上には上の、バカップル。(冬馬動乱編その5)
上機嫌の私は自ら冬馬の手を引くようにして園内を回った。
ゾウのお絵描き(ゾウが持った筆を人が誘導して振り回させているアレ)しているのを見学したり、遠目から警戒する太陽のように檻の前でうろうろするライオンを見守ったり。
中でも大変だったのはパンダ。子供たちに大人気のこの檻の主人公は、日曜日であるせいもあってほとんど見えない。
「相変わらずパンダは人気者だねー」
「もっと近寄らなくていいの?」
「遠目で見守るだけでいいや。幻想を壊したくないし」
「幻想?」
「パンダってさ、グッズとかになってると可愛いけど、実物はそうでもない気がしない?」
「あぁ。性格は結構荒っぽかったり、怠惰だったりするって話?」
「そう。ほら、あの隅っこであおむけでお腹を掻きながらだらけてるのとか、私のベッドでごろ寝してる未羽にそっくり」
「横田あたりなら言ったら出てくるんじゃないか?」
「やめてよー。冗談にならない気しかしない」
お次に移動した先はゴリラの檻の前だったが
「……うん、予想はしてたけれど、あまり新鮮味がないね」
見慣れた顔が行き来しているせいで全然特別感がない。
「さっきのニホンザルの檻の前と同じでなぜかほっとするよな。生徒会室にいる気分になる」
「私ね、桃があの太い指でちまちま猿の縫い物の手伝いしてる姿が、いつもゴリラが毛づくろいしてるようにしか見えないんだけど、どうすればいいと思う?」
「俺にもそう見えてるから雪の目はおかしくない。それより俺は、桃を見て、かっこいい!って本気の本気で思ってる彼女さんが怖い。いい眼科を紹介してやるべきかな……」
「病気なら病気でそっとしておいてあげた方が幸せってものだよ、きっと」
茅菜さんと桃の幼馴染みカップルは、去年の秋付き合って以来未だに喧嘩一つなく、ずーっとあのダーリンハニー呼びでラブラブしているらしい。
「きっと茅菜さんには、彼氏の桃のやること全部がキラキラして見えるんだろうなぁー」
リアルゴリラがキラキラしてるってどんな情景なんだろう?
真剣に想像していると、冬馬が首を傾げた。
「キラキラ?」
「恋をしていると、視界が明るくなるって言わない?ちなみに私の場合はただでさえ神々しい冬馬が普通の何倍もキラキラしてるから破壊力抜群」
「神々しいって大げさだな」
冬馬が軽く笑ってから、一年前を懐かしむように言った。
「俺も雪に会ってから驚いたよ。こんなに周りの自然って鮮やかだったっけ、ってな」
「そうなの?」
「うん。昔は風景なんか見る余裕なかったし、見ても感動もなにもなかった。植物園とか動物園とか、一体何が楽しいんだろうって思ってたんだ。でも雪と会って以来、そういうことも楽しいかもと思うようになったし、付き合い始めてからはもっとそう思うようになった」
「……そっか」
思わずにやけてしまう顔引き締めるために繋いでない手で口元を引き下げると「ぷっ。面白い顔」と吹き出されてしまった。余程変な顔になってしまったみたいだ。
「いいもーん。面白くても」
「あぁ、構わないよ。雪は社会一般から見ても誰もが認める美人だとは思うけど、どんな顔してても俺とっては誰よりも可愛いから」
この蕩けるように甘い笑顔にいつになったら慣れるんだろうな!私は!
「……冬馬、そういう甘いことを言うことについては全然照れないよね?尊敬します」
「思ってることを言わないのは損だって開き直ってるからな。それより、俺よりずっと恥ずかしがりやな彼女を照れさせる方が楽しくて仕方ない」
「いじめっ子!」
「顔真っ赤な状態で言われても怖くないよ」
一気に頬が熱くなった私を楽しそうにからかった後、冬馬は繋いだ手を少し引いて私を呼び寄せて柔和に微笑んだ。
「ありがとう、俺に今まで知らなかった風景や感情を教えてくれて」
「……それは私が言わなきゃいけないことだよ」
恋愛を否定し続けた去年と、冬馬のことを好きだと自覚してそれを受け入れ、受け入れてもらって過ごす今年。
「去年も去年で楽しかったけれど、今年はそれとはまた違う楽しい毎日だなって思う。だから私にも言わせて。いつもありがとう」
「どういたしまして。これからももっと一緒に広げていこうな」
「うん」
動物園の半分ほどを楽しんだ辺りでお昼を取ろうということになった。
が、軽食を買おうと園内の喫茶店に近づいたところで、慌てたような冬馬に反対側に引っ張られた。
「雪、こっち!」
「え?」
引かれるがままに物陰に隠れると、「ほら、明美さん、あーん」と、艶のある声が聞こえ、同時に見慣れた新緑のポニーテールの女の子が耳を赤くしてぷるぷると体を震わせている後ろ姿が見えた。
……見えてしまったよ、残念なことに。
「明美さん?どうしたんですか?」
「あのね、雨。そこにいるご家族の、どう見ても幼稚園に通っている感じの少年少女が目に入らない?見えないなら視野狭窄もいいところよ」
「何言ってるんですか、見えてますよ。まぁ基本的には明美さん以外目に入ってないんですけどね?」
「見えているんだったら、あーん、はまずいんじゃない?」
「え?どうしてですか?」
「雨……。あんたには基本的な道徳観念が欠けているようね?」
「そんなことないですよ。小学生の時から道徳の成績はオール満点でした」
「胸張るな!紙の上の話でしょ?!」
「あーん、くらいいいじゃないですか。彼らの前で飲み物を口移しで飲ませるのとどっちがいいですか?」
「なんでそれが比べる対象になってんの?!」
「ほら、あーん?あーんくらい、冬馬くんたちですらやってますよ?」
「…くっ、あの鈍足青春日記カップルですらやってるとはいえ……!」
「こら!明美!誰が鈍足青春日記カップルだ!」
いちゃつくのは構わないけれど、引き合いに出されるのはおかしい!そして変な呼び名をつけるのもやめてほしい!
「ゆ、ゆ、雪っ!?どうしてここに!」
「あーもう……なんで出たんだよ雪……」
「う、う、上林くんまで!?ってことは、まさか雪たちも今日ここにデートに?!」
「なんで出てくるんですか雪さん。いるのはいいですけど、邪魔しないで下さいよ。もうちょっとで明美さんがあーん、に納得してくれて、その後俺にあーんしてくれて、それから口移しで飲み物飲ませる予定だったのに」
「雨?!なんという野望を持ってたの?つーかやるなら比較対象として出すのおかしくない?!」
「いいじゃないですか、もう何度も直接してるんですし。今更飲み物があろうとなかろうと同じですよ?」
「あめぇ!!!」
パニック状態が極まりすぎて叫ぶ明美と、動揺の欠片もない策士の雨くん。いつでもどこでも平常運転のカップルはここにもいたわ。
「お前らどんな時でも安定してるな」
「こんなことでは乱されませんよ。冬馬くんだって邪魔されたくないでしょう?」
「そう思っていたからこそ見つからないようにしていたはずなんだけどな……」
「ごめん冬馬、つい脊椎反射で。でもほら、どうせ自分達の世界にどっぷりの雨くんたちならこっちにつきまとって邪魔したりはしないよ」
「つきまとわれる心配はないんだけどな……」
なにやら懸念が尽きないらしい冬馬が深いため息をついている。
「そりゃ歩く公害の雨くんがいるから不安はあるけど、そこまで心配しなくても」
「そんなに言われるなんて心外です。ほら、明美さん、起きてください。目を開けたまま寝るなんてアホ面すぎて可愛いですね。目覚めのキスが必要ですか?」
「何気に失礼!!いいいらないっ!キスなんて!」
「そうですか、じゃあ今度からは一切しません」
しょぼくれた犬のようにバーチャル耳が垂れている雨くんを見て、明美が立ち上がって慌て始めた。
「あ、雨っ!なんでそういう極論に走るの!?」
「明美さんは俺のキスが嫌だったんですね……。嫌な思いをさせてすみません。そうですよね、明美さんは潔癖だし……直接舌を絡ませるなんて嫌に決まってますよね」
雨くんは、さりげなく放送禁止スレスレな発言をしながら、ずずーっとストロー音までさせて飲み物をすすり、いじけ具合をアピールしている。
彼は、日曜日の昼下がりの家族連れで溢れかえった動物園にいてはいけない存在だと思う。
「そ、そんなことないからっ!私、雨のキス好きだよ?!」
「……本当ですか?」
両拳を握りしめて訴える明美に、両手で飲み物をもったままの雨くんが上目遣いをする。
なんとあざとい男なんだ!
「本当!」
「嫌じゃないですか?」
「嫌じゃない!」
「してほしいですか?」
「……しっ、してほしい!!」
「でも嫌な時もあるんでしょう?」
「そっ、それは時と場合を選んでくれた方が……で、でも!雨以外の人なんか考えられないしっ!考えただけで怖気がっ……ふぬっ!!」
雨くんは、必死で弁解する明美の後頭部を引き寄せると、さきほど宣言していた口移しを実行に移した。
白い首が触れ合うように近づいて明美の喉が嚥下するごくり、という動きがなんとも蠱惑的だ。
冬馬が子供たちの目を覆ってくれたからなんとかなったけど、もし一瞬でも遅れていたら、私は県の教育委員会と動物園の警備員を呼ぶか真剣に悩んだと思う。
日頃君恋生徒会の歩く公害たちのフォローをしている経験値は伊達じゃなかったね、冬馬!
私が我に返り二人を引き離そうとするその直前に口を離した雨くんは、頭から湯気が出ている明美の唇を指で拭いながら天使の微笑みを見せてくる。
「満足です。俺以外、なんて考えた時点で明美さんの脳内の仮装男を殺したいですが」
「見せ付けやがったな……」
冬馬ですら頰を染めて雨くんを睨むと、雨くんは天使の微笑みを小悪魔な笑みに変えた。あっという間のジョブチェンジだ!
「ふふっ。冬馬くんにはこれはまだ無理ですよね?」
「おい――」
「い、いーの!!冬馬は照れるところが可愛いの!!雨くんみたいに平然とするようになったら嫌なのっ!!」
「邪魔してくれた仕返しです。いいんですよ、鈍足青春日記のお二方はもっとずっと遅くて。俺たちもそれ見るの楽しいですし?もちろん、今やったのは明美さんへの俺の愛を示すのがメインですが」
「ね?明美さん?」と、明美に笑いかけるが、明美は沸騰中のやかんの如し。言葉よりも鼻血の方が出そう。
冬馬の方は怒りと恥ずかしさ半々の顔で雨くんを睨みつけている。
「と、冬馬?落ち着いて?私たちは私たちのペースだよ?」
「…………大丈夫。別に乱されることはないから」
「俺にこういう方面で勝とうなんて100万年早いんですよ。じゃ、失礼しますね」
真っ赤な明美の手を引き、雨くんは順路の方へ消えていった。




