窮鼠軍団は運をもつかむ。
綺麗に改装された東京駅に着いた私たちは、ウィンドウションピングをしようなどという心の余裕もなく、まずは祥子に連絡を取った。
「そっちはどう?」
『お疲れ様です、師匠。順調すぎて怖いくらいです。ルートを当初予定していたものから変えたせいか、危険じゃないイベントすら起こっていません』
「嵐の前の静けさみたいで嫌だね。あと3時間くらいで予定地点だっけ?」
『その予定だったんですが自由行動がスムーズに進みすぎて多分もっと早く通りかかります』
「分かった。じゃあすぐに向かう」
電話を切ってからみんなのところで事情を話すと、直ぐに合流できる地点まで移動することになった。
「それにしても俊くん、あまり変わらないね。驚きとかショックとかないの?」
「未羽さんのお告げが実現するよりマシ」
さっきの未羽の発言は避けられない未来になるんじゃないかな。
そう思って哀れみの目で俊くんを見つめていると、同じ視線を他にもいくつか感じたから二人とも同じことを思っているようだ。
俊くん、将来苦労しすぎて若ハゲにならないといいな。ちなみにハゲ筆頭候補は間違いなく東堂先輩だ。あの気苦労が続けば20代後半から後退が始まるんじゃないかと思う。攻略対象者様なのに。
考えていることが一致しているだろう私たちの同情のこもった目に気づかないまま、俊くんはコンクリートの地面に視線を落として続けた。
「それに正直ね、そんなに現実味がないんだ」
「そりゃあないだろうねー。夢物語でしょ?」
未羽の言葉に俊くんが首を横に振って肩をすくめた。
「どんなことやっても失敗しないような世界ならともかく、ここは、うまくいかないことだらけの普通の世界だよ。それなら兄さんや冬馬くんや秋斗くんたちがすごいのは本人の努力でしょ?もちろん、事故が起こりやすいっていう特殊性にはビックリするけど、でもそれだけ」
その言葉に未羽の肩がピクリと反応した。
未羽にとって見慣れた風景ばかりのこの世界で普通の生活を送っていると、どうしても「ゲーム」の印象が抜けないのだと言っていた。だからこそ、うまくいかない現実だと突きつけられるたびにどうしようもないもどかしさで夜も眠れないのだと言っていたっけ。
「冬馬と同じこと言うね?」
「雪さんたちといつも一緒にいてみんなを見てきたからね」
一方の俊くんは元のゲームを知らない。この世界がゲームだと聞いても、それを信じるとか疑うとか、そういう次元を超えて、ただそれを事実として受け止めたうえで、どんな事情があろうがなかろうが相手自身を見つめようとする。
ゲームが関わらない人に対しても俊くんの目は変わらない。そんな彼だから、警戒心の強い、私や秋斗、冬馬、それから未羽ですらあっさりと心を許してしまったのかも。
「冬馬くんはいつ知ったの?」
「夏休みの初めくらいかな。湾内から話を聞かされたんだよ。それで雪に連絡して、それで」
「夏休み?っていうと――」
「夏さ、茶道部合宿で俊くんと話した時あったでしょ?太陽たちのサッカーの試合中。あの時だよ。冬馬から連絡があったの」
懐かしい記憶を掘り返したらしい俊くんは目を見開く。
「あ。あの時の電話って――」
「そう。あの時、何もかも設定だなんて知ったら冬馬はどう思うんだろうって考えたら私の方がうろたえちゃって、俊くんにはたくさん迷惑かけちゃったよね。それなのにこれまで本当のことを言えなくてごめん」
「ううん。冬馬くんにも言えないようなこと軽々と僕には言えないでしょ?僕が雪さんだったとしても同じだっただろうから気にしないで」
俊くんが柔和な笑顔を浮かべてこちらを気遣ってくれる。冬馬はそんな俊くんをじっと見た後、ぽつりと漏らした。
「俊は侮り難いよな」
「え?何が?」
「どんな『裏』があろうと俊って相手を絶対受け入れるだろ?本当は訊きたいことがあっても相手のために我慢できる。俺には真似できないよ」
「そうなんだよね。だから俊くんにはこっちも心を開いちゃうのかなぁ」
「そ、そんな、大したことしてないよ」
手放しで褒められた俊くんが手と首を大きく横に振ってから、気恥ずかしそうにぼそぼそと話した。
「僕は僕が信じたいことを信じてるだけ。自分勝手な期待してがっかりすることだっていっぱいあるし……みんな僕をご大層な人物にしすぎだよ」
「それこそ謙遜し過ぎよ。なんだかんだ事情を抱えて心を閉じた人が多い中で俊くんはそれが一切ないんだから。それって一つの魅力的な才能なのにそれをわざわざ否定する必要ないでしょーよ。そこはみんなの観察第一人者の横田未羽様が保証するわよ」
「……あ、ありがとう」
他人を人前で褒めることが滅多にない未羽の心からの賛辞までもらった俊くんが照れて少し頰を赤らめていた。
そんな会話をしながら移動し、目的地に着いた。
「ここが、祥子が予定に組み込んだ場所だよね」
「来る方向はあっちからか?なら、あそこが死角になりそうだな」
冬馬の分析に従って私たちは河原近くの物陰に移動してからようやく変装道具を外した。
目的の駅に着いてからここに着くまでの私たちは一言で言って怪しかった。
冬馬は素顔を晒すと人を集めすぎてしまうことからサングラスに帽子にマスクの犯罪者にしか見えない風貌をさせられており、私と俊くんは野球帽、未羽はメガネを着けていた。もちろん未羽の発案だ。
当然のように冬馬は何度か警官の職務質問にあった。
「君、ちょっと話いいかな?」
「なんでしょう?」
「その風貌はどうしたんだい?学生かな?」
「学生ですが、今日は創立記念日で休みなんです。あと俺、ちょっと芸能活動やっててそっちの方面ではそこそこ名前が売れてるんで、顔バレするとまずいんです。せっかくの彼女とのダブルデートなんで」
そう言ってにこりと笑って私を抱き寄せながらサングラスとマスクを外した冬馬は芸能人かモデルと言われても100人が100人信じる顔をしているし、元々が犯罪臭をカケラも匂わせない優等生の空気を漂わせているから、それ以上追及されることもなかった。中には「そーかそーか、若いっていいな。頑張れよ!」と笑って送り出されたりもした。
それでいいのか、警察官。イケメンって怖い。
そういう経緯を経て、今いるのは東京の下町で大きな川の橋の近くの場所。
いくら風体が怪しくなくなったとはいえそんなところでうろうろしてたら注目は集める。都心じゃないから人がまばらにしか通らないとはいえ、さっきから通りすがりの犬をお散歩させているおばさんやらジョギング中のお爺さんやらにじろじろと見られている。
「スパイ作戦をやってる子供、くらいに思ってもらえるといいんだけど……」
「それにしては年取りすぎてる」
「逆に注目された方が助かるんじゃないかな?怖いお兄さんたちに絡まれたら通報してくれるでしょ?」
「いやいや、今回は相手が絡んできてそれから神無月くんが反撃するところでエンドが始まるからね。そこまで起こしてからじゃないと作戦は失敗、補正はできなかった、ってことになるわ」
未羽の言う通りだ。今回は誰が見ても分かるくらい明確にイベントが始まり、エンドルートに入った時――つまり弥生くんが相手に殴られ、それに反撃しようとする意思を示す時まで私たちは手助けできない。そこまで上手く誘導できるかはあの一年転生者組にかかっている。
「始まってからだって弥生くんをそれ以上攻撃させないように止めつつ相手を撃退できるのかなぁ……」
「だからもっと撃退グッズを持ってくるべきだったのよ。あんたが言ったんでしょーか。犯罪はよくないって」
「それこそ当たり前でしょ!!そもそも痴漢撃退スプレーやスタンガンでも条例やらで許されないかもしれないのにそれに加えてあんたは硫酸とかの劇薬まで考えてたでしょ!?」
「あからさまにはしないわよ?ちゃんと溶けないカプセルやらにいれて発射式に――」
「それでいいと思ってる時点であんたの倫理観や危機意識は崩壊してる。あのね。正当防衛だって認めてもらうためには、あくまでたまたま襲われてる友達を見つけてその場で助けようと頑張った、って認められることが必要なんだから!だから予め攻撃するつもりのあるものは持ってちゃダメなの。その機会に乗じて相手を撃退する気満々の証拠持ち歩いてどうするの!」
というわけで、現在の持ち物は、お茶のペットボトルと水筒に、お弁当、ペンライト、防犯ブザー、その他ここへの移動に必要だった最小限度の安全なモノだけだ。
持ち物を見返す私の手に視線を向けた未羽が呆れ顔をする。
「でも多分、私お手製の武器よりそのペットボトルの中身の方が攻撃力は強い気がするわよ?」
「大丈夫。あくまで飲み物だもの。劇薬みたいにその成分がバレたら即犯罪になるもんじゃないから」
「……雪、ばれなきゃオッケーって言ってるように聞こえるぞ」
「そ、そんなことないよ!!いつもだったら私ほど遵法意識の高い倫理観の塊はいないはず!こ、今回はそんなこと言ってられないから」
「分かってる」
冬馬は微笑んで頭を撫でてくれた。
「ただ横田みたいになったら末期だってちゃんと自覚してるかなって思ってさ」
「もちろん!ちゃんと分かってるよ」
「上林くんも雪もなに人をダシにしていちゃついてんの?いちゃつくのはカメラ構える余裕があるときにしてくれる?もったいないから」
「え、そこは『いちゃつくんじゃないわよリア充爆発しろ』とかじゃないの」
「大好物を爆発させてどうすんの。むしろ普段はどんどんいちゃついてちょうだい。エロ成分もうちょっと増やしていいのよ?最近は刺激が足りないなって思ってるくらいなんだから」
「昼からやめなさい!大体、私たちはあんたの見世物じゃない」
「見せるとかいう問題じゃなくてそもそもエロい方向までいってないでしょーが。そろそろ私の手助けが必要なんじゃないかしら?」
「余計な手出しは不要だからね!?」
「ふふふふふ、安心して?色々計画は練ってるから」
「人の話を聞け!!」
人一人の人生を変えるかもしれない覚悟を固めていた新幹線内の真面目な未羽さんは既にお空の彼方にいってしまっているらしい。いつも通りの平常運転だ。
「そ、それより未羽さん、さっきから気になってたんだけど、それの中身って何なの?会話からするにどうやらただのお茶じゃないみたいだけど」
俊くんが指さしたのは、ペットボトルと水筒だ。一見普通の緑茶入りペットボトルだけどもちろん中身は「お茶」じゃない。私たちが持ってきた物は、今回のイベントを防ぐための撃退グッズとして威力があり、かつ正当防衛を認めてもらえるぎりぎりセーフな物。その中でも一番危険度が高いのがこのペットボトルと水筒だと思っている。
「俊くん、世の中には知らない方がいいものがあるよ」
「え?」
「あ、ちなみに開けたら絶対に近寄らないでね。一緒に被害を受けるわよ?」
未羽の言葉に俊くんがペットボトルから3歩以上離れた。
彼は日ごろの苦労から直感的に何が危険か察知する能力に磨きがかかったらしい。
「あ、来たわよ。予定より1時間以上早いわね」
未羽の言葉にみんな一斉にそっちを見ると、確かに川の近くが賑やかになっていた。葉月がはしゃいでいて弥生くんがそれを苦笑しながら止め、太陽は呆れて見ている。三枝くんはいつも通り無表情なので緊張している様子は窺えない。
祥子はというと―――
「あー。分かりやすく張りつめた表情しちゃってるなぁ」
「湾内はどう見ても感情を隠せないタイプだから仕方ない」
何かを警戒するように全身レーダーになっている祥子の顔は強ばっている。そしてそんな祥子の様子に気付いた太陽が怪訝な顔をしている。
「まぁ大丈夫だろ、三枝の方が落ち着いてるから湾内が何かやらかしてもフォローしてくれる」
「そういえば太陽と祥子ってどうなったんだろう?」
「え。付き合ってるんじゃないの?あの二人どう見てもお互い好き、だよね?」
「意地っ張りで恋愛系に免疫ないあの子が祥子にさっさと気持ちを伝えられるわけがない。だからきっと付き合ってない、に1000円」
「いや、俺は『確かに気にはなるけどそれが恋愛感情であることにすら気づけていない』状態である、に1000円」
「うわぁ……太陽くんって恋愛の思考回路もお姉さんそっくりなんだね……」
「どういう意味かな、俊くん?間の取り方にも悪意を感じるんだけど?」
「え、いやそのえっと――」
「……あんたたち本当に余裕ね。ほら、もう一方も来たわよ?」
未羽さん、自分だけがマトモって顔してるけど、もともとあんたがこういう流れを作り出したんだからね?
目を未羽が見ている方向にやれば、確かに、知能指数はお猿さんの方が上なんじゃないかなぁと思われるくらいだらしない顔で服を着崩した、これぞチンピラ!という様子の若い集団が太陽たちの方に向かっていた。
「人数が予想より多いね」
祥子がゲーム画面から予想した人数は三人。だけどあの集団は八人もいる。
「倍以上か……。さて、どうすべきかしらね」
未羽が彼女らしくなく緊張してごくり、とつばを飲む音が響いた。




