厚顔無恥もたまにはいい。(冬馬動乱編その4)
10月の第1週目の日曜日。よい秋晴れだ。
今日は待ち合わせの30分前を狙って家を出た。出かけるときは決まって冬馬が先に来てくれているのは申し訳ないし、いつもいつも女の子の遠巻きの視線に囲まれた台風の目に入っていくのはなかなか勇気がいるのだ。普通の女の子より豪胆だと自負しているこの私でもね!
そんな決意が功を奏したか、待ち合わせの駅にまだ冬馬の姿はない。
「ふふふ、初だ、初だー。冬馬より先に来たのは!」
待っている間はそわそわする。
同じ学校だし、毎日顔は合わせられるけど、お出かけデートの時はやっぱり特別。
冬馬がやってくるはずの方向をじっと見て、時には自分の服を確認して。髪を少しいじって変にハネてないか確認する。
付き合ってもう満8ヶ月、そろそろ9ヶ月目に入るのに。去年から通算すればアホな姿や女子とは思えないくらいドライなところも見られているのに。
それでもやっぱり冬馬と出かける時間は女の子らしくドキドキする。
ちょっとでもいつもより可愛いって思ってもらえないかな、なんて、現世年齢と同じように浮かれるなって言われちゃうかもしれないけど、そんな期待に頬が上気する。
「おねーさん一人〜?」
駅前のベンチに座って、ちょっと大人っぽくまとめたワンピース姿でにやにやしていたら声をかけられた。顔を上げるとかる〜い感じの年上の男二人。秋斗のような地毛の金髪じゃないことが一目で分かるくすんだ金色の髪。
若い頃にそんなに毛根を苛めてたら将来寂しいことになりますよ?
「いえ、待ち合わせなので」
心の中の言葉はおくびにも出さすに目を逸らして立ち上がる。面倒なので場所を変えようと立ち上がって歩き出しても、鬱陶しく付きまとわれ、せっかくの気分が台無しだ。
「えー。そんな逃げなくてもいーじゃーん」
「実はヒマでしょー?オレたちとあそぼーよー」
「本当に用事があるんで、結構です」
「けっこうです、だってー。かわいー」
「マジ好みなんだけど!」
こういう人たちの語彙は「かわいー」と「マジ」ぐらいしかないんだろう。私に構う前に国語辞典をめくった方がいいと本気で思う。
追ってこられるのが面倒なので駅員さんの前を通って振り切ろうか、と考えていた矢先に目の前に人影が立ち塞がった。
「俺の彼女に何か用ですか?」
冬馬にしては珍しく全く対外用の笑顔も浮かべていない。
二人は、自分たちとは住む世界すら違うんじゃないかというくらい段違いの長身美形に睨まれて、ひっと声を漏らすと、あっさり去っていった。
ふっ、雑魚め。
「おぉ、かっこいいー」
「まだ待ち合わせ時刻じゃないよね?なんで今日は早いの?」
「え、たまには私の方が先に着いていたいなー、と」
能天気に呟くと、冬馬がため息をついた。
あれ、冬馬少し機嫌悪いな。なんで?先に着いたのはそんなに悪いこと?
「こういうことが容易に想像できるからいつも俺が先に来てるんだよ」
「もう高校生なんだから連れ去りの危険は大分低くなったかと」
私は出歩いていもそれほど男の人に声をかけられることはない。小さい頃は確かに連れ去り未遂のようなものにあったことも多かったけれどそれは体が小さくて連れ去りやすいからだ。太陽や秋斗の過保護具合がひどくても、そんな過去の私を見てきたことに由来すると思えば仕方ない、とある意味諦めていたところもある。
しかしもう高校生だ。自己防衛手段は十分ある。そういうわけで大人に連れ去られる危険はもうないのに。
「雪は危機感がなさすぎ。ここで俺が心配してるのは連れ去りなんかじゃない。確かに雪レベルの容姿になると普通の男なら自分の分を弁えて声かけたりしないよ。雪に声をかけるのは、本気で自分に自信があるタイプか、そこまで頭回らないさっきみたいなアホかどっちか。そういう、怖いもの知らずというか身の程知らずなやつはああやって付きまとうこともあるんだよ」
「えー今までこういうナンパとかほとんどされなかったよ?特に個人だと初めて、じゃないかな」
「今までなかったのは幸運にもそういうやつらに会わなかっただけだから。こういうのが心配だから俺がいつも先に来てたのに」
少し苛立ったように言われて、さっきまでの浮かれた気分があっという間にしぼんでいく。
……ちょっとでも早く逢いたかったのにな。
「迷惑かけちゃって、ごめん」
来て早々冬馬に迷惑をかけたことに落ち込んで地面を向くと、冬馬の爽やかな香りが近くでふわっと香った。
軽く私を抱きしめたまま、冬馬が口を開く。
「……ごめん、俺、最近気が短めかも。雪がそういうことに無自覚なのはよく分かってるのにな。今度から普通に待ち合わせ時刻に来てくれればいいから。ちょっと遅れるくらいでいい」
「うん……」
「迷惑だとは思ってないからな。むしろ早く逢いたいとか、最初の頃なら雪なんて考えられないようなことを想ってくれて嬉しい」
「……なぜばれた!?」
「お見通しだよ。せっかく出かけるんだし、これ以上引きずるのはなしな」
体を離してにこりと笑って頭を優しく撫でてくれる。
さっきまでしょんぼりしてたのに、なでなでされると飼い犬みたいに甘えたくなってしまうなんて、一年前は想像もしてなかったなぁ。
「わかった。行こ?」
冬馬の手を取り改札に向かうと冬馬も指を絡めてくれた。
今日行くのは動物園だ。付き合って初めて出かけた2月の時は寒くて断念したけれど、今日の気温と天気なら楽しめるはずだ。
けれど日曜日だから混んでいる。そして彼氏連れなのに冬馬に見惚れてぽうっとする女の子または女の人も多い。
こら彼氏さん方、ちゃんと自分の彼女を見ていなさい!
彼女さんたちはお互いのペアになんとかしてもらうとしても、現地調達組のハゲタカのような視線は油断ならない。冬馬は私のことを心配するけど、冬馬の方が目を離すと大抵あっという間に女の人に話しかけられているんだもの。
ほら、今だってチケットを買いに行ってくれたその途中で巨乳で美人なお姉さんに捕まってる。
明らかに彼を狙った女性に彼が話しかけられているのを見るのは、なんとなく面白くない。去年から慣れていたはずなのに最近はこんなことにすらもやもやしてしまう。
冬馬は巨乳お姉さんをいつもの外用笑顔でうまく退けてからチケットを手にこっちに帰ってきた。
「雪、遅くなった!」
「ありがと」
「どうかした?」
「なんでもないよ」
「嘘。言いたいことあったらちゃんと言って、って言っただろ?」
入り口でチケットを通し、手を繋ぎ直した冬馬は相変わらず敏くて少しの不機嫌も隠せない。
「……冬馬は女の人に囲まれてばっかり。不安ではないけど、気分はよくない」
可愛くなく膨れると、冬馬はそれを見ていきなり笑った。
「あっははは。雪、それ気にしてんの?」
「私には笑い事じゃないもん。去年はまたか、くらいだったのに、私どんどん狭量になってる気がする」
彼の方を見られない。拘束しすぎて彼に嫌がられるのは嫌なのに、それでも言わずにはいられないこのもやもやした気持ちをどこにやればいいんだろう。
「雪、おいで?」
冬馬が繋いだ手を引っ張った。私の返事を待たずに近くに寄せられても膨れた顔は見せなくないからまだ顔は上げないでいると冬馬が頭上でまた笑った気配がする。
「雪もそういう反応を見せるようになったか。俺、頑張ったなー」
「もう、人がもやもやしてるのに……!」
ついつい反駁して顔を上げると、周りに人がいっぱいいるのに、冬馬は隣で身をかがめて優しく彼の唇で私の頰に触れた。
風のように一瞬触れるのではなく、壊れ物に触れるようにゆっくりそっと。
「冬馬、人前!!!」
「見せつけたいんだろ?」
「そ、それは……」
図星に顔が熱くなる。知り合いの前で一度公然とキスされたことはあったけど、あれは4日間の反動だったし、これほど多くの人の前じゃない。
なのに冬馬と来たら全然気にしないで明るく笑った。
「俺はいくらでも公示して構わないよ。むしろ人前でこーゆーことしたがらないのは雪の方だからな」
いたずらっぽく笑って腕がくっつくくらい私を横に寄せる。
とても人目をひくこの目の前の男の子がいきなり建物の陰でもなんでもない園内の順路でキスなんかしたもんだから、当然のことながら周りのカップルも家族連れも一様にポカンと口を開けて驚いているのが視界の隅に入ってしまう。
「あ、も、もう大丈夫。じゅ、十分です、十分すぎるほどです」
「そう?また公示したくなったらいつでも言って。俺は周りの人がいくら声かけてこようとその辺に生えてる雑草並みにどうでもいいんだ。雪を不快な気持ちにさせる方が困る。たまには少しくらい嫉妬させたいけどね?」
恥ずかしい。とても恥ずかしい。けれど、嬉しくもある。
冬馬の甘い笑顔や言葉が私だけに向けられている、ただそれだけのことが曇った心の霧を払ってくれる。
――と、そこまで決めきっていた冬馬がふいに顔を赤らめた。
「……て、かっこつけたけど。ごめん、やっぱ多少照れる」
「だ、だよね。さすがに。なんかちょっと雨くんぽくてビックリした」
「よく分かったな。あいつが武富士を不安にさせないために何してるかを参考にしてみた」
「雨くんだったらほっぺじゃなくて普通のキスをしそうだけど」
「だろうな。でも俺はまだそんなに簡単に雪にキスできない」
「え、そう?結構普通のキスは平然とするようになったなと思ってたんだけど。私ばかりドキドキしてるし」
「いつだって緊張するし、ドキドキしてるよ」
「ふふ、なんかそうやって照れるとこまで含めて冬馬って感じがして可愛い」
笑うと、「可愛い…?」と少し眉間に皺を寄せたけど、これはきっと照れ隠しだ。
「精神が振り切れてない限りあいつほど厚顔無恥にはなれない」
「ならなくていいの。大人っぽく決めてくれるのもかっこいいけど、可愛い冬馬も好きだから」
今度こそ冬馬は少し頰を赤くして繋いでない手で口元を隠していた。
「……なんか雪の方が振り切れるのが早い気がするんだけどな」
「そんなことないよー。気分がいいだけ!」
鼻唄を歌わんばかりに――とは言っても当然、私の歌を披露しだしたりはしない。そんなことしたら雰囲気ぶち壊しだ!――一気に機嫌を直した私を見て、冬馬が優しく笑った。




