そして真実は光の下へ。(冬馬動乱編その13)
しばらくしても太陽と弥生くんは戻ってこなかった。最後まで見守っていたかったけど、時間切れだ。
隣で突っ立ったまま動かない未羽を強く揺さぶる。
「未羽!未羽!起きて。そろそろだから!」
「……はっ。今私は何を?」
「よだれと涙と鼻水を垂らしてへらへら笑って女として終わったまま突っ立ってた」
「ふふふ、まさかあれほどまでに破壊力があるとは……。ツンデレって怖いわ。この恋愛マスターただし見るに限る、の未羽様を半死半生の目に遭わせるとは……!」
「見るに限るって未羽さん、なぜか底知れない悲しさがあるんだが……」
鮫島くん、ごめん。未羽は全然悲しいと思ってないと思う。この子の人生、少なくともここ数年はそれで充実してるから。
「未羽。時間、そろそろ」
「そうだったわね。じゃあ行くか」
覚醒した未羽と帰り支度を済ませ、バッグを手に扉に向かう。
「二人ともどこ行くの?これからみんなで夕飯行く?って言ってたんだけど」
「ごめん、ちょっと未羽と用事があるんだ」
「そーそー。雪が私と浮気するの。上林くんの見ない時なんて今しかないからね」
「違うわっ。俊くん、太陽たちのことお願いしていい?」
「了解しましたわ!お姉様!」
「……葉月、お前には任せられないだろ」
「あ、あはは、そんなことないよ。二人がいないと湾内さんも太陽くんも気まずいだろうからね」
「俺らもそろそろ月夜を回収しに行くか?」
「蘭がいるなら平気でしょ。今日は放置だね。俊くん、飯行こ、飯ー」
天夢のみんなもそのあたりを片付け始めて早めの夕食に向かうことにしたようなので、私と未羽はみんなに後始末をお願いして天夢高校を出た。
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未羽が例の如くプライバシーなにそれ美味しいの?をモットーに冬馬に仕掛けたらしい発信機のおかげで冬馬がいる場所が分かった。
どうやら彼は、天夢高校から数駅離れた、この辺りで一番大きい駅の駅前のカフェチェーン店にいるらしい。
未羽は目的のカフェの傍まで堂々と歩いていくと、その前の路肩にある植え込み傍にしゃがみこんで物を落としたふりをしながら冬馬を探す。動作があまりに自然だ。手慣れすぎていて怖い。
「……ていうかこれ、立派なストーカーだよね」
「あんたがやるって言ったんでしょうよ」
「そーなんだけどなー。浮気疑って彼氏のケータイ見ちゃう彼女よりタチが悪い気がしてきた」
「今気づいたなんて、なんて鈍い子。あ、いた。……ほらあそこ」
ラッキーなことに、犯罪者予備軍の未羽が指差す先、窓際の席に冬馬が座っていた。部活帰りと一目で分かる長弓を席に立てかけて座っている。
「私の日ごろの行いがいいからこうやって見えやすい位置にいるわけよね」
どこにいい行いがあったのか教えてほしい。
「それにしても、こうやって遠くから見ても一際目立つ彼氏なんだなぁ」
「呑気ねぇ。惚気に付き合うつもりはないわよ?」
「ごめんごめん。まだ誰もいない……いや、あの人だ!今お店入った帽子を脱いだ女の人!」
ちょうど未羽と軽口をたたいていたその時、短いボブの黒髪の女の人が入店し、冬馬の前の席まで行って座る。
スマホをいじっていた冬馬は、口を開くこともなく当然のように前に座ったその人をちらりと見て、スマホを仕舞った。
「ほら、雪。これつけなさいよ。これで聞こえるから」
盗聴機なのだろうと分かりつつ、二人でイヤホンを共有し、冬馬たちが見える物陰で立つ。良心が痛むが、ここまで来て躊躇うのも馬鹿馬鹿しい。
ごめんね、冬馬。
『冬馬くん、やっと……』
『名前で呼ばないでくださいと言ったはずです』
睨みつけるでもなく、社交的な笑みを浮かべるでもなく、無表情で口だけ動かす冬馬は血の通わない人形のようで怖い。
『……ごめんなさい。上林くんとこうして向かい合って話せたんだなと思うと嬉しくて』
『俺は逆ですが』
椅子の背もたれに深く腰掛けた冬馬は、そこでようやく視線を女性に移した。
『俺に接触しない約束でしたよね。なぜあの日あの場に来たんですか。約束が違います』
『それは……どうしても一度話を聞いて欲しくて。ねぇ、あの話受け入れてもらえないの?』
『お断りします。俺があの男に会う必要はないはずです』
『でも、貴方が会ってくれたら……ってあの人が言ってくれたの。貴方だって久しぶりに肉親に再会するくらいいいでしょう?』
『全く。あなたがあの男に会いたいからと言って俺までそうだと決めつけないで下さい。あの男だって俺に会いたいわけじゃないですよ。あなたを弄んでいるだけです』
『そんなこと!』
『ないと言えますか?はっきり言って迷惑です』
声音には優しさも憎しみも感じない。冬馬は、淡々と事実を語るように話す。
その姿は、私の目からは、まるで、何かが零れてしまうのを恐れて全てを隠し、押し込んでいるように見える。
『俺は、周りの全てを犠牲にしてあんな男にそこまで入れ込んでしまっているあなたを哀れに思っている部分もあります。それもあってこうやって一度話をする機会を設けました。ですが言うことがそれだけなら金輪際俺や母に関わらないで下さい』
冬馬が立ち上がろうとするのを、女性がその今にも折れそうな細腕で止めた。
『ま、待って。私を哀れんでくれるならお願いを聞いてくれても……!一度だけ!一度でいいから!』
凍っていた冬馬の表情が少し動いた。見下ろしたその目は、蔑みの目。
『俺の話を聞いていましたか?哀れんでいる部分もある、と言っただけです。残念ですが、俺はそこまでしてやるほどにはあなたに哀れみを持っていません。自分が寝とった男の妻の子供にお願いする立場にあるとお思いですか?図々しいと思いませんか?軽蔑こそすれ、なんであなたのために俺が動かなきゃいけない?今回のことだって、興信所を使って俺の連絡先を入手して、連絡を取らなければ母に直接会って話すとか、「あいつら」のことをバラすとか色々書いて。俺はあいつらが可哀相だと思いますよ。母親がそこまで堕ちていて。俺は、最低限の義務は果たしました。二度と近寄らないで下さい』
冬馬は全く手をつけていない飲み物をそのままに、代金だけそこに置いてカフェを出る。
「あ、まずい。こっち来る!」
未羽と一緒に慌ててジタバタと物陰から転がり出たところで、私たちの幸運は尽きてしまったのだろう。
「師匠の香りがする!」
「お姉様は〜!ここですのっ!」
と聞きなれた声がして、ぎゅと抱きつかれ、女の子特有の甘い香りが広がる。
「葉月っ、祥子っ!?どうしてここに?!」
「一年で親睦を深めようとご飯を食べに行くことになりましたのよ?特に一部の。ですわね、相田くん?祥子?」
「葉月ぃ!!うぅっ!気まずいからっ!」
「……友達以上恋人未満」
「五月。お前ぶっ飛ばす」
「太陽、事実だからってそんなに照れなくてもいいのに」
祥子は顔を真っ赤にして私に抱きつく葉月の腕を掴み、太陽が三枝くんに掴みかかろうとし、それを止めながら弥生くんがからかう。
これが、この状況になかったのならよかったんだ。平和な日常の風景だから。
「い、今はそれどころじゃ!こここここっちに!!」
慌てて移動させていたのに、間に合わなかった。
カフェの自動ドアが開き、弓を持った冬馬が無表情で出てき、それを転ぶように慌てて追いかける女性の姿が見える。
それを見た太陽が怒りを顔に浮かべる。
「あんの!!ねーちゃんがいながら浮気なんて……!」
「違うの太陽、ちょっと黙ってて!」
私が太陽を押さえている最中に女性は冬馬の手を掴み、道中で叫んだ。
「待って、行かないで――和馬さん!」
その瞬間だ。冬馬が、初めて見る顔――冷静な彼らしくなく、怒りに歪めた顔を見て、反射的に、いけない、と思った。
「その名前で俺を呼ぶな!!俺はあいつじゃない!!」
縋り付く女性の腕を冬馬が乱暴に振り払ったのと、思わず飛び出して倒れた女性を間一髪私が支えたのは同時。
「雪……?なんでここに…?」
「ちょっと用事で近くに……」
冬馬のその時の顔は、多分一生忘れられない。
私がそこにいることを受け入れられないかのように、唇を戦慄かせ、ショックで顔を蒼ざめさせて、表情をなくした。
だめだ、こんな冬馬に嘘はつけない。
「ご、ごめん、嘘。ついてきてたの。本当にごめんなさい、冬馬。でも私、実は――」
「……こんなところで何をしてるんです?」
決して大きくないのに、低く響く声が私の言葉を遮った。
そちらに目を向けると、背の高い影が、私が支えた女性の目の前にそびえたっている。三枝くんだ。彼は女性の目の前に立ちふさがる。
葉月が女性を見ることがないように、まるで、その大きな背で、危険から葉月を庇うように。
「あ……いつ――」
「……呼ばないでください。こんなところで何をしている、と訊いたんです。…上林先輩に何を言ったんです?」
「ご、ごめんね……?」
「謝らないで答えてください。今さらどの面で俺たちの前に……!それも先輩に迷惑かけて!早く、一刻も早く俺たちの前から消えてください!葉月が……!」
無口な三枝くんらしからぬ早口には、焦りと怒りをないまぜになっている。
「五月……」
蒼ざめた葉月が、ふらりと倒れそうになり、すかさず弥生くんがその背を支えた。
「……葉月、お前向こう行ってろ」
「いや、ですわ。……なんでこんなところにおりますの?……お母様」
「お母様……?」
「えぇ。この人は私たちの母ですの」
未羽が思わずといったように出した声に、葉月は目をぼんやりとさせたまま小さく答えた。
「お前らの両親がなんで上林先輩のところに?」
太陽の疑問に、今度は冬馬が表情をなくしたまま答えた。
「俺に話したいことがあったからだ。この人は俺の母の夫……俺の血縁上の父親の浮気相手の1人で、俺にとっては――」
「冬馬、もういい!もういいよ!!」
祥子に情報を教えられている私が冬馬に抱きついて止める。
でも頭のいい太陽は気づいてしまった。
太陽が目を大きく見開き、三枝くんを見上げる。
「……え、今の話……五月、お前……上林先輩の……」
「……そうだ。俺たちは上林先輩の異母弟妹だ」
覚悟を決めた三枝くんは、誰が見ても否定できないほどしっかりと頷いた。




