君子危うきに近寄らず、誘惑にも近寄らざるべし。
あの日あの後は結局冬馬の方が私を家まで送ってくれた。帰宅後に唇が切れていることを太陽に見咎められたが、そこは足を引っ掛けてこけかけた時に自分で噛んでしまったと言い訳しておいた。
当然ながら太陽は全く信用していないようだったけど、それ以上追及してくることはなかった。
あれから二日後の金曜日の昼休み。
あの日の天夢高校の特別体験授業で推薦をもらった私と俊くんは、無事に数学教師から君恋高校推薦ももらい、成績証明書と一緒に提出したので特別授業が受けられることになった。
「あとは全額免除試験だけだね」
一緒に職員室に行った帰り、俊くんと私は推薦状を手に廊下を歩く。
「本当に!私たちの修学旅行が終わった直後だよね」
「よければ一緒に勉強する?」
「うん!!ちょうど俊くんに化学教えて欲しかったの!助かる!」
「僕も雪さんに数学教えてもらいたいから良かったよ。冬馬くんにも声かけようかな?」
「冬馬に直接教わった方が効率いいし、そうしようか」
「それより冬馬くんが気にしないかなと思って。あ、でも一昨日から冬馬くん元気になったし、機嫌良さそうだから大丈夫かな?雪さんもご機嫌だよね?なんかあった?」
「ふふ。冬馬と心の距離が縮まりました」
私が右手でブイサインを出すと俊くんは、「やっぱり!さすが彼女さんだね」と言っていつもの通り見ているだけで癒される柔らかい笑顔をくれた。
「そうだ。遊くんたちが修学旅行の班決めと行き先を決めるからこれから集まろうって言ってたんだ。来られる?」
今日までの仕事溜まってるが……でもみんな集まってるならそっちの方が優先だよね。
「うん、行く」
A組の教室に戻ると、いつもの面々はこちらに訊くことなく班構成の紙に名前を書いていた。
「あ、そこは決定済みなんだ?」
「それ以外ねーだろー!なに?雪ちゃん他の人と組みたいの?」
「いやいや全然!!遊くんとか人気だから他の人と行くのかと思ってたから、またこのメンバーで行けるのは嬉しいなぁって」
「さすが雪ちゃん、見る目ある!明美ちゃんならあっさり俺のこと放りそうだもんな!」
「否定はしない」
「否定して!お願いだからそこは否定してよ明美ちゃん!」
「冬馬くんや俊くんとは全く違う意味で人気だもんねぇ~」
「こめちゃんも!そういうの要らないから!」
鼻息荒く自慢していた遊くんは、いつも通り明美に切って捨てられ、天然こめちゃんにとどめを刺された挙句、HPゼロとなった。
「秋斗くんがいてくれたら去年と全く一緒だったのにねぇ〜!」
「そうですわね。また秋斗くんが帰ってきた後にみんなで旅行に行きたいですわね」
「だよね!別に高校時代が全てってわけじゃないし!それより場所を決めちゃいましょーよ」
京子や明美の言葉が前に彼が言ってくれたことを思い起こさせる。
あぁ、本当だね、秋斗。例え一時的に距離が離れてもみんなとの繋がりはなくならないね。
「候補地は?」
「東京横浜、大阪神戸、……イギリスだよ」
その中の一つの場所名はその名前だけで私に彼の存在を連想させる。イギリスの文字を読んだ冬馬だけでなく、みんなが私を一斉に見た。
「……イギリスは……まだ自信ないな」
エメラルドの瞳に私を映して、整った顔をくしゃりと無邪気な笑顔に変えてくれるところを見たくて仕方ない。
でも彼は私と今年話さないと決めてそれを貫いているから、私がその決意を壊すわけにはいかない。彼から話してくれてようやく私は彼と話す資格をもらえる。今はまだだめだ。
他のみんなもみなまで言わなくても私の気持ちは分かってくれたみたいで特に反対はされなかった。
「じゃあ、東京横浜か大阪神戸かだねぇ!」
「それにしても、この選択肢のバランスの悪さ、どうにかならないのかしらね」
「未羽、そこは言っちゃだめ!」
未羽がプリントを持ち上げてため息をつく。
この日本オンパレードの中にイギリスが候補に入っている理由が、一年目のゲームのエンドの結果なのかは分からない。祥子に詳しく訊いてみたら分かるのだろうが、秋斗と係わるつもりはないので、あえて訊く必要はない。
「東京横浜は個人的にはあまり好きではないですわ……人が多いと気分が悪くなってしまうのです……」
「僕も、比較するとだけど、こめちゃん迷子率が高そうで……遠慮したいかな」
「迷子になんてならないよぅ!」
「こめちゃん、去年の合宿を経た後だと全然説得力がないよ?」
何せ去年祭りに巻き込まれて一時行方不明になった子だ。
「うぅ、そっかぁ」
「じゃあ、大阪神戸にすっか!」
遊くんの言葉を聞いて明美がケータイを弄っている。
「明美ちゃーん?何してるのー?」
こめちゃんが覗き込むと明美が少しだけ照れたようにして頬を染め、ケータイを隠した。
「おやおやおやぁ?」
「これはこれはこれは」
「雨くんだね」
未羽、京子、私でにやぁと笑うと、明美が慌てたように早口で言い訳をした。
「あ、雨がっ!なんか向こうの修学旅行先の決定権を生徒会が交渉の末に手に入れたらしくって。時期と場所を合わせたいって……」
雨くん職権濫用!!会長並みの公私混同だ。
「あいつなら宿泊先から訪問先まで1つ残らず被せてくることだってやりかねないな。最悪、タイムスケジュールまで……」
冬馬が的確な指摘をすると明美がだよねぇと苦笑する。
「まーでもいいんじゃね?俺らもまたあいつらに会いてーし。生徒会のやつらは会えるし、明美ちゃんも会うだろうけど、俺と京子ちゃんと未羽ちゃんはこういう機会ないとまず会わねーだろ?」
「そうですわね。久しぶりにお会いしたいですわ」
「私はこないだ会ったけどねぇ」
「何回も会う分にはいいじゃない?あんたの場合特に目の保養でしょ?」
「まぁねー」
「というわけで、大阪神戸コースに決定な!俺出しとくぜ!」
「ありがと遊くん!」
修学旅行の場所が決定したところ後は、授業を受けて生徒会のお仕事をこなす。一週間のお仕事をどんどん消化させていかないとパンクしてしまう。
「ふぃ〜あとはこれを剣道部と華道部と映画研究会と乙女ゲーム愛好会に聞きに行って、そのあと構内巡回、と。あ、風紀違反者招集かけて没収品返却もやらないと。げ。なんで風紀違反者が40人もたまっているの?照合に時間かかるじゃん。うわー最近この辺り放置したツケが回ってきたー」
ペンをくるくる回しながら自分の計画性のなさを嘆く。こんなことにならないよう、きちんとスケジュールを確認すべきでした。社会人なら失格だ。
「雪、詰めすぎ。ちょっと休めって」
部屋にいた冬馬は、私の口頭確認を聞いて眉を寄せている。
「えーでもー今週中にこれ終わらせておかないと太陽や祥子が合宿から戻ってきてから困るもんなぁ」
特に祥子は私以上に焦って空回りするだろう。
「でも雪ちゃんかなりパンク気味でしょ〜?」
「へーきへーき!本当にあとこれだけなんだって」
「女王陛下、お顔の色がよくないッス!カモミールティーを淹れておいたッス!あとお茶菓子も新しくトリュフを作ってみたッス!」
「え?!トリュフ?!猿くん食べる食べる食べる〜!」
こめちゃんは猿のところにるんるんで跳んで行った。
「女王陛下、巡回は代わるんすよ!」
「そしたら揉め事起こった時にここにいてくれる人がいなくなっちゃうからダメだよ。心配ありがとう桃」
「雪、その巡回は俺が代わる」
「悪いよ。冬馬もかなり忙しいのに……」
「過労っていう危機意識に欠けた彼女が仕事と勉強でいっぱいいっぱいになって俺の存在を忘れることの方が困るから」
そう言いながら冬馬はさりげなく私の髪を撫でながら、な?と「お願い」してくる。
ひぃっ。ここには見回り中の俊くん以外みんながいるのになんでその彼氏モードに入っちゃうのかな?!
ほら、こめちゃんが口にココアパウダーが付けたまま嬉しそうににこにこしてるよ!
「そうだぞ雪くん!」
「そうなのですよ、ゆきぴょん」
「美玲先輩!泉子先輩!」
ドアが開く音がして常に姿勢のいい美玲先輩が見事な舞台歩きでこちらに近寄ってくる。泉子先輩はその前でデレデレの猿にトリュフを勧められて止められた。
「風紀違反者の没収品返還は任せろ。私もここのところ生徒会に顔出し出来なくて鬱憤がたまっていたんだ!」
「でも先輩方、お忙しいでしょう?」
「美少女を愛でて癒されるという私の栄養を補給しに来たんだから気にしなくて構わないぞ!その程度の仕事、泉子と二人でやればあっという間だ」
「そうなのです!それにちょうど二人の甘いシーンを見たおかげで勉強で荒んだ心が癒されたのです!試験前に少女漫画を読んで甘々描写にゴロゴロして現実逃避するあれを間近で一瞬で体感できたのですよ」
先輩の言葉で今私の精神はトドメを刺されました!
「ほら、雪。先輩方もこう言ってるんだから甘えたら?」
「そうだ、雪くん、先輩の厚意を無下にするのも失礼というものだ」
「わ、わかりました。この会計の仕事だけは人に頼むのは難しいから終わらせてきます!」
そこを出て行く私を、先輩方は見送ってくれた。視線は非常に生暖かったけども、




