持つべきものは非常識な悪友。(冬馬動乱編その10)
顧問とメンバーはさておき、まったりした部活の代表格である茶道部の活動はそれほど遅くまでにはならないので、今日も一度お点前をして指導を受けた頃には部活の時間が終わった。
部活が終わると帰りの方向が同じ未羽と二人で帰るのがお決まりになっていたが、今週は一年がいない生徒会の仕事が終わる状況にはないので部活の後もお仕事だ。
「ごめん未羽。今日は先に帰ってて」
「それはいーんだけどさ、その前に、ちょっとおいで」
「え、ちょっと、未羽?!」
「雪ちゃーん?未羽ちゃーん?」
未羽が私に有無を言わせず引っ張っていくので何とか一言残す。
「こめちゃん先に行っててー!」
未羽に引きずられて連れ込まれたのは本当に久しぶりの秘密の部屋だった。ここの存在を知っているのは夢城さんだけだし、彼女には固く口止めしているから入ってくる心配はない。
こんなところに未羽が私を呼び出したのは、他の誰にも聞かれたくなくて、かつ私に話したいことがあるからにちがいないが、あえて訊いてみる。
「こんなところに呼び出したのはなんで?」
「雪。どうしたの?上林くんと何かあったわけ?」
「なんでもないよ?」
「ゆーき。私を甘く見んな?」
「……参ったなぁもう」
未羽にはいつだって隠せないんだよなぁと苦笑が漏れる。
「ただのケンカとかだったら私も珍しいねぇとか言って放置するんだけどさ?ちょっと雰囲気違うでしょうが。何があったの?話したいなら話してみなさいよ」
「ゲームのイベントとかではないよ?」
「別に私はゲームオンリーであんたの相談相手になってるつもりはないわ」
未羽がいてくれるということがどれだけ私を勇気付けさせているか、この子はきっと知らないんだろうな。
ここまで来て誤魔化せるはずもないので、潔く相談しようと決め、その辺の椅子に腰かけ、口を開く。
「昨日、冬馬と久しぶりに出かけたんだ。動物園にデートしに行ったの」
「よかったじゃない。なに、動物が全部病欠でもしてた?上林くん逆ナンパ祭で楽しめなかった?」
「逆ナンパ祭はいつものことだし、動物園 自体はとっても楽しかったんだけどね……最後、冬馬の様子がおかしくて」
「様子?」
「うん。私のことを人前で抱きしめて離さなかったの」
「のろけ?のろけたいなら証拠の物品出してのろけてよね」
「違うって。気になったのは、そのときすごく苦しそうな顔してたこと。様子がおかしい理由を訊いてもなかなか答えてくれなくて、答えもはぐらかされた。訊いたのに本気で答えてくれなかったのは初めてなんだよね。あと、香り」
「香り?」
「冬馬じゃない香りがしたの。女性物の香水。……たまたまかもしれないけど、同じ香りをトイレでたまたまぶつかった女の人からし匂いだったの。なんらかの接触があったのか、本物の偶然なのかは分からない」
あの印象的な濃い甘い香りはなかなか忘れない。どこのものとはさすがに分からないけど、高級な既製品だってことは分かる。
「上林くんが浮気したとは思わないんだけど」
「うん。私も冬馬が浮気したとは思ってない」
これは断言できる。あの表情から言ってもそうだ。
「でもね、分かっててもそれが少し寂しいんだ」
「寂しい?」
「最近、冬馬、ずっと悩んでる。なのに私に一言も相談してくれないし、頼ってもくれない。未羽も気づいたように、冬馬の悩みが気になって仕方ない私の様子に冬馬だって気づいてる。それでも彼が私に打ち明けないのは、私を信頼してくれてないからじゃないかなって思ってね」
なんでも一人で抱え込んでしまう彼が頼ってくれるような人になりたいのに。彼女ってそういう存在だと思っていたのにな。
「うーん。それはさぁ、あんたの進路のこととかでここのところ休みがなかったからじゃないの?」
「だと思うんだ。でも、でもさ?それはもう去年からずっとなんだよ?おうちのとこが原因だとしても、ゲームが関係しない、彼個人の事情にだって私はどっぷり浸かってるじゃない?」
「まぁそうねぇ」
進路まで介入してきたのだ、無関係とは言わせない。
「ご家庭の事情や、……その女性のことだって、もしかしたらゲームの設定のかもしれないってことだって知ってるのにさ」
「どういうこと?」
「ごめん、祥子から聞いたことは未羽にほとんど全て話したけど、一つだけまだ話してないことがあるの」
未羽の目が鋭くなったので慌てて言い募る。
「それは!これがイベントも何も関わりがないし、冬馬だけじゃない他のみんなのプライバシーにも関わることだからっ!言えなかったんだ」
「……私が誰かに言いふらすとでも?」
「未羽は絶対そんなことしない。信じてる」
面倒そうな口調で怠惰な猫のように過ごす未羽は既に私には欠かせない子だ。揺らぎようもなく一番に、冬馬と同じくらい、ある意味では冬馬以上に信頼している。
でも、それでも言えないと思った。
「雪さぁ。上林くんの今の態度も、これなんじゃないの?」
「ん?」
机の上に座って足を組んだ未羽の目が見上げる私の目と合う。
「信用してないわけじゃない。頼ってないわけじゃない。でも、だからって信頼した人に自分の全てをさらけ出さなきゃいけないわけじゃない。そうでしょ?」
「うん。未羽だって、ゲームのことですら、私に話してないことあるもんね」
「あら、その様子だと気づいたの?」
「うん。秋斗のエンドのこと。あれは秋斗の個別エンドなんかじゃなくて、主人公だった私に個別恋愛ルートでトゥルーエンドになれるくらい好感度を高めてしまったままエンド、つまり告白を迎えたことへのペナルティーなんだってね、たまたま祥子から聞いた」
言うと未羽はふい、と気まずげに私から目をそらした。
「あんたには知られたくなかったのよ。あんたが主人公に認定されたってことが分かった一年合宿の時点で私はこれを告げるべきか迷った。でもそんなことであんたの気持ちを捻じ曲げさせるのはおかしいし、それをしても後々誰も幸せにならない。それに本当にエンドまでゲーム通りになるなんて、思ってなかった。あれほどまでにゲーム補正が強力だったなんてね。……だからこそ今回の太陽くんバッドエンドを避けるために、エンド修正よりも主人公湾内祥子が彼を選ぶことを勧めたわけ」
机の上に無造作におかれた未羽の手が強く握りしめられているのが分かる。未羽はきっと悩んで悩んでこうするって決めたんだろうことくらい、私も分かっているから、今更責めようとも思わない。
「まぁ、その話は今はいい。上林くんはあんたを信頼してないわけじゃないわ。ただ、あんたを巻き込みたくないだけなんじゃないかと思うわけよ。あんただってそう思ってんでしょ」
頷いて軽く視線を落とすと、机の上の木目の不可思議な紋様が目に入った。今の私の気持ちはきっとこんな感じ。理性で分かっている事実と感情が混沌としていて、整理がつかない。
「彼女としての立場があるからと言って彼の心や過去に土足で踏み入っていいとは思ってない。でもそれでは納得できない感情が、段々膨らんできてる。やるせない」
「まーったく。去年のあんたからは考えられないわね。あんなに攻略対象者を避けまくって人に踏み込まないようにしてたあんたからは!」
「本当、困っちゃうよね」
自嘲するように笑う私の顔を未羽が不躾に覗きこんでくる。
今の私は、きっとすごく不細工な顔してるだろうなぁ。
「雪、さっき言ってた水曜日の上林くんの用事ってもしかして――」
「これ関連じゃないかなぁって予測してる。私の様子をすごく気にして声かけようとして、でもまだダメって感じで止めてる感じがするもん。『あともう少しだから』って呟いてたのも聞こえちゃったし」
「よし!私に任せなさい」
「え。未羽、あんた。まさか」
「ふっふっふ。盗聴と盗撮は十八番よ!水曜日の体験授業に行くのもあんたに合わせるためってのもあったしね?」
「でもそれは……」
不敵に笑う未羽から底知れない恐怖を感じて腕を掴むと、未羽はなによう、と頬を膨らませた。
「気になるんでしょ?」
うぅっ。その通りだよ、とってもとっても気になるよ!一週間分のおやつと引き換えにしてもいいくらい気になるよ!
「でも冬馬にバレたら嫌な顔されそうだなぁ」
「そりゃーするでしょうよ。それが原因でこじれる可能性すらあるわよ?あのあんたを目に入れても痛くないぐらい可愛がってる上林くんが、自分に制限かけてまで言わないことなんだから。それでもする勇気があんたにある?」
未羽の瞳が挑戦的に輝く。オブラートに包まない物言いが私に甘えを許さない。
「……知りたい。私は何の危険もない中に囲ってもらって守ってもらわないといけない女じゃない」
未羽が楽しそうににやぁっと笑った。
「だからあんたって守られるのが基本の乙女ゲーム主人公に向いてないのよ。あんたを主人公にするとは、ゲームもおバカなもんね」
ぽんっと、私の頭に手をのせ髪をバサバサにする勢いで撫でた未羽は
「さぁ、夏祭りのリベンジマッチよ!今度こそはバレないでやってやるわ!まずは彼にGPS仕掛けるとこからね!」
と燃えていた。
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水曜日の午後の授業は休みだった。これは君恋高校全体で統括の職員会議があるからだ。そのお陰で私たちは5限の時間にある天夢の特別授業に出られるのだ。
「じゃあこめちゃん、冬馬、後はよろしくね!」
「頑張ってな。雪も俊も絶対、推薦程度簡単にもらえるから」
「みんなの様子見てきてね〜お仕事の方は、春先輩が手助けに来てくれるって言ってたから心配しないで〜?」
笑顔の冬馬とこめちゃんが、私たちのためにわざわざ昇降口まで送ってくれる。
「こめちゃん、お願いだから兄さんといかがわしいことをあそこでしないでね?冬馬くんも6限はいないんでしょ?」
「冬馬は生徒会の仕事を片付けた後の6限の時間からは部活だって言ってたもんね」
「あぁ、うん」
「努力はするねぇ!……お、お約束は……で、出来かねるけど……」
「こめちゃん勘弁して」
「でもっ大丈夫だよ、春先輩もそこまで過激なことはしないよ~」
「兄さんはそういうところでは全く信用ならないから僕心配だよ……」
俊くんが肩を落としているが、これはどうやっても止められない。というか会長が本気になったら基本的に誰も止められないから今更どうしようもない。俊くんの肩を冬馬がぽん、と無言で叩いた。
「お、お待たせしましたっ!」
紫の髪の美少女が、一年生の階段のところから、息を弾ませながらひょっこり顔を出した。天使と見まがう天夢のお迎え、蘭くんだ。
蘭くんはこの編入期間中こちらの生徒会の仕事を手伝ってくれており、今日は私たちと一緒に天夢高校の方に顔を出しに行くことになっている。
見るからに運動の不得意そうな蘭くんが息を整えていると、冬馬がにっこり笑顔で蘭くんの肩を叩いた。
「花園。無駄に雪にくっつくようなことしたら分かってるよな?」
「し、し、しませんよっ!そ、そんなこと僕出来ませんからっ!」
顔を赤くして言い切った蘭くんは、私の袖を小さく掴んで上目遣いをしてくる。
「ゆ、雪先輩。僕、そんなことしませんからね?し、信じてくださいます?」
私の胸からずっきゅん!!と音がした気がした。
か、可愛い!!可愛すぎる!彼は女の子じゃないと分かっているのにそれでもその顔でその角度はダメだよ反則だよ!
「花園、俺が言った意味が全く分かってないみたいだな?」
「冬馬くんっ!ほら、もう僕たち行かなきゃいけないから、ね?雪さんも行こう!!」
いち早く空気の不穏さを嗅ぎ取った俊くんが冬馬を止めると、私と蘭くんを引っ張って競歩の勢いで校門を出た。
駅までその勢いは一向に落ちず、駅で合流した未羽と一緒に電車に乗ってからようやく大きくため息をつく。
電車の中ではぁーと大きく息をついた俊くんが申し訳なさそうにこっちを窺ってきた。
「冬馬くんが最近余裕ない気がするんだけど、僕の気のせいかな?」
「ごめんね俊くん。多分気のせいじゃない」
「そうなの?何かあったの?」
「んー少し。あ、喧嘩とかじゃないよ?彼自身のことで今あんまり余裕がないだけだと思う。多分暫くしたら収まるから」
「そっか。冬馬くんも溜め込む人だからなぁ。雪さんにも相談しないんだったら僕が聞くって言ってもだめなんだろうな」
俊くんが寂しそうに笑う。
その後ろで未羽がカメラの調子の最終チェックをしながら目元を下品に脂下げているのが目に入らなかったらきっといい絵になっただろうに。
「そんなことないよ。俊くんのこと、冬馬はすごく大切な友達だと思ってるよ。いつだったかな?二人で俊くんが近くにいるとなぜか負の感情が消えていくよねって言ってたんだ。天性の癒しパワーがあるって」
「……僕はパワースポット扱いっていうことかな……?」
「いやいやそうじゃなくてね?今回のことは置いておくとしても、多分私には話せないことでも俊くんなら聞いてあげられることもあると思うんだ。俊くんにはいつもお世話になりっぱなしだけどね」
「そう?ありがとう雪さん。今度冬馬くんと二人で話してみようかな。僕だって冬馬くんのために何かしてあげたいから」
俊くんがにこっと微笑んだ。あぁ、俊くんの笑顔ってあるだけで心癒される……
「し、俊先輩って、かっこいいですね…。」
「前から思ってましたけど、一番みなさんのこと見てて、優しくて……」
「褒められても何も出ないよ?」
私と俊くんのやり取りを見守っていた蘭くんもぽぁっと頰を染めている。
「惚れちゃいそうです」
「うん、それはやめてね?僕は男だし、花園くんも男の子だからね?そして僕はそっちの趣味はないから」
はにかみから一変、真剣な顔になったのを見てしまった未羽が向こうを向いて肩を震わせている。
俊くん、苦労してるなー。
「そ、そういう意味じゃないですっ!尊敬ってことです。……あ、月夜くんから連絡来ました。向こうも昼休みに入ったで、雪先輩たち来るって聞いたら会いたいって言って生徒会室にいるそうです」
「じゃあちょうど会えそうね。ふふふふふ」
未羽が鰹節を前にした猫のような顔でにんまり笑った。




