こうして動乱の火ぶたは落とされた。(冬馬動乱編その8)
爬虫類のお次は、噂のうさぎコーナー。ここはまさにもっふもふ天国だった。
毛玉にしか見えないうさぎたちが固まって寝ている姿はケージにくっついて離れられなくなるくらい可愛らしい。
「うさぎとフェレットとモルモットは触れ合いもできますよ」
係のお姉さんの言葉に思わず頭突きせんばかりの勢いで顔を上げた私を見て、冬馬がそれもお願いしてくれ、冬馬の笑顔にあっさり陥落したお姉さんはうさぎが固まって並んでいるベストな場所に案内してくれた。ありとあらゆるところで無自覚に女性を逆攻略していく攻略対象者様の威力は彼女がいても揺るがない。
最初はよくやるなぁと他人事のように感心して、付き合ってすぐは複雑な思いもしたけど、今はこういう時は得した!くらいにしか思わない。私も図太くなったもんだ。うん。元から図太いわけではない、断じて、ない。
それはそれとして、今はうさぎ天国を満喫しようじゃないか!
「か、可愛い……」
「さすがにうさぎには美味しそう、とは言わないか」
「うさぎを食す食文化が日本になかったことが幸いしたよ……って、さすがに私でも牛とか見ても美味しそうとは言わないからね?」
「本当に?」
さっきから冬馬の中での私のイメージがどんどん残念な子になっていっているのは気のせいじゃないはずだ!
「そこはさすがに。哺乳類だとそれよりも愛でたいっていう気持ちが勝っちゃう」
二羽の大人しめのうさぎを膝に乗せ、その柔らかい毛触りや温かさを楽しんでいると、私の膝の上のうさぎを撫でていた冬馬が私を見て目を細めていた。
「冬馬、おばあちゃんが孫を見る目になってる」
「いやそこは愛しい彼女を見守る彼氏の目って言って欲しい」
「さ、最近さ、愛しいとかそういうこと、さらって言うようになったよね……?」
「いや。前からだけど」
「……そうでしたね。思い返せば付き合う前から結構さらっと言ってましたね」
「意識すらされてなかった時もあったってだけだよ」
隣にしゃがんでいる冬馬の腕や体が触れることを意識するようになったのは、多分去年の一年合宿のあたりからか。あれは確か――
「バスだったっけな……」
「何が?俺を意識し始めた時?」
「また心を読んだね?」
「話の流れと雪の視線を見たら誰でも分かるよ。確かにあの辺りから少し雪の俺への視線が増えた気がして嬉しかった覚えがある」
き、気づかれていたとは……。
「秋斗も私が自覚するより前に気づいてたっぽいしなぁ。なんでこう敏い人が多いのか……」
「敏いんじゃないと思う」
「え?」
膝に乗せたうさぎを隅っこの下ろしてやり、他の子のもふもふを堪能しながら呟くと冬馬は集まってくるうさぎを見ながら言った。
「俺から見たら新田は全てのことに敏いタイプじゃない。純粋に察する能力で言うなら、雪や太陽くんの方がいいだろ。――新田が雪の俺への気持ちに気づいたのが雪自身より早かったんだとすれば、それはあいつが雪のことをよく見てたからだよ。俺が自分の好きな子が自分に注意を払うようになってくれたのに気づいたのだって同じ理由。あいつはそういう意味では俺自身だからな。少し道が違えば俺があいつの立場になってた」
「……そうだね」
秋斗のことを冬馬がこれだけ話すのは久しぶりだ。
「もし俺があいつの立場だったらって考えたらさ、やるせないって言葉じゃ表現しきれないんだ。相手――つまり俺の立場の人間を恨んだだろうし、妬むとも思う。態度にも出る。でもあいつは雪の気持ちの変化に気づいてからも俺への態度を変えなかった。そういう意味では、あいつは俺より大人で、俺はあいつよりよっぽどガキっぽいんだろうな」
私が冬馬の方をじっと見ると、彼は少しだけ寂しそうだった表情を消して、不敵に笑った。
「ま、とはいえ代わってやるつもりは全然なかったけど。結局選ばれたのは俺だし、それこそが大事だから。そして今はもっと」
「もっと?」
「絶対に代われないってこと。俺以外誰も知らない、可愛くて甘えたがりで寂しがり屋な、放っておかれると死んじゃうなんてまことしやかに噂されてるうさぎみたいな雪を見せられた後でなんて、誰にも譲れないよ」
冬馬が優しく撫でてくれて、ここにいるうさぎ達よりも丸まりたい気分になった。
####
全ての箇所を回り終わり帰る前にお手洗いに行き、うさぎと触れ合った手を念入りに洗って出たところで、もう一度慌ててトイレに戻ることになった。見慣れた長身のイケメンがちょうど真っ直ぐ通り道に見えたからだ。
あれ?なんでこんなところに受験生の東堂先輩が?
目を擦っても変わらない。あれだけのご尊顔だ。本人と見間違えるってこともあるまい。
東堂先輩って、一人で動物園に来るほど動物好きではなかったよね。日曜日にわざわざ動物園に来る、って、部活の打ち上げとかじゃないはずだし、太陽もそんな予定は言ってなかった……ということは。
もしかして、デート?!
あれだけの人気を誇るのに、一向に彼女の影が見えない、既に攻略対象者というお仕事を完全に放棄させられて(放棄させられた、というのが大事。誰にかはご察しください)みんなのおにいちゃんに徹しているあの生徒会の良識派にとうとう春が!?
浮気調査をする探偵の気分でそうっと同じ方向を覗くと、もう一つ、人影が見える。背の高さから見て女性で、黒髪。
東堂先輩はかなり長身だから遠目からでも十分見えるが、その身長の高さが災いして連れの人は顔が全く見えない。
これは近くに見に行かねばなるまい!好奇心は人間の原動力だからね、素直に生きていこう!
自分を正当化し、お手洗いから人が結構集まっているところに近づいていく。こういう時遠巻きに女性がいっぱいいると便利だ。物陰になってくれる。
人の隙間からその黒髪の人物を覗き込む。
さぁ、東堂先輩と一緒にいるそこのあなた、私に顔を見せてごらんなさい!
「……へ?」
間抜けな声が出てしまったことを許してほしい。だってあまりにも意外な人がいたんだから。
「あの、東堂先輩、私大丈夫ですわ。少し驚いただけですもの」
「でもこけただろう。足くじいたんじゃないか?」
「いえ、踵の高い靴ではありませんし、問題はありませんわ。ありがとうございます」
「だが今日無理する必要もないだろう?また来ればいいからな。ほら、掴まれ」
東堂先輩が京子を支えて歩く姿をある人は羨望の眼差しで、またある人は嫉妬の眼差しで見守る中、私は開いた口が塞がらない。
なんで、京子が東堂先輩とこんなところに?どう見ても二人だけだし……え、二人は付き合っているの?いつから?誰にも言わずに?それとも明美は知っているの?
いやでも、普通、付き合ってたらこう、目が合ったらはにかむとか、そういうのあるよね?秘密を共有してます、っていう独特の雰囲気!……の、はずだけど、そんな素振り、微塵もなかったと思う。
東堂先輩はともかく、京子は、こと東堂先輩に関しては分かりやすいから、そんなことがあったらすぐに気づくと思うんだけどな。私はともかく、親友の明美の恋愛探知機や、未羽レーダーをかいくぐれるはずないし。
今二人を邪魔するわけにはいかないよなぁ。どうしようかな。尾行を継続していいタイミングで襲撃とか――ちょっと待て、私。私は今トイレに行ってたんじゃなかったっけ?
はっと気づけば、結構な時間が経っていた。
このままだと酷くお腹壊したと思われる未来に気付いて、いたたまれない気持ちになりながら、冬馬が待っているはずのフラミンゴの檻の前まで急ぐ。
「ごめんね冬馬、お待たせしました!あの、私、別にお腹壊してたわけじゃないからそこのところを誤解しないでほしいんだけど――」
走って戻った私に気づいた彼は、こっちに駆け来ってくるとそのまま抱きしめてくる。
どうやってお腹ピーじゃないことを証明しようかばかり考えていた私は面食らってしまった。
「と、冬馬?」
「ごめん雪。ちょっとこのままで」
さっきのように他人に見せつけたいわけじゃないのに、周りに人がいることも気にせず抱きついてくる冬馬は、まるで自分自身を落ち着かせようとしているように見える。様子がおかしい。
「冬馬?どうしたの?」
「……ごめん。何も訊かないで」
さっきまでとは明らかに様子が違う。何かあったことは間違いない。でも何が?
彼が私を離さないように強く抱きしめている理由は何?
もし私が冬馬の服に押し付けられていなかったら、きっと気づかなかったのに。
困惑していたのに、残念なことに私の鼻は正常に機能していたのだろう、それには気づいてしまった。
濃く香る、冬馬のものではない香りに。
きつい、女性ものの香水の香りに。




