ぐぇっ!なにしやが――」
「ナイフ出すとかばっかじゃないの!?あんた、自分が何したか分かってんの!?当たり所が悪かったら彼が死んじゃうかもしれなかったのよ!?彼が怪我したのだってあんたがやったのよ!?一度切られてみたことある?一度死んでみたことある?それがどれだけ辛いことか、痛いことか分かってる!!?ナイフを人に向けてふるうってことがどれだけ危険なことか、分かってるの!?」
がくがくと襟首を揺さぶり、そして鼻輪を引きちぎってやりたいくらいの気持ちを籠めて、睨みつける。
「私の大切な人たちを傷つけたあんたを、私は絶対許さない」
私の方が背が低かろうが、女だろうが関係ない。
嫣然と微笑んでペットボトルの底に少しだけ残った液体をちゃぷちゃぷと振る。
「これ、飲んでみる?」
匂いだけでも人が動けなくなるほどの悪臭を放つそれを飲んで無事なはずがない。
「ひっ!!」
「きっと頭の中がまっさらになるくらい衝撃的な体験ができて、あなたのその叩き直した方が世のためになるような根性も、人格も、全てきれいさっぱり矯正されると思うけど?今なら私がペットボトルを押さえてあげる。一滴残らず飲み干せるから、安心してね?」
自分の出来る最上の笑顔で流し目を決めてやる。
せいぜい怖がれ。私は結構本気だ。
「……雪、多分そいつもう聞こえてないからな……?」
おや。どうやら臭いと恐怖に負けて気を失ったみたいだ。ぐったりしてるし、なんか重いし。
「……あれ?そういえばなんでみんなそんなに遠いの?」
気づけば、冬馬を除いたみんなが、怪我したはずの俊くんや泣いて取り乱していた未羽さえも、私から500メートル以上離れており、私の周りにはコバエーズとラクダ男がばったり倒れているという戦闘ものなら私が一発KOにしたかのような状態ができていた。
「……ねーちゃん、なんでそん中で平然としてられんだよ……おぇ……」
「雪は怒りで何もかも忘れるタイプだから……。とりあえず、警察来たらシャワー貸してもらおうな、雪……」
私は、ペットボトルの中身をどっぷり被った男の服を掴み、自分もその匂いに染まっていることをすっかり忘れていた。




