生まれは関係ない。(冬馬動乱編その14)
※鬱展開注意。
明かされた事実に三人が固まっている間に、三枝くんがやや乱暴に自分の母親を立たせ、駅の方に連れて行く。
三枝母の方は、冬馬の方を振り返りつつ、三枝くんに抵抗しているのだが、力の差は歴然だ。
「ま、待って五月。私は彼にまだ――」
「いい加減にしろ!あんたという人は懲りずにまた俺たちの生活を壊す気か?!」
押さえきれない怒りを言葉の端々に覗かせ、三枝くんは吠えた。三枝くんがこれほどはっきりと感情を吐露するのは初めてだ。
三枝くんが、肩を切らし、殴りかかろうとするのを我慢するがごとく、硬く握りしめた拳を震わせる。
「……お願いだ。もう、帰ってくれ」
呼吸を落ち着かせ語る彼の口調は、頼りなく、懇願するような響きを帯びている。
「俺たちの、そしてもちろん、上林先輩の近くに今後一切関わらないでくれ……あんたが俺たちの母親としての情を少しでも持っているなら……!」
三枝母は、はっとして瞳を大きくし、自分よりも大きくなった息子を見、そして弥生くんにもたれている葉月を見る。そして、開こうとした口を一度閉じ、唇を戦慄かせた。
「……お邪魔しました。もう連絡いたしません」
三枝母は、三枝くんの手を離れ、冬馬に頭を下げると駅に消えた。
彼女の姿が見えなくなった途端、葉月がへなへなと地面に座り込みそうになり、危ういところで弥生くんと祥子が支えている。
「冬馬」
私はその様子を傍観する冬馬の目の前に立って大きく頭を下げた。
「勝手に覗き見ちゃってごめんなさい。冬馬の様子が日曜からおかしかったから、気になってて、ついこんなことをしてしまいました」
「……なんで、今日、ここだと分かった?」
「日にちは……覚えているか分からないけど、冬馬がこの前、もうすぐって呟いてたし、直近で私が冬馬と帰らない日は今日だけだったから……」
「……場所は?」
未羽をちら、と見ると彼女が頷いたから正直に答える。
「冬馬のケータイのGPSを探知させてもらった」
「……なるほどね、横田か」
冬馬は軽く未羽に視線を投げ、大きくため息をついた。
「雪、俺が話してたこと、聞いた?」
「うん。でも知ってた」
「知ってた?」
「その……設定で。むしろ冬馬が知らないと思ってた」
「……あぁ。つまりこれは設定されてたってわけか」
乾いた笑みを浮かべる冬馬に再度謝る。
「ごめん。冬馬が私に知られたくないと思ってることにも気づいてた!こんなこと言い訳にもならないけど、もし冬馬がこれを知ったらどんなに辛いだろうと思って……知ることがあるなら私も一緒に支えたかった」
「俺はその設定上の『上林冬馬』ほど阿呆じゃなかったってことだな。三枝たちとの関係なんて、5月に体育祭で自己紹介する前から知ってたよ」
「なんで知ってるの…?」
「ふぅん。その様子だとここは設定されてない、のかな。ゲーム知識があってもここはお見通しにはならない、か」
「冬馬!」
どこか投げやりな様子に私の危機感は募る。
冬馬が知られたくないと思っていたことに勝手に土足で踏み込んだ私に冬馬を止める資格なんてない。
だけど、それでも空虚に笑っている冬馬を見ていられなくて止めた。
「私は、冬馬の支えになりたい!どんなことがあっても!どんな冬馬も受け止めたいの!勝手に覗き見たことは謝るしか出来ない。でも!最初から冬馬が浮気したんだとは思ってなかった!私が出来ることしたかったの。何度だって謝る、だから私にも受け止めさせて」
「……それ、これから言うこと聞いても言えるかな」
「え?」
何度謝っても、何度伝えても、私の言葉は今の彼には届いてない。
私のしてしまったことはそれほどまでに重いのか、それとも、それほどまでに彼の心の傷は深いのか。
その両方な気がする。
「五月。三枝。話してもいいか?」
「……はい。構いません。弥生たちも、横田先輩も、気になりますか?」
「気になるけど俺らが聞いていいもんじゃねーだろ」
「いえ!教えて!!」
「湾内?」
こういうことに関してはきちんと大人の対応ができる太陽が身を引こうとしたが、祥子ははっきりとした声音で太陽を止め、三枝くんを見据えた。
「葉月が!友達がこんなに苦しそうなのに放ってなんかおけないもの!」
葉月を支える祥子が一番力強い言葉で冬馬と三枝くんに訴える。
「……じゃあ、移動しよう」
それだけ言って冬馬が歩き出す。
いつもは、今の祥子のように強い意志の宿る冬馬の瞳はガラス玉のように空虚だった。
####
さっきまでいたカフェとは違うチェーンのカフェに入る。
誰もが食べ物を食べる気分にはならず、飲み物だけ買って席に着いてから三枝くんが口を開いた。
「……俺たちの母親は、上林先輩のお母上の中学時代からの後輩です。中高短大まであるお嬢様学校の1年後輩として、俺たちの母親は上林先輩のお母上をとても慕ってました。……そう、お姉様と呼んで常に一緒にいるくらい」
「お姉様」のフレーズに、葉月が、ちら、と私を窺う。
なるほど。葉月が私を慕ってくるのと同じような感じだったのか。
「……二人の関係は上林先輩のお母上がご結婚されてからも続いたんです。誕生日にはお祝いに行って、クリスマスはパーティーに招いて、……先輩ご夫婦のご自宅にもよく遊びに行っていたそうです。上林先輩のご夫婦は、その当時は……それほど冷え切っていなかったと聞きます。それどころか、それなりに仲睦まじい夫婦だったと」
聞いていた話と違う。
ちらりと冬馬を見ても、冬馬は私を決して見ようとはしない。ただ、アイスコーヒーの表面に浮かぶ氷だけを見つめている。
「……いつの日からかは分かりませんが、そんな俺たちの母親が上林先輩の父親である上林和馬に惹かれるようになったそうです。そして、それに対して上林先輩の父親――上林和馬が何を思ったかは知りません。俺が知っているのは、俺たちの母親は8年の付き合いの自らが慕う先輩を裏切って上林和馬と通じるようになったということだけです。……そうでなければ、俺と葉月はここにいませんから」
葉月が瞬きもせずにぼんやりと空を見つめている。
語り手である三枝くんは淡々と、事実を羅列するように述べていく。
「……俺たちが母親の腹に出来た時に上林先輩のお母上は二人の裏切りに気づいたそうです。その時には既にかなり身重の状態で、知った時はショックのあまり流産しかけたと聞きます」
三枝くんの話の方が正しいのだとすれば、その時の沙織さんのショックはいかほどのものだっただろう。
愛している夫と、可愛がっている後輩の長期間の裏切り。加えて、その後輩のお腹には子供がいたわけだ。
冬馬が以前、ゲーム設定という言葉で終わらせられないと言った理由が少しだけなら察せられる。
仲睦まじい両親の間で、祝われて生まれてきた私に、その気持ちを完全に理解できないだろうことが分かるくらいには、それを知った時の彼の絶望は深かったのだと思う。
市販のアイスティーが舌の奥に残って酷く苦い。
「……俺たちの母親の妊娠に気づいた上林和馬は当然堕ろすことを求めました。母親も流石に上林先輩のお母上に対する罪悪感から俺たちを堕ろそうとしていたようです。……でもそれを止めたのは上林先輩のお母上でした。そしてその時、上林家のご当主だった上林健之助氏は上林和馬に離婚するように迫っていたそうですが、それを断ったのも上林先輩のお母上でした」
「え?!な、なんで?憎い浮気相手と夫なのに……」
祥子に答えたのは冬馬だった。決して誰の顔を見ることもなくストローをかき混ぜる。
「母さんは、自分に対して少しでも悪いと思うなら、その子たちを産んできちんと育てろと言ったらしい。そして、あの男には離婚及び上林健之助の後ろ盾を失わせないことを確約する代わりに三枝たちの出生届をきちんと出させ、認知することを求めたんだ」
「……俺たちがここに存在できて、戸籍もあるのは上林先輩のお母上のおかげなんです」
冬馬の後を引き取った三枝くんが話を進める。
「……上林和馬は妊娠した母親には興味を示さず、それ以降一切会うことはなかったそうですが、その条件を得るために俺たちを認知しました。母親は、上林和馬に捨てられたことから茫然自失したらしく、俺たちは生まれてからほとんど育児放棄されてました。……そんな不貞の産物である俺たちを育ててくれたのは、母方の祖母です。祖母はマトモな人だったので、腑抜けの様な母親を叱咤したらしいのですが、それでも母親は変わらないまま。それが原因で母親は祖母から勘当され、俺たちはあの人のお陰で人間として大切なものをきちんと教えられました」
からん、と誰かの飲み物の氷が解けて落ちる音がする。周りのざわめきがどこか遠くのもののように聞こえる。
「……今お話したことは俺が中学に入った時に祖母から聞きました。葉月を守れるのは俺だけだからと。そういうわけで、俺たちにとって、上林先輩のお母上は命の恩人で、先輩は血縁上の異母兄にあたります。ですが、憎き裏切り者の子供として、先輩のことを兄と呼ぶことすらできないと思いました。だからこのことは伏せてここに入学して、何か恩返しできないかと思ってたんです。先輩もご存知ないと思ってましたが……」
ここで言葉を区切った三枝くんが初めて冬馬に尋ねた。
「……どうして俺たちのことをご存知で?体育祭で会った時には分かっていたと言っていましたが」
「……あぁ。お前らには二度会ってるからな。最初は、7歳の時にあった親類の集まりの時。当時、誰一人として俺にこの話を直接は教えてくれようとはしなかったけど、小さい頃から親類の集まりで口さがないやつらの話を耳に入れて、あとはあの男の所業を知っていたら想像はつくし、少し調べたら分かる。あの時だよ、俺が母さんを守るために生き、あの男に復讐することを決めたのは」
語る冬馬の目はこれ以上なく暗く、そして誰もが口を開けない。
冬馬は暗いままの瞳を葉月に向けた。
「一つ訊きたい。三枝。お前、なんで雪に近づいた?俺に近づくためか?」
「ち、違いますわ!!逆、ですわ!」
葉月は深紅の目から涙を零して冬馬を見た。
「逆?」
「……葉月は、この話を高校入学直前に聞いて上林先輩に申し訳がないと思いましたの。だから受験して受かった後、この話を五月に聞いた時、君恋高校に入学することをやめようかとも思ったのです。……ですが、一度だけ。最後に一目、唯一の兄である上林先輩のお姿をもう一度確認しておきたかったのですわ」
言葉だけ聞けば、恋する少女の告白だったが、言葉を切って冬馬を見た葉月の目には、怯えの色が浮かんでいた。
「……葉月が9歳の時の親族の集まりの時でしたわ。恥ずかしながら、葉月は、あの時は何の集まりかもなぜ連れてこられたのかも分かっておりませんでした。祖母がただいろんな人に頭を下げていた記憶しかありませんわ。『子供達は子供たちでね』、そう優しく微笑まれて上林先輩と一緒に遊ぶように上林先輩のお母上……あの時は綺麗なお姉様としか思いませんでしたが……に言われ、上林先輩と同じ部屋に入れられたのです」
葉月はそこで視線を下に落とした。
「……正直、先輩は怖かったですわ。たくさんの大人の前でにこにこしていた綺麗な男の子が、子供たちだけになった途端に、まるでゴミでも見るような目で葉月たちを見たのです。それでも、お友達になれるかもしれないと浅はかにも思って話しかけた途端、『君たち、僕と口を利ける存在だとでも思ってるの』とだけ言われてさっさとお一人で本を読み始められて、五月と二人、震えましたわ」
私の知る今の冬馬からは考えられないほどの暴言に、みんなが目を見張る。しかし、冬馬は否定もせず葉月の話に耳を傾ける
「……怖かったですの。怒りよりも、恐れと怯えでいっぱいになりました。こんな人が大人になったらどうなってしまうんだろう、葉月はそう思いました。後で事情を聞いた時、あの目の理由もようやく理解できましたわ。あれからちょうど10年弱。あの人が高校生になってどうなっているのか……。葉月は気になりました。今後関わっていくべきじゃない、関わっていい相手ではない、でももし人として道を踏み外していたら葉月と五月でなんとかできないかと、それであの上林先輩のお母上への恩返しになるんじゃないかとそう考えました。それを見極めたかったのです。だから、今年の2月の終わりに一度ここに来たのです」
そこで一旦言葉を切り、飲み物で乾いた喉を潤してから葉月は続けた。
「けれどもさすがに上林先輩のご自宅の近くに行くことは躊躇われて、学校に行ったのですわ。ちょうど、高校見学のような形で入学予定者の立ち入りが一定の場合は認められていましたから。運よく、そこで先輩を見かけたのですわ。今なら分かりますが、俊先輩や明美先輩、まいこ先輩とご一緒に笑っている。人間らしい表情で、上辺だけじゃなくて笑っていることが一目で見て取れて仰天しましたわ。何があったのかと思いました。でもすぐに分かりましたわ」
葉月が、私を見た。
「皆様の、いえ上林先輩のすぐ近くにいるお姉様のお姿が目に入りました。先輩がお姉様を見る、愛おしくてたまらないという表情や『雪』と呼ぶ柔らかい声を聞いて、あの人が上林先輩の恋人なのだとすぐに分かりました。その時、上林先輩をあそこまで変えた相田雪という方を知りたいと思ったのです。知って、お姉様こそ葉月たちがお支えすべきだろうと思ったのです。それから後、何度か学校に行ってお姉様のことを伺いました。色んな噂がありましたが、それでももっと知りたいと思ってしまいましたの。だからお姉様に近づいたのです。それからは見ての通り。お姉様の人柄を知れば知るほど惹かれましたわ」
葉月はまっすぐに冬馬を見つめた。
「だから、上林先輩が仰ったことは逆ですの。異母兄である先輩に近づく道具ではなく、お姉様ご自身に近づきたかったのです」
そんなにご大層な人間じゃないんだけどな……私。
葉月の視線を、じっと見極めるかのように受け止めていた冬馬がようやく口を開いた。
「……正直、話に聞いた俺の母をお前らの母親が慕う姿が被って最初は排除しようか迷った。でも様子を見てて違うと思った。だからそのまま雪に近づくことを止めなかった。……もし同じだったら、どんな手段を使っても雪から遠ざけるつもりだったけどな。これ以上俺の大切な人を傷つけられてたまるか」
「それは違うと申し上げられます」
はっきり、しっかりと冬馬を見返す葉月を見て、「分かってる」と冬馬が返した。
「……これが俺と葉月の知る全部です、相田先輩」
話をする相田、三枝くんは終始私を見ていた。
「私に語ってたと言うの?なぜか訊いてもいい?」
「……なんででしょうね、俺にもよく分かりません。強いて言うなら、今のお話は相田先輩にしたつもりだから、ですかね」
「そう」
三枝くんは淡々と語り、表情を変えずに妹と同様に私を見た。
彼が転生者としてどこまでのゲーム情報を知っていたかは分からない。それでも彼は全部を抱えて一人で葉月を守ってきたんだろう。
「こんな辛いことを話してくれてありがとう。私にとって三枝くんは三枝くんだし、葉月は葉月だよ。もちろん、冬馬は冬馬なんだ。だからそれを聞いても聞かなくても私があなたたちに向ける気持ちは変わらない」
葉月がためらいがちに私の手を取ってこっちにその目を向ける。
「お姉様…。け、軽蔑なさいませんの?」
「なんで?二人は責められるべき対象じゃないよ。……苦しんだ沙織さんを知ってる冬馬ならともかく、私が二人に対して何か思うことはないよ。ね?だから私には今まで通りいてよ?」
微笑んで葉月を撫でると、彼女は無言で私にしがみついてわぁわぁ泣いた。
祥子がそんな葉月の背中を撫でてぐすっと涙ぐんでいる。
弥生くんは幼馴染の暗い過去を聞いて表情を暗くして黙っており、未羽もゲームという設定に左右された一人として顔を歪ませている。
「……上林先輩。あの人があなたに何か要求したことを、息子として謝ります。ご迷惑おかけしました。俺たちに、これ以上あなたの傍に近づくなと言うのなら、俺たちはそれを甘んじて受け入れます」
三枝くんが机につくほど、深く頭を下げ、冬馬の方はそんな三枝くんを視界の隅にいれる程度に外を見たまま答えた。
「別に。元から知ってたからな。お前らに今更どうということはない。最初会った時はどんな意図かと思ったけどそれも分かったしな。雪が言った通りでお前らはお前らだよ。お前らの母親のことは軽蔑するし、憎みもするけど、お前らはそれとは違う」
「……おに、い、さま……」
葉月が小さく呟いた言葉に冬馬がわずかに反応したが、ふぅ、とため息だけついて立ち上がった。
「話はこれで全部。俺は帰る。お前ら明日もあるし、早めに帰れよ」
「待って冬馬。私も帰る。いい?」
こちらに向けられた冬馬の目は相変わらず暗い。いつもの優しい彼氏の目ではなくて、復讐という暗い炎だけを頼りに歩いている人の目だ。
「……雪が望むのなら」
「待てよねーちゃん」
「太陽?」
太陽は、真剣な顔で立ち上がった私の腕を掴んだ。
「今のこの人に近づくべきじゃない。人として、危険だ」
「太陽、そんな言い方しないで」
「その通りだよ、雪。今の俺は多分いつもの俺じゃない。太陽くんの言う通り、みんなと帰った方がいい」
暗い、表情の見せない冬馬を思い切り睨みつける。
「冬馬のばか!何言ってんの。その冬馬も冬馬でしょ。一緒に帰ろう!」
「ねーちゃん!」
「太陽が心配してくれてるのは分かるよ。ありがとう。でも大丈夫。ちょっと遅くなるってお母さんに言っておいて」
私は太陽の腕を振りほどくと冬馬の手を取ってみんなから離れ、冬馬と店を出た。




